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在る偏屈者による半年遅れのMBA留学日記、そして帰国後に思うこと
引越しの翌日、新居と娘の幼稚園を探すために、単身東京へと飛んだ。マイレージを利用すればほとんどタダで往復できることもあり、折角なので新しい棲家と街を自分の目で見て選ぼうという判断である。

ワシントン経由で成田空港に到着。到着後すぐに感染防止用のマスクとコートを身に着けた検疫間による簡単な検査と問診が機内であって、到着1時間後にやっと機外に降り立つ。入国審査、税関を抜けてJRの駅へと進み、鉄道で東京駅に向かう。金曜日、ちょうど通勤客の帰宅時間を迎えた東京駅の人ごみは、その半分くらいがマスク装備。同じ黒髪、同じような格好の日本人が、白い同じようなマスクをして、虚ろな目だけ覗かせながら、同じように俯き下限でJRの改札口に一方的に吸い込まれていく。ずっと日本にいると何とも思わない光景なのかもしれないが、久しぶりに帰国してみると、ぞっとする光景である。

明くる土曜日から、週末の二日間をかけて、予め当たりをつけておいた20件ほどのマンションを訪ね歩く。5社ほどの不動産屋に紹介してもらったが、皆口を揃えて言うのは、賃貸物件は分譲物件に比べてまだ引き合いがあるものの、春先以降業況はより厳しくなった、ということ。分譲物件が賃貸に流れてきて、供給は増える一方、大手企業が転勤を抑制したり、家賃補助を削減したりしている関係で、需要は減っているのだという。既存物件の値崩れはまだ本格的に始まっていないが、5%程度の値引き幅で、そろそろと出始めているらしい。また豊洲などの臨海開発地域では、マンションや商業施設の建設ラッシュがペースダウンし、計画変更、規模縮小などが相次いでいるという。
また幼稚園選びでは、今のところ保育園で英語を使っている娘の現状を踏まえて、英語ベースの施設を数件訪ね歩いたのだが、投資銀行などの外国人駐在員がどんどん帰国していることもあってこうした幼稚園は都心部を中心に減少しているらしい。そして職にあぶれた教師たちが、まだ存続している施設に次々に売り込みに来るとのこと。

そして今日は25日(月)。多くの日本企業では給料日である。案の定、街中のATMの前は、どこも例外なく長蛇の列が伸びている。かつて丸の内で勤務していた頃に見たものに比べるとどの列も長いような気もしたが、気のせいかもしれない。
ただ、夜の驚きは、気のせいではなかった。会社の上司と西麻布で食事をして、10時過ぎにタクシーで六本木通りを溜池方面に走ったのだが、明け方かと思うくらい、人も車もいない。流石に六本木交差点付近まで行くと多少の人通りはあったが、それでも私が通りかかった瞬間に六本木通りの沿道を歩いていた人の数は、全部で100人に達するかどうか、というところだろう。2年前、いや1年前でさえ、夜中のこの界隈は、酔客が路上に溢れて空車タクシーの奪い合いを繰り広げていた。私自身、車が拾えずに30分近く待ったこともあるし、首尾良く捉まえた車に乗ろうとしたところを、「どけ馬鹿、それはオレが先に呼んだんだ」と凄まれたこともある。そんな話を運転手さんに向けてみると、「ああ、そんなのは、もう今や夢物語ですよ。いくら月曜日ったって、給料日でコレなんですから。銀座、新宿、赤坂、みーんなこんな感じですよ」と自嘲気味な返事が返ってきた。

幸い、良さそうなマンションは見つかり、契約する方向で話を進めているが、それよりも不況下の東京の余りの変貌振りに、言葉が見つからないほどの衝撃を覚えた。これからそこに戻る我々は、一体どうなるのだろうか。もちろん、自らどうにかしていかなければならない、という答えしかないわけだが、それでも想像以上の覚悟が必要であることは、間違いなさそうに思えた。
・・・頑張ります。

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朝から、日本に持って帰る予定の荷物のほとんどを発送した。
日本までの荷物輸送は、船便の場合1.5~2ヶ月を要するので、7月からの東京での生活再開に間に合わせるためには、今がギリギリのタイミングとなる。
娘二人の妨害をかわしつつ、前日までに妻と積み上げた30箱のダンボールが、ヤマト運輸の二人の男性の手で、あっという間に搬出された。Moving Saleで家具類を売っていることもあり、後に残ったのは随分さっぱりとした部屋。私の勉強部屋などは、もうほとんど空っぽである(もう勉強しないからいいけど)。

いよいよ帰国が近づいてきたなあ、と思う。




Moving Saleで売れたイスを届けに、朝から小雨の中を、隣町まで車を走らせた。買ってくれたのは、この秋から入学する予定の女性。朝9時の約束どおりに彼女のアパートを訪ね、ブザーを押すと、出てきたのはなんと同級生の男性。少し前から交際を始めて、今は一緒に住んでいるらしい。直前まで寝ていたようで、彼女が身支度と部屋の支度をするまでの間、玄関先で立ち話をしていた。彼はクラスでも(いい意味で)目立つ部類の米国人学生で、課外活動も積極的に行っていて学内の顔も広いのだが、卒業後の就職先はまだ決まっていないという。

2月の時点で、卒業後の就職先が決まっていないスローン生は、全体の5割近くに上っていた。その後はっきりとした統計は発表されていないが、感覚的には全体の少なくとも1/4程度の学生が、まだ仕事を見つけられていないようである。そしてその中には、この日会った彼や、SloanGearで活躍してくれたメンバーのように、比較的優秀な連中も少なからず含まれている。先日ハーバード・ビジネススクール(HBS)の日本人学生から聞いたところでは、世界に名だたる同校でさえ、2割近くの学生が、就職先未定で卒業する見通しだという。戦慄すべき就職難である。もちろん、就職先が決まっている学生の中でも、全員がその進路に100%満足しているわけではない。ビジネススクールに来る学生の大きな動機の一つは、入学前に比べた卒業後の平均給与の高さ(学校にもよるが、平均して1.5倍以上にはなる)であり、これが通常在学中の借金返済の元手になるのだが、今年に限っては入学前の会社に戻るという学生も多く、転職組でも1.5倍以上の給与アップを勝ち取った連中というのは、それほど多くないように思われる。ビジネススクールの存在価値自体が疑問視されている、という事態ではないと思うが(思いたいが)、それだけ求人市場が冷え切っているということである。

そんな中、我が身のもとには、今でもときどきヘッドハンターから求人の紹介が来たりする。必ずしも興味を感じるオプションでなかったりもするので、今のところ仕事を変わる気はないが、上記のような現実を前にすると、実に有難い話だと思う。ただこうした求人でさえ、今後も期待できる保障は当然ながらまったくないわけで、目下の不況がある程度長引くであろうことを想定するならば、自身の経済的・社会的不安定さは決して忘れてはならないだろう。そうした中で自分にできることは、ただ着実にビジネスマンとしての実績を積み上げていくことでしかない。
仕事の決まっていない同級生から受け取ったイスの代金を手に、自宅に戻る車の中で、そんなことを考えていた。



本日をもって、2年間のMBA課程のすべての授業が終了した。
最終日の今日は3科目を受講したが、そのうち二つのクラスでは、プレゼンテーションをする機会に恵まれた。

最初のプレゼンテーションは、このブログでも紹介したことのある、CEO Perspectiveという授業でのこと。実際の会社で過去に起こった経営危機を題材に、自分がCEOだった場合にどういう対策を取締役会に提案するかを、毎回半数の学生がプレゼンテーションにまとめて提出、授業の初めにプレゼンテーションを提出した学生の中から1名が指名され、その危機を実際に乗り切ったCEOの同席するクラスにおいて発表する、というもの。いつかプレゼンテーションはやってみたいと、以前教授に話してはいたが、最後で回ってくるとは思わなかった。10分強の短いプレゼンテーションであり、どちらかというとオーソドックスな内容だったように思うが、授業の後で同級生から「この授業で発表した誰よりもいいプレゼンだったよ」とか、「今のがMBAで最後の授業だったけど、最後で一番いい学生プレゼンが聞けたよ」とかの言葉をもらって、まあ多分にお世辞や外国人学生への甘めの採点もあるだろうとはいえ、素直に嬉しかった。

もう一つのプレゼンテーションは、交渉術の授業で。授業で学んだ交渉術や交渉過程の分析フレームワークを使って、7人前後のチームで実際の時事問題を分析し、より良い交渉戦術を提案する、というもので、我々のチームは北朝鮮のミサイル発射問題を取り扱った。こちらは純粋に学生相手のプレゼンテーションであり、かつ3時間の授業中、延々と各チームのプレゼンが続けられるため、学生の興味をひくために、エンターテイメントの要素が強く求められる。要するに、ウケなければいけない。英語でウケをとる、というのもMBAで学んだ技術?である。即興も含めてボケてみたが、結構ウケた。大阪人なので、ウケると嬉しい。最初の授業のプレゼンとは全く異質の満足感があった。

そんなわけで、最後の授業が終了。
だいたいそういうものだが、終わってみると、実にあっけないような気もする。もうちょっと込み上げて来るものでもあるかと思ったが、皆周りの学生がカラっとしているので、そういうのもナシ。自分が2年間でどれだけ変わったのか、成長したのかも、自分では良くわからない。まあでも、そんなものか。



MIT名物の一つ(といってもいいだろう)である$100Kビジネスプラン・コンテストの最終審査会が、今年も盛大に行われた。昨年は自分自身も参加者として首を突っ込んでいたこともあって、イベントに対する気持ちの入り方が今年とは随分違ったように思うが、それを差し引いたとしても、昨年の同イベントとは、いくつかの点で有意な違いを感じた。その違いを一言で表現するならば、不況下のビジネスプラン・コンテスト、ということに行き着くのかもしれない。

まず、最終選考に残ったビジネスプランの中身であるが、昨年に比べて、市場の将来的な大きさ・可能性よりも、事業としての具体化の度合いが重視されていたように感じた。もちろん、昨年も事業としての具体化の度合いは重要な評価項目であったと思うが、今年の最終選考に残ったプランは、既に製品が出来ているだけでなく、流通上のパートナーが見つかっているだとか、一定の投資が行われているだとかというものが多かった。優勝したチーム(コンピューターのソフトウェアの更新時に再起動を必要としなくするサービス)に至っては、既にサービスを提供するためのソフトウェアだけでなく、それを走らせるサーバーも整っていて、それだけに説得力があった。投資家の視点として、昨年までに比べて決して潤沢でないであろう資金を投じるのに、確実性を重視する度合いが増したとしても、驚きではないであろう。

また、残念ながらスローン生のプレゼンスが昨年に比べると低かったように感じられた。昨年は最終選考に残った複数のチームで、全員ではないにせよ、スローンの学生が活躍していたが、今年はMITの他の学部の学生が多かったように思う。昨年と違って、私自身が予選の過程を見ていないので、もしかしたらエントリー段階では昨年を上回る数のスローン生がいて、残念ながら途中で脱落してしまったのかもしれないが、それでもやはり残念な気がする。そしてその原因は、不況で卒業後の就職先や夏のインターン先がなかなか決まらず、多くの学生が就職活動に例年以上の労力を費やさざるを得なかったという事実と、決して無縁ではないように思う。

最後に、最終選考会そのものの運営・司会進行であるが、昨年に比べて多少ぎこちなかったように思う。スローン生を中心に構成される運営チームの努力は並大抵もモノではないし、この不況下で昨年とほぼ同じフォーマットのコンテストを実現させた彼らへの賞賛は惜しまないが、少なくとも当日の司会進行は、昨年の方がスムーズであったような気がする。まあこればかりは、事前の準備云々よりも、個人の能力による部分が大きいような気もするが(昨年のリーダーだったカナダ人同級生は、本当に凄いタレントだと思う)、これもやはり不況の影響で、運営上の他の側面(資金集めなど)や就職活動に時間をとられ、練習のための十分な時間が確保できなかったという要因もあるのではないか、と推察する。

ともあれ、未曾有の不況下にあっても、こうしたビジネスプラン・コンテストを実現しようという学生がいて、そこに参加しようという学生がいて、そこに資金を提供しようという企業や投資家がいるというのは、米国の素晴らしさと底力の一つであろう。
参加された学生(特にスローン生)の皆さん、本当にお疲れ様でした。




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PROFILE
HN:
Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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