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在る偏屈者による半年遅れのMBA留学日記、そして帰国後に思うこと
ふと思い立ち、伊豆の松崎まで車を走らせてみた。
週末を費やすと思われた仕事が早く片付いた、河津桜や梅の咲く季節になった、雨模様で道がすいているように思われた、伊豆の山道を車で走ってみたかった、などなど、いろいろな理由や言い訳があるが、敢えて一つ挙げるとすれば、この西伊豆の南端に近い松崎という町に以前から興味があったからだろう。
松崎は、なまこ壁の町、『世界の中心で愛を叫ぶ』のロケ地としても知られる町だが、私にとっては城山三郎が『祖にして野だが卑ではない』で描いた石田礼助の出生の地として印象に残っていた。その小説をはじめ、文学で描かれる西伊豆は概して貧しく、耕地に乏しく岩場に張り付くようで、交通手段も険しい山を越えるか舟で海を行くかしかない、という様子であったが、そんな中で松崎は、町中心部に流れる那賀川・岩科川により、伊豆半島西側最大の平野と耕地を有し、「伊豆ではいちばん早くできた町」ともいわれていた。町はずれの旧岩科村には、長野県の開智学校に並ぶ明治期の先進的な学校建築かつ重要文化財である「岩科学校」が残っていて、とても瀟洒なイメージがあった。
真鶴から車で向かうと、松崎まではたかだか70-80kmなのだが、道中はまさに「天城越え」で、ノンストップでもたっぷり2時間はかかる。南北の道路こそ開発が進む伊豆半島であるが、東西の道は昔ながらの峠道で、熱海から大仁の方に抜ける山科峠などは崩落で通行止めのままである。
伊豆半島の近代史は市町村合併の歴史であるが、いわゆる「平成の大合併」がそれをさらに加速し、今では7市6町にまで集約された。そのうち松崎を含む半数は、河津町、下田市などの旧来の名称を残しているが、5つは伊豆市、伊豆の国市、東伊豆町、西伊豆町、南伊豆町と「伊豆」を冠しつつ「近世的」な名称に移り変わってしまっている。伊豆長岡、韮崎、大仁、修善寺、土肥、賀茂、湯ヶ島などの魅力的な自治体名が消えてしまったのは、とても寂しい。北米ですら、原住民の部族や町の名前を大切に残したりするのだが、歴史がある国ほど、その歴史にありがたみを感じないものなのか。
もっとも、市町村が減るのは人が減っているからで、車窓からみえる景色にはその影響の方が色濃くみえる。村々には空き家が多く、道沿いの土産物屋や飲食店も、営業しているものの方が少ないくらい。浦々にみられる温泉街も、ほんの中心部を除いて営業を終えてしまっている。明治13年に村人の寄付を集めて建てられた擬洋風建築の岩科学校も、昭和になって隣に鉄筋コンクリート造の岩科小学校を開設するに至ったが、その小学校も平成18年には閉校になってしまっている。
それでも松崎の町は、確かに西伊豆では他にみることのない、個性豊かな佇まいと奥行きのある、街歩きの楽しいところであった。耕地が多いだけでなく、養蚕・製糸も盛んだったようで、「伊豆松崎相場」と言われた早場繭の価格は全国の標準相場として海外にも知られるほどであったとか。歴史と富の蓄積があり、空襲を免れた町は、国を問わずやはり趣が違うものだ。旧市街の街路は狭く、見通しも悪いが、それが魅力でもある。街道筋にできた町ではないためか、いわゆる「目抜き通り」的なものがはっきりせず、駅がないために「駅前」もない。商店や宿、食堂などが、旧市街(といっても一周数kmくらいの規模だが)のそこここに点在していて、楽しい。陸運より海運が重要だったのだろう、立派な旧家も街中より川沿いに多く残っている。温泉も複数湧出しているようだが、旧市街は規制があるのか巨大かつ無機質な「温泉ホテル」的なものがなく、温泉地特有の景観破壊からも免れて、街の魅力をとどめることに役立っていた。
岩科学校も、木造建築の温かみの伝わるとても愛らしい建物で、明治期の発展性と楽天性が柱や梁に染み込んでいるようであった。思えば私自身、小学校も高校も在校中に新しい校舎に建て替わり、大学や米国の大学院であるスローンも卒業後すぐに建て替えられるということを経験しているが、古い校舎というのは不便でもそれだけで郷愁を掻き立てるものである。それを後世に伝えるべく保存・公開していることの素晴らしさを、板張りの軋む廊下を歩きながら、噛みしめていた。
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10年ぶりにワシントンD.C.を訪れた。
10年は、この首都の雰囲気を変えるには十分な長さの時間であったらしい。
思えば10年前はまだ駆け出しのローカルサービスであったfacebookが、何億人というユーザー規模のグローバルなサービスになり、その情報漏えい等が国会で議論されるに及ぶというのは、誰も想像すらしなかったであろう。

ホワイトハウスの周囲のバリケードは、以前よりも一回りか二回り大きくなり、ホワイトハウスに一般人は近づきにくくなっていた。
街の土産物屋では、以前売っていたオバマ人形をはじめとする「大統領関連グッズ」は当然ながらモチーフにすべき人物の交代により退場し、トランプ人形や関連グッズへの姿を変えていた。但しそのトーンは、オバマ就任の際には明るく、熱狂的で、希望と誇りに満ちていたのとは対照的に、シニカルで、ちょっとしたブラックジョークのようなトーンに感じられた。
一国の元首が国民からの攻撃を恐れてバリケードを張り巡らせ、一方で国民からはブラックジョークのようにみられる、というのは、明らかに何かがおかしく、この大国の病を感じざるをえない光景であった。

せめてもの救いは、街を行く人々の多様性、スミソニアン博物館の入場が無料であること、そして博物館を湛える公園の美しさとおおらかさが、10年前のそれと何も変わらなかったことだろうか。10年後もこうした素晴らしさは維持されていてほしい、と心から思う。

5月初頭のトロントは、さすがに雪模様こそみられなかったが、まだ初春の装いであった。
1週間ほどの滞在のうち晴天は1日だけと天候に恵まれなかったこともあるが、気温が10度を超えることはあまりなく、コートやダウンジャケット、手袋といったアイテムもまだ街には多くみられた。それでもところどころに桜やチューリップが咲き、長い冬を抜けた人々の表情は穏やかで明るくみえた。

今年で建国150周年を迎えるカナダにあっては比較的古くまた最大の都市でもあるトロントは、環境や治安の良さもあって移民が絶えず(今でも人口の半分以上は第一世代移民とのこと)、人口成長が続き、北米でも最大の都市のひとつになっている。しかしながら、ニューヨークやロスのような猥雑な混沌さはあまり目立たず、比較的落ち着いた佇まいであるのは、トロント島のような自然がすぐ目の前に残されていることや、英仏両国語を母国語とするカナダ独特の異文化や来訪者への寛容さによるのだろうか。中国人街、ギリシア人街、イタリア人街といったエスニックゾーンは存在するものの、トロントで感じられる人種や文化を超えた人の融合の度合いは、米国の都市でみるそれよりも自然で、健全であるように感じられた。

この国においては「古い」とはいえ、世界的にみればまだまだ新しい街でありながら、市庁舎や州庁舎、大学など、程よく枯れた建物が街に魅力を添えてくれるのは、これまで戦火に巻き込まれたことのない大都市としての特権だろう。特にオンタリオ州庁舎は、脇に大学や他の庁舎を従えながら、良く計画された街路に囲まれて、街の中心に風格を与えていた。学生の多いその界隈で最も目立ち、便利の良いオフィスビルに、Airbnbが入居していたのも印象的であった。湖畔の大きなビルに看板を掲げるIT企業たちに、君たちはもう古いよ、と言っているかのように。

オンタリオ湖の北岸に展開した街の少し沖合には、トロント群島がある。湖畔から目と鼻の先の距離で、近いところでは100mほどしか大陸と離れていない島ながら、敢えて架橋せずにボートでしか渡れないようにしてあることが、この島の自然と静けさを保ってくれている。ボートに15分ほど揺られて渡る島にはわずかながら住人もいるが、島のほとんどの部分は公園で、ヨットハーバーや小さな遊園地、プロペラ機専用のローカル空港などもあるが、いずれも散策する人をまったく邪魔しない。自動車が走らないためか水鳥などの動物が多く、人々も穏やか。水辺から眺めるトロント市街の全景は、なかなかの絵になる。

ほとんどの市民が英語で生活する中でも英仏両国語併用に拘り、建物の新陳代謝が進む中でも歴史を大切にし、自動車社会でありながら島には橋を架けない。こうした拘りと「無駄」は、やはり都市の魅力には必要なのだと、改めて教えてくれる街である。



あっという間に新年を迎えた。
2016年は、少し無理をし過ぎた気もするが、お陰様でまた多くの貴重なご縁も頂戴し、また多くの得難い経験もさせていただけた。
まだまだ未熟なところ、お恥ずかしいところも少なくないが、今年も少しでも良い仕事ができればと思う。

スローンを卒業して7年半あまりが経ち、コンサルタントとしての経験も、気が付けば留学前よりも留学後の方がずっと長くなった。
またこの1月には、スローンの同級生で、卒業後に私の所属するコンサルティングファームに就職した仲間のうち二人が、初めてパートナーに昇進した。いずれも順調にコンサルタントとしてのキャリアを重ねていた二人なので、時間の問題かとは思っていたが、改めてめでたく思うとともに、月日の流れを痛感させられる。

5月に毎年開催される全世界のパートナーを集めた会議では、彼らにも久しぶりに会えるだろう。そのときにどんな感覚を受けるのか、何を話すのか、うまく想像できないが、楽しみにしていよう。

冬のニューヨーク、仕事の合間に少し時間が出来たので、五番街をセントラルパークからマディソンパークまで、往復1時間ほど歩いてみることにした。特にまとまった視点もないけれど、気付いたことを書き留めておきたい。

大型の吹雪の到来を翌日に控えた街は全体にあまり活気がなく、人々もただ目的地を目指して忙しなく行き交っていた。高級ブランドショップが立ち並ぶ地域は五番街でももともと僅かしかなく、その面的な広がりは東京の銀座などに比べると限定的なのだが、その外延的な拡大は完全に止まっているようにみえた。むしろ全体に空き店舗が多く、「高級ショップ用空き店舗あります」といった張り紙がそこかしこにみられた。米国経済は堅調というけれど、その恩恵はあまりここには来ていないようだ。オンライン販売やアウトレットモールが増え、こうした伝統的な場所は一部のお得意様相手のビジネスに縮小均衡していっているのだろうか。ある店の店員は、中国やロシアのお金持ちへの売上は増えていると話していたが、中国語の表記がたくさんあるわけでもなく、少なくとも東京の銀座のように目に見えた「爆買い」状態ではないようだ。お店のディスプレイにも、特に新しいアイデアや目を奪われるような洗練さは特にみられない。ソニーストアなど、むしろ明らかに投資を抑制したと思われる誠に残念な佇まいも見られたほどだ。
伝統的、といえば、そんな中でも高級ブランドショップ街を取り囲むようにしてしぶとく残っているのは、貴金属や骨とう品、美術品などを扱う店。やはり棚に並ぶ商品の価値が目減りしない商売というのは、大きく儲からなくともビジネスとしてのリスクが少ないのだろう。一方で、コンビニやドラッグストア、ファーストフードといった、これらの対極にあるような高速回転型チェーン店は、特に表通りにはまったくと言ってよいほど存在せず、それは街の美観(というほども綺麗ではないのだが)を保つうえでは大きなプラス材料に思われた。少なくとも、散歩する人間にとっては、そうしたものはない方がありがたい。

行き交う人々は、いわゆる「白人」の大人がほとんどで、ちょっと先祖返りしたような印象。景気が悪いためか、南米系の観光客はめっきりと少なく、イスラム系の人々も、少なくとも外見からそれとわかるような風体の人々はほとんど見当たらない。米国全体では「白人」の比率がどんどんと減少し、人口増加を牽引しているのはアジア系、ヒスパニック、黒人で、これらの合計が人口の過半に至る日は近い(少なくともオバマさんの次の次の大統領はそういう環境で選ばれることになるだろう)と言われるのに、ここにいると古典的な共和党基盤はまだまだ健在に見えてしまう。ちなみに、1時間歩いていて、それとわかる日本人には二人しか遭遇しなかった。

車道に目を転じると、明らかにわかるのはUberの浸透。黄色いタクシーは、大型トラックと並んで相変わらず車道の主役なのだが、Uの字を付けた車は探さなくとも向こうから目に入ってくる。タクシー会社が潰れるのも無理はないわけだ。もっとも、それはテクノロジーの進歩だけでなく、ニューヨークを含む米国のタクシーの質が悪すぎることにも原因はあるんだろうけれど。
相変わらずの交通渋滞と、それによる騒音・大気汚染などに配慮してか、電動アシスト付自転車のレンタルも何か所かで目にしたが、流石に寒すぎるためか、利用者は見かけなかった。

ちなみに五番街と言えば、金ぴかのトランプタワーはこの日も元気にそびえたっていたが、トランプ氏の最近の政治的な「ご活躍」は全く知りませんと言わんばかりに、彼のポスターや名前などは全く喧伝されていなかった。まあビルの名前としてあれだけ出ていればそれで十分なのかもしれないけれど…。

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PROFILE
HN:
Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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