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20日(火)をもって「期末試験」も無事(かどうかはわらないが)終了し、2年のMBA課程の1年目を修了した。これから9月までの3ヶ月余りが、米国の大学および大学院の夏休みとなる。私の場合、このうち10週間は当地ボストンに本拠を置くプライベート・エクイティ(PE)でインターンとしてお世話になることにしたが、それでもまだあと4週間ほども休みがある。インターンで約1年ぶりに給料にもありつけることだし、これは旅行に行かない手はない。
ということで、試験終了翌日の21日から、家族4人で2週間のイタリア旅行に出かけることにした。私自身は大学時代に貧乏旅行をしたことのあるイタリアであるが、田舎の素晴らしさを味わいたかったこと(大学時代の旅行は鉄道を使った都市旅行)、かつてのカネのない頃は満足に食べられなかった本場のイタリア料理を味わいたかったこと、欧州の中ではこの時期比較的暖かいこと、妻は訪れたことがなかったことなどから、比較的すんなりと今回の旅行先に決まった。ボストンからの直行便を利用してローマに入り、北上してイタリアン・リビエラの海岸線を楽しみ、南下してトスカーナ、ウンブリアの世界遺産や田園風景を味わい、更に南下してナポリの南の景勝地アマルフィ海岸を観光して、ローマに戻る、という行程である。 仕事やビジネススクールを通じて出来たイタリア人の友人数人にアドバイスをもらって立てた旅程なので、日本のガイドブックにはあまり取り上げられていないようなところもカバーしているが、きっと素晴らしい旅行になるだろう。

現地時間の22日朝7時半、アリタリア航空機は予定より30分ほど早くローマに着陸した。いくら早く着いても14時までホテルにはチェックインできないので、この日はむしろ遅れも歓迎だったのだが、こういうときに限って早くついたりするものである。空港で荷物を受け取り、ドル対ユーロの交換レートに驚かされた後、ミニバスを雇って1時間ほど離れたローマの市街地へと移動する。
途中、古代遺跡のフォロ・ロマーノやコロッセオの脇を抜けつつ、ミニバスはホテル前に到着した。大通りに面したホテルは、建物は古いものの、内装はモダンに作りつけてある。スーツケースなどの荷物を預かってもらい、チェックイン可能となる14時まで3-4時間ほど、昼食と街歩きをすることにした。
妻は長女、私は次女を、それぞれベビーカーに乗せて押しながら、石畳の上をガタガタと歩き、トレビの泉、スペイン広場とまわる。ちょうど10年前にも来た場所であるが、ローマはほとんど変わっていないように見える。かつて辟易したあの街の埃っぽさも、喧騒も、そのままである。携帯電話が普及した分、むしろ喧騒は増したようにさえ感じる。一方で変わっているのは我々である。トレビの泉は、泉に背を向けつつコインを投げ込むとまた訪れることができるといわれるが、確か10年前の私はコインを投げなかったと思う。それでも、こうして再びそこに、しかも家族連れで立っているというのは、なかなか面白いというか、自分でも不思議であった。
ローマに着いたときから怪しかった空模様がいよいよ濃いグレーとなり、大粒の雨を降らせ始めたこともあり、スペイン広場のそばのピッツェリアで昼食にした。特別高級そうなレストランでもなかったが、出されたピザとパスタの味は、10年前にはきっと味わっていないような、レベルの高いものであった。
10年ぶりのイタリアは、イタリアそのものの変化ではなく、私自身の変化によって、随分と違う印象を与えてくれるようである。一度旅した異国にもう一度行くことには多少の躊躇いもあったが、これから2週間、どんな旅になるか楽しみである。
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4月21日はPatriots Dayと呼ばれ、マサチューセッツ州では祝日。
米国は日本ほど祝日が多くない、と聞いていたが、それなりにあるようである。
というわけで、1月のPuerto Rico旅行に続き、4泊5日の南の島旅行第二弾を敢行した。

今回の目的地はBahama(バハマ)。
米国の自治領であるPuerto Ricoとは異なり、英連邦に属する一つの独立国である。
ボストンからは直行便で3時間弱。近い。
約700(うち人が定住するのは30)の島々から成るバハマだが、今回訪れたのは首都NassauのあるNew Providence島。手付かずの自然や趣の異なる海岸の見られる他の島を巡るのもバハマの楽しみ方の一つだろうが、幼子をもつ親子連れにはちょっと馴染まないように思われた。
島でホテルが集まるのは、市街地周辺と、そこから車で15分ほど西に行ったCable Beachという地域の二箇所。我々家族は、後者のCable Beachに新しく出来たSheraton Hotelを利用した。
ようやく暖かくなり始めたとはいえまだ肌寒さの残るボストンを離れ、学校からも離れ、携帯電話も手放し、家族とゆっくり過ごした休暇となった。


飛行機で島に近づいたときから、まず海の色の美しさに圧倒される。
とにかく青く、澄んでいる。
水色、という言葉はこの色をさすのではないか、という印象さえ受ける。
透明度は30cmという話も聞いたが、もっと澄んでいるように見える。
ビーチは勿論だが、船着場や、飲食店や土産物屋が並ぶような岸壁の海でさえ、底が見えるほどに透き通っているのには、本当に驚かされる。
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バハマ諸島全体がサンゴ礁の岩礁群であり、このNew Providence島も周囲を無数の小島や岩礁で覆われているため、波も穏やかで、魚も無数に泳いでいる。
海岸沿いには、ホテルよりもコンドミニアムや別荘が多く立ち並ぶ。
皆透き通った海に面し、プライベート・ハーバーに白いクルーザーを浮かべている。
海に面したコンドミニアムは、安いもので一室3,000~4,000万円、高いもので1億円程度。
一戸建ての別荘となると、値段は青天井である。
写真は、Starbucks会長兼CEOのHoward Schultzの別荘。
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人々
出会うのは、ほとんどがアフリカ系の人々。
16世紀以降に連れて来られた奴隷の子孫が中心と思われる。
かつての英国領であり、現在も英連邦の構成国であるものの、白人は観光客以外にほとんど見かけない。
アジア系となると、更に稀(我々はかなり目立っていたように感じた)。
多分に偏見もあるが、どうしてもそういう国や地域では、サービスや商品がかなりいい加減であったり、治安に問題があったり、何もせずに昼間からブラブラしている人がいたり、という場合が多いように思う。しかしバハマは、そうした予想や偏見に反して、人々の労働意欲・民度が高く、思いのほか「きちんと」していた。
まず、皆、何がしか仕事をしている。タクシーに乗ったりレストランで食事をしたりしても、「ぼったくり」にあうこともほとんどない。やっつけ仕事のサービスも少ない。道を譲ってくれたり、扉を開けてくれたりもする。むしろPuerto Ricoよりもこの点ではレベルが高いのではないかと思われるほどだ。
それでいて、カリブ海の黒人特有の陽気さも持ち合わせている。バスの運転手は、車掌(と思われる人)とのおしゃべりに興じ、大笑いしている。工事現場のおニイちゃんたちでさえ、穴を掘りながらゲラゲラ笑っている。夕方や休日の公園やビーチでは、人々が集まって音楽にあわせて踊っている姿をよく見かける。とにかく、なんというか、幸せそうである。
あるタクシーの運転手によると、最近(昨年下院の与野党議席配分が逆転してから?)は政府によるインフラ投資が縮小・延期され、観光客が減少、町やビーチも多少寂れてきたらしい。確かに、歩道のひび割れは放置されているし、シャッターの下りたままの商店や建設途中で放置された建物も少なからず見かける。それでも、人々にあまり悲壮感がみられないのは、南の島で自分がぼんやりしていたからだけではないように思う。
立ち寄ったタイ料理店では、ネパール人のマネジャーが店を切り盛りしていた。ネパールで仕事を探している際に、インド人が所有するその店の求人をインターネットで見つけ、履歴書をメールで送り、仕事を得たらしい。1年契約で、店の業績によって毎年の契約更新如何が決まるとのことで、まめに良く動く。多少の悲壮感がみられたのは、彼くらいである。

食事
島は、シーフードで溢れている。
スローンの友人によると、釣りをすれば「入れ食い」状態で、あまり面白くないほどだという。
バハマ料理といわれるものも、シーフードが主体で、なかなか旨い。
コンク貝(巻貝)やハタ、赤ダイなどが定番の食材である。それらを焼いたり、揚げたりする。
写真はコンク貝のサラダ。酸味をきかせてあり、かなりいける。
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バハマのビール、というのもちゃんとある。
KalikとSandsという銘柄を見かけたが、どちらもラガーで、メキシコのビールのように軽い。特にKalikはまさに水のようで、個人的にはSandsの方が口にあった。

動物
魚以外にも、動物は沢山いる。
特に、イルカや国鳥のフラミンゴに触れ合えるのはなかなか貴重な経験である。
イルカは、New Providence島から船で20分ほど離れたところにある小島で飼育されている。映画などでも活躍する、よく躾けられたイルカたちで、Dolphin Encounterと呼ばれるサービスを利用すると、イルカと抱き合ったり、握手をしたり、キスをしたりと、まさに「触れ合う」ことができる。我々もチャレンジしてみたが、(予想通り)長女はイルカに恐れ慄き、号泣していた。帰りに買ってやったイルカのぬいぐるみは気に入ってくれたが・・・。
New Providence島に一つある動物園では、フラミンゴと「触れ合う」ことができる。フラミンゴはもともと警戒心の非常に強い鳥らしいが、こちらも(どうやったのか知らないが)トレーニングがされていて、まったく人を怖がらない。むしろ係員が声をかけると、積極的に観光客にフラミンゴが寄ってくる。結構、嬉しい。
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ホテル
SheratonはバハマではGrand Bahama島にあったのが、最近New Providence島にも進出してきたらしい。
さすがに新しく、部屋も綺麗だが、徹底的にコスト削減がされていて、多少辟易した。部屋のコップはプラスチックの使い捨て、部屋に冷蔵庫やミニバーはなし、2つしかないレストランのうち一つは常時ビュッフェ・スタイル、室内装飾用の花や観葉植物もほとんどなしと、とにかく人件費がかからないようにオペレーションが設計されている。職業柄、やりたいことはよく分かるが、意図が見え見えすぎて、興ざめしてしまう。
あまり、オススメしません。




MITでは、スローンを含め、1月に定期の授業を開催していない。
この機を逃すまじ、と、生後1ヵ月半の幼子を連れて、4泊5日の旅程でPuerto Ricoに向かった。
ボストンから直行便で4時間と手頃な時間距離であること、米国自治領で渡航にパスポートやビザが必要でないこと(結果的には間に合ったが、1月ではまだ次女のパスポートが出来ていないリスクがあった)、そして何より暖かい南の島であることが、目的地選択の決め手となった。
特に何をしたというわけでもないが、家族4人ゆっくりくつろげた、良い旅行であった(独身、ないし子なしの頃とは、旅行のスタイルは大きく変わるものだと痛感)。


移動
出発した1月14日(月)、ボストンを未明から大雪が襲った。数日前から警報が出ていたので覚悟はしていたが、早朝5時に起床してみると、やはり結構降っている。インターネットで飛行機の運行情報をチェックすると、ボストンのLogan空港発着の便は次々に欠航が決まっている。我々が利用予定であった航空会社も、9割方の便が欠航になっていたが、我々の便はまだ大丈夫なようだった。
急いでタクシーで空港に向かい、チェックインを済ませる。まだ半信半疑であったが、結局飛行機は予定より1時間遅れで、無事離陸した。

ノーチェックであったが、長女が2歳になったので、この旅から航空機の利用にはチケットの購入が必要になった。それでも、この時期平日発着ならば、Puerto Ricoまでは往復一人280ドル。日本で東京-福岡を往復するよりも安い。むしろ家族で3列シートを占拠できたのは、いろいろと都合が良かった。
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利用したJetBlue航空は、10年ほど前に出来た格安航空会社である。米国の格安航空会社の先駆けであるSouthwest航空を模倣しながらも、機内設備を充実させるなどの差別化で成功し、2002年から2007年まで6年連続して米国国内線No.1の評価を得ている。私は今回初めて利用したが、確かに航空機の内装やスナック・飲み物、従業員のサービスなど、決して豪華ではないが、腐りきった他の米国航空会社は言うに及ばず、これまで乗ったどのエアラインと比べても、満足のいくレベルであった。

というわけで、快適な移動でした。


ホテルおよび周辺
Puerto Ricoのホテルは、首都San Juanとその周辺に集中しているが、周辺はCondadとIsla Verde(緑の島)という二つの地区に大別される。我々は後者のIsla VerdeにあるInterContinental Hotelに宿泊した。空港から車で5分程度、San Juanの旧市街までは同じく20分程度の距離にある。

海岸沿いにはリゾートマンションなども多く立ち並んでおり、実は砂浜に直結したホテルは多くないのだが、我々のホテルはプールを経て砂浜に直接出られるようになっていた。追加料金を払って海側で手配した部屋からは、カリブ海が一望できる。
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一方、ホテル周辺は、米国資本が跋扈している。通りを見渡すと、ハンバーガー、フライドチキン、ドーナツ、アイスクリームなどのお馴染みのFCチェーンのネオンが無遠慮に並んでいる。
それでも、それらの間に潜むように、土地の人間が通うような店もあり、南国の植物などとともに若干の「異国情緒」は感じられる。
ともかく、海側ではなく陸側の部屋を取っていたら、5日間むさ苦しい景色と対面していたであろうことは、間違いなさそうだった。


旧市街(Old San Juan)
1521年のスペイン人の入植に始まる、島の首都である。もともとはSan Juan Bautistaが島の名前で、Puerto Rico(豊かな港)が街の名前であったが、18世紀頃までにひっくり返ってしまったらしい。
入り江を形成する小半島にスペイン風の街並みがぎゅっと詰め込まれている。外海に向かっては崖、内海に向かっては斜面が緩やかに海に落ち込んでいて、いかにも天然の良港である。
街路は碁盤の目にひかれているが、傾斜が複雑に絡み合い、立体的な街並みを形作っている。パステルカラーの建物はいずれも古い作りだが綺麗に塗装されている。ほとんどの家屋が奥にパティオ(中庭)をもっているあたりも、スペイン風な感じがする。
ところどころ、空家が売りに出されている。駐車場のない街の沿道は、びっしりと路上駐車で埋められている。街の外には、高層マンションが並ぶ。やはり、情緒のある美しい街は、住みにくいのかもしれない。
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保育園もパステルカラーである。かつて保育士をしていた妻の影響で、こういう施設には自然と目が行く。こんなところで育った子供はきっと、おおらかな明るい性格になりそうだ。
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街並みに混じって、2-3箇所に教会が配置されている。
皆小ぶりでシンプルな作りだが、過剰装飾の大聖堂よりも、街に良くあっている。白壁が青い空に良く映えていた。
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小半島の先端は、El Morro(モロ要塞)と呼ばれる要塞になっている。海賊の襲来に備えるため、かつては街全体が要塞化されていたそうだが、今ではこうした海沿いの一部に遺構が残されているに過ぎない。
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外海に面してかつての城壁が続いているが、その外側にかつての貧民街や墓地が貼りついて、今ではどこが城壁か一部判然としないまでになっている。それでも、そんな無秩序さも、時間の力か、いまや景観としての一体感を醸している。
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Bacardi Rum 本社工場
世界最大のラム酒メーカーであるBacardiの本社工場は、ここPuerto Ricoにある(商法上の本社は租税回避地のBermuda島らしい)。
Old San Juanから船で内海の対岸の町に渡り、車で5分ほど走ると、広大な敷地の工場が見えてくる。
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訪問すれば、無料でガイドツアーに参加できる。
Bacardi Rumで作ったカクテルも振舞われる(一人二杯まで)。

明治維新の少し前にキューバで創業されたBacardi社は、いまや年間2億本以上のボトルを世界約200カ国に出荷している、世界でも5本の指に入るスピリッツメーカーである。創業の地はカリブ海をもう少し西に行ったキューバである。19世紀の終わりに米西戦争で敗れたスペインがキューバを「解放(実質的には米国への支配権の委譲)」した際には、キューバを象徴するBacardiのRumと米国を象徴するコーラを混ぜたカクテルであるCuba Libre(キューバの自由)が作り出され、街中で飲まれたという。1960年代にキューバが共産化してからは島内にあるBacardiの資産はすべて国有化されたが、ここPuerto Ricoのほかにフロリダ、メキシコなどで生産を続け、今でもBacardi家所有の非公開企業として、伝統を受け継いでいる。
バーに掲げられたBacardiのボトルを眺めながら、そんな歴史に思いをめぐらせる。
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食事
プエルトリコ料理、というのが一応ある。
ほとんどはスペイン料理やポルトガル料理の類似品、亜種だが、オリジナル、とかろうじて言えるようなものもある。
代表的なものはAsapaoと呼ばれる雑炊と、Mofongoと呼ばれるバナナ料理。
特に後者は、青バナナを揚げてマッシュし、肉や魚介類などの具と調味料(塩、にんにくなど)を混ぜて団子状にし、ソースをかけたもので、あまりほかでみたことがない。
ソースを吸収した青バナナのマッシュはしっとりとして、食欲をそそる。塩漬けにされた肉とも良くあう。ビールが進む料理である。
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滞在中はこのほかに、米系ファーストフードや中華料理などを食べていたが、最後の夜はホテルに併設された日本食レストランに行ってみた。Momoyamaと名づけられた店は、ガイドブックなどによると「地元でも評判の店」らしい。8月に日本を発ってから、家族で日本料理店を訪れるのは初めてである。しかも失礼ながら、Puerto Ricoである。あまり期待せずに入ってみたが、ある意味で面白い経験ができた。
まず入ると、日本語で「いらっしゃいませ」と声をかけられる。内装は赤が貴重になっており、店の真ん中に鳥居があったり、巨大な壺が置いてあったりする。
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鉄板焼きコーナーと寿司コーナーがあったので前者を選択すると、まさに鉄板の前に座らされる。
そして徐に現れた東洋人系のシェフ(明らかに日本人ではない)が、包丁で卵のカラを斬ったり、鉄板の上で肉を「炎上」させたり、上海雑技団ばりの曲芸を繰り広げて、料理を作っていく。居合わせた米国人家族の客は拍手喝采であった。
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Beach & Pool
4泊5日の旅程のほぼ毎日、午前中と夕方は砂浜とプールにいた。
幼い子供を二人も連れてはあまりで歩けず、またそれほど各地に見所がある島でもないので、ビーチ・リゾートを楽しむことにした。

砂浜は真っ白ではなかったがそれなりに綺麗で、それほど人ごみもなく、快適だった。
リゾートマンションやホテルが、街と砂浜を隔てている。
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長女は砂浜を嫌がった。足が汚れる、という。自分が2歳くらいのころもそんな反応をしたと両親から聞かされていたので、苦笑する。波打ち際の、水分で砂が固まったあたりでは、何とか一人で歩いていたが、波打つ海に入ってくほどの度胸はなかった。何度か興味に負けて海に近づきはしたが、たまに大きい波が来て身体に叩きつけられると、そのたびに泣いて退散していた。
結局、砂浜に彼女の大好きなアンパンマンの絵を描くのが関の山であった。
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そうした間、次女はビーチベッドに敷いたタオルの上で、風にそよがれていた。まあ、間違いなく何も覚えていないだろう。
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海や砂浜を嫌がった長女も、プールにはある程度積極的な姿勢をみせた。欧米人はプールといってもプールサイドで寝そべって日光を浴びるのが主目的なので、水の中にはほとんど誰もいない。身体を支えながら水泳の真似事をさせると、かなり喜んでいた。
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一日の最高気温が27度ほどで、水温も若干低いので、プールと、すぐ横に設置されたジャグジーとに交互に入りながら過ごす。
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水に入っている以外は、プールサイドで本を読んだり、寝転がったりと、骨休めに徹した。

かつてベトナムのリゾートに行った際は、食あたりで高熱を出してベッドから動けなかったが、今回は十分に満喫できた。4泊5日という期間もちょうどよかった。性格上、流石にあと2-3日いたら、飽きていただろう。

カリブ海の島の、平和な休日であった。





「試験後の一段落」はまだ続く。

週明けの月曜日に授業がないことを利用して、二泊三日でナイアガラの滝まで家族旅行に出かける。
妻の出産が近く、飛行機はもう乗れないということもあり、ドライブ旅行である。片道470マイル、約750km、日本でいえば東京から広島県の尾道くらいの距離にあたる。自然と、一日目と三日目はまるまるドライブに費やすことになる。
臨月に近い妻を連れてそこまでやるか、という批判は耳に痛いが、夫婦と長女という三人家族での旅行も恐らく今後10年以上はできないだろうと思い、腰をあげた。

というわけで、初日となる昨日は、ボストンからナイアガラ(カナダ側)までを車で走った。
もっとも単純に行こうと思えば、自宅から5分とかからないところにあるインターから高速道路I90に入り、それをひたすら西進すれば良い。ただ、それではほぼ全行程内陸を走ることになり、あまり変化がないため、途中で北にそれて、オンタリオ湖沿いを走ることにした。

まずはMassachusetts Turnpikeと呼ばれるI90を使って、マサチューセッツ州を東西に横断する。これだけで130マイルあり、渋滞はないが、それでも2時間は十分かかる。このマサチューセッツ州横断は、丘の起伏をかわしながら森の間を抜けていくようなルートで、地形に道路形状が従属していて、日本の高速道路(もちろん郊外の)を走るのに近い情景である。
その後はニューヨーク州に入り、これをまたひたすら横断する。途中Syracuseの街までは、川沿いを走ることになるが、これを過ぎると酪農地帯をまっすぐに抜けていくような、広大な光景になる。日本の高速道路は、眠気防止のために平坦地でもわざと蛇行させて作ってあるが、米国の高速道路にそのような小細工はなく、まっすぐなところはまっすぐである。また意外に(?)皆の運転マナーも良く、無駄に先行車を煽ったり、法定速度を大幅に上回るスピードで爆走していったりする輩がいない。したがって、舗装状態さえよければ手放しででも運転できる(そんなことはしないが)。

2時間に一度程度休憩をしながら、西進する。
途中、Rochesterという街への分岐でI90を離れ、そのまま北進してLake Ontarioにあたり、湖岸の道を西に向かう。沿岸のほとんどは茂みで覆われており、湖水に張り付くような沿岸のドライブルートではなかったが、それでもときおり、湖面が視界に入って楽しい。人里離れた別荘のような邸宅や、ちょっとした漁港のようになった入り江もあり、それらは本当に映画のワンシーンのようで、絵になる。道は片側一車線の田舎道のようになったりもするが、とにかく交通量が少ないので、運転も楽である。

そのままオンタリオ湖沿いを西に進むと、ナイアガラの滝を経由してエリー湖からオンタリオ湖に注ぐナイアガラ川にあたる。全長60kmにも満たないこの川が、このあたりの米国とカナダの国境になっている。そしてこの川がオンタリオ湖に注ぐ「河口」に、かつて英国軍が国境防衛のために築いたナイアガラ砦が残されている。
米国の広大な自然の中に、英国のこじんまりした石造りの要塞が忽然と現れる。日本で買った旅行ガイドブックにはまったく触れられてもいないが、岸壁を背に三階建ての城館を設え、周囲を五稜郭風の堀と城壁をめぐらせたなかなか本格的な砦で、明治時代の日本海軍の某提督も視察に来ているような名跡である。大学時代に訪れた、スコットランドの砦を思い出す。もっとも、城館の窓からオンタリオ湖を望むと、向こう岸にはカナダ・トロントの近代的ビル群がシルエットをみせているあたり、やはり英国の郊外でみる城館とは異質である。
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ちなみにこの砦を知ったのは、Google Earthのスポット写真で見たからだ。情報技術の力は凄い。

その後、ナイアガラ川沿いに南下し、国境の橋を超えてカナダに入る。
既に夕刻、陽が今にも落ちそうな時間帯で、国境は大混雑。全長500mほどの橋と、その両側にある両国のPassport Controlを通過するのに、1時間以上を要した。
その間、橋の向こうには、ナイアガラの滝が姿をみせている。車列と西日でよく見えないが、轟音と水しぶきからそれとわかる。

しかしそれよりも、あまりにも無計画、無秩序に乱開発された瀧周辺、特にカナダ側の景観の惨状が目についた。色とりどりの高層ホテルがネオンを競わせ、奇形のタワーが毒キノコのようだ。
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さらに低層には吐き気がしそうに軽薄なアトラクションが、さらに強烈なネオンを並べている。
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これらの景観阻害物体群がすべて存在せず、あえて建物を置くなら先ほどの砦を代わりすえれば、どんなに素敵だったかと嘆く。

やはり米国(まあこの場合はカナダだが)のエネルギーは、自然を放置しているうちは良いが、自然に経済活動の矛先を向けた瞬間に、暴走し、抑制が効かなくなるのかもしれない。



二日目。
朝から一日のんびりと、ナイアガラの滝周辺を観光する。
子連れであり、妊婦連れであるので、ゆっくりと滝の周囲を歩きながら、時折名所に立ち寄る。

以下、いくつかの写真で振り返る。

↓まずは全景。左から順に、American Falls(アメリカ滝)、Horseshoe Falls(カナダ滝)、カナダ側のホテル群。なお、前景に妻が写っているが、これは写真の主題ではない。
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↓Horseshoe Fallsの全景。
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↓絶壁を降りたところに作られた船着場から遊覧船に乗り、滝壺に限界まで近づくことができる。
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↓そしてその遊覧船から見上げる滝は、まるで氷山か雪崩のよう。圧力が凄い。
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↓そんなところを遊覧船で通りかかれば、当然、ずぶぬれになる。
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↓国境を歩いて越え、米国側のGoat島(滝に落ちる前のナイアガラ川に取り残された島で、American FallsとHorseshoe Fallsを隔てる)からAmerican Fallsを望む。下をみると、吸い込まれそうになる。
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↓そのGoat島からは、ツルハシで岩を打ち抜いて作ったと言われるエレベーターで滝の下におりて、徒歩でAmerican Fallsに近づくことが出来る。遊覧船から見るよりさらに近く、水しぶきの圧力から滝を直視できない。滝というより、水塊、とでもいう方が近い。どこにでも行きたがる人間の業を感じる。
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↓絶え間なく湧き上がる水しぶきが虹を映し、心が洗われる。
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滝とその周辺の自然の美しさは、語るまでもなかろう。

そしてその美しさが、ガソリン数十リットルを燃やし、前述した醜い高層ホテルの一室に宿泊し、ファーストフードを食い散らかして、これらの自然を楽しんだ自分の罪深さを、より際立たせる。

そして明日も、早朝からガソリンを燃やしてボストンに帰る。
途中のサービスエリアに、娘の紙オムツを捨てながら。

地球さん、すみません。



10月9日(火)のColumbus Dayは祝日。
そしてその前日の月曜日は、既述の学生の休日。
ということで、この週末は4連休である。
MITは、本当に休みが多い。
「そういう環境で、Innovationは起きるんだ」
と学校当局の誰かがいつか真顔で言っていた。

そんなわけで、中間試験の前だが、一泊くらいいいだろうと自らに言い訳をしつつ、New Englandの紅葉を観ようとVermont州に出かける。
とくにあてがあるわけではないが、北北西に350kmほど行った同州最大の街Burlingtonまでの往復ドライブで、途中主に車窓から紅葉を楽しもう、という腹である。

とはいえ、まっすぐ行けば3時間半の行程を、どこにも立ち寄らずに最短ルートで行くのは、あまりにも芸がない。
そこで、北北西に、つまり斜めに行くのではなく、概ねまっすぐカナダの方に北上し、紅葉(しているであろ)Vermontの山を越えてBurlingtonに入るルートを選んだ。

天候は爽やか。ところがこの時期、皆同じこと(=紅葉狩り)を考えるのか、ボストンから北への車は大渋滞である。100km進むのに、2時間半ほどかかる。
まだNew Hampshireの中ほどだが、ここで一旦高速道路を離れ、休憩する。
ちょうど、主に18世紀後半から19世紀前半にかけてNew Englandにみられたプロテスタントの一派Shakerについて、このあたりにその建物を移築し生活を再現した村があるらしいので、立ち寄ってみる。
Shakerについては、GMATだったかTOEFLだったかの英文読解問題で、何度かお目にかかったことがある。質素な生活を営み、掃除をきちんとし、使い勝手の良い箒や木箱、家具などを作っていた、というあたりが記憶に残っていたが、10数棟の建物が移築されたその民俗博物館が伝える姿は、まさにそのとおりであった。余計な装飾のない、木版を貼り合わせた家屋が、木々の色によく映える。
ShakerVillage1.JPG ShakerVillage2.JPG ShakerVillage3.JPG
自然と和むのか、娘も芝生の上でよく歩き、遊んだ。
遭遇した緑の中の結婚式も、また美しかった(右端写真)

そこから北進するにつれ、天候が崩れ、紅葉が美しいであろう地域を抜ける頃には雨。時折叩きつけるように激しく降り、前方の視認すら困難なほどで、とても山々を愛でるどころではない。
また序盤の渋滞で時間を取られたことが影響し、日も暮れはじめる。
とにかくその日は必死で車を走らせ、Burlingtonに辿り着いた。



二日目は、朝から快晴。
ただし、寒い。
ボストンより気温が10度ほど低い。
息が白い。

それでも、昨日見逃した分を取り戻したい、という貧乏根性からか、早朝から街に出かける。
Burlingtonの街は、州最大の街とはいえ、人口4万人足らずの田舎町だ。たいした産業があるわけでもなく、メインストリートの商店が並ぶ地域も200mほどしかない。
ただ、緩やかな起伏から坂道がChamplain湖へ滑り込むように延び、緑が多く、湖の向こうにはUpstate New Yorkの山並が浮かび、住環境としては悪くない。
全米で住みたい街ランキングでNo.1になったことがあるというのも、分かる気はする。
Burlington1.JPG Burlington2.JPG
なお、街の景観のハイライトであるChamplain湖を写真に収めなかったのは、広角すぎて安物のデジカメが捉えきれなかったからだが、やはりこうして後でまとめると、画竜点睛を欠くようで、後悔している…。

遊覧船に乗ろうかとも思ったが、少し時間があったので、街の南外れにあるTeddy Bear工場に行く。
TeddyBearFactory.JPG
ちょっとした(本当にちょっとした)工場見学と、Teddy Bearのオーダーメイドが出来る。オーダーメイドといっても、初心者向けと本格収集家向けがあって、後者は衣装を含めすべて手縫いで数万円するが、前者は10種類ほどある既製の外皮にエアーを使って自分で綿を入れ、衣装(これも既製服)をあわせて刺繍してもらう、というもので、数千円で出来る。長女と、生まれてくる次女の名前(ここで初めて決定)を入れた熊を、一体ずつ作る。

その後はもう完全に遊覧船を諦め、映画Sound of Musicの撮影で有名な景勝の村Stoweを訪れる。
Stowe1.JPG
ベビーカーを押してあるけるような遊歩道が整備されていて、とても気持ちの良いNew Englandの秋を楽しむことが出来た。

Stoweを出る頃には4時近くになっていた。
渋滞の可能性を考慮すると、まっすぐ帰るべきかとも思われたが、すぐ近くが全米カバーの有名アイスクリームブランドBen & Jerry'sの発祥の地であり、今も工場がたち、出来立てのアイスクリームが食べられる、と来ると、立ち寄らないわけにはいかない。
日暮れも近く、実はそれなりに寒かったが、長蛇の列に並んでアイスクリームを獲得、家族で頬張る。
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New Englandの秋を、視覚だけでなく味覚も含めて楽しんだ、悪くない小旅行だった。


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WEATHER@MIT
PROFILE
HN:
Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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sloangear★gmail.com
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