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在る偏屈者による半年遅れのMBA留学日記、そして帰国後に思うこと
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早朝4時に起きて、リマから444km離れたナスカまで日帰り旅行。勿論、目当ては地上絵である。バスを乗り継いで行き一泊旅行にすればむしろ安く上がるのだが、旅程を優先し、往復車をチャーターした。
夜明け前のリマを発って、街を抜けると、すぐ砂漠になる。行く道は、パン・アメリカン・ハイウェイ。南米大陸の太平洋側を縦断する、物流の大動脈である。沿道はほとんどの部分が見渡す限りの砂漠。
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時折、貧相な町が現れる。平屋ばかりの家々は、完成すると課される税金(固定資産税?)を避けるために、あえて作りかけのような状態で放置されている。そのため町並みは雑然として、みすぼらしい。
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最初の1時間ほどは、眠気を覚まそうとするかのように会話を続けていたが、片道5時間半も車に揺られていると、さすがに会話も尽きる。景色も単調で、どうしても眠気が襲ってくる。そしてウトウトとしていると、砂漠の真ん中で車が止まった。見上げると、鉄骨で出来た簡単な展望塔がある。地上絵を見おろすためのものだ。
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30円ほどの入場料を払って登ると、塔の両側に手と木の絵が描かれていた。絵の大きさはそれぞれ20m四方ほどだろうか、大きすぎて地上からでは絵の様子がすぐにはわからない。
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またそこから少し離れた丘の麓で、車の運転手に言われて屈んでみると、そこから何十キロと離れた遠くの山陰まで、まっすぐに線が延びていた。
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話には聞いていたが、さすがにスケールが大きい。誰が何のために書いたのか、勿論誰もわからないのだが、誰もわからないことなんか、世の中にいくらでもある。しかしいざ現場に立ってみると、何とも言えない焦燥感というか気味悪さというか、不思議な気持ちになる。
そこからさらに車を走らせ、砂漠のオアシス都市であるナスカの市街地を抜けて、空港に向かう。地上絵見物のセスナを飛ばすだけの、観光用空港である。
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当然、小屋のような「空港ビル」にいるのは観光客ばかり。いくつかの会社がセスナを運行しているようだったが、価格はだいたい$55ほど。
1時間ほど待って、我々は6人乗りのセスナに乗った。
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乗り込むや否や、シートベルトを装着し終えるより早く、すぐに出発。エアコンも何もないプロペラ機である。本当にこんなものが飛ぶのか、とすら思っているうちに、フワっと機体は宙に浮き上がった。意外と安定している。色々な口コミや文字情報で、ナスカの遊覧飛行は酔うと脅されていたが、大したことないな...
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…と思っていると、一つ目の地上絵が近づいてきた、とパイロットの声。その直後、右側の乗客が眼下の地上絵を視界に収めやすいように、機体は右に旋回。そして今度は左側の乗客に見安いように左に急旋回。この左右旋回が非常にキツい。早速一人の乗客がKO。水平飛行に戻ると楽になるが、暫くするとまた左右急旋回。これを何度か繰り返していると、確かに気持ち悪くなる。すぐにもう一人の乗客もKO。肝心の地上絵は確かに一見の価値があるのだが、おお、と感動した瞬間に吐き気がきて、感動が霧消してしまう。後で写真をみて「復習」するしかなさそうである。30分ほどの遊覧飛行の後、空港に帰還。写真は着陸の瞬間。こういう角度で飛行機の外をみることもなかなかない。
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夜はリマに滞在しているスローンの友人を交えて3人で食事。彼が予約してくれたのは、市街地から多少離れた、海辺の洒落たレストラン。ガイドブックなどには載っておらず、土地勘がないと行けない店だが、東京でもやっていけそうな装いと味。波打ち際のテラス、木目と白・黒・赤でコーディネイトした空間と、男3人で食事をするのが恥ずかしいような演出である。周囲の客は白人ばかり。東洋系はSteveと私だけで、そういう意味でも浮いていた。昼間見たスラムのような町並みと同じ国とはとても思えないその食事の時間は、カネがあれば良い暮らしができる南米途上国の一面を垣間見させてくれた。


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MBA最後の長期休暇となる1月の休暇を利用して、台湾人の友人Steveと、南米ペルー・チリを旅することにした。南米は学生時代から一度は旅してみたいと思っていた地域であるが、言葉の壁、地理的な遠さから、なかなか実現できなかった。米国在住中は大きなチャンス、と思っていたが、それを実現させてくれた家族、特に妻(娘二人とボストンに残って私を旅行に行かせてくれた)には本当に感謝している。そうして与えられた折角の機会、記憶を風化させないように、旅行の記録を記しておきたい。

まずはアトランタ経由でペルーの首都リマに入った。深夜0時過ぎに宿に到着し、翌朝8時半に起床して朝食をとる。疲れているはずだったが、緊張して気が高ぶっているのか、目が覚めてしまった。宿は日系3世の当山ペペさんの営むペンション。食堂のテレビにはNHKが映っている。妙な感じである。
食事後、両替などの「立ち上げ作業」を済ませる。銀行の隣に両替屋があり、その前には路上両替屋が歩いている。それぞれそれなりに繁盛している。どれを選ぶかは各自の判断次第、ということのようだ。
ペルーの貨幣「ソル」を手に入れ、タクシーで旧市街へと向かう。タクシーはすべて無認可(というか認可制度そのものがないらしい)で、クルマは中古の日本車が多く、狭く混雑した道をめちゃくちゃアグレッシブに走る。交通量が多い一方で信号が極端に少ないので、強引に自己主張しながら走らないと、いつまで経っても目的地に着かないらしい。
20分ほどで旧市街の一端であるSan Martin広場に到着。アルゼンチン出身のペルー独立の英雄San Martinの騎馬像が広場の中央にそびえる。
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アンデスを越え、チリを経て、スペインの南米支配の根拠地であるリマにやってきた彼の目に、この街はどのように映ったのだろうか。今、日本から太平洋を越え米国を経てやってきた僕は、ひなびた途上国の旧市街、という印象しか感じられない。日曜日の朝だからかもしれないが、意外なほど人通りも少ない。メインストリートであるウニオン通りに入っても、まだ半分ほどの店しかシャッターが上がっていない。店の外観はどれも崩れかかったようで、お世辞にも綺麗とはいえない。かつて訪れたウズベキスタンの首都タシケントより更に悪い。
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ただ、主な広場の周りの情景は、植民地時代の面影を色濃く残し、旅情をかきたてる。San Martin広場からウニオン通りを抜けた北側にあるArmas広場はその典型。広場を囲んで並ぶスペイン統治時代の建物が、少しひなびた色合いで佇む様子は、実に絵になる。
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しかし広場の裏側を流れる川を越えると、そこは別世界。スラムに限りなく近い街並みが、遠くの丘まで続く。美しい広場とその貧民街のコントラストが、リマの街の混沌を象徴しているようだ。
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いくつかの教会を見物した後、歴史のありそうなレストランで昼食。この旅最初のペルー料理として注文したのはセビチェ。生の魚介類をレモン汁や香辛料などで和えた、ペルー沿岸部の代表的な料理である。この日のセビチェはヒラメのような白身魚を使っていた。酸味と辛味が食欲をそそり、魚の歯ごたえと旨みが口に残る。シンプルだがなかなかいける料理である。
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午後は新市街の外れにある古代のピラミッドへ。インカ帝国よりもずっと古い古代リマ文化時代(紀元6-8世紀)のものだそうで、日干しレンガを接着剤を使わずに積み上げるのが同文化に代表的な建築手法らしい。遺跡は復元中で、今も手作業で失われた部分のレンガが積み上げられていた。
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そこから土産物屋を冷やかしつつ、新市街を歩く。Steveは土産物が大好きで、「オミヤゲ」という日本語も知っているほど。商品を吟味するための時間も使うし、予算も一桁違う。ここでは8,000円ほどで、大きなヘチマの実に彫刻を施した置物を購入していた。
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中流・上流階級と思われる家々やホテルが並ぶ新市街を南に歩いていると、やがて海に出る。太平洋である。断崖の下にビーチがある。夕陽に映えているためか、海岸線の風景は思いのほか美しい。パラグライダーが飛び交い、カップルが戯れている。海岸沿いのマンションは、見るからに高級そうで、街のほかの部分から隔絶している。基本的に海に近づくほど所得水準が上がるらしい。
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途上国の首都の様々な表情に触れ、これからの旅で見るものの多様さを想像させられた一日であった。




2009年になった。
卒業の年である。
あっという間だ。
怖いくらいである。

ボストンの元旦は、景気を反映してか、氷点下20度近いの極寒の中で迎えた。
CNNでニューヨーク・タイムズスクエアのカウントダウンイベントの様子が中継されていたが、年がかわって30分後には、ほとんど人がいなくなっていた。寒さに対して皆がまんにガマンを重ねていたが、とうとう堪えきれなくなってしまったのだろう。
ボストンは大晦日に大雪が降って、あまりに気温が低いのでそれらがサラサラのまま積もっている。元旦は快晴となったが風が強く、雪が空高く舞い上がって、キラキラしている。部屋から見ている分には綺麗なのだが、とてもそとに出られるものではない。娘と庭に出てみたが、30分ともたずに帰ってきてしまった。
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あっという間だったが、2008年は非常に多くの経験が出来た、充実した年だったように思う。
今年はどうなることやら・・・。
夏に社会復帰すると、今のように自分を振り返ったり、家族とゆっくり過ごしたりする時間は確実に減るだろうが、「あの頃は良かったネエ」と米国時代ばかり振り返るのも寒いので、今年は今年で公私ともに充実した年にしたいと思う。

皆様、今年も一年よろしくお願いいたします。



12月10日に期末試験が終わって、既に2週間余りが経った。
それなりにイベントもあったが、性分なのか、家にじっとしていると何かしたくなって、かえってのんびりできない。
そこでクリスマスイブに急遽思い立って、長女の誕生日である12月26日から、2泊3日の小旅行をすることにした。クルマで行ける範囲で、手頃な価格でのんびり過ごせそうな場所は・・・と調べた結果、New Hampshire北部のWhite Mountain地方に行くことにした。ボストンからハイウェイを北上すること3時間ほど。もうこの程度の距離なら、近いものだと感じるようになってしまった。
宿泊したのは、Whitefieldという町のはずれにあるThe Mountain View Grandというホテル。
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以前にBerkshire地方に旅行したときと同じく、National Trust for Historic Reservation認定の歴史的ホテルで、創業は1865年というから、明治維新よりも古い。丘の上に立つホテルからは、White Mountain地方の山々が360℃見渡すことができる。普段なら一泊400ドル/部屋ほどするところを、中途半端な時期だからか一泊200ドルほどで宿泊でき、お得だった。

もっとも、ゲレンデをそなえているわけでもないので、それほどやることが沢山あるわけでもない。スキーはクロスカントリーしか備わっておらず、ゲレンデスキーをやるには30km余り離れた山まで行かなければならない。
そんなわけで、初日はタイヤ型のソリを借りて1時間ほど遊ぶ。
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子供(特に長女)は大喜びだったが、毎回雪に足をとられながらソリを運び上げなければならない親にとっては、結構な労働である。
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二日目は朝からスノー・モービルを借りて遊ぶ。
「君子は危うきに近寄らず」型の我が娘、こういうものに興味を示すと思わなかったが、なにげなく「乗ってみる?」と聞くと「乗る」と言ったので、ガイド・ツアーをお願いした。
ヘルメットを被って、出発の準備。頭は大きい方だが、幼児向けのヘルメットがなく、さすがに大きい。
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スノー・モービルには、私の足の間に娘が座るかたちで、二人乗りをする。White Mountain地方は、東海岸で最大のスノー・モービル許可地域らしく、走行可能な林道が整備されている。普段みられない独特の目線で、1時間ほど雪景色の中を散策する。
娘は終始おとなしく、恐怖で固まっているのかと心配もしたが、戻ってみると母親に対して誇らしげに様子を語っていたので、まあ良い思い出になったのだろう。少なくとも、挑戦したのは良いことです。
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その後は天候が崩れがちだったこともあり、室内プールに入ったり、部屋でごろごろしたり、ずっとホテルの中で過ごす。ホテルは暖炉が置かれたロビーや図書室など、落ち着いた過ごしやすい設備になっていて、部屋も比較的広く、2泊3日くらいならずっと中にいても心地よく過ごせる。これで一泊一室2万円なら決して高くはないと感じた。

長女の誕生日である26日の夜は、ホテル内のフォーマルなレストランでディナー。
事前に相談していた誕生日ケーキが用意されていなかったのは残念だったが、彼女の大好きなチョコレートのデザートにロウソクを立ててもらって、ささやかなセレモニー。彼女の中では先日のお誕生日会でもう3歳になっていたようで、「今更何いってるの」というような表情にも見えたが、お祝いしてもらう分には悪い気はしなかったようだ。New Hampshireという単語も、すっかり覚えたらしい。

米国らしい、なかなか素敵な小旅行であった。




米国に来て二度目のクリスマス。
イブ当日とも、去年とほとんど同じように過した。
イブには家族4人で自家製ロースト・ビーフを囲み、当日は静まり返った市内を散歩、というパターンである。
たった2年の米国生活であるが、こうした「定番」ができると季節感があって良い。
昨年との目立った違いといえば、娘二人の成長を除いては、クリスマスツリーを設えたことくらいか。
夏に帰国した友人の日本人家族に譲ってもらったツリーに電飾を飾り、旅行先等で少しずつ買い集めたオーナメントを飾る。長女はだいたい旅行に行ったことを覚えているので、飾りつけながら記憶が思い出されて、楽しい。
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イブのロースト・ビーフにも、多少の違いはある。去年は素材に拘ってオーガニック食品専門のスーパーで高級牛肉を買ってきたが、今年は大衆スーパーで買った特売品。それを紐で縛り、フライパンで焼き色をつけ、オーブンで焼くという大役を、今年は私が務めさせていただく。そしてオーブンから取り出したら、醤油ベースのタレに丸ごと付け込んでおく。結局、グレイビーソースとかよりも、生姜の香りがきいた醤油ベースのタレが口に合う。
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25日は昨年同様快晴。気温が高い分、昨年より散歩日和だった。
Charles川沿いの通りに出ると、澄んだ空気の向こうにボストンのビル群が光っている。
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Charles川はまだ凍っているが、雪は路肩を除いてほぼ完全に融けており、さほど散歩の邪魔にはならない。
多少風が強いものの、川沿いを歩くのは実に気持ちが良い。
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そのまま歩いて、MITのドーム前に至る。
さすがに1年半もいると、長女もここが父親の学校だと認識しており、「お父さんの学校よ」と得意そうに教えてくれた。
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昨年は川を渡ってボストン市内を歩いたので、今年は橋を渡らずに、ケンブリッジ市内を歩く。
やはり商店はほとんど閉まっていて、通りは閑散としている。マクドナルドやダンキンドーナツまで閉店。クリスマスにそれほどハンバーガーが食いたいのか、気持ちはわからないが、黒人のカップルが一組マクドナルドの前で文句を言っていた。
そんな中でも、営業している店もある。韓国系のスーパー、インド料理店、などのアジア系の店で、他にオプションがないこともあってか、それなりに繁盛していた。宗教の違いがあるとはいえ、アジア人は勤勉である。

それにしても長女はよく歩くようになった。
去年は2ブロック程度歩いただけで、大したものだと思っていたが、今年は放っておくとずっと歩いている。やはりpreschoolの力か。
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次女も、ベビーカー嫌いの姉と異なり、比較的おとなしくベビーカーに乗っていてくれる。
二人並んでいるところをみると、1年という年の流れを痛感する。
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来年も、仲良し姉妹でいてください。





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HN:
Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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