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「 Travel 」
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前日に続いて午前四時起床。米国東部時間とリマは時差がないが、生活時間帯が変わってしまったために時差ボケしたような状態が続いている。未明のリマの街を空港へと向かい、5時40分発の飛行機で、山間部に栄えたかつてのインカ帝国の首都クスコへと向かう。この日からは、前夜夕食を供にしたドイツ人スローン生のRobinも合流し、3人旅となる。ちなみに出発の時間が極端に早いのは、格安航空会社の便を選んだから。ペルー最大の航空会社は、南米最大の航空会社でもあるLAN航空であるが、同社はかつて国営航空会社であったこともあり割高で、特に外国人には極端に高い値段を課してくる。我々が選んだTACA航空は、こうした寡占体制に一石を投じる、南米版Southwest航空。中南米の主要都市間にルートをめぐらせており、私の出身元であるコンサルティング会社のOBも何人か働いているらしい。機内は広く、洗練されていて、サービスも良い。これで格安なのだから、当然のように早朝にも関わらず機内は満席。
離陸後、1時間ほどで、眼下にアンデスの山並が見えてくる。一部雪の残る頂の傍には、ところどころに村落が見える。山の民インカの雰囲気が漂ってくる。
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そして赤茶色の瓦葺の家の数が次第に増え、やがてそれが高原を埋めるように広がってくると、そこがクスコの街である。標高3,400m、海から遠く離れ、地図の上ではとても便利な場所とは思えないこの高原に、なぜインカは首都をおいたのか…、と不思議に感じていたが、飛行機の窓外に広がる恵まれた自然環境を見ると、なるほど、と頷かされた。砂漠ばかりのペルー沿岸部とは異なり、山々は緑が溢れ、川には豊かに水が流れて、山々に囲まれた高原は十分に広い。家々はリマ近郊のような税金逃れの作りかけではなくちゃんと完成しており、作りや色合いに統一感があって街並みも美しい。ちょうど日本で京都の古い街並みを訪れたような、歴史と文化の香りが漂ってきて、観光客心をくすぐられる。
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早速ホテルへのチェックインを済ませて、街歩きを始める。Robinはドイツ人ながらスペイン語が達者なので、宿の手続きや翌日のMachu Picchuへの列車の手配など全て対応してくれて、非常に心強い。お蔭で向こう3日間の観光の準備が手早く済み、ゆっくり街を回ることができた。
散々脅かされた高山病は、MITで処方された薬を前日から予め飲んでいたために苦になるような症状はなかったが、空気が薄いという事実は変わらないわけで、上り坂ではやはりすぐに息が切れる。特にホテルの前が100mほど続く急な坂道で、これが心臓から悲鳴が聞こえてきそうなほどキツイ。地元の子供や、野良犬でさえ、ひょいひょいと登っていくが、こちらはそうはいかない。肩で息をしながら、必死の形相で登らざるを得ない。
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ただ、幸いにも、クスコの街並みは息切れをしても歩くだけの価値のある美しさ。特にインカ時代の石組みで構成された街路、基礎構造物は、想像以上の見事さだった。寸分のスキもなくびっしりと組まれた石は、インカ滅亡から500年近く経った今も、しっかりと人々の往来を支えている。その上に築かれたスペイン風建築との調和の美しさが、逆にインカ滅亡の悲しさを思わせるが、今はもう人々の間にそんな遺恨はないらしい。
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それどころか、彼らの先祖が高地での生活に順応していったように、その時代時代の環境に柔軟に適応するDNAが彼らインディオの血に組み込まれているのかもしれない。今は、夏場の観光客から稼げと、ばかりに、夏休み中と思われる子供たちが朝から晩まで通りで商売をしていた。
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昼食には、クスコ名物のクイ(テンジクネズミ)に挑戦。多少予想していたことではあるが、出てきた料理は、それがネズミであることを迷惑なほど強烈に主張していた。隣のテーブルに座った地元客らしい中年女性の二人組が、こちらをみてはクスクスと笑っていた。「名物」とはいっても、今はみな好んで食べないのかもしれない。
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旅に出ると、食生活の偏りから、ビタミン不足に陥りやすい。そんな人にはフルーツが一番、ということで、Robinが路上で売られている不思議な果物を勧めてくれた。サボテンの一種の実らしい。地元の人はまとめて買い求めていくが、観光客にはその場で皮を剥いて食べさせてくれる。食べてみると、熟れた柿のような食感ながら甘酸っぱく、なるほどビタミンが採れそうな気がした。
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夜もまた、Robinの勧めに従い、メインストリートの屋台で、アンティクチョスという牛の心臓の串焼きを買って夕食とする。ゆでたジャガイモが一つと肉が5切れほど刺さって、一串約50円。なかなかの味なのだが、これがもとで夜中にトイレに駆け込むことに…。加熱しているとはいえ、やはり屋台は注意すべきなのでした。

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早朝4時に起きて、リマから444km離れたナスカまで日帰り旅行。勿論、目当ては地上絵である。バスを乗り継いで行き一泊旅行にすればむしろ安く上がるのだが、旅程を優先し、往復車をチャーターした。
夜明け前のリマを発って、街を抜けると、すぐ砂漠になる。行く道は、パン・アメリカン・ハイウェイ。南米大陸の太平洋側を縦断する、物流の大動脈である。沿道はほとんどの部分が見渡す限りの砂漠。
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時折、貧相な町が現れる。平屋ばかりの家々は、完成すると課される税金(固定資産税?)を避けるために、あえて作りかけのような状態で放置されている。そのため町並みは雑然として、みすぼらしい。
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最初の1時間ほどは、眠気を覚まそうとするかのように会話を続けていたが、片道5時間半も車に揺られていると、さすがに会話も尽きる。景色も単調で、どうしても眠気が襲ってくる。そしてウトウトとしていると、砂漠の真ん中で車が止まった。見上げると、鉄骨で出来た簡単な展望塔がある。地上絵を見おろすためのものだ。
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30円ほどの入場料を払って登ると、塔の両側に手と木の絵が描かれていた。絵の大きさはそれぞれ20m四方ほどだろうか、大きすぎて地上からでは絵の様子がすぐにはわからない。
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またそこから少し離れた丘の麓で、車の運転手に言われて屈んでみると、そこから何十キロと離れた遠くの山陰まで、まっすぐに線が延びていた。
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話には聞いていたが、さすがにスケールが大きい。誰が何のために書いたのか、勿論誰もわからないのだが、誰もわからないことなんか、世の中にいくらでもある。しかしいざ現場に立ってみると、何とも言えない焦燥感というか気味悪さというか、不思議な気持ちになる。
そこからさらに車を走らせ、砂漠のオアシス都市であるナスカの市街地を抜けて、空港に向かう。地上絵見物のセスナを飛ばすだけの、観光用空港である。
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当然、小屋のような「空港ビル」にいるのは観光客ばかり。いくつかの会社がセスナを運行しているようだったが、価格はだいたい$55ほど。
1時間ほど待って、我々は6人乗りのセスナに乗った。
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乗り込むや否や、シートベルトを装着し終えるより早く、すぐに出発。エアコンも何もないプロペラ機である。本当にこんなものが飛ぶのか、とすら思っているうちに、フワっと機体は宙に浮き上がった。意外と安定している。色々な口コミや文字情報で、ナスカの遊覧飛行は酔うと脅されていたが、大したことないな...
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…と思っていると、一つ目の地上絵が近づいてきた、とパイロットの声。その直後、右側の乗客が眼下の地上絵を視界に収めやすいように、機体は右に旋回。そして今度は左側の乗客に見安いように左に急旋回。この左右旋回が非常にキツい。早速一人の乗客がKO。水平飛行に戻ると楽になるが、暫くするとまた左右急旋回。これを何度か繰り返していると、確かに気持ち悪くなる。すぐにもう一人の乗客もKO。肝心の地上絵は確かに一見の価値があるのだが、おお、と感動した瞬間に吐き気がきて、感動が霧消してしまう。後で写真をみて「復習」するしかなさそうである。30分ほどの遊覧飛行の後、空港に帰還。写真は着陸の瞬間。こういう角度で飛行機の外をみることもなかなかない。
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夜はリマに滞在しているスローンの友人を交えて3人で食事。彼が予約してくれたのは、市街地から多少離れた、海辺の洒落たレストラン。ガイドブックなどには載っておらず、土地勘がないと行けない店だが、東京でもやっていけそうな装いと味。波打ち際のテラス、木目と白・黒・赤でコーディネイトした空間と、男3人で食事をするのが恥ずかしいような演出である。周囲の客は白人ばかり。東洋系はSteveと私だけで、そういう意味でも浮いていた。昼間見たスラムのような町並みと同じ国とはとても思えないその食事の時間は、カネがあれば良い暮らしができる南米途上国の一面を垣間見させてくれた。




MBA最後の長期休暇となる1月の休暇を利用して、台湾人の友人Steveと、南米ペルー・チリを旅することにした。南米は学生時代から一度は旅してみたいと思っていた地域であるが、言葉の壁、地理的な遠さから、なかなか実現できなかった。米国在住中は大きなチャンス、と思っていたが、それを実現させてくれた家族、特に妻(娘二人とボストンに残って私を旅行に行かせてくれた)には本当に感謝している。そうして与えられた折角の機会、記憶を風化させないように、旅行の記録を記しておきたい。

まずはアトランタ経由でペルーの首都リマに入った。深夜0時過ぎに宿に到着し、翌朝8時半に起床して朝食をとる。疲れているはずだったが、緊張して気が高ぶっているのか、目が覚めてしまった。宿は日系3世の当山ペペさんの営むペンション。食堂のテレビにはNHKが映っている。妙な感じである。
食事後、両替などの「立ち上げ作業」を済ませる。銀行の隣に両替屋があり、その前には路上両替屋が歩いている。それぞれそれなりに繁盛している。どれを選ぶかは各自の判断次第、ということのようだ。
ペルーの貨幣「ソル」を手に入れ、タクシーで旧市街へと向かう。タクシーはすべて無認可(というか認可制度そのものがないらしい)で、クルマは中古の日本車が多く、狭く混雑した道をめちゃくちゃアグレッシブに走る。交通量が多い一方で信号が極端に少ないので、強引に自己主張しながら走らないと、いつまで経っても目的地に着かないらしい。
20分ほどで旧市街の一端であるSan Martin広場に到着。アルゼンチン出身のペルー独立の英雄San Martinの騎馬像が広場の中央にそびえる。
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アンデスを越え、チリを経て、スペインの南米支配の根拠地であるリマにやってきた彼の目に、この街はどのように映ったのだろうか。今、日本から太平洋を越え米国を経てやってきた僕は、ひなびた途上国の旧市街、という印象しか感じられない。日曜日の朝だからかもしれないが、意外なほど人通りも少ない。メインストリートであるウニオン通りに入っても、まだ半分ほどの店しかシャッターが上がっていない。店の外観はどれも崩れかかったようで、お世辞にも綺麗とはいえない。かつて訪れたウズベキスタンの首都タシケントより更に悪い。
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ただ、主な広場の周りの情景は、植民地時代の面影を色濃く残し、旅情をかきたてる。San Martin広場からウニオン通りを抜けた北側にあるArmas広場はその典型。広場を囲んで並ぶスペイン統治時代の建物が、少しひなびた色合いで佇む様子は、実に絵になる。
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しかし広場の裏側を流れる川を越えると、そこは別世界。スラムに限りなく近い街並みが、遠くの丘まで続く。美しい広場とその貧民街のコントラストが、リマの街の混沌を象徴しているようだ。
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いくつかの教会を見物した後、歴史のありそうなレストランで昼食。この旅最初のペルー料理として注文したのはセビチェ。生の魚介類をレモン汁や香辛料などで和えた、ペルー沿岸部の代表的な料理である。この日のセビチェはヒラメのような白身魚を使っていた。酸味と辛味が食欲をそそり、魚の歯ごたえと旨みが口に残る。シンプルだがなかなかいける料理である。
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午後は新市街の外れにある古代のピラミッドへ。インカ帝国よりもずっと古い古代リマ文化時代(紀元6-8世紀)のものだそうで、日干しレンガを接着剤を使わずに積み上げるのが同文化に代表的な建築手法らしい。遺跡は復元中で、今も手作業で失われた部分のレンガが積み上げられていた。
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そこから土産物屋を冷やかしつつ、新市街を歩く。Steveは土産物が大好きで、「オミヤゲ」という日本語も知っているほど。商品を吟味するための時間も使うし、予算も一桁違う。ここでは8,000円ほどで、大きなヘチマの実に彫刻を施した置物を購入していた。
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中流・上流階級と思われる家々やホテルが並ぶ新市街を南に歩いていると、やがて海に出る。太平洋である。断崖の下にビーチがある。夕陽に映えているためか、海岸線の風景は思いのほか美しい。パラグライダーが飛び交い、カップルが戯れている。海岸沿いのマンションは、見るからに高級そうで、街のほかの部分から隔絶している。基本的に海に近づくほど所得水準が上がるらしい。
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途上国の首都の様々な表情に触れ、これからの旅で見るものの多様さを想像させられた一日であった。




12月10日に期末試験が終わって、既に2週間余りが経った。
それなりにイベントもあったが、性分なのか、家にじっとしていると何かしたくなって、かえってのんびりできない。
そこでクリスマスイブに急遽思い立って、長女の誕生日である12月26日から、2泊3日の小旅行をすることにした。クルマで行ける範囲で、手頃な価格でのんびり過ごせそうな場所は・・・と調べた結果、New Hampshire北部のWhite Mountain地方に行くことにした。ボストンからハイウェイを北上すること3時間ほど。もうこの程度の距離なら、近いものだと感じるようになってしまった。
宿泊したのは、Whitefieldという町のはずれにあるThe Mountain View Grandというホテル。
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以前にBerkshire地方に旅行したときと同じく、National Trust for Historic Reservation認定の歴史的ホテルで、創業は1865年というから、明治維新よりも古い。丘の上に立つホテルからは、White Mountain地方の山々が360℃見渡すことができる。普段なら一泊400ドル/部屋ほどするところを、中途半端な時期だからか一泊200ドルほどで宿泊でき、お得だった。

もっとも、ゲレンデをそなえているわけでもないので、それほどやることが沢山あるわけでもない。スキーはクロスカントリーしか備わっておらず、ゲレンデスキーをやるには30km余り離れた山まで行かなければならない。
そんなわけで、初日はタイヤ型のソリを借りて1時間ほど遊ぶ。
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子供(特に長女)は大喜びだったが、毎回雪に足をとられながらソリを運び上げなければならない親にとっては、結構な労働である。
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二日目は朝からスノー・モービルを借りて遊ぶ。
「君子は危うきに近寄らず」型の我が娘、こういうものに興味を示すと思わなかったが、なにげなく「乗ってみる?」と聞くと「乗る」と言ったので、ガイド・ツアーをお願いした。
ヘルメットを被って、出発の準備。頭は大きい方だが、幼児向けのヘルメットがなく、さすがに大きい。
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スノー・モービルには、私の足の間に娘が座るかたちで、二人乗りをする。White Mountain地方は、東海岸で最大のスノー・モービル許可地域らしく、走行可能な林道が整備されている。普段みられない独特の目線で、1時間ほど雪景色の中を散策する。
娘は終始おとなしく、恐怖で固まっているのかと心配もしたが、戻ってみると母親に対して誇らしげに様子を語っていたので、まあ良い思い出になったのだろう。少なくとも、挑戦したのは良いことです。
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その後は天候が崩れがちだったこともあり、室内プールに入ったり、部屋でごろごろしたり、ずっとホテルの中で過ごす。ホテルは暖炉が置かれたロビーや図書室など、落ち着いた過ごしやすい設備になっていて、部屋も比較的広く、2泊3日くらいならずっと中にいても心地よく過ごせる。これで一泊一室2万円なら決して高くはないと感じた。

長女の誕生日である26日の夜は、ホテル内のフォーマルなレストランでディナー。
事前に相談していた誕生日ケーキが用意されていなかったのは残念だったが、彼女の大好きなチョコレートのデザートにロウソクを立ててもらって、ささやかなセレモニー。彼女の中では先日のお誕生日会でもう3歳になっていたようで、「今更何いってるの」というような表情にも見えたが、お祝いしてもらう分には悪い気はしなかったようだ。New Hampshireという単語も、すっかり覚えたらしい。

米国らしい、なかなか素敵な小旅行であった。




秋学期の毎月一回月曜日お休みシリーズ第二弾として、11月10日は休日。
そこで日曜日から一泊で、マサチューセッツ州の西部にあるBerkshire地方を車で回ってきた。
地図でみると横長の長方形のような形をしているマサチューセッツ州は、ボストンを中心とする東部の海岸地域と、ニューヨーク州やバーモント州との州境に近い西部内陸地域とでは、自然の景観や人々の暮らし方が大きく異なる。中でもBerkshire地方は、山や森、湖などに覆われた自然豊かなリゾート地で、多くの芸術家をひきつけてきた場所でもある。既に紅葉の時期は過ぎてしまったが、一面が雪に覆われる前に、落葉した木々の間を美術館などに立ち寄りながらドライブするのも面白いかな、と期待して旅立った。

夏場はタングルウッド音楽祭が開かれることで有名なこの地方であるが、音楽だけでなく絵画についても見るべきところが多い。まあそれほどヘビーな絵画鑑賞家でもないし、家族連れということもあって、我々が訪れたのは2箇所だけ。
一つはThe Eric Carle Museum of Picture Book Art。Eric Carleは、我が家の娘も大好きな「はらペコあおむし」などの作品で知られる絵本作家・イラストレーターである。何もないところにポツンとある美術館だが、Eric Carleの作品を展示してあるだけでなく、併設された図書室で彼の著作をはじめとする絵本を読んだり、アトリエで製作活動に取り組んだりすることができ、子連れならついつい長居してしまうコンテンツになっている。シンプルなつくりの建物からは周りの自然が一望でき、大人でも居心地良く過ごすことができる。
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訪れたときには日曜日というのに入場者は家族連れ10組もおらず、とても入場料や物販収入(ショップでは版画や絵本を豊富に取り揃えている)だけで成り立つと思えないが、入り口近くの壁には寄付者のリストが・・・。企業ではなく個人の寄付や支援でこういう施設が成り立つというのは、米国の素晴らしい点の一つであろう(まあそれだけ所得格差が大きく、金持ちはトンデモなく金持ちだ、ということなのだが、それでも日本人だとなかなかここまで寄付できないように思う)。

もう一つは、恐らくこの地方で最も有名な、Norman Rockwell美術館。彼が晩年を過ごしたBerkshire地方のStockbridgeの街なみを描いた作品や、歴代大統領のイラスト、雑誌の表紙にあてた作品などが、彼のアトリエの隣に建てられた瀟洒な建物に保存、展示されている。
展示された絵やポスターももちろん素晴らしいのだが、それ以上にこの美術館とアトリエの置かれた場所の素晴らしさが印象に残った。見晴らしの良い丘の上の土地が選ばれており、窓を大きくとった山小屋風のアトリエからは、Berkshireの清清しい自然が堪能できるようになっている。創作活動というのはこういう場所でやりたいものだ、と勝手に納得してしまう。
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ちなみにこの美術館には、近畿日本ツーリストかどこかの催行による日本人ツアー客も訪れていた。渋いツアーもあるものである。

宿泊したのは、Rockwellも住んだStockbridgeのホテルRed Lion Inn。18世紀の駅馬車時代の宿に始まる老舗で、タングルウッドに小澤征爾を訪ねられた際に今の天皇・皇后両陛下がご宿泊(もしくはご休憩)されたこともあるらしい(写真が飾ってあった)。建物は古いがしっかりメンテナンスされており、サービスも行き届いていて、素晴らしいホテルであった。この地方を訪れることがあれば、是非オススメしたい。

二日目は、ニューヨーク州との州境に沿って南北に長いBerkshire地方を南から北へ縦断し、自然と風景を楽しむ。何か特別なものがあるわけではないのだが、本当に絵になる風景が惜しげもなく車窓を流れてゆく。心が洗われる思いがした。

ボストンの近場でも、まだまだ見るべき場所は多いということを再認識させられた旅であった。




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Shintaro
性別:
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職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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