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「 100k 」
MIT名物の一つ(といってもいいだろう)である$100Kビジネスプラン・コンテストの最終審査会が、今年も盛大に行われた。昨年は自分自身も参加者として首を突っ込んでいたこともあって、イベントに対する気持ちの入り方が今年とは随分違ったように思うが、それを差し引いたとしても、昨年の同イベントとは、いくつかの点で有意な違いを感じた。その違いを一言で表現するならば、不況下のビジネスプラン・コンテスト、ということに行き着くのかもしれない。

まず、最終選考に残ったビジネスプランの中身であるが、昨年に比べて、市場の将来的な大きさ・可能性よりも、事業としての具体化の度合いが重視されていたように感じた。もちろん、昨年も事業としての具体化の度合いは重要な評価項目であったと思うが、今年の最終選考に残ったプランは、既に製品が出来ているだけでなく、流通上のパートナーが見つかっているだとか、一定の投資が行われているだとかというものが多かった。優勝したチーム(コンピューターのソフトウェアの更新時に再起動を必要としなくするサービス)に至っては、既にサービスを提供するためのソフトウェアだけでなく、それを走らせるサーバーも整っていて、それだけに説得力があった。投資家の視点として、昨年までに比べて決して潤沢でないであろう資金を投じるのに、確実性を重視する度合いが増したとしても、驚きではないであろう。

また、残念ながらスローン生のプレゼンスが昨年に比べると低かったように感じられた。昨年は最終選考に残った複数のチームで、全員ではないにせよ、スローンの学生が活躍していたが、今年はMITの他の学部の学生が多かったように思う。昨年と違って、私自身が予選の過程を見ていないので、もしかしたらエントリー段階では昨年を上回る数のスローン生がいて、残念ながら途中で脱落してしまったのかもしれないが、それでもやはり残念な気がする。そしてその原因は、不況で卒業後の就職先や夏のインターン先がなかなか決まらず、多くの学生が就職活動に例年以上の労力を費やさざるを得なかったという事実と、決して無縁ではないように思う。

最後に、最終選考会そのものの運営・司会進行であるが、昨年に比べて多少ぎこちなかったように思う。スローン生を中心に構成される運営チームの努力は並大抵もモノではないし、この不況下で昨年とほぼ同じフォーマットのコンテストを実現させた彼らへの賞賛は惜しまないが、少なくとも当日の司会進行は、昨年の方がスムーズであったような気がする。まあこればかりは、事前の準備云々よりも、個人の能力による部分が大きいような気もするが(昨年のリーダーだったカナダ人同級生は、本当に凄いタレントだと思う)、これもやはり不況の影響で、運営上の他の側面(資金集めなど)や就職活動に時間をとられ、練習のための十分な時間が確保できなかったという要因もあるのではないか、と推察する。

ともあれ、未曾有の不況下にあっても、こうしたビジネスプラン・コンテストを実現しようという学生がいて、そこに参加しようという学生がいて、そこに資金を提供しようという企業や投資家がいるというのは、米国の素晴らしさと底力の一つであろう。
参加された学生(特にスローン生)の皆さん、本当にお疲れ様でした。


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MITのBusiness Plan Competition "100K"の閉幕イベントが盛大に行われた。
スローンの学部長(Dean)の挨拶から始まって、現在のインターネットLANの事実上の標準規格であるEthernetを発明したBob Metcalfe氏の基調講演、7組の最終選考進出チームによるショート・ピッチ(売り込み)、表彰、という順序でイベントは進んでいく。
数百名の聴衆を飲み込んだホールは、知らない顔ぶれも目立つ。スローン以外のMIT、あるいは他校からも人が集まっているのだろう。
最終選考進出チームからのピッチの後は、聴衆からの投票による「特別賞」が選出・表彰される。携帯電話から良いと思ったチームの名称などを書いてテキスト・メッセージを送ると、自動的に集計されるようになっていた。プラスチックボードを用いた太陽光発電の商品を提案したチームがこれを受賞、賞金10kドル(約100万円)を受け取った。
続いて、最終選考の結果が発表される。審査は事前に終えられていて、Metcalfe氏が優勝チームの名前を読み上げるだけになっている。優勝したのは、"Diagnostics For All"というインド人を中心にしたチーム。病気や怪我に対して十分な初期診断を受けられないインドなど途上国の人々に経済的で科学的な診断手段を提供しようというサービスで、数種類の試薬を仕込んだ2cm四方ほどの試験紙に指先から採った血を含ませると、色の変化で様々な状態が判別できるようになっている。患者が自分で判断するだけでなく、試験後の紙を携帯電話のカメラで撮影して画像送信すれば、遠隔地にいる医師が確認することもできるという。チーム名が読み上げられたとき、チームメンバーは抱き合って喜びを爆発させ、喝采のなか賞金100kドル(約1,000万円)を受け取った。

盛大な今夜のイベントと、ここに至る過程を通じてまず感じたのは、米国のEntrepreneurship(起業家精神)の文化と、起業家を再生産する仕組みの凄さである。
まず、裾野の広さ。このイベントだけで、500名以上、210チーム以上が参加している。一年で210以上のビジネスプランが提案されたということだ。8割以上は一次選考で姿を消しているし、その中にはかなりお粗末なものもあったと思われるが、そういう人々も含めて「とりあえず参加してみよう」と皆が思うのは、凄いことである。更に全体の数だけでなく、多国籍な学生が極めて自然に参加しているのも、米国という「器」の得体の知れない包容力というか、凄みだろう。かつて日本で日中韓の学生が参加するビジネスプランコンテストのようなものを審査員として手伝ったことがあるが、そこでは「国際交流」という標語そのものが目的化していて、ビジネスプランの中身は二の次であった。そうした状況とは、大人と子供ほどの開きがあるように思える。
次に、イベントを通じたビジネスプランおよび人材の育成。我々のチームもそうであったが、このイベントをきっかけとしてMIT他学部の研究者と出会えたり、ベンチャー・キャピタリストや弁護士からのアドバイスを受けたりと、多くの学びとビジネスプラン改良の契機を得た。二次選考に進んだ35チーム、計100人ほどの学生が、こうした経験をしたわけである。
最後に、実際の事業化とそれによる雇用機会・投資機会・便益の創出効果である。優勝チームはもちろん、最終選考進出チームには、賞金だけでなく、数多くのベンチャー・キャピタルやチームへの参加希望者から声がかかることだろう。
そして、こうした効果と名誉が、また全体の裾野を広げることに繋がり、起業家予備軍が拡大再生産されていくのである。賞金だけで合計2,000万円以上のカネが集まっていることからも、企業のこうしたイベントを支援する姿勢の本気さ度合いが推し量られる。

もう一つ、面白いと感じたのは、最終選考に残ったテーマの特徴である。
7チーム中、エネルギー関係が2チーム、貧困地医療対策関係が2チームと、"sustainability"というキーワードで括ると、過半数がそれに関係するビジネスプランであった。
高齢化と人口減少が止まらない無資源国日本が無為無策のまま停滞している間に、米国社会は着実に次のステップに移ろうとしているのか。

米国の懐の深さとダイナミズムを感じた夜であった。


MITのBusiness Plan Competition、通称"100K"も、いよいよ二次選考のプレゼンの日となった。春休み前にリーダーのAR君からチームに誘われて以来、自分としては正味の実働は1週間程度であったが、ビジネスモデルも事業展開プランも製品開発計画も何一つはっきりしないところから、自分の経験のインプット、MITの「いけてる」技術者およびその特許技術との出会い、弁護士やベンチャー・キャピタリストからの助言などを経て、それなりの事業計画とプレゼンテーションが出来上がった。5月1日の提案書提出後、ベンチャー・キャピタリストから辛辣な(かつ親身になった)助言を得たこともあり、事業展開計画の見直しや重要なバックアップデータの補強などを行い、突貫工事で今日に至っている。コンサルタントを少し離れても、やはりプレゼン前の突貫工事からは逃れられないようだ。

チームメイト二人と、私の車でボストン郊外のWalthamという町にある、NDVPというベンチャー・キャピタルを訪ねる。人口湖の畔の、緑に囲まれた絵のような場所に立つ4階建てのオフィスが、選考会の会場である。
開始予定時刻の20分ほど前に会場につくと、今回の企画運営を担当しているスローンの学生数名が既に席についていた。昨年度までと異なり、今年度からは7つの事業分野(モバイル、エネルギー、バイオ、航空宇宙、ウェブ、など)に分けて二次選考までの審査を行うため、より業界に詳しい審査員が集められているが、その分運営側の手間も数倍に増えていると思われる。資金集めその他を含め、これだけのイベントを運営している同級生には頭が下がる。

一部の審査員の到着遅れにより、プレゼンは予定より20分遅れで始まった。
リーダーのAR君が挨拶とチームの紹介をした後、私が12分ほどで事業の中身を説明した。審査員のうちの一人が明らかに興味がない様子であるのが気になったが、プレゼンテーション自体はスムーズに行ったと思う。その後、5分ほどの質疑応答。厳しい質問が相次ぐ。コストや投資額に関する質問は皆無で、すべては事業機会、ビジネスモデル、製品に関するものであった。そして、終了。審査員と握手をして会議室を退出する。投資した時間が相対的に少ないためか、コンサルティング・プロジェクトでプレゼンテーションを終えた後の達成感というか充実感よりは随分と劣るが、それでもやはりそれなりに達成感はあった。もっとも、それと手ごたえは別物で、正直な手ごたえとしては、6チームで争われる我々の部門(モバイル部門)で何とか3位に入れれば、という程度か。
とはいえ、面白い経験であった。誘ってくれたAR君には改めて感謝したい。
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帰宅後、夜はサマーインターン先からの招待で、NBAのプレーオフ2回戦第二戦を観戦に行く。
初めてのプロバスケットボール観戦となったが、やはりコートが狭いこと、点数が入りすぎること、などから、ちょっと自分の興味をひくスポーツではない気がした。
子供のお土産だけ買って、試合終了前に帰宅。
試合はボストン・セルティックスの圧勝に終わった。
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MITのEntrepreneurs Competition、通称"100K"は、今日の17時がsemi finalistの提案書提出締切である。
恐ろしいことに、前日夜の段階で、まだ価格も売上も、当然ながら利益も固まっていない。
キャッシュフローが見えないので、いくら投資を募ればよいのかもわからない。
我らがリーダーのチリ人は、そんな状況の中、チームのロゴを作ったり、「独創的」なことに時間を使っている。
というわけで、今日は腹を括って早朝から自宅で100Kのシナリオ、レポート作りに専念した。
エクセルで財務諸表のモデルを作って、ビジネスモデルや価格体系、成長スピードのオプションなど、チームメンバーが語る定性的な情報を数字に落としてシミュレーションし、妥当なシナリオを導き出す。久しぶりに、仕事をしているようなモードになり、最近にない集中力で作業ができた。パソコンに向かいながら、赤ん坊をあやしたり、昼飯を食ったりしていたようだが、よく覚えていないほどである。
13時半頃、数字とシナリオが固まったので、同じ寮に住むそのチリ人のリーダーを呼んで説明する。いくつか議論をして変更点を相互に確認し、数字の修正、レポート作成と進め、16時には自分のパートを終えた。あとはリーダーがもう一人のメンバーの原稿も含めて統合、調整し、17時前に提出するだけである。
なんとなく、一仕事終えたような充実感を覚えつつ、1時間ほど学校で別のミーティングに出て帰宅した。

夜、リーダーから、感謝の言葉とともに、提出した提案書のコピーが送られてきていた。
そしてそれを開いて、愕然とした。
レポートの最初に掲げられた1ページ半ほどの要旨に、$マークが一切見当たらないのである。売上、コスト、利益、投資額、市場規模、価格、利益率、成長率、何もない。
こんなビジネスプランがあっていいのか!と頭を抱える。
抑えきれずにリーダーに掛け合うと、「ああ、すまない、君の言うとおりだ。せっかく君が考えてくれた数字を使わなかったのは申し訳ないな」という。
私が言いたかったのは、自分の作業が踏まえられなかったとか、そういう次元の問題ではなく、投資家(100Kの審査員はプロのVenture Capitalist)にみせる提案書に金額が一切ないというのはありえないだろう、というポイントである。
そこをもう一度強調し、「君が投資家で、提案書を受け取ったら、何が一番最初に気になる?いくら儲かるか、とかみたくないか?」と聞いてみた。当然「そのとおりだ」という答えを期待している。
しかし、一瞬の沈黙のあとに返ってきた答えはそうではなかった。
「うーん、僕だったら、その事業は面白そうかどうか、が知りたいなあ」
ハンマーで頭を殴られた気分であった。どちらが正しいとか、そういう次元を超越した、根本的な住む世界の違いを感じた。
もう、何も言うまい。
最後に、私が価格設定に頭を悩ませていたときにリーダーが作ったサービスのデモサイトを掲載しておく。
http://www.gemeni.mobi/home



MITのEntrepreneurs Competition、通称"100K"のレセプションが、このところ続いている。
先日はコンサルティングファームBCGの主催で、さすがにあまり興味をひかれなかったが、今回はBrown Rudnickというベンチャー支援も手がける法律事務所が主催で、実際に起業し成功をおさめたMIT出身の技術者による講演もあるというので、出かけてみた。

場所はボストンのダウンタウンの南側、South Stationの正面に位置する高層ビルの18階。モダンなオフィスからは、ボストンの港が一望できる。当社のボストンオフィスもそうだが、米国人は良い所で仕事をしているものだ。

演台に立ったのは、Jay Stein博士。MITで博士号を取得し、現在はHologicという会社の創業者兼名誉会長である。
1942年の生まれという博士の人生は、波乱万丈である。
高校生のとき、ガガーリンを乗せたロシアの宇宙船スプートニクが初の大気圏外有人飛行に成功、影響を受けた博士は天文学を志す。
大学時代は、天文学の中でも宇宙空間を無数に飛び交うX線の研究に没頭、MITにおいて博士号を取得する。しかしながら天文学分野におけるX線研究の実験で失敗すると、学問を諦め実業界に方向転換、企業に就職。そこでX線を活用した空港の手荷物チェックシステムを発明する。最初は市場が未成熟(当時は搭乗前の手荷物検査の義務はなし)で思うように売れなかったが、JFKの暗殺やキューバ行き航空機のハイジャックなどによりX線手荷物検査が全員に求められるようになると市場は急拡大、博士の発明も大きな利益を会社にもたらした。
彼の発明は、常にX線技術と共にある。次に同社で彼が発明したのは、第四世代CTスキャンと呼ばれるもので、やはりX線を活用した装置である。
その後「上司と馬があわず」80年代に退社、44歳で起業する。
二つの会社経営を経て、三社目となったHologic社の創業で、大きな成功を収める。
まずは80年代後半、骨粗しょう症を検査できるX線装置を発明。しばらくは収益に繋がらなかったが、2000年頃にFDAが骨粗しょう症の治療薬を承認すると、検査装置もそれに伴って需要拡大し、大きな収益と株価上昇を生み出す。
一方で、1988年に発明した、空港で預ける大型荷物をX線で検査し、火薬成分を検知できる機器の場合は、なかなか売れないので2000年に売却。しかしその直後に9-11が発生し、預け入れる荷物もX線検査が義務付けられると機械は飛ぶように売れ、博士としては非常にもったいないことをした。
こうしてみてくると、博士の発明は、その後に当局の規制等が変わると売上が爆発、というパターンである。
逆に言えば、規制がなければ大した収益を上げていなかった、ということになる。
これを踏まえて博士の曰く、"Great brilliance and hard work are no match with blind luck"。つまり、降って湧いた幸運がなければ、才能も努力も報われない、ということか。ただ、一方で、その「幸運」が舞い降りたときに、それを掴み取る準備ができていないと、他人に先をこされてしまう。そのため、ベンチャーが常に自らの世界観、独創性を信じて、何かを生み出し、根気良く事業機会を待たなければならない。
ともすればアイデア勝負で、結果を焦りがちなベンチャー創業希望者への警鐘であろう。
笑顔を絶やさない66歳の紳士は、ユーモアと説得力を兼ね備えた、好人物であった。
なかなかこういう人物には、日本ではお目にかかれない。残念ながら。



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PROFILE
HN:
Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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