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在る偏屈者による半年遅れのMBA留学日記、そして帰国後に思うこと

2月2日に70歳で逝去された恩師・上原一慶先生を偲ぶ会が、京都大学経済研究所の皆さんを中心とする有志が発起人となって開催され、久々に母校を訪れる機会を得た。思えば、前回ここを訪れたのは、2007年に同先生が定年退官される際だったことに気づく。先生の奥様・御子息をはじめ、先生の教え子、同僚の先生方が日本各地から集まったが、先生のお人柄が反映されたように、堅苦しくも湿っぽくもなく、温かい会となった。今や各地の大学で教鞭をとられるかつての諸先輩方や、学生時代は近寄り難かった先生方とも久しぶりに話す機会を得て、様々なことを知り、考える機会となった。体系的に総括できていないが、散文でも忘れないうちに書いておくことにしたい。


 

  • 日本の経済学会および経済学教育における「マルクス経済学」や「社会主義経済研究」の消滅を再認識したこと …我々が学生になったころは、ソ連は崩壊したとはいえ、経済学には「近代経済学(近経)」と「マルクス経済学(マル経)」があり、専門課程の導入でも必ずこれらを学んだが、今やマルクス経済学という言葉は「死語」であり、これを正面から捉えて教える講座はなくなったことを知った。文科省からそのような指導があるわけでもなく、学生や保護者からの要求があったわけでもないそうだが、教授陣や大学側が「萎縮して、触れなくなっていった」のだという。同様に、かつても今も現実に世界に存在する「社会主義」という言葉も「死語」となり、経済体制としてのこの研究も「比較経済学研究」「経済システム学研究」などの名で呼ばれるようになっていた。思想的立場はともかくとして、私の思考力の基礎を形成してくれた「資本論」やそれに類する古典も、もはや手にする学生はいないという。

 

  • 経済学部が限りなく経営学部化していたこと …さらに、母校の経済学部にも付属機関としてビジネススクールが開設され、関西では並ぶもののない存在になっていた。大学が独立法人化し、「儲かる」ビジネススクールには予算もつきやすく、時代の流れとしては仕方のない(あるいは必要な)ことなのかもしれない。が、より驚かされたのは、そこで教鞭をとるのは15年以上前に私が在学したころにいた教授陣を含む経済学部由来の先生方であり、ビジネススクール開設にあたって外部から招へいした研究者や経営経験者はほとんどいない、という事実であった。さらにこの影響で学部においても「ファイナンス」や「マーケティング」などの授業が増え、さながら経営学部のようになっているという。私が在学した頃も、経済学部の中に経済学科と経営学科が存在し、選択制となっていたが、あくまでも経済学の基礎を修めたものが経営学を学ぶことに意義を見出す学校であった。極めて残念な変節に思えてならない。

 

  • 一方で社会や経済の仕組みを深く考えることの重要性は変わらず、むしろ増しているように思われたこと …恩師の研究を振り返る講演を聞きながら、一方で今の学生(あるいは社会人である我々も含めて)に必要なのは、既にコモディティー化しつつある経営学的コンセプトではなく、社会や経済の仕組み・本質を深く考えるための切り口や論点に対する造詣ではないか、とも考えるようになった。先生は社会主義を「失業をつくらせない社会」、資本主義を「失業の恐れを認める社会」と定義したが、これは簡潔で含蓄の深い定義である。これに対して中国は1992年以降の社会主義市場経済化、2001年のWTO加盟という過程で国有企業にリストラを容認し、先生の定義でいう「社会主義」ではなくなった。もちろん悪平等よりも生活水準の向上を民衆は歓迎したが、失業は増え、所得格差は広がっている。「リストラ有り」の今の中国の雇用の底辺を支えるのは非正規雇用であり、これは先生の研究によると労働者の6割以上にも上るそうだが、その労働条件は劣悪で、一方で中国的「資本家階級」や政府関係者は急激に富を蓄え土地を買い漁るなど、社会・経済体制的には19世紀英国の原始的資本主義に極めて似た状況であるという。こうした見方は、中国の企業時価総額やGDP成長率などの表層だけ見ていては至らない視点であり、しかしながら感覚的にも現在の中国の「何かおかしい」状態を納得性高く説明してくれる。また国有企業といえば、経営コンサルティングのニーズが急激に拡大し、外資系コンサルタント出身者を大量に雇うなどの動きがちょうど我々の注目を集めていたが、これも中国民衆の犠牲の上の商業的復活なのだと思うと、少し見方が変わってくる。こうした社会・経済体制を考えることの重要性は、本来京都大学経済学部の「左翼化傾向」から近代経済学研究者を守るために設立された経済研究所の所長が、奇しくも3年前から恩師の教え子でもある社会主義経済研究者の溝端先生になっていることでも暗示されているように思う。

 

  • ロシアからの留学生はソ連を知らないこと …ソ連が1991年に崩壊して既に23年、ロシア人の留学生はソ連崩壊後に生まれた人も多く、ほとんどがソ連を知らない。むしろ母国ではソ連のことを誰も教えないらしく、日本に来て初めてソ連のことを学ぶのだという。

その他に気づいたこととしては...

  • 夏休み最後の週末ながら、京都駅は活況を呈していたこと
  • 川端通りのラブホテル「というわけで。」はまだ健在だったこと
  • 京都はやはり自分にとって特別な場所であること

たまにはこうしたこともまた、考えたい。

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スローンの同級生の台湾人と一学年下の台湾人が結婚することになり、台湾中部・日月潭で開かれる結婚式と披露宴に招かれた。
新郎(同級生)はスローンでできた親友の一人で、南米に2週間旅行した際のパートナーでもある。
新婦も、卒業後も1-2度香港で会ったことのある間柄で、そんな親しい友人が遂に結ばれたことは、友人としても非常に嬉しい。
また海外での外国人の挙式・披露宴に招かれることも初めてだったので、非常に楽しみに訪れたが、台北から新幹線で1時間、さらに車で1時間という山中に世界中からゲストを集めるという発想に始まり、普段は結婚式に使わないホテルのパブリックスペースを使った挙式や、屋外でのバーベキュー・ブッフェ形式の披露宴など、地元台湾人の感覚からしても異例ずくめ。聞けばホテル側も、あまりに初めての試みが多いので、今後の営業展開の試験モデルにしたいと、かなり張り切ってカメラマンなどを増員して臨んだとのこと。また新郎の親族も、MITはもちろん、プリンストン、UCバークリーなど、米国の有名大学出身者がずらり。全体に中国語と英語のバイリンガルでイベントが進行するなど、本当にグローバル。その規模感と世界観には圧倒されるばかり…。
個人的にはその圧倒的なイベントの一端に参加することができたことと、翌日新郎新婦と少しゆっくり話す機会があったことが何よりであった。
写真はホテルのあちこちに飾られていた、二人の思い出を語るアイテムの一つ(おそらく新婦の手書きと思われる)。
お二人とも、末永くお幸せに。


成長著しいマレーシアの首都、クアラルンプールに行く機会を得た。
さすがに昨年訪れたインドよりは発展しているが、夥しい建設工事の土煙や人々の表情・息遣いは、成長する国の勢いと明るさを感じさせる。

滞在中はほとんど会議室に缶詰であったが、一度だけホテル近くの巨大ショッピングモールに出かけてみた。クアラルンプール市内に3-4つあるという巨大モールの一つで、サッカー場7-8面ほどの広さが、地上4階、地下3階と折り重なる。最大のテナントは日本のイオン。もちろん売っているものや陳列の仕方はマレーシア風なのだが、広々としていて品物も良さそうであり、買い物も楽しい。その他にもユニクロや無印など、日本のリテールブランドがいくつも入っていて、客足を引き付けている。一方で家電製品などはサムソンなどの韓国勢が圧倒的に人気で、ニコンが頑張ってプロモーションをしていたが、客足ではどうも分が悪そうであった。
それにしてもショッピングモールを歩いて驚かされるのは、日本語の多さ。それも、どうみても日本人がやっていると思えない店や、日本のものではないブランドに、日本語が飾られていることである。



日本語表記以外でも、例えばZakkaとかMatsuriとか、日本語由来と思われる表記やロゴが少なくない。香港などでも同様のものは見かけるが、もっとソフトで憧れを孕んだ使われ方に思える。

かつてマレーシアはマハティール首相の時代、「Look East」と称して日本をモデルにした工業化・近代化を推進しようとしたことで知られる。それから四半世紀以上が経ち、経済的水準も大いに向上した今、消費者にとって日本はもう少しソフトな部分で「イケてる」存在であり、工業製品では韓国製を使っても、そうしたソフトな上質さを日本に求めているのであろうか。そうすると、「クールジャパン」というと、何かちょっと構えてしまって、またアニメとか和食とか、結局モノに転化して考えてしまいがちだけれども、じつは我々からみれば普通のものに「日本らしさ」を上手く演出する方が、素直に受け入れられるのではないか、と思えてくる。昔一緒に働いた仲間がインドネシアで米作りをはじめたが、そうしたアプローチの方が、無理にアニメを売り込むよりも、より広く長く支持されるのかもしれない。

岐路には、世界で最も成功している航空会社と称されるまでになったLCCのエアアジアを使ってみた。クアラルンプール国際空港に隣接(といっても車で数十分かかるが)する専用ターミナルは、ただの倉庫のような建物。駐機場の飛行機までは炎天下を歩いて進む。誰も文句を言わず、むしろ楽しそうで、こちらも何となくその気になってしまう。

伸びる国の何とも言えない能天気さに少し憧れながら、機内を舞うハエには辟易しつつ、帰国した。

日本は、秋の夜であった。

ワシントンD.C.で、昨年敗れた米国大統領選共和党候補のスピーチを聴いた。
演台で話す彼は、60代後半とは思えない存在感と迫力、選挙戦の敗者とは思えない成功者のオーラを放っていた。選挙当時の政治的緊張から解放され、また聴衆も限られた人々であったためか、非常に直接的に、彼の世界観、政治的思想を語ってくれた。

曰く、米国は個人の自由と民主主義を土台にした資本主義の国である。こうした社会における成長の源泉は、競争、インセンティブ、それらによる生産性の向上にある。国や社会を成長させるには、人口を増やすか、一人当たりのアウトプット、すなわち生産性をあげるか、どちらかしかない。生産性をあげるには、より努力や工夫をして、同じ人数でより多くのアウトプットを生み出すか、同じアウトプットをより少ない人数で生み出すか、どちらかしかない。最近は、努力や工夫をせず、生産性もあげることなく、ただ待遇の改善を求める声も多いが、それでは社会の持続的な成長はありえない。生産性の向上は、インセンティブと競争が後押ししてくれる。我々の先祖が米国を建国したときの偉大な判断の一つは、この国を州に分け、それぞれが競争する環境を作り出したことだろう。そのお陰で、それぞれの州が企業や住民の誘致に知恵を絞っている。企業経営と同様、政治や行政においても、データに基づいた合理的な判断をすべきである。企業とは異なり、政府は必要なデータをすべて持っている。ただ残念ながら、それらを信頼に足る精度に整備したり、それらを意思決定に活用したりすることをしていないだけだ。こうしたやり方を少し変えるだけで、これまで想像もしなかったような成果をあげることができる-。

ユーモアを交えながら筋道立てて話すそのスピーチには、個人的には強く好感をもったし、企業経営に関わるものならば、多くが同じように賛同するだろうとも感じた。一方で、多数決を原則とする現在の民主政治では、こうした主張が受け入れられ、彼が国のリーダーとなることは難しいだろう、ということも、改めて強く感じた。

よく2:8の原理とか、パレートの法則とか言われるように、世の中の富の創出や成長の8割は、2割の人々によって実現されるものである。残りの8割の人々は、必ずしも努力が足りない人々ばかりではないだろうが、さまざまな理由で、結果的に多くの富を創出できない。企業や国が成長すれば自分たちも豊かになる、とか、明日の幸福のために今日の時間・労力を投資する、という考え方は、一見当たり前のようにみえて、人類の歴史の中では比較的新しい考え方であり、実際の成功体験がないと、心の底からは受け入れられないものである。前述の8割の人々は恐らく、努力してみても報われなかったり、あるいはそうした機会が身の回りに見当たらなかったりする人々だろう。そしてこうした人々の多くは、競争、インセンティブ、生産性向上の重要性を強調する議論を「勝ち組」の主張と受け取り、支持しないのではないだろうか。決して「間違っている」というわけではなくとも、受け入れられない。そうすると、政治的には負けである。いわゆる貧富の格差が開いてくると、この2割と8割の配分がより先鋭化し、1割と9割になったりして、ますます資本主義の原則を正面から振りかざす議論が政治的に支持されにくくなり、政治がポピュリズムに走りがちになる。一方で経済社会は、南欧諸国や日本をはじめとする多くの国々の財政赤字が象徴するように、より資本主義の原則との矛盾が拡大し、その反動がショックとなって降りかかるリスクが膨らんでいる。この矛盾をいかに解決できるのか。敗れ去った大統領候補の口からは、米国の選挙制度の問題点とその解決策についての意見は聞かれても、残念ながらこうした根本的な矛盾についての意見を聞くことはできなかった。


2013年の1月、と書くと、未だにふと、遠い未来のような印象を受ける。
紀元2600年や、北斗の拳の199x年、などと比べるわけではないが、2000代の下二桁に数字がある年号というのは、素朴にすごいことのように思える。

また、1月というのは、年が改まる新鮮さだけでなく、何かと思い出されるイベントが多い。
24年前の1月には、昭和天皇が崩御された。号外というものを初めて手にした記憶が、今も新鮮に残っている。
18年前の1月には、阪神淡路大震災があった。自分の部屋が途方もない力に突き崩されていく恐怖と、見知った町の信じられないような姿を映すテレビ映像から受ける虚脱感は、今も忘れられない。
10年前の1月には、その前の月で前職を退き、今の仕事を始めた。自分で勝手に転職したにも関わらず、年が明けて出社し始めると何かとんでもないことをしてしまったような気がして、ただ不安だったような気がする。

それから10年、世の中や自分の人生を騒がすようなイベントがあるわけではないが、毎年新しいチャレンジはある。今日も経済産業省の方からご依頼を受け、あるイベントで業界専門家との公開対談を行った。パワーポイント資料を使って一人でプレゼンすることはあっても、資料なし・相手あり、というのは初めてで、新鮮な経験をさせていただいた。3月には、MITでアジアの経済人を集めた経済会議のようなものが行われ、パネラーとして参加させていただく。私なんかで良いんだろうか、というのは毎回思うことであるが、少しずつ新たな刺激とともに成長の機会を得られるのはありがたいことである。

2013年も、前向きで面白い年になりますように。


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PROFILE
HN:
Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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