年が明けた。
2008年、平成20年の始まりである。
娘は朝いつもと同じように起きてきたし、窓の外ではよく太ったリスが相変わらず走り回っていた。そういう意味では、客観的にはいつもと何ら変わらない朝である。
が、やはり元日というのはちょっと気分が違う。いろいろ、感慨にふけることもある。
まず、異国で迎える正月というのは初めてである。
旅行好きだし、近年は毎年海外旅行をしてきたが、正月は値が張る上に混雑していてサービスも悪いので、海外に出たことはない。いわんや、海外に居を構えての正月というのは、コテコテ国内育ちの私たち夫婦には経験のないことである。
国によっても違うのかもしれないが、米国の正月というのはイマイチ盛り上がらない。確かに昨夜日付が変わる瞬間には、テレビは各チャンネルともカウントダウン番組であったし、1ブロック西にあるHyatt Regencyではディスコ化した最上階のホールで若者が狂喜乱舞していたが、夜が明けると極めてあっさりしている。窓の外を見ると、一部のアパートにはまだクリスマスの飾りが残っていたりして、むしろ興ざめである。
少しでも気分を作ろうと、義母が送ってくれたミニチュアの正月飾りをテレビの上に並べ、妻の作ってくれた御節料理をテーブルに広げて、日本酒をあける。
御節料理は、一部食材を日本から送ってもらったものの、ほとんどの材料を当地で調達することができた。ボストンの地の利である。
ここまでやると、2歳になったばかりの長女も、「異変」に気づく。
お正月、という言葉を何回か伝えると、「オショショ!」と言って頷き、喜んでいた。
妻が昨日一日を費やして作ってくれた御節料理は懐かしい味で、酒が進んだ。
また、表現が難しいが、「一家の長」として迎える正月というのも初めてであった。
これまで、正月はほとんど実家で過ごしている。少なくとも結婚してからはそうである。つまり、自分の両親ないし妻の両親がいる環境で、正月を迎えている。いくつになっても、両親がいる前では子供は子供である。例えば御節を前にした乾杯の発声も、父がやる。
ところが今年は、自宅で正月を迎えているが、目の前にいるのは妻と二人の娘である。思わず、戸籍謄本の書面が頭に浮かび、改めて自分の責任の大きさを感じた。彼女たちに幸せな1年を過ごさせてやらねばならない、と思った。
毎年そうだが、今年はどんな一年になるのか、例年にも増して想像がつかない。
もちろん、淡々と授業をこなしていれば、来年の今頃も学年が変わっているだけでたいして変化はないのだが、それだけではすまないような気がする。具体的にどう「すまない」のか、と問われると、判然としないのだが…。
ともあれ、自分をじっくり見つめ、毎日を成長の糧にすることを忘れずに、家族ともども健康で楽しい一年を過ごしたいものである。
皆様、今年も一年よろしくお願いいたします。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。
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