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在る偏屈者による半年遅れのMBA留学日記、そして帰国後に思うこと
スローンの同級生の台湾人と一学年下の台湾人が結婚することになり、台湾中部・日月潭で開かれる結婚式と披露宴に招かれた。
新郎(同級生)はスローンでできた親友の一人で、南米に2週間旅行した際のパートナーでもある。
新婦も、卒業後も1-2度香港で会ったことのある間柄で、そんな親しい友人が遂に結ばれたことは、友人としても非常に嬉しい。
また海外での外国人の挙式・披露宴に招かれることも初めてだったので、非常に楽しみに訪れたが、台北から新幹線で1時間、さらに車で1時間という山中に世界中からゲストを集めるという発想に始まり、普段は結婚式に使わないホテルのパブリックスペースを使った挙式や、屋外でのバーベキュー・ブッフェ形式の披露宴など、地元台湾人の感覚からしても異例ずくめ。聞けばホテル側も、あまりに初めての試みが多いので、今後の営業展開の試験モデルにしたいと、かなり張り切ってカメラマンなどを増員して臨んだとのこと。また新郎の親族も、MITはもちろん、プリンストン、UCバークリーなど、米国の有名大学出身者がずらり。全体に中国語と英語のバイリンガルでイベントが進行するなど、本当にグローバル。その規模感と世界観には圧倒されるばかり…。
個人的にはその圧倒的なイベントの一端に参加することができたことと、翌日新郎新婦と少しゆっくり話す機会があったことが何よりであった。
写真はホテルのあちこちに飾られていた、二人の思い出を語るアイテムの一つ(おそらく新婦の手書きと思われる)。
お二人とも、末永くお幸せに。
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成長著しいマレーシアの首都、クアラルンプールに行く機会を得た。
さすがに昨年訪れたインドよりは発展しているが、夥しい建設工事の土煙や人々の表情・息遣いは、成長する国の勢いと明るさを感じさせる。

滞在中はほとんど会議室に缶詰であったが、一度だけホテル近くの巨大ショッピングモールに出かけてみた。クアラルンプール市内に3-4つあるという巨大モールの一つで、サッカー場7-8面ほどの広さが、地上4階、地下3階と折り重なる。最大のテナントは日本のイオン。もちろん売っているものや陳列の仕方はマレーシア風なのだが、広々としていて品物も良さそうであり、買い物も楽しい。その他にもユニクロや無印など、日本のリテールブランドがいくつも入っていて、客足を引き付けている。一方で家電製品などはサムソンなどの韓国勢が圧倒的に人気で、ニコンが頑張ってプロモーションをしていたが、客足ではどうも分が悪そうであった。
それにしてもショッピングモールを歩いて驚かされるのは、日本語の多さ。それも、どうみても日本人がやっていると思えない店や、日本のものではないブランドに、日本語が飾られていることである。



日本語表記以外でも、例えばZakkaとかMatsuriとか、日本語由来と思われる表記やロゴが少なくない。香港などでも同様のものは見かけるが、もっとソフトで憧れを孕んだ使われ方に思える。

かつてマレーシアはマハティール首相の時代、「Look East」と称して日本をモデルにした工業化・近代化を推進しようとしたことで知られる。それから四半世紀以上が経ち、経済的水準も大いに向上した今、消費者にとって日本はもう少しソフトな部分で「イケてる」存在であり、工業製品では韓国製を使っても、そうしたソフトな上質さを日本に求めているのであろうか。そうすると、「クールジャパン」というと、何かちょっと構えてしまって、またアニメとか和食とか、結局モノに転化して考えてしまいがちだけれども、じつは我々からみれば普通のものに「日本らしさ」を上手く演出する方が、素直に受け入れられるのではないか、と思えてくる。昔一緒に働いた仲間がインドネシアで米作りをはじめたが、そうしたアプローチの方が、無理にアニメを売り込むよりも、より広く長く支持されるのかもしれない。

岐路には、世界で最も成功している航空会社と称されるまでになったLCCのエアアジアを使ってみた。クアラルンプール国際空港に隣接(といっても車で数十分かかるが)する専用ターミナルは、ただの倉庫のような建物。駐機場の飛行機までは炎天下を歩いて進む。誰も文句を言わず、むしろ楽しそうで、こちらも何となくその気になってしまう。

伸びる国の何とも言えない能天気さに少し憧れながら、機内を舞うハエには辟易しつつ、帰国した。

日本は、秋の夜であった。

ワシントンD.C.で、昨年敗れた米国大統領選共和党候補のスピーチを聴いた。
演台で話す彼は、60代後半とは思えない存在感と迫力、選挙戦の敗者とは思えない成功者のオーラを放っていた。選挙当時の政治的緊張から解放され、また聴衆も限られた人々であったためか、非常に直接的に、彼の世界観、政治的思想を語ってくれた。

曰く、米国は個人の自由と民主主義を土台にした資本主義の国である。こうした社会における成長の源泉は、競争、インセンティブ、それらによる生産性の向上にある。国や社会を成長させるには、人口を増やすか、一人当たりのアウトプット、すなわち生産性をあげるか、どちらかしかない。生産性をあげるには、より努力や工夫をして、同じ人数でより多くのアウトプットを生み出すか、同じアウトプットをより少ない人数で生み出すか、どちらかしかない。最近は、努力や工夫をせず、生産性もあげることなく、ただ待遇の改善を求める声も多いが、それでは社会の持続的な成長はありえない。生産性の向上は、インセンティブと競争が後押ししてくれる。我々の先祖が米国を建国したときの偉大な判断の一つは、この国を州に分け、それぞれが競争する環境を作り出したことだろう。そのお陰で、それぞれの州が企業や住民の誘致に知恵を絞っている。企業経営と同様、政治や行政においても、データに基づいた合理的な判断をすべきである。企業とは異なり、政府は必要なデータをすべて持っている。ただ残念ながら、それらを信頼に足る精度に整備したり、それらを意思決定に活用したりすることをしていないだけだ。こうしたやり方を少し変えるだけで、これまで想像もしなかったような成果をあげることができる-。

ユーモアを交えながら筋道立てて話すそのスピーチには、個人的には強く好感をもったし、企業経営に関わるものならば、多くが同じように賛同するだろうとも感じた。一方で、多数決を原則とする現在の民主政治では、こうした主張が受け入れられ、彼が国のリーダーとなることは難しいだろう、ということも、改めて強く感じた。

よく2:8の原理とか、パレートの法則とか言われるように、世の中の富の創出や成長の8割は、2割の人々によって実現されるものである。残りの8割の人々は、必ずしも努力が足りない人々ばかりではないだろうが、さまざまな理由で、結果的に多くの富を創出できない。企業や国が成長すれば自分たちも豊かになる、とか、明日の幸福のために今日の時間・労力を投資する、という考え方は、一見当たり前のようにみえて、人類の歴史の中では比較的新しい考え方であり、実際の成功体験がないと、心の底からは受け入れられないものである。前述の8割の人々は恐らく、努力してみても報われなかったり、あるいはそうした機会が身の回りに見当たらなかったりする人々だろう。そしてこうした人々の多くは、競争、インセンティブ、生産性向上の重要性を強調する議論を「勝ち組」の主張と受け取り、支持しないのではないだろうか。決して「間違っている」というわけではなくとも、受け入れられない。そうすると、政治的には負けである。いわゆる貧富の格差が開いてくると、この2割と8割の配分がより先鋭化し、1割と9割になったりして、ますます資本主義の原則を正面から振りかざす議論が政治的に支持されにくくなり、政治がポピュリズムに走りがちになる。一方で経済社会は、南欧諸国や日本をはじめとする多くの国々の財政赤字が象徴するように、より資本主義の原則との矛盾が拡大し、その反動がショックとなって降りかかるリスクが膨らんでいる。この矛盾をいかに解決できるのか。敗れ去った大統領候補の口からは、米国の選挙制度の問題点とその解決策についての意見は聞かれても、残念ながらこうした根本的な矛盾についての意見を聞くことはできなかった。


2013年の1月、と書くと、未だにふと、遠い未来のような印象を受ける。
紀元2600年や、北斗の拳の199x年、などと比べるわけではないが、2000代の下二桁に数字がある年号というのは、素朴にすごいことのように思える。

また、1月というのは、年が改まる新鮮さだけでなく、何かと思い出されるイベントが多い。
24年前の1月には、昭和天皇が崩御された。号外というものを初めて手にした記憶が、今も新鮮に残っている。
18年前の1月には、阪神淡路大震災があった。自分の部屋が途方もない力に突き崩されていく恐怖と、見知った町の信じられないような姿を映すテレビ映像から受ける虚脱感は、今も忘れられない。
10年前の1月には、その前の月で前職を退き、今の仕事を始めた。自分で勝手に転職したにも関わらず、年が明けて出社し始めると何かとんでもないことをしてしまったような気がして、ただ不安だったような気がする。

それから10年、世の中や自分の人生を騒がすようなイベントがあるわけではないが、毎年新しいチャレンジはある。今日も経済産業省の方からご依頼を受け、あるイベントで業界専門家との公開対談を行った。パワーポイント資料を使って一人でプレゼンすることはあっても、資料なし・相手あり、というのは初めてで、新鮮な経験をさせていただいた。3月には、MITでアジアの経済人を集めた経済会議のようなものが行われ、パネラーとして参加させていただく。私なんかで良いんだろうか、というのは毎回思うことであるが、少しずつ新たな刺激とともに成長の機会を得られるのはありがたいことである。

2013年も、前向きで面白い年になりますように。


沖縄にいる。
それと知っていたわけではないが、滞在するホテルの部屋からは、大浦湾越しに、辺野古岬が見える。辺野古といえば、米軍普天間基地の移設先として話題になっている場所である。東京にいると、物知り顔の「専門家」やニュースキャスター、NPO団体などが、辺野古の海や自然のかけがえのなさを訴えるのだけが情報源であるが、実際に青い海を挟んで向き合ってみると、確かに非常に穏やかで、豊かな自然環境であることに気づかされる。しかし同時に、その候補地は今は「なにもない」場所ではなく、米軍海兵隊のキャンプ・シュワブが既に辺野古岬の大部分(それも最も風光明媚で環境の良い場所)を占めていて、白砂のビーチにも民間人は立ち入れない、という事実も、すぐ目に飛び込んでくる。
偶然、辺野古に住む60歳くらいの女性に話を聞く機会があったが、確かに辺野古移設の話が最初に出たときは、村を二分する激論になり、女性の家庭内でも賛成派と反対派に分かれて家族の縁を切るほどの議論になったという。基本的な対立軸は、昔から親しんだ自然の維持を重視する立場と、基地による経済的メリットを重視する立場の対立である。ただ、それも随分前の話で、地元としては実際にいったん基地受け入れで落ち着いていたらしい。ところが鳩山首相以来の「すったもんだ」で、にわかに全国の注目を受けるようになり、それまで特段騒ぎ立てもしなかった前述の「専門家」やマスコミ、NPOなどがわあわあ言うようになったもんだから、地元からすると「何事か」という多少醒めた感覚なんだそうだ。よく聞く「ジュゴンの住む美しい辺野古の海」という話も、今回の「すったもんだ」のあと、地元の人たちは初めて聞いたらしい。私が話を聞いた女性も、テレビでジュゴンの話を聞いて、親戚近所に聞いて回ったそうだが、誰もジュゴンがいるということを知らない。念のためと、大浦湾を越えた北の集落で聞いてみると、そこでは見たことがあるという人や、食べたことがある(!)という人までいたらしい。つまり、ジュゴンはいるにはいるが、今回の基地の話とは直接関係ない場所にいるのだそうだ。大浦湾沿いを走る国道にも「ジュゴン」をうたった基地反対派の看板が立つが、それも県外の人が置いていったものだという。
さらに彼女がいうには、辺野古は昔からキャンプ・シュワブの米国人と積極的に交流をもち、村の集まりや行事にも米国人を招いたりしてきたため、比較的地元と米軍の関係が良好で、トラブルもないらしい。むしろ国際結婚も多く、彼女の姉妹や姪でも米国人と結婚し、またその配偶者が軍隊を退役後も辺野古に住んで、地元と米軍のパイプ役になっていたりもするという。一方、同じ沖縄、あるいは同じ名護市でも、基地の多い太平洋側は概ねそのように融和的である反面、基地のない東シナ海側では米軍に「免疫」がなく、非常な警戒感と恐怖心を懐いているらしい。
百聞は一見にしかず、また一見もその背後にある現実にはしかず、ということか。。。

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PROFILE
HN:
Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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