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在る偏屈者による半年遅れのMBA留学日記、そして帰国後に思うこと
最近、長女の小学校受験の準備にと、柄にもなく都内の小学校の受験説明会に参加している。
これまでに私だけでも3校訪問した。
最初は何となく気恥しく、乗り気がしなかったが、実際に行ってみると、いろいろと学ぶことも多い。

まず、学校ごとの特徴・特性の違いは思った以上に存在する。立地や建物などの物理的特性もあるが、雰囲気というか、感じさせられるものが大きく異なる。教室の前に掲示された児童の絵・書道・研究発表などの作品をみても、やらせていることや、出来具合には結構な差がある。説明会のアジェンダ、校長の話し方、アピールの仕方なども、お互いに研究した結果かもしれないが、それなりに違いがある。自然とそうなるのか、説明会に参加している親の雰囲気も異なる。こういうところに娘を通わせてやりたい、と心から思わせてくれる学校もある一方で、合格しても行かせたくない、という学校もまた存在する。

また、共通して気づいたことのひとつは、英語教育をカリキュラムに取り入れている学校が多いこと。海外にキャンパスをもっている学校も少なくない。そしてその内容がもったいないほど稚拙であることも、残念ながら共通しているように思われた。そもそも、長女の受験指導をしてもらっている教室の先生によると、歴史の古い「名門」小学校の場合、彼女のようなインターナショナル幼稚園の出身者はそれだけでネガティブな見方をされることも多いらしい。本当に英語力のある子どもを育てようとされているのか、あるいはどちらかというとマーケティング上の取り組みなのか、学校によっても違うのであろうが、真意のほどはよくわからない。

いずれにせよ、親としては、子どもが学ぶ上で特色のある学校が多数あり、子どもの学力上の入学可否はあるとはいえ、進路を検討する自由度(地理的、経済的な面で)があるのは嬉しい。長引く不況で現役世代の所得格差の拡大が指摘されて久しいが、こうした所得格差、首都圏と地方の格差は、教育を通じて、次の世代に再生産されていく。そうした意味では、親として、子どもの成功を約束することは不可能であるまでも、子どもに「機会」を与えることができるのは、ありがたいことである。

一方で、選択肢が多いことからくる親の苦悩、子どもの苦悩があるのも、また事実であろう。自分が子どものころは、自宅から徒歩5分ほどのところに小学校があり、毎朝制服を着た児童が登校していくのをみて、自分もその列に加わる日がくるのだと言われていたし、何の疑問もなくその姿を想像していた。しかし今の子どもにとっては、状況はそう単純ではない。実際に今の自宅からも、徒歩圏内に小学校が2校ある。週末には校庭が開放されており、娘を連れて遊びに行ったこともある。しかしながら、そこに行く、という話はこちらからしたことがないし、子どもの側も、何となく自分はそこに行かないのだと思っているようである。幼い頭脳にはなかなか理解しにくい現実なのではないか。また親としても、自分たちが子どものころにやってきたことと違うことを娘にやらせているわけで、まったく手探りであるし、自分たちのやっていることの「正しさ」に対する確信がない。悩み、考える日々である。

いわゆる「良い学校」に行ったとしても、将来の「成功」の保証にはならない。これは経験上も確信がもてる事実である。将来への補償ではなく、子どもが将来世の中のこと、自分のことを考える年齢になったときに、考える材料が多く、考えた結果とりうるオプションが多いことが、「良い学校」に行く便益であると思っている。これを実現するためには、子どもを「良い学校」に入れるだけでなく、そういう視点から学校を選び、子どもと一緒に考え、子どもを見守ってやることが大切なのだろうと思う。

炎天下の週末、汗だくになりながら3つ目の学校見学を終え、そんなことを考えながら広尾の坂道を歩いていた。
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最近、日本人の若者が海外に消極的だという報道や論評、経営者のお話を聞くことが極めて多くなった。もはやそれは、ニュースではなく、定説となっているような気さえする。
 

  • 新入社員が海外に行きながらない
  • 外務省のキャリア官僚が在外公館に赴任したがらない
  • 海外で学ぶ日本人留学生が世界全体で11万人から10万人に減少した
  • 米国で学ぶ日本人学生は2000年に比べ学部生で半分以上、大学院生でも1/4以上減少した。既に3万人を割り込む一方、人口で半分に満たない韓国は7万5,000人の学生を米国に送りこむ
  • 海外旅行をする20代の日本人の数は1996年の463万人をピークに減少を続け、10年後の2006年に300万人を下回って、その後も減少の一途…

どんな角度で見ても、若者の「内向き」傾向を否定する説はなかなか見つけられない。
この理由として、不況や就職難をあげる説は多いが、90年代初頭のバブル崩壊後も、海外志向はここまで低下しなかった。
また、大前研一氏(MIT卒)が「若者のハングリー精神不足」を指摘している。曰く、
「不況とかは関係ない。かつての貧しい時代でも米国で学ぶ日本人留学生は多かった。要は海外で勉強して、日本をこう変えたいというような志の高さやハングリー精神が失われたことによるものだ」
しかしこれも、どうもピンと来ない。

私が初めて一人で海外旅行をしたのは、まさに「20代の若者の海外旅行者数がピーク」に達した1996年であった。ちょっとしたアドベンチャー気分と好奇心が動機づけであったが、自分で言うのも恥ずかしながら、ハングリー精神は別になかったと思う。またその約10年後にMITに留学した際も、「日本をこう変えたいというような志の高さ」や「ハングリー精神」が漲っていたとは、とても言えない。

私は、こうした「内向き」への変化の理由は単に、海外へ行くことのリスク vs リターン、費用対効果の標準的なバランスが変わった(あるいは変わったと皆が思っている)ことによると思っている。

海外旅行に行かなくなったのは、他にもっと楽しいことが増えたからだろう。私も初めて海外に行ったときはそうだったが、初めて挑戦するいろいろな物事の中で、海外旅行というのは金銭的にも心理的にもバリアーが高いものである。それより身近でより費用対効果の高い遊びがあれば、そちらに向かっても不思議はない。
海外に留学したり、赴任したりしたがらなくなったのは、結局のところそうした経験をした人の多くが不遇をかこっている、あるいは少なくとも、純粋国産でキャリアを歩んだ人に比べて必ずしも高い評価を受けていない、という現実観があるからだろう。例えば私が学んだビジネススクールという教育機関のランキングの一つの基準は、日本のような「入学試験の難しさ(=偏差値)」ではなく、「修学前後の給与の増加率」である。いわゆるリーマンショックで方程式が崩れ去ってしまったが、私が留学したころには、有名ビジネススクールを卒業すると、給料が概ね1.5倍になるといわれていた。中国や韓国など、米国への留学生の数を伸ばしている国々では、この倍率はさらに高くなるだろう。これが現実としての留学の期待リターンであって、日本以外の国々の若者をひきつける要素である。中国や韓国の若者の多くが、母国を変えたいという志を第一理由としてどんどん海を渡っているわけではない。翻って日本では、恐らく留学生の平均をとったときに、上述したような留学による給与の上昇率が極めて低いように思われる。そもそもの給与が高い、という要因もあるだろうが、最大の理由は、留学や海外勤務を経験した人材が、その経歴を活かして転職を含む能動的なキャリアアップを図ろうとしないことにあるだろう。終身雇用が崩壊した、と言われるが、それとて雇用者側が解雇をしやすくなっただけで、労働者側が自らキャリアアップのために能動的に職を変えていく文化が定着したかというと、少なくとも最近10年間でそのような変化はあまり感じられない。私自身、いわゆる外資系の企業にいて、留学による実務上・キャリア上のプラスが現実的に感じられたこと、また終身雇用ではないので自らのキャリアを自ら形成していく必要性があることから、留学をしたいと思ったが、日本企業に10年もいた場合に同じ判断をしたかというと、必ずしも自信がない。

結局のところ、日本企業が、留学や海外勤務を経験した人材を、そういう経験をしていない人材に比べて横並びでない厚遇で迎え入れ、社内登用・中途採用を問わず積極的に活用しようとしない限り、海外に出ることは今の日本では「割に合わない」場合が多いのであろう。かつては、国際化という意味不明なスローガンのもとで、日本もそのうち海外経験をした人材が必要になるだとか、あるいは海外に出ることそのものに価値があると思われた時代もあったのだろうが、もうそういうおめでたい時代が終わり、皆が「冷静」になっただけなのではないか。そうした日本の旧態依然とした雇用・経済慣行を脇に置いて、若者の内向き志向を若者の志だとかハングリー精神のせいにするのは、いささか短絡的で、答えのない議論のように思われてならない。日本の人材の国際競争力強化は、日本企業がまず自らの人材の内向き志向をやめ、留学や海外勤務への明確なリターンを示さなければ、到底なしえない。そしてそれをなし得なければ、日本企業は永遠に欧米企業に追い付けず、アジア新興国の企業にも遅かれ早かれ敗れるだろう。


今日は日本が大戦に敗れた日である。



久しぶりに記事を書く。
いや、久しぶりに載せる、と言った方が正確か-。
 
所属するコンサルティング会社の出張の機会を得て、単身ボストンに向かった。昨年6月に離れて以来、およそ8ヶ月ぶりのボストンである。
 
たった8ヶ月、といえばたった8ヶ月であり、街はそれほど変わっていなかった。スローンの新校舎を含むMITの新校舎群は工事が進んでいたが、かといって新たに稼動しているものはほとんどなく、Kendall SquareやHarvard Squareといったケンブリッジ市内の馴染みの場所も、ほとんど変わっていない。2年間を過ごした学生寮のWestgateも、その外観、中庭の児童公園、ともに何も変わらない。変化といえば、駐車場に並ぶ自動車の顔ぶれと、我々が入居していた部屋の様子くらいであった。我々のいた部屋の窓からは、中国風の飾り物がのぞいていた。
 
昨年の6月に帰国し、もう少し考えたことをここに記したい、と書いた後、日本での生活も落ち着き、かつての職場にも復帰した。以来、何度か雑感をメモに落としてみたが、いずれもまったくもって非生産的で、結論がなく、平たく言えば愚痴っぽくて、いつも途中でキーを叩く気が失せてしまい、いわんやブログにアップするなど、とても及ばなかった。日本に戻って、何を感じたのか。米国に行く前の日本に対する見方、日本に戻る前の米国に対する見方と、今のそれぞれの見方がどう変わったのか、分かったようで分からなかった。
 
しかし、今回暫くぶりにかつて2年間を過ごしたボストンに戻ってみると、何となく考えていたことが見えてきたような気になった。
 
一長一短、といってしまえばそれまでなのだが、日本にも米国にも素晴らしいところと醜いところがある。日本に戻った当初、自分の国はなんて情けない、ダメな国なんだ、と思うことが日々多かったが、それは米国の良いところを比較の対象として置くからそう見えるわけで、今回渡米して、やっぱりこの国はダメだなあ、と思うことが幾度となくあったのも、その逆の心理が働いているに過ぎない。
日本人の道徳心というか、行儀の悪さについては、帰国直後の項に書いたとおりであって、その後の生活においても、認識は変わるどころかますます確信に近くなっている。道を譲らない、列に割り込む、親は子に擦り寄る、大学生は勉強しない・・・
しかしながら、米国および米国人も、側面が異なるだけで、ダメな部分は多い。この国のほとんどの人間は、信じられないくらい怠惰。自律的な改善努力というものがほとんどみられない。街並みも、一部を除けば極めて雑然として汚い。目的地まで遠回りしようとするタクシーに代表されるように、人を騙そうとする輩も少なくない。自分の責任範囲を極端に狭く定義して、それ以外のことには知らぬ・存ぜぬと堂々という。今回も、フィラデルフィアからニューヨークまで列車で移動したのだが、フィラデルフィア駅を出ようとするところで列車を牽引する機関車のエンジンが壊れてしまい、列車は吹雪の中で立ち往生、客室は真っ暗になった。状況や善後策を車掌や駅員にきいても、憮然とした表情で「自分は分からない」「カスタマーサービスデスクに行け」としか言わなかった。自分だって迷惑してるんだ、とでも言いたげな態度で、日本人には信じられない感覚である(尤も、かつての国鉄はこういう感じだったのかもしれないが)。こうした「ダメな部分」の背景に共通してあるのは、行き過ぎた資本主義のえげつなさであろう。怠惰で、改善意欲に乏しく、狭く定義した自分の責任範囲以外のことを極力やろうとしない理由も、結局は「自分はそれだけの給料しかもらっていない」という点に尽きるであろうし、街を汚して平然としているのも、掃除をするのは自分の仕事じゃない、そのために金をもらっているやつが掃除すればよい、という感覚が確実に影響しているように思われる。ボストンの空港に向かうタクシーの運転手はモロッコ人で、親族のサポートを得て米国に渡り、苦学して金融の知識を見につけ、中堅金融機関に職を得たが、昨年あっさりクビにされたという。一方で、金融界は特にそうであるが、経営者などの一握りの人間は、天文学的な収入を得ている。こうした事実を経験し、あるいは日々目撃していると、まじめにコツコツやろうという気が失せるのも、わからなくはない。私が従事するコンサルティングという職業もそうである。米国では、コンサルタントが果たすべき役割を契約の中で明確に定義していることが多く、従ってコンサルタントも「ここまでやる」というのが比較的はっきりしている。そして、当然ながら、そこまでしかやらない。これに対して日本では、後から契約に謳われていないことをあれもこれもと顧客から依頼される場合が少なくなく、コンサルタントも顧客会社のためになるならば、とストレッチすることが多い。従って、労働時間が極端に長くなる。ちなみに、米国で労働時間が極端に長い職業は、金融関係にほぼ限られる。かつてボストンのPEファームでインターンをしていたときも、労働時間の長いスタッフはほぼ例外なく金融出身であった。金を増やす、ということ自体を役割や目的として設定した瞬間に、「ここまでやる」というのがなくなるからであろうか。
こうして考えると、米国人の美徳がみられる場面というのは、資本主義が介在しない局面が多いようにも思える。子供や老人などの弱者を助けるとか、隣人に親切にするとか、順番を守るとか、挨拶をするとか、こうした至極当たり前な社会道徳というのは、これ自体が仕事や金にならない。割り切りというか、切り替えというべきか、こうした仕事にも金にもならないところで道徳心を発揮するのは、欧米人の素晴らしい側面であろう。一方で、日本人(あるいは東洋人)は、資本主義が中途半端に入り込んでいるのだろうか、すべてが一本調子になってしまっているように思える。
 
もう一つ、当たり前ながら再認識したことは、結局普通の人間(無論私自身を含め)の想像力などというものは高が知れていて、自ら見て、聞いて、触れたものをベースにしてしかモノを考えることができない、ということ。
世界にはいろんな人がいる、
頑張ればチャンスが広がる、
自分のことは自分でやりなさい、
カラダの不自由な人には親切にしなさい、
…、
恐らくどの家庭でもお父さん・お母さんが子供にいうような、至極普遍的な教育理念や躾であろう。しかしながらそうはいっても、こうしたお題目は、「事実」を目にしないとなかなかピンとこない。それは子供に限らず、大人だってそうだろう。そして日本よりも米国の方が、こうした「事実」を目の当たりにする機会が圧倒的に多いのではないか。
既に多様なバックグラウンドの国民を有するのに、現在でも移民や短期滞在を含め、世界中から人の出入りが絶えない。
「アメリカン・ドリーム」という言い古された言葉が未だに陳腐化せず、努力して成功を手にした人が各界に多く存在し、世論も彼らを称える。そしてそうした成功者が、結構若い。日本では、若くして成功した人、というのは、そもそも数が少ない上に、子供の目に触れるモデルとしては芸能人やインチキ経営者のような人がほとんどではないか。人口が減少し、社会の富のほとんどを老人が支配し、選挙権でみても55歳以上で過半数を占める国なので、仕方ないのかもしれないが、女子高生のなりたい職業でキャバクラ嬢がトップ10入り(調査によっては一位!)する現状をみるにつけ、日本はいかにチャンスが少ない国かと寒くなる。
そんな国だから、日本では自分のことを自分でやる気になりにくい。頑張っても若者に成功のチャンスは乏しく(少なくともそう見えがちであり)、かたや老人は世界的にも類を見ないほどの個人金融資産を抱えている。しかもその老人は既に機能しないことが誰の目にも明らかな年金制度の上で生活しているので、カネのない若者が必死に稼いでカネのある老人に貢がなければならない構造になっている。これに就職難が重なると、ニートになって親のスネを齧り続ける若者や、あるいはオレオレ詐欺で老人からカネを騙し取ろうとする若者が増えるのも、なるべくしてなった帰結ようにも思える。一方で、米国(あるいはこれは欧州でもそうかもしれない)では、比較的早くから親が子を突き放す。親も子を頼らない。そして子は親に突き放されても、チャレンジしうるチャンスが世の中にある。
こうして考えてくると、今の日本で「カラダの不自由な人には親切にしなさい」といっても、「それどころじゃないよ!」ということになるのかもしれない。少なくとも東京でみている限りでは、電車でもエレベーターでも、妊婦や乳幼児連れ、足の不自由な人に、席や場所を譲ろうとする人は極めて少ない。米国で生活していると、こうした点ではこちらが身につまされて恥ずかしくなるほど、皆紳士である。
 
日本人の勤勉性、道徳心、倫理観、といったものも、風前の灯のように思えてくるが、それが日本という国の国力の低下が根本原因ではないか、というのが、今回改めて得た気づきであった。モラールという無形資産は、一旦逆向きの力が加わると、あっという間に壊れるものだろう。そしてその「逆向きの力」の招待は、日本の国力低下なのではないか、と思う。
 
当然、日本人としてこれを看過するにはあまりに忍びなく、ナントカする一助になれればという思いは強くなる。(本当に自分の天職かどうかまだ分からないが)コンサルタントとして日本企業のお手伝いをする際、あるいは父として子供を育てる際に、こうした視点や思いが、迷ったときの自分の指針になるのではないか、と思う。
 
往復丸一日ほどの飛行時間を含む24日の米国出張は、そんな随想にふけるに十分な時間であった。

遂に、日本に帰国する。
ワシントン経由で、ほぼ丸一日かけての移動である。

先日書いたように、事情があって妻と次女が先に帰国してしまったので、この長距離移動は長女と二人での旅行である。合計100kgほどの荷物を抱え、各種の手続きもあるため、彼女の求めるタイミングで構ってやることがなかなかできなかったが、長女はほとんど文句も言わずに、良く我慢してついて来てくれたと思う。成田まで1時間くらいのところになると、さすがに疲れてきて、空港に着いたら抱っこしてくれ、などと言い始めたが、いざ着陸して父の手が塞がっていることを理解すると、「疲れていないよ、お父さんは大丈夫?」などと言って、自分で歩いてくれたりもした。少々泣き虫で、内向的なところもあるが、健気で良い子だと、親馬鹿ながら思う。
こうした娘とのやり取りに忙しかったこともあって、2年間の留学生活の場から恒久的に離れてしまうことへの特別な思いはあまり湧き上がってこなかったが、感傷的にならなかった(なれなかった)理由は、もう一つあったように思う。
それは、帰国の途で感じた、日本人のモラル、マナーについての問題意識である。

まだ東京に生活の基盤がないため、一先ず私の両親の住む大阪に帰ることにした今回の帰国では、ボストン~ワシントン、ワシントン~成田、成田~大阪という3つのフライトを乗り継いだ。当然ながら、後者のフライトに行くほど、日本人の比率が高くなる。そして日本人の比率が高くなるほど、飛行機の乗務員や空港職員の対応は親切になるのだが、一般乗客の態度は、非常にあくせくして、友好的ではなくなっていった。大量の荷物を抱えて旅行する父子は、移動に時間がかかるし、場所はとるし、周りの乗客からみればはっきりいって迷惑な存在だろう。それでも、米国にいる間は(あるいは周囲の人の多くが米国人である間は)、みな道を譲ってくれたり、ドアを開けてくれたり、席を譲ってくれたり、娘に微笑みかけてくれたりと、人としての情をかけてくれた。それが我々の祖国である日本に来た途端に、ほぼ消滅してしまった。飛行機の搭乗、降機では、みな子供を押しのけるようにして我先にゲートに向かい、エレベーターも子連れでも身体障害者でもない「普通の」乗客がワーっと占拠してしまう。これには、米国の保育園で、米国的なマナー(たとえば後に続く人のためにドアを開けてあげる、道を譲る、など)を自然と学んできた長女も面食らったらしく、「みんな通してくれないねえ」と呟いていた。そんな娘に、「アメリカとは違うんだよ」と諭しながら、寂しいような、情けないような、なんともいえない気持ちになった。
「ほら、これが日本だよ、綺麗で、みんな親切で、良いところでしょう」
我が子にそう胸を張って言い切れないとは、なんということか。
日本は、こんな国だったのだろうか。
米国に渡ったときは、米国人の横柄な態度に辟易したものだが、実は日本人の方がせこくて嫌らしかったのだろうか。
日本に帰国してしばらく生活していると、やはり日本や日本人は素晴らしい、と思えるのだろうか、あるいは更に落胆させられるのだろうか…。

このブログは、MITスローンに留学していた間に、見聞きし、体験し、考えたことを記しておく場であったので、卒業式の項で筆をおこうと思っていたが、上記の疑問(不安?)に対する気づきを書き留めておくべく、もう少し続けることにしたい。


本日、Westgateを退寮した。

同じ寮内に住むロシア人同級生にも手伝ってもらったが、捨てるものと持ち帰るものの選別など、細かいところは自分でやらなければならない。持ち帰るといっても一人で持てる量には限界がある。いざ荷造りをしてみると、予定していたカバンに入る量は思った以上に少ない。カバンに入らないとなると、近所の人にあげるか、捨てるしかない。消耗品類は、この日娘の面倒を見てもらっていたポーランド人のご近所さんにあげた。子供の机や玩具も、同じ棟のご近所さんに引き取ってもらった。それでも、そうしたものはごく一部で、持ち帰れない家財道具の大半は、廃棄することになった。3階の部屋から、別棟の1階にあるゴミ捨て場まで、階段を何往復したかわからない。タオルや子供用の椅子、食器など、ほとんどはまだまだ使えるものばかりで、リサイクル用のゴミ捨て場に置いておくと一部は住人が持ち帰ってくれるとはいえ、ずいぶんともったいないことをしているようで、心苦しかった。が、何はともあれ今日中に部屋を空っぽにしなければならない、という意識が、そんな感傷を封じ込めていた。朝から続けた作業も、終わったのは夕方6時半を過ぎていた。中庭に集まったご近所さんにお別れの挨拶をし、何もなくなった部屋で娘と記念撮影をする。築30年以上で、エレベーターもなく、洗濯をするにも別棟までいかねばならず、いろいろと不自由も多かったが、素晴らしいコミュニティーに支えられ、貴重な2年間を過ごすことができたこの寮には、思い出がいっぱい詰まっている。不思議なもので、部屋が空っぽになると、余計にそのことを痛感させられる。住んでよかったと、心から思う。

その後は、ベビーカーにスーツケース二つとダッフルバッグを積み上げて、ゴルフバッグを背負い、娘の手を引いて、隣のブロックにあるホテルまで移動。荷物を部屋に置いて、食事に出かける。夕食は、Back Bayにあるシーフードレストランを予約してあった。同級生のWK君とその奥さんにも加わってもらい、ボストン最後のディナー。このレストランは、2003年に会社の研修で初めてボストンに来た際に利用し、以来機会があるたびに利用している。初めてここに来てからもう6年…、当時はボストンの地理もまったく理解できておらず、寒さと空腹に耐え切れずに、店構えと匂いにひかれてこの店に飛び込んだように思う。それから6年後、自分の娘を連れて、同級生とその奥さんと一緒に、2年間の米国生活最後のディナーをしているのだから、中島みゆきではないが、「まわるまわるよ時代は回る」である。

ホテルに戻ってシャワーを浴びると、娘はすぐに眠ってしまったが、私はなかなか寝付けなかった。体は節々が痛み、芯から疲れきっているはずなのだが、眠れない。意図してそういう部屋を選んだのだが、ホテルの窓からは、2年間住んだWestgate、そしてその奥にMITのキャンパスがみえる。ふと先ほどの「時代は回る」を思い出しYou Tubeで中島みゆきの「時代」をかけてみた。初めて、涙が出た。



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PROFILE
HN:
Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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