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在る偏屈者による半年遅れのMBA留学日記、そして帰国後に思うこと
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冬のニューヨーク、仕事の合間に少し時間が出来たので、五番街をセントラルパークからマディソンパークまで、往復1時間ほど歩いてみることにした。特にまとまった視点もないけれど、気付いたことを書き留めておきたい。

大型の吹雪の到来を翌日に控えた街は全体にあまり活気がなく、人々もただ目的地を目指して忙しなく行き交っていた。高級ブランドショップが立ち並ぶ地域は五番街でももともと僅かしかなく、その面的な広がりは東京の銀座などに比べると限定的なのだが、その外延的な拡大は完全に止まっているようにみえた。むしろ全体に空き店舗が多く、「高級ショップ用空き店舗あります」といった張り紙がそこかしこにみられた。米国経済は堅調というけれど、その恩恵はあまりここには来ていないようだ。オンライン販売やアウトレットモールが増え、こうした伝統的な場所は一部のお得意様相手のビジネスに縮小均衡していっているのだろうか。ある店の店員は、中国やロシアのお金持ちへの売上は増えていると話していたが、中国語の表記がたくさんあるわけでもなく、少なくとも東京の銀座のように目に見えた「爆買い」状態ではないようだ。お店のディスプレイにも、特に新しいアイデアや目を奪われるような洗練さは特にみられない。ソニーストアなど、むしろ明らかに投資を抑制したと思われる誠に残念な佇まいも見られたほどだ。
伝統的、といえば、そんな中でも高級ブランドショップ街を取り囲むようにしてしぶとく残っているのは、貴金属や骨とう品、美術品などを扱う店。やはり棚に並ぶ商品の価値が目減りしない商売というのは、大きく儲からなくともビジネスとしてのリスクが少ないのだろう。一方で、コンビニやドラッグストア、ファーストフードといった、これらの対極にあるような高速回転型チェーン店は、特に表通りにはまったくと言ってよいほど存在せず、それは街の美観(というほども綺麗ではないのだが)を保つうえでは大きなプラス材料に思われた。少なくとも、散歩する人間にとっては、そうしたものはない方がありがたい。

行き交う人々は、いわゆる「白人」の大人がほとんどで、ちょっと先祖返りしたような印象。景気が悪いためか、南米系の観光客はめっきりと少なく、イスラム系の人々も、少なくとも外見からそれとわかるような風体の人々はほとんど見当たらない。米国全体では「白人」の比率がどんどんと減少し、人口増加を牽引しているのはアジア系、ヒスパニック、黒人で、これらの合計が人口の過半に至る日は近い(少なくともオバマさんの次の次の大統領はそういう環境で選ばれることになるだろう)と言われるのに、ここにいると古典的な共和党基盤はまだまだ健在に見えてしまう。ちなみに、1時間歩いていて、それとわかる日本人には二人しか遭遇しなかった。

車道に目を転じると、明らかにわかるのはUberの浸透。黄色いタクシーは、大型トラックと並んで相変わらず車道の主役なのだが、Uの字を付けた車は探さなくとも向こうから目に入ってくる。タクシー会社が潰れるのも無理はないわけだ。もっとも、それはテクノロジーの進歩だけでなく、ニューヨークを含む米国のタクシーの質が悪すぎることにも原因はあるんだろうけれど。
相変わらずの交通渋滞と、それによる騒音・大気汚染などに配慮してか、電動アシスト付自転車のレンタルも何か所かで目にしたが、流石に寒すぎるためか、利用者は見かけなかった。

ちなみに五番街と言えば、金ぴかのトランプタワーはこの日も元気にそびえたっていたが、トランプ氏の最近の政治的な「ご活躍」は全く知りませんと言わんばかりに、彼のポスターや名前などは全く喧伝されていなかった。まあビルの名前としてあれだけ出ていればそれで十分なのかもしれないけれど…。
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2016年が幕を開けた。
毎年思うことながら、2015年は今となっては驚くほどあっという間に過ぎて行ったが、一つ一つ思い返すと、2015年も本当に多くの出来事・経験に満ちた一年であった。

世界ではイスラム国にまつわる衝撃的な事件の数々に代表される社会的不安の増大の一方で、TPPの合意、原油価格の下落、米国の利上げ、巨大M&Aの増加など、経済面でも大きなニュースが目立った
日本では北関東の水害や各地での火山被害などの自然災害、東海道新幹線車内での焼身自殺や東芝の不正会計などの衝撃的な事件の一方で、ラグビーW杯での歴史的勝利や梶田さん・大村さんのノーベル賞受賞、北陸新幹線の金沢までの開業、訪日外国人観光客数が2000万人に迫るなど、明るいニュースも多かった。

個人的には、香港、シンガポール、バンコク、ボストン、シカゴ、ニューヨーク、アトランタ、イスタンブールと、多くの土地を訪れる機会を得、また数多くの優秀な同僚やクライアントの皆さんと仕事をさせていただく機会を得た。20年ぶりに訪れたイスタンブールで出会った、シリア難民を教育して同国向けの救急救命チームを作り運営するNPO(White Helmets)には、強いカルチャーショックを受けた。多くの優秀な仲間が加わり、多くの優秀な同僚がチームを去った。これもプロフェッショナルファームの宿命とはいえ、期待してきた人材を繋ぎとめられない力不足・リーダーシップ不足には情けない思いになるが、来年に向けて少しでも成長軌道を加速できればと願うばかりだ。また、ボストンから帰国して以来6年を過ごした駒込を離れ、新宿に居を移した。ボストンで生まれた次女は、早くも二度目の七五三を祝った。両親は結婚40周年を迎え、幼少期に育ててくれた祖母は介護施設に入ったがお陰様で健康そのものである。

多くの出会いと経験、それらを支えてくれた幸運に感謝しつつ、2016年の更なる成長と出会いに期待したい。

2月2日に70歳で逝去された恩師・上原一慶先生を偲ぶ会が、京都大学経済研究所の皆さんを中心とする有志が発起人となって開催され、久々に母校を訪れる機会を得た。思えば、前回ここを訪れたのは、2007年に同先生が定年退官される際だったことに気づく。先生の奥様・御子息をはじめ、先生の教え子、同僚の先生方が日本各地から集まったが、先生のお人柄が反映されたように、堅苦しくも湿っぽくもなく、温かい会となった。今や各地の大学で教鞭をとられるかつての諸先輩方や、学生時代は近寄り難かった先生方とも久しぶりに話す機会を得て、様々なことを知り、考える機会となった。体系的に総括できていないが、散文でも忘れないうちに書いておくことにしたい。


 

  • 日本の経済学会および経済学教育における「マルクス経済学」や「社会主義経済研究」の消滅を再認識したこと …我々が学生になったころは、ソ連は崩壊したとはいえ、経済学には「近代経済学(近経)」と「マルクス経済学(マル経)」があり、専門課程の導入でも必ずこれらを学んだが、今やマルクス経済学という言葉は「死語」であり、これを正面から捉えて教える講座はなくなったことを知った。文科省からそのような指導があるわけでもなく、学生や保護者からの要求があったわけでもないそうだが、教授陣や大学側が「萎縮して、触れなくなっていった」のだという。同様に、かつても今も現実に世界に存在する「社会主義」という言葉も「死語」となり、経済体制としてのこの研究も「比較経済学研究」「経済システム学研究」などの名で呼ばれるようになっていた。思想的立場はともかくとして、私の思考力の基礎を形成してくれた「資本論」やそれに類する古典も、もはや手にする学生はいないという。

 

  • 経済学部が限りなく経営学部化していたこと …さらに、母校の経済学部にも付属機関としてビジネススクールが開設され、関西では並ぶもののない存在になっていた。大学が独立法人化し、「儲かる」ビジネススクールには予算もつきやすく、時代の流れとしては仕方のない(あるいは必要な)ことなのかもしれない。が、より驚かされたのは、そこで教鞭をとるのは15年以上前に私が在学したころにいた教授陣を含む経済学部由来の先生方であり、ビジネススクール開設にあたって外部から招へいした研究者や経営経験者はほとんどいない、という事実であった。さらにこの影響で学部においても「ファイナンス」や「マーケティング」などの授業が増え、さながら経営学部のようになっているという。私が在学した頃も、経済学部の中に経済学科と経営学科が存在し、選択制となっていたが、あくまでも経済学の基礎を修めたものが経営学を学ぶことに意義を見出す学校であった。極めて残念な変節に思えてならない。

 

  • 一方で社会や経済の仕組みを深く考えることの重要性は変わらず、むしろ増しているように思われたこと …恩師の研究を振り返る講演を聞きながら、一方で今の学生(あるいは社会人である我々も含めて)に必要なのは、既にコモディティー化しつつある経営学的コンセプトではなく、社会や経済の仕組み・本質を深く考えるための切り口や論点に対する造詣ではないか、とも考えるようになった。先生は社会主義を「失業をつくらせない社会」、資本主義を「失業の恐れを認める社会」と定義したが、これは簡潔で含蓄の深い定義である。これに対して中国は1992年以降の社会主義市場経済化、2001年のWTO加盟という過程で国有企業にリストラを容認し、先生の定義でいう「社会主義」ではなくなった。もちろん悪平等よりも生活水準の向上を民衆は歓迎したが、失業は増え、所得格差は広がっている。「リストラ有り」の今の中国の雇用の底辺を支えるのは非正規雇用であり、これは先生の研究によると労働者の6割以上にも上るそうだが、その労働条件は劣悪で、一方で中国的「資本家階級」や政府関係者は急激に富を蓄え土地を買い漁るなど、社会・経済体制的には19世紀英国の原始的資本主義に極めて似た状況であるという。こうした見方は、中国の企業時価総額やGDP成長率などの表層だけ見ていては至らない視点であり、しかしながら感覚的にも現在の中国の「何かおかしい」状態を納得性高く説明してくれる。また国有企業といえば、経営コンサルティングのニーズが急激に拡大し、外資系コンサルタント出身者を大量に雇うなどの動きがちょうど我々の注目を集めていたが、これも中国民衆の犠牲の上の商業的復活なのだと思うと、少し見方が変わってくる。こうした社会・経済体制を考えることの重要性は、本来京都大学経済学部の「左翼化傾向」から近代経済学研究者を守るために設立された経済研究所の所長が、奇しくも3年前から恩師の教え子でもある社会主義経済研究者の溝端先生になっていることでも暗示されているように思う。

 

  • ロシアからの留学生はソ連を知らないこと …ソ連が1991年に崩壊して既に23年、ロシア人の留学生はソ連崩壊後に生まれた人も多く、ほとんどがソ連を知らない。むしろ母国ではソ連のことを誰も教えないらしく、日本に来て初めてソ連のことを学ぶのだという。

その他に気づいたこととしては...

  • 夏休み最後の週末ながら、京都駅は活況を呈していたこと
  • 川端通りのラブホテル「というわけで。」はまだ健在だったこと
  • 京都はやはり自分にとって特別な場所であること

たまにはこうしたこともまた、考えたい。



スローンの同級生の台湾人と一学年下の台湾人が結婚することになり、台湾中部・日月潭で開かれる結婚式と披露宴に招かれた。
新郎(同級生)はスローンでできた親友の一人で、南米に2週間旅行した際のパートナーでもある。
新婦も、卒業後も1-2度香港で会ったことのある間柄で、そんな親しい友人が遂に結ばれたことは、友人としても非常に嬉しい。
また海外での外国人の挙式・披露宴に招かれることも初めてだったので、非常に楽しみに訪れたが、台北から新幹線で1時間、さらに車で1時間という山中に世界中からゲストを集めるという発想に始まり、普段は結婚式に使わないホテルのパブリックスペースを使った挙式や、屋外でのバーベキュー・ブッフェ形式の披露宴など、地元台湾人の感覚からしても異例ずくめ。聞けばホテル側も、あまりに初めての試みが多いので、今後の営業展開の試験モデルにしたいと、かなり張り切ってカメラマンなどを増員して臨んだとのこと。また新郎の親族も、MITはもちろん、プリンストン、UCバークリーなど、米国の有名大学出身者がずらり。全体に中国語と英語のバイリンガルでイベントが進行するなど、本当にグローバル。その規模感と世界観には圧倒されるばかり…。
個人的にはその圧倒的なイベントの一端に参加することができたことと、翌日新郎新婦と少しゆっくり話す機会があったことが何よりであった。
写真はホテルのあちこちに飾られていた、二人の思い出を語るアイテムの一つ(おそらく新婦の手書きと思われる)。
お二人とも、末永くお幸せに。


成長著しいマレーシアの首都、クアラルンプールに行く機会を得た。
さすがに昨年訪れたインドよりは発展しているが、夥しい建設工事の土煙や人々の表情・息遣いは、成長する国の勢いと明るさを感じさせる。

滞在中はほとんど会議室に缶詰であったが、一度だけホテル近くの巨大ショッピングモールに出かけてみた。クアラルンプール市内に3-4つあるという巨大モールの一つで、サッカー場7-8面ほどの広さが、地上4階、地下3階と折り重なる。最大のテナントは日本のイオン。もちろん売っているものや陳列の仕方はマレーシア風なのだが、広々としていて品物も良さそうであり、買い物も楽しい。その他にもユニクロや無印など、日本のリテールブランドがいくつも入っていて、客足を引き付けている。一方で家電製品などはサムソンなどの韓国勢が圧倒的に人気で、ニコンが頑張ってプロモーションをしていたが、客足ではどうも分が悪そうであった。
それにしてもショッピングモールを歩いて驚かされるのは、日本語の多さ。それも、どうみても日本人がやっていると思えない店や、日本のものではないブランドに、日本語が飾られていることである。



日本語表記以外でも、例えばZakkaとかMatsuriとか、日本語由来と思われる表記やロゴが少なくない。香港などでも同様のものは見かけるが、もっとソフトで憧れを孕んだ使われ方に思える。

かつてマレーシアはマハティール首相の時代、「Look East」と称して日本をモデルにした工業化・近代化を推進しようとしたことで知られる。それから四半世紀以上が経ち、経済的水準も大いに向上した今、消費者にとって日本はもう少しソフトな部分で「イケてる」存在であり、工業製品では韓国製を使っても、そうしたソフトな上質さを日本に求めているのであろうか。そうすると、「クールジャパン」というと、何かちょっと構えてしまって、またアニメとか和食とか、結局モノに転化して考えてしまいがちだけれども、じつは我々からみれば普通のものに「日本らしさ」を上手く演出する方が、素直に受け入れられるのではないか、と思えてくる。昔一緒に働いた仲間がインドネシアで米作りをはじめたが、そうしたアプローチの方が、無理にアニメを売り込むよりも、より広く長く支持されるのかもしれない。

岐路には、世界で最も成功している航空会社と称されるまでになったLCCのエアアジアを使ってみた。クアラルンプール国際空港に隣接(といっても車で数十分かかるが)する専用ターミナルは、ただの倉庫のような建物。駐機場の飛行機までは炎天下を歩いて進む。誰も文句を言わず、むしろ楽しそうで、こちらも何となくその気になってしまう。

伸びる国の何とも言えない能天気さに少し憧れながら、機内を舞うハエには辟易しつつ、帰国した。

日本は、秋の夜であった。

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PROFILE
HN:
Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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