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「 Family 」
師走は何かとイベントが多い。ただでさえ忘年会やクリスマスと催事が多いのに加えて、我が家は二人の娘がそろって12月生まれなので、ケーキとプレゼントだらけである。
そんな中、家族ぐるみで仲良くしてもらっている娘のお友達を招いて、二人の娘合同のお誕生日パーティーを開催した。

これを開催すべきかどうかについては、家族で行ったり来たりの議論が繰り返された。
<反対意見>何より準備が大変だし、文化や慣習の違いもあって皆に喜ばれるかどうかわからないし、何より娘たち自身、大勢の人が押し寄せることが辛いかもしれない。
<賛成意見>これまで幾度となくお友達の誕生日パーティーに招待してもらったし、最初で最後の機会(去年は次女の出産でそれどころではなかった)なので、折角だからやった方が・・・。
結局のところ、やらずに後悔するよりやって後悔しよう、という多少ありがちな納得の仕方で、開催が最終決定されたのは一ヶ月前くらい。それから会場として隣の高層棟最上階のラウンジを予約し、招待客を決めて招待状を送り、料理のメニューや出し物を考えて、10日に試験が終わってからはひたすら準備。Costcoで冷蔵庫に入りきらないくらいの巨大な食材を買い込み、昨日から今朝にかけて妻はずっと料理。私は料理を多少手伝いつつ、パワーポイントでクイズを作ったり。

思案と議論を重ね、一日かけて用意したメニューはこちら;
・稲荷寿司
・手鞠寿司
・焼きソバ
・たこ焼き
・肉じゃが
・白身魚の味噌焼き
・鶏肉の唐揚げ
・フライドポテト
・きんぴらごぼう
・ホウレン草のおひたし
・豚汁

出し物としては、最初に遊んでもらうように、ティアラ(男の子には王冠)に自由にデコレーションをするキットや、プラ板遊びのキットを用意。
その後、食事が終わったところを見計らって、娘二人を題材にしたクイズを行い、その後クス球割り、お誕生ケーキでお祝い、という流れ。

こちらが思ったように皆遊んでくれるのだろうか、こちらが思ったような段取りで進むのだろうか、と不安を抱えつつ、11時半にパーティースタート。
風が強く寒い日だったが、空は真っ青で景色は素晴らしい。
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やはり日本人のお友達が最初に来てくれて、欧州系が続き、ラテン系は遅れてやってくる。最後には総勢30人程度が来てくれた。子供がいないのに祝福に来てくれた私の同級生もいて、本当にありがたい。
製作系の遊びは、最初は地味な感じだったが、子供の数が増えてくると皆釣られてやるようになり、思いのほか上手に遊んでくれて、期待以上に盛り上がった。手が離せない我々のためにトルコ人同級生の奥さんがずっと遊びの説明やサポートをしてくれて、非常に助かった。
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料理も思いのほか好評。作ったときには、こんな大量のもの本当に食べ切れるんだろうか、残ったら何日間我々が食べ続けることになるんだろうか、と心配したが、なんだかんだと皆よく食べてくれた。個人的には、関西の味・たこ焼きが好評を博して、ちょっと満足。
日本人同級生のYU君がもってきてくれたプロジェクターで映写して行ったクイズも、これまた予想外にウケた。これまで参加したお友達のパーティーでも、全然盛り上がらなかったり、トラブルがあったり、複雑すぎて子供がついていけなかったり、なかなか上手く行っていない場合も多かったので、ちょっと心配だったが、ウケるとこちらも乗ってきて、良いほうに物事がまわり始める。
クス球もちゃんと割れてくれた。引っ張っても割れない、割れても盛り上がらない、など、いろいろ恐れていただけにホッとした。

そしてケーキでお祝い。
皆が娘のためにHappy Birthdayと歌ってくれて、それに応えるように娘がしっかりと立っているのをみたときは、ちょっと感動してしまった。
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実際、最大の心配は娘たち自身だった。特に長女。皆の視線に耐えられずに、泣いてしまったりするのではないかと思ったが、しっかりロウソクも吹き消していた。成長したものである。
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来てくださった皆さん、本当にありがとうございました。
大量にいただいたプレゼントは、ちょっとずつ開けることにします・・・。
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次女が1歳の誕生日を迎えた。
大騒ぎして感動した去年のあの日からもう一年が経ってしまったのかと思うと、嬉しいような、もったいないような、複雑な気持ちである。
ともあれ、ステーキと手作りのお誕生日ケーキでお祝い。
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こうして改めて写真でみると、去年のあの日にみた「アレ」とは同じイキモノと思えないほど成長している。

それにしても1年間、いろんなところに連れて行ったものだ。
プエルトリコ、バハマ、イタリア、日本、ニューヨーク、ワシントン、カナダ・・・。
当然ながら彼女はどれ一つ望んでいないし、どれ一つ覚えていないだろう。
すみませんねえ、親の勝手で。

また一年、元気で育ってください!




長女がPreschoolに一人で通い始めて3週間あまりが過ぎた。
最初はわけがわかっていなかったので、大きな拒否反応もなかったが、1週目の後半くらいから、「学校行かない!」と言い始めた。わけを聞こうじゃないか、ということでいろいろ聞いていくと、どうも先生が嫌なわけでも、特定の友達が嫌なわけでも、遊戯が嫌なわけでもなく、親と離れるのが嫌ならしい。2週目にはそれが本人の中でもはっきりしてきたようで、「学校行くけど、お母さんとバイバイしない!」という主張に変わってきた。なだめたりすかしたりしていたが、きりがないので、3週目には教室に入ると無理やり保育士の先生に泣く娘を渡して帰るようにしてみた。そして3週目が過ぎようとする頃、「学校行かない!」が「学校行く!」にかわり、少なくとも自宅を出るまでは「前向き」に振舞うようになった。Preschoolの教室のドアまで5m、というくらいの距離になると多少のイヤイヤが始まるものの、娘自身理性で自分の感情をコントロールしようとしているようで健気でもあり、また着実な進歩にこちらもほっとしつつある。

そんな今日、初めての保護者面談が行われた。
Preschoolのミーティング・ルームで、園長?にあたる保育士と我々夫婦の3人で面談。
面談にあたってくれたリンダという保育士は、もと同業者である妻も一目置くほど、信頼できるしっかりとした先生。面談の内容も、「数学的理解力」「語学力」「社会的適応力」などの6-7項目にわけて娘の発育状況が記された簡単な「通知表」のような紙を渡され、それに沿って具体例を交えながら丁寧に説明してくれた。「通知表」のフォーマットはケンブリッジ市で統一されたものなのかもしれないし、もしかしたら米国のPreschoolというのはこういうものなのかもしれないが、きちんと娘をみて、考えてくれていないと、きちんとした内容は書けないし、具体的な説明もできないだろう。改めて、このPreschoolに入れて良かったと、感じることができた。

それにしても、我が家の娘が、2歳10ヶ月を前にして初めて「公式に」他人から評価されたという事実は、我々夫婦にとってちょっとした「衝撃」であった。人間は他人の評価に晒されながら生きていくものであるが、そうした「表通り」に、娘も立ったわけである。親としてその成長ぶりに嬉しいようでもあり、また自分の娘をそんな他人からの評価に晒させたくないようにも思う。「微妙」な気持ちである。人間社会の業の深さのようなものさえ感じてしまう。

もっとも、他人からの評価を気にして生きていく世界なんてイヤだ!と叫んでみたところで、少なくとも今の世の中のほとんどのルールがそうなっているわけだから、あまり建設的ではないことは、間違いないだろう。親としてできることは、少なくとも我々は我々なりの軸をもって、他人からの評価はひとつのインプットとして受け止めながら、自分の目で子供をみてやることしかないし、それをきちんとやっていれば大丈夫なんじゃないか、と思ったりもした。

娘も親も、また一歩成長。たぶん。



この9月から、長女が公立のPreschoolに通い始めた。
こちらの幼児教育制度では、2歳9ヶ月からPreschoolに通い始め、その後kindergarten、小学校と進学していく。いわば米国教育課程の入り口に立ったわけである。
本来は月曜日から金曜日まで週5日の課程なのだが、市役所側のミスなど諸々事情があって、9月の間は週二回だけ保護者同伴で通うことになった。普段は妻が同伴するのだが、今日は私が同伴する機会を得た。

Cambridge市内の住宅地の中にある学校は、Preschoolから小学校までが併設された大きな建物で、その中の一室を充てられたPreschoolでは、14人の子供が、4人の保育士によってケアされている。公立で、その分授業料も比較的安いのだが、子供と保育士の人数比でみるケアの密度は日本の比較にならない。
14人の子供の人種・バックグラウンドは様々で、白人/黒人/黄色人種、英語系/スペイン語系/フランス語系/韓国語系、といろいろな子供がいる。

9時頃に教室に着くと、既にウチの長女以外の子供は全員そろっていて、お絵かき、ママゴトなど、皆めいめいに遊んでいた。長女も徐々にそこに入ってゆく。
10時頃になると、おもちゃを片付けて「ミーティング」。それぞれの子供の名前を書いた丸い座布団のようなものに座って、保育士さんの話を聞いたり、歌を歌ったり、「今日は何曜日?」といったクイズをしたりしつつ、外出の準備に移ってゆく。
そして10時半頃にはPreschoolを出て、徒歩15分(子供の足で)ほどのところにある公園へ。公園内での保育士の監督は極めてシンプル。子供たちの行動可能範囲を示し、ブランコは危ないから近寄らないように、という指示を出して、あとは時折子供たちの遊びに加わったりしながら、基本的に「放置」している。
30-40分で公園遊びを切り上げると、今度は近くの図書館へ。図書館職員の女性に絵本を3冊ほど読んでもらったあと、暫く各々好きな本を読んで、12時頃にPreschoolに戻る。
そこからはランチ。子供たちが持ってきているランチは実に様々。お好み焼きみたいなものを一枚持ってきている子供、ポテトチップスばかり食べている子供、ほとんど具のないサンドウィッチをかじっている子供など、どれも「こんなものでいいのか」と思う手抜きランチ。日本風に弁同箱におにぎりとおかずが入っている我が家の弁当は、例外的に「豪華」。まだ皆幼いので、他人のランチを見てどうこう言ったりはしないのだが・・・。
食事を終えると、他の子供は徐々に昼寝に入ってゆくが、我が家はそこで早めの帰宅となる。

都合4時間ほどしか滞在していないが、思いのほか色々な活動があって、それらを保育士がチームワーク良く立ち回りながら安全にこなしてゆくのには感心したし、良い学校に子供を入れることができて良かった、と感じた。多様な子供を抱えて難しいはずの米国の幼児教育が、思いのほか手際よく、また教育的要素も適度に取り入れながら、良いバランスで運営されていることは、ちょっとした驚きであった。ここでの経験を娘がどれだけ先々覚えているものかは分からないが、彼女の人生にとってプラスであって欲しいと願う。





生後5週間の次女が初めて高熱を発した。

深夜、様子がおかしいと感じた妻が熱を測ると、体温は39度を越えていた。
MIT Medicalの救急に電話をすると、人肌より少し冷たいくらいの水に入れて身体を冷やし、万能風邪薬と信じられているTylenolを飲んで、薄着をさせて様子をみろ、とのこと。いきなり水にぶち込むというのは何とも乱暴な気がしたが、かといって対案があるわけでもなく、言われたとおりにする。1時間後くらいに再度測ってみると、熱は38度弱まで下がっていた。MIT Medicalに報告すると、ではそのまま様子をみなさい、厚着をさせないように、ということだったので、言われたとおりにして就寝する。

ところが朝、起床して次女の体温を測りなおすと、また熱が上がっていた。
やはり水風呂荒療治ではその場しのぎの解決にしかならなかったのか…。
そう思っていると、MIT Medicalから電話がかかってきた。救急対応の医師ではなく、小児科の医師(看護婦?)からであった。救急に話した内容は既に伝わっていて、今朝の体温を伝えると、ボストンのChildren's Hospitalに急患として連れて行け、という。何でも、感染症の恐れがあるが、乳幼児の感染症を検査する設備がMIT Medicalにはないらしい。
感染症、などといわれると、菌が子供の身体を蝕み、脳機能などを侵食して取り返しのつかないことになるのでは、とろくでもない想像をしてしまう。すぐに着替えてジュースを一杯だけ飲み、未明から降る雨の中を、次女だけを乗せて車を病院まで走らせた。

10分ほどで病院に着くと、救急外来を訪れ、事情を話す。
自宅に電話してきたMIT Medicalの医師は「Children's Hospitalには自分から事情を伝えておくから」と言っていたが、どうも何の連絡も着ていない様子。もっとも、こうした連絡不行き届きにはこの国に来てから慣れてしまっており、驚きもしない。とにかく、早く診てくれとだけ主張する。
看護婦に検査室に通され、事情を説明し、体温、脈拍などを計測されて、別の部屋に移される。
また別の看護婦が現れ、事情を訊くので説明すると、「一分待って」と言って去っていく。
今度は事務記録係を名乗る女性が現れ、昨夜からの経緯や自分たちの住所、生年月日、保険情報などを細かく聞いて、パソコンに打ち込んで去っていく。
さらに別の事務記録係が来たので、今オマエの同僚に伝えたぞ、というと、そそくさと退散。
そしてさらに別の看護婦が現れ、"So, what made you to visit us today?"と訊いてきたので、
「貴様ら、普段しゃべってばっかりいるくせに、肝心な患者の情報は共有せんのか?情報をパソコンに打ち込むことが目的になってしまってて、誰も見てないのと違うか。今日この病院に来てからその質問をしてきたのは貴様で5人目やぞ、その間約30分、何の診察も治療もしてもらってないやないか!」
と喚くと、看護婦はたじろぎ、以降私の呼び方が"You guys"から"Sir"に変わった。

看護婦は、感染症の恐れがある場合の定型の検査として、血液検査2種類と尿検査を行うことを説明。
まずは検尿をしたいが、彼女は尿が出るか、と訊いてきた。そんなこと言われても知らんよ、と思いながら、probably、と答えると、出ないかもしれないので、スポイトで抽出しますがいいですか、と訊く。じゃあ最初からそうしろよ、と思い、as you like、とだけ答えると、看護婦はスポイトを持ってきて次女に挿入し尿を採ろうとした。と、その瞬間、次女は噴水のようにオシッコをし、看護婦に浴びせかける。よしよし、もっとやれ、とほくそ笑んでしまった。

尿は十分すぎるほど採れたが、血液検査では苦労した。太りすぎなのか知らないが、血管が浮き出てこないので旨く採血できないらしい。看護婦は何度かトライして失敗すると、彼女は脱水症状気味で血圧もあまり高くないので、血管が浮き出てこず採血できる状態ではない、と、あたかも最初から知っていたように結論付け、これを飲ませて水分補給しなさい、と調合乳を持ってきた。

ミルクを与えると、凄い勢いで飲んだ。あっという間に2オンス(60グラム弱)入りのボトルを一本飲みきり、まだ欲しいと泣いている。廊下にいた別の看護婦に、同じものを追加で持ってきてくれ、というと、最初の看護婦に伝えておく、という。10mほど歩いたナースステーションにあるのだから、オマエが行けばいいだろうが、と思ったが、ちょっとガマンしてみる。
検査室の中で待っていると、係りの看護婦が歩いてくる音が聞こえる。先ほどミルクの追加を頼んだ看護婦が呼び止める。我々の要求を伝えるのかと思いきや、
「こないだのお店、どうだった?最高だったでしょう?」
「ありがとう、とっても素敵だったわ、彼も気に入ってくれて、最高だったわ」
「私の言ったデザート、食べてみた?」
「もちろん!ああ、あの味、言葉にできないわ・・・」
な、何の話をしとるんだ、コイツらは??
そして5分ほどおしゃべりをした挙句、
「そういえば、あなたの患者、何か欲しいって言ってたわよ」
思わず検査室の中から、
「ミルクや、ミルク!箱ごともって来い」
と叫んだ。

ミルクは飲んだが、看護婦は依然として血管を見つけられない。
「…1時間ほど待ちましょう」
と場当たり的な言葉を残して去っていく。
1時間後、やはり見つけられない。遂に、
「どうやら自分には無理なので、ドクターにやってもらいます」
ということになった。
そして、暫くしてドクターが現れると、まったく理由はわからなかったが、自分が採血するためには別の部屋に移す必要があります、と告げて、娘を連れて行こうとする。どのくらい時間がかかるのか、と訊いたら、20分、ということだった。何でもすぐに1分とか1秒とかいう国なので、20分と言われると逆に信憑性を感じたが、結果的には1時間しても帰ってこない。心配になって娘を探しに行くと、別の看護婦が連れて行ってくれた部屋で、娘は放置されていた。抱きかかえて、ナースステーションに行き、係りの看護婦に事情を尋ねる。すると、ドクターでもやはり採血できなかったので、今採血のエキスパートを呼んでいる、ということだった。

このころには、呆れてモノがいえない状態に陥っていた。
最初の検査室に娘を連れて戻り、待つうちに二人とも寝てしまった。
どのくらい時間が経っただろうか、「エキスパート」が現れた。
部屋の明かりを調節し、最初に腕で採血を試み、次に足でやってみて、巧くいかないと最後はコメカミのあたりで採血して、見事に規定量の血液を採取して、去っていった。
やはり企業社会と同じで、米国はどこでも、ほんの一握りの超優秀な人間と、あまりにもたくさんの信じられないくらい「使えない」人々が共存するのだと、改めて思い知らされた。

それからさらに待つこと2時間、病院に着いたときは10時になっていなかった時計の表示が17時近くになろうとする頃、看護婦が現れた。
曰く、今のところは検査の結果に問題はないが、検体を48時間培養してみないと、はっきりしたことは言えない、今日のところは一番緩く一般的な抗生物質を注射するので、それで帰ってあとは様子を見てほしい、とのこと。48時間以内に、検体から感染症の菌が発見されたら、その時点ですぐに連絡するので、入院の準備をしておいて欲しい、ということだった。

注射をうってもらい、身支度を始める。
窓のないJRの「日勤部屋」のような部屋で、丸一日閉じ込められた疲労が、どっと押し寄せてくる。
と、本日初登場の若い看護婦が現れて、最後に体温と脈拍だけ測る、という。
計測された体温は、37.2度。
顔色も良い。
何だか良くわからんが、回復したようであった。
釈然としない思いが残ったが、まあ体調が良くなったなら結果オーライである。また余計な菌を院内感染でもらわないうちに、そそくさと帰った。

米国人の怠惰さ、非効率さと格闘した一日であったが、考えてみると次女の出産以来、二人で長時間を過ごした最初の機会であった。
ほぼ一日中抱っこをしていた腕はだるくなっていたが、次女との親子の繋がり、何より自分のこの子に対する親としての自覚は、昨日よりも深まったように思う。
子供が病気にならないと親の自覚が深まらないというのはそもそも問題があるが、もっと自分を大切にしろ、という子供から私へのメッセージだったと思い、今日の気持ちを忘れないようにしたい。

最後に、当然ながら、Children's Hospital Bostonはオススメしません。



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PROFILE
HN:
Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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