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「 Travel 」
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10年ぶりにワシントンD.C.を訪れた。
10年は、この首都の雰囲気を変えるには十分な長さの時間であったらしい。
思えば10年前はまだ駆け出しのローカルサービスであったfacebookが、何億人というユーザー規模のグローバルなサービスになり、その情報漏えい等が国会で議論されるに及ぶというのは、誰も想像すらしなかったであろう。

ホワイトハウスの周囲のバリケードは、以前よりも一回りか二回り大きくなり、ホワイトハウスに一般人は近づきにくくなっていた。
街の土産物屋では、以前売っていたオバマ人形をはじめとする「大統領関連グッズ」は当然ながらモチーフにすべき人物の交代により退場し、トランプ人形や関連グッズへの姿を変えていた。但しそのトーンは、オバマ就任の際には明るく、熱狂的で、希望と誇りに満ちていたのとは対照的に、シニカルで、ちょっとしたブラックジョークのようなトーンに感じられた。
一国の元首が国民からの攻撃を恐れてバリケードを張り巡らせ、一方で国民からはブラックジョークのようにみられる、というのは、明らかに何かがおかしく、この大国の病を感じざるをえない光景であった。

せめてもの救いは、街を行く人々の多様性、スミソニアン博物館の入場が無料であること、そして博物館を湛える公園の美しさとおおらかさが、10年前のそれと何も変わらなかったことだろうか。10年後もこうした素晴らしさは維持されていてほしい、と心から思う。
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5月初頭のトロントは、さすがに雪模様こそみられなかったが、まだ初春の装いであった。
1週間ほどの滞在のうち晴天は1日だけと天候に恵まれなかったこともあるが、気温が10度を超えることはあまりなく、コートやダウンジャケット、手袋といったアイテムもまだ街には多くみられた。それでもところどころに桜やチューリップが咲き、長い冬を抜けた人々の表情は穏やかで明るくみえた。

今年で建国150周年を迎えるカナダにあっては比較的古くまた最大の都市でもあるトロントは、環境や治安の良さもあって移民が絶えず(今でも人口の半分以上は第一世代移民とのこと)、人口成長が続き、北米でも最大の都市のひとつになっている。しかしながら、ニューヨークやロスのような猥雑な混沌さはあまり目立たず、比較的落ち着いた佇まいであるのは、トロント島のような自然がすぐ目の前に残されていることや、英仏両国語を母国語とするカナダ独特の異文化や来訪者への寛容さによるのだろうか。中国人街、ギリシア人街、イタリア人街といったエスニックゾーンは存在するものの、トロントで感じられる人種や文化を超えた人の融合の度合いは、米国の都市でみるそれよりも自然で、健全であるように感じられた。

この国においては「古い」とはいえ、世界的にみればまだまだ新しい街でありながら、市庁舎や州庁舎、大学など、程よく枯れた建物が街に魅力を添えてくれるのは、これまで戦火に巻き込まれたことのない大都市としての特権だろう。特にオンタリオ州庁舎は、脇に大学や他の庁舎を従えながら、良く計画された街路に囲まれて、街の中心に風格を与えていた。学生の多いその界隈で最も目立ち、便利の良いオフィスビルに、Airbnbが入居していたのも印象的であった。湖畔の大きなビルに看板を掲げるIT企業たちに、君たちはもう古いよ、と言っているかのように。

オンタリオ湖の北岸に展開した街の少し沖合には、トロント群島がある。湖畔から目と鼻の先の距離で、近いところでは100mほどしか大陸と離れていない島ながら、敢えて架橋せずにボートでしか渡れないようにしてあることが、この島の自然と静けさを保ってくれている。ボートに15分ほど揺られて渡る島にはわずかながら住人もいるが、島のほとんどの部分は公園で、ヨットハーバーや小さな遊園地、プロペラ機専用のローカル空港などもあるが、いずれも散策する人をまったく邪魔しない。自動車が走らないためか水鳥などの動物が多く、人々も穏やか。水辺から眺めるトロント市街の全景は、なかなかの絵になる。

ほとんどの市民が英語で生活する中でも英仏両国語併用に拘り、建物の新陳代謝が進む中でも歴史を大切にし、自動車社会でありながら島には橋を架けない。こうした拘りと「無駄」は、やはり都市の魅力には必要なのだと、改めて教えてくれる街である。



仕事で、インドのニューデリーを数日間訪れる機会があった。
恥ずかしながら、初めてのインドである。
短い滞在ではあったが、幾つかの角度から、同国の噎せかえるようなエネルギーと、大きな矛盾を体感することができた。

インド最大の二輪車メーカー"Hero Motors"の幹部の方がスピーチで、インドを"Extreme diversity"と称されていたが、私が今回感じた同国の印象を一言で表すと、この表現に至るように思う。それは単に同国が、12億人を超える人口を要し、22の「公用語」と数千の小言語が話され、州や地方によって文化も大きく異なる、という意味だけではない。貧富の差、学問の差、官民の差、政治観の差、生きる目的や時間軸の差など、実に様々な軸で、信じられないほど広いスペクトラムの両端に生きる人々が、ニューデリーという街の中でさえ混在している、という意味である。

ニューデリーの一角のスラム街を訪れ、そこに暮らすある家族の自宅にお邪魔する機会があった。どこかの農村から職を求めて流れ着いたというその家族は、両親と子供が5人で、4畳半が二間くらいの家に住んでいる。父親は街の屋台でフルーツを売り、4人の娘のうち3人が内職の裁縫をし、あわせて一家で月に5,000円ほどを得ている。うち1,500円ほどは家賃に消え、残されたお金で細々と暮らす。内職をする娘3人は、学校に行ったことがない。農村から不法に流入してきたために居住証明がなく学校に行かせられない、と母親は話していたが、一人息子と末の娘は学校に言っているということだったので、辻褄が合わない。恐らく、良く言えば二人の就学を他の家族で支えている、悪く言えば3人の子供を労働力として搾取している、ということだろう。内職をする3人の娘に将来の夢を聞いてみた。曖昧な笑みが返ってくるだけで、要領を得ない。やっと一人の子が「お医者さん」と言ってみたが、即座に母親から「学校もいってないのに、なれるわけないでしょ」と一蹴され、あわてて「学校にいくこと」と言い換えていた。

一方で、インドの一流大学を出た(あるいは出ようとしている)若者15人ほどと、英国生まれのインド人起業家との討論に、参加する機会もあった。
こちらの学生たちは、当然英語を自在に操る(前述のスラムの家族とは通訳を介してヒンディー語で会話)し、議論を重ねる力が本当に長けている。独り言のように自分の意見だけ延々というのではなく、きちんと相手の意見や質問を踏まえて、主張を展開する。意見の論理的構成力や論旨の明快さはさすがに個人によってバラツキがあるが、皆一様にレスポンスが早く議論が途切れないので、次第に言いたいこともみえてくる。彼らの視線は、5年から10年の先にある。彼らは皆、自らの才覚に自信と責任が強く、誰かに何かを言われてやるのではなく自分の志す道を進み、チャンスをつかもうと必死である。恐らく相当の苦労をして、それだけの学問を修めるに至ったのだろうし、それを可能にしてくれた家族への強烈な責任感もあるのだろう。日本的にいえば、協調性がないとか、謙虚さがないとか、そういう評価を受けるかもしれないが、我々に対する敬意も忘れておらず、必ずしも嫌な感じはしない。むしろああいう若者が、湧いて出るように無尽蔵に輩出され、一部は米国や英国でも教育を受け、インド国内に限らず、中国や中東、あるいはアフリカなど、新興国市場で貪欲に活躍していく姿には、計り知れないポテンシャルと脅威しか感じない。

そして、同国を導くはずの中央高級官僚は、こうした停滞と飛躍、苦難と希望、搾取と投資が渦巻くインドの民衆と、まったく乖離した精神世界に生きている。簡単な昼食をご一緒させていただいた50歳前後とみられる財務省秘書官は、貧困にあえぐスラム街の人々にも、輝かしい可能性をもつ若い人材にも、さして興味がないようである。多弁でユーモアに富んだ彼の口からでる言葉は、民主主義の素晴らしさ、皆が自分の意見をもつインド人の素晴らしさ、国連やWHOなどの国際機関の限界、などの大所高所の話ばかり。具体的な各論になると、とたんに議論がおぼつかない。例えば格差と貧困の解消について問うと、「全国民に、コメと麦と食用油を支給するのはどうか、と考えている」と、まるで突拍子もなく、また国民の真のニーズを理解しているとも思えない発言が出る始末。インドの国家官僚は、給与も高くないが、20代で日本の国家公務員一種試験にあたるような試験にパスすると、その後の業績や活躍に関わらず、一生それなりのポジションを巡りながらの雇用が確約される。彼自身、それを認めつつ、「だから我々は自由に議論できるのだ」と半ば開き直っている。今後の天文学的な金額が投じられる同国のインフラ建設などが、こうした人々に牽引されるのかと思うと、恐ろしくなる。

日本にいると、何となく「遠い」感覚でいたインドであるが、こうした極端な多様性を包含しながら、確実に成長している。どこかで矛盾が爆発するのではないか、とか、そういつまでも高成長が続くわけではない、とか、懐疑的な目を向けることは簡単だが、我々の世代もさることながら、我々の次の世代の日本人は、間違いなく彼らのような連中と闘っていく必要がある。そして彼らの矛盾が爆発することがあれば、それは既に一つの国民国家の中だけの限定的事象ではなく、地球人口の20%以上が関与する社会現象として、影響は世界中に拡散されるだろう。いや、「影響の拡散」という点では、既に恐るべきペースで、随分以前からそれは始まっているのかもしれない。日本の学校教育や企業教育は、こうした現実を次の世代に正しく教えているのだろうか。インド社会の張り詰めるテンションへの疑問とともに、そんな疑念も強く感じた滞在であった。


10日間のタンザニア旅行の最終地は、インド洋に臨む静かな浜辺。
Pongwe Beach Hotelという地元資本の小さなリゾートホテルである。
白い砂と青い海、それ以外に何もないが、それだけで十分贅沢。米国からアクセスの良いカリブ海の島々に訪れたときも、海の青さに感動したが、ここにはそれに加えて、過度の商業主義から離れた、素朴で上質な時間があった。
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ザンジバル島は基本的に沖縄に似たサンゴ礁の島であるが、特に島の東側は海岸線から300-500mくらい沖をサンゴの岩礁が覆っていて、浜辺は遠浅で非常に穏やか。干潮時と満潮時の海岸線が大きく異なり、毎日午前中の干潮時は、部屋の前の浜辺から随分沖の方まで歩いていける。満潮時は完全に水に沈んでしまう沖合いの浅瀬で、地元の女性が海藻を採っていた。麻袋にいっぱいの海藻を頭に載せて歩く姿は、絵のようである。
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澄んだ水には稚魚やヤドカリ、カニなどがいて楽しい。娘もちょっと怖がっていたが、綺麗な貝殻を拾って喜んでいた。
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プールも、外資系リゾートホテルのように巨大ではなく、こぢんまりとしているが、海側のプールサイドが掛け流し式になっていて、開放感がある。
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プライベート・ビーチとなっている浜辺への侵入者を防いだり、犬などの動物を追い払ったりするために、常時警備員が見張っているのだが、雰囲気を壊さないようにという配慮か、昼間はマサイ族の衣装を着た男性が巡回している。我々が見てきたマサイの人々に比べると大柄で頭の形も多少違うような気がしたので、どこの出身かと聞いてみたが、マサイ族で出稼ぎに来ている、と言い張っていた。まあそういうことにしておこう。

このホテル、出来てまだ10年にもならないとのことだが、東海岸でホテルを建てる場所を探していたオーナーが土地を購入したときは、茂みの中に古びたバンガローが一軒ぽつんと立つだけの土地だったらしく、購入価格はたったの300ドル。ライフラインは皆無の土地なので、自家発電装置を設置し、海水の浄化装置を設置し、整地をして建物を建て、徐々に今のかたちになっていったそうだ。建物のレイアウトは、サンゴの岩がごろごろする自然の景観を上手く活かして作ってある。一方で、周囲は未だにほとんど何もない土地。ホテルから車で2-3分も走ると、地元の人々が住む家が見えてくる。どこも電気は通っておらず、家も朽ちかけたようにぼろぼろである。

このホテルに代表されるように、今回の旅行で我々が見てきたアフリカは、アフリカの中の非常に安全で恵まれた環境の場所だけであり、これを見ただけではアフリカを語る資格はないだろう。それでもやはり、実際にその場所に行き、舞台装置の真ん中に自分を置いてみると、自分が知らなかった世界に驚かされ、感動する。アフリカ最初の旅行としてはそうした発見が多く、トラブルも少なく、非常に良かったのではないかと思っている。これで5年後に娘の記憶の片隅に何か残っていれば言うことはないのだが・・・、まあきっと忘れてるんだろうなあ。



ザンジバル島はスパイスで有名。
アラブ人、そして英国に支配されていた時代、奴隷と並ぶ主力貿易商品は、象牙とスパイスであった。奴隷と象牙はもはや貿易商品として取り扱われることはないが、スパイスは依然としてこの島の特産品であり、東アフリカや中東、インドなどにも輸出されているらしい。多種多様なスパイスが生産されている農園は、観光客の人気スポットにもなっている。

ザンジバル島二日目は、島の西にあるストーンタウンから、さんご礁に囲まれたビーチのある島の東側へと移動する。その移動の途中に、スパイス農園を訪ねてみることにした。昨日空港からホテルまで乗せてもらったジョンという運転手に頼んで、スパイス農園経由で東海岸のホテルまで、スパイス農園に立ち寄る分の追加料金なしで行ってもらうように話をつけた。この不景気、観光客も少ないので、お互い悪い取引ではない。

連れて行ってもらったスパイス農園は、ちょっと胡散臭さの漂う、ジャングルのようなところ。かつて農園だったが今は離農したところを、勝手に公開してカネを取っているのではないかという気もしたが、案内役として紹介された男はそれほど悪い人間でもなさそうだったので、一応信用して着いていく。
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車を停めたところから2-3分行ったところで立ち止まると、案内の男が傍らの木の葉をちぎって、匂いを嗅がせてくれた。匂いだけではわからなかったが、手にとってみると黄色い色がつく。ターメリックの木だった。容器に入った粉末のターメリックは見たことがあるが、こうして生でみると、まったく印象が違う。さらに雑木林のような周辺の歩きながら、生姜、シナモン、香水のもととなる花、口紅のもととなる植物などを見てゆく。どれもちょっとちぎって匂いを嗅がせてくれるのだが、香りの輪郭が非常に鮮やかで、清々しい。そしてどれも実際に木になっている姿を見るのは初めてのものばかり。
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コショウの実が赤いというのも、初めて知った。噛んでみたが、刺すように辛かった。
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一通り回ったところで、少量ずつにパッケージされたスパイスの販売。まあお約束なので、多少買い求める。

そうしているうちに、辺りになっているココナツの木を見ながら、この木に自在に登ってあの実を取ってくる人がいるんだが見てみるか、と案内の男が聞いてきた。折角なのでお願いすると、小柄ながら筋肉の発達した男が徐に一本の木に近づいていって、その幹にパッと飛びついた。
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そしてあっと思う間もなく、男は凄い勢いで木を登り始めた。「空を飛ぶように軽々と登っていくので、彼はミスター・バタフライと呼ばれている」ということだったが、その様子はバタフライ(蝶)というよりはサル。
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木を登りきったところでココナツの実をいくつか切り落とし、更にまだ余裕があるのか、木にしがみついたまま歌ったり踊ったりし始めた。人間業とは思えないパフォーマンスで、緊張して固まっていた娘からも笑顔がこぼれた。歌いながらスルスルと木を降りてきたミスター・バタフライは、切り落としたココナツの実を拾うと、鉈のように刃渡りの広いナイフで実の一角を切り落とし、中のジュースが飲みやすいように加工してくれた。
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炎天下にあったにもかかわらずジュースの温度はそれなりに低く、自然な甘みと多少の炭酸が溶け込んでいて、喉の渇きを癒してくれた。新しいものには慎重な長女も、面白いオジサンのススメに従って恐る恐る飲んでいたが、こちらは口に合わなかった様子。
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都合1時間ほど滞在していたが、入場料のようなものはない。案内の男やバタフライさんのサービスへの対価はチップだけなのだが、私のように日本の仕組みに慣れ過ぎた人間には、こういう仕組みはやはりなかなか馴染みにくい。一応去り際に握手をしながらそれぞれの人間に小額のチップを渡したが、渡しながら相手の顔色を伺ってしまい、どうも具合が悪かった。いっそ言われただけ払うから入場料を取ってくれ、と言いたくなる。ただ、後で運転手のジョンに聞いたところでは、彼の家族四人の一ヶ月の生活費は、家賃や子供の学校の費用など全て含めて総額600ドル、つまり単純平均で一人一日5ドル。タンザニアの中では比較的生活水準の高いザンジバルにあって、彼の家族は「中の上」クラスであろうから、多くの人は一日2-3ドルの生活というところか。そうした相場観からすれば、我々が払う「小額のチップ」も、彼らからすれば十分意味のある金額なのかもしれない。


午後3時頃、途中の酷い悪路を越えて、車は目的のホテルに到着。客室はすべて「離れ」で全16室しかなくこじんまりとしているが、全ての部屋が白い砂浜、そしてその向こうの青い海へと繋がっていて、絵のように美しい。
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タンザニア旅行の最後の2泊3日、ゆっくりと過ごせそうである。

 


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職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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