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「 Extreme diversity... インドでみたもの 」
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仕事で、インドのニューデリーを数日間訪れる機会があった。
恥ずかしながら、初めてのインドである。
短い滞在ではあったが、幾つかの角度から、同国の噎せかえるようなエネルギーと、大きな矛盾を体感することができた。

インド最大の二輪車メーカー"Hero Motors"の幹部の方がスピーチで、インドを"Extreme diversity"と称されていたが、私が今回感じた同国の印象を一言で表すと、この表現に至るように思う。それは単に同国が、12億人を超える人口を要し、22の「公用語」と数千の小言語が話され、州や地方によって文化も大きく異なる、という意味だけではない。貧富の差、学問の差、官民の差、政治観の差、生きる目的や時間軸の差など、実に様々な軸で、信じられないほど広いスペクトラムの両端に生きる人々が、ニューデリーという街の中でさえ混在している、という意味である。

ニューデリーの一角のスラム街を訪れ、そこに暮らすある家族の自宅にお邪魔する機会があった。どこかの農村から職を求めて流れ着いたというその家族は、両親と子供が5人で、4畳半が二間くらいの家に住んでいる。父親は街の屋台でフルーツを売り、4人の娘のうち3人が内職の裁縫をし、あわせて一家で月に5,000円ほどを得ている。うち1,500円ほどは家賃に消え、残されたお金で細々と暮らす。内職をする娘3人は、学校に行ったことがない。農村から不法に流入してきたために居住証明がなく学校に行かせられない、と母親は話していたが、一人息子と末の娘は学校に言っているということだったので、辻褄が合わない。恐らく、良く言えば二人の就学を他の家族で支えている、悪く言えば3人の子供を労働力として搾取している、ということだろう。内職をする3人の娘に将来の夢を聞いてみた。曖昧な笑みが返ってくるだけで、要領を得ない。やっと一人の子が「お医者さん」と言ってみたが、即座に母親から「学校もいってないのに、なれるわけないでしょ」と一蹴され、あわてて「学校にいくこと」と言い換えていた。

一方で、インドの一流大学を出た(あるいは出ようとしている)若者15人ほどと、英国生まれのインド人起業家との討論に、参加する機会もあった。
こちらの学生たちは、当然英語を自在に操る(前述のスラムの家族とは通訳を介してヒンディー語で会話)し、議論を重ねる力が本当に長けている。独り言のように自分の意見だけ延々というのではなく、きちんと相手の意見や質問を踏まえて、主張を展開する。意見の論理的構成力や論旨の明快さはさすがに個人によってバラツキがあるが、皆一様にレスポンスが早く議論が途切れないので、次第に言いたいこともみえてくる。彼らの視線は、5年から10年の先にある。彼らは皆、自らの才覚に自信と責任が強く、誰かに何かを言われてやるのではなく自分の志す道を進み、チャンスをつかもうと必死である。恐らく相当の苦労をして、それだけの学問を修めるに至ったのだろうし、それを可能にしてくれた家族への強烈な責任感もあるのだろう。日本的にいえば、協調性がないとか、謙虚さがないとか、そういう評価を受けるかもしれないが、我々に対する敬意も忘れておらず、必ずしも嫌な感じはしない。むしろああいう若者が、湧いて出るように無尽蔵に輩出され、一部は米国や英国でも教育を受け、インド国内に限らず、中国や中東、あるいはアフリカなど、新興国市場で貪欲に活躍していく姿には、計り知れないポテンシャルと脅威しか感じない。

そして、同国を導くはずの中央高級官僚は、こうした停滞と飛躍、苦難と希望、搾取と投資が渦巻くインドの民衆と、まったく乖離した精神世界に生きている。簡単な昼食をご一緒させていただいた50歳前後とみられる財務省秘書官は、貧困にあえぐスラム街の人々にも、輝かしい可能性をもつ若い人材にも、さして興味がないようである。多弁でユーモアに富んだ彼の口からでる言葉は、民主主義の素晴らしさ、皆が自分の意見をもつインド人の素晴らしさ、国連やWHOなどの国際機関の限界、などの大所高所の話ばかり。具体的な各論になると、とたんに議論がおぼつかない。例えば格差と貧困の解消について問うと、「全国民に、コメと麦と食用油を支給するのはどうか、と考えている」と、まるで突拍子もなく、また国民の真のニーズを理解しているとも思えない発言が出る始末。インドの国家官僚は、給与も高くないが、20代で日本の国家公務員一種試験にあたるような試験にパスすると、その後の業績や活躍に関わらず、一生それなりのポジションを巡りながらの雇用が確約される。彼自身、それを認めつつ、「だから我々は自由に議論できるのだ」と半ば開き直っている。今後の天文学的な金額が投じられる同国のインフラ建設などが、こうした人々に牽引されるのかと思うと、恐ろしくなる。

日本にいると、何となく「遠い」感覚でいたインドであるが、こうした極端な多様性を包含しながら、確実に成長している。どこかで矛盾が爆発するのではないか、とか、そういつまでも高成長が続くわけではない、とか、懐疑的な目を向けることは簡単だが、我々の世代もさることながら、我々の次の世代の日本人は、間違いなく彼らのような連中と闘っていく必要がある。そして彼らの矛盾が爆発することがあれば、それは既に一つの国民国家の中だけの限定的事象ではなく、地球人口の20%以上が関与する社会現象として、影響は世界中に拡散されるだろう。いや、「影響の拡散」という点では、既に恐るべきペースで、随分以前からそれは始まっているのかもしれない。日本の学校教育や企業教育は、こうした現実を次の世代に正しく教えているのだろうか。インド社会の張り詰めるテンションへの疑問とともに、そんな疑念も強く感じた滞在であった。
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経営コンサルタント
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世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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