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「 What we learn from the history …日本人はなぜ戦争へと向かったのか 」
「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」というNHKの報道番組が、年始から4回シリーズで放送されている。優良コンテンツを世に送り出してきた「Nスペ」の中でも、非常に練られた、かつ時代に即した番組だと思う。

番組の主題は文字どおり、日本人がなぜ太平洋戦争へと突入したのか、である。ありがちな軍部暴走説ではなく、当時の政治・経済情勢、政府・軍部の人事、マスコミの論調など、多面的な角度から、文書資料や関係者の証言を踏まえて丁寧に掘り下げられている。また、単に事実を述べっぱなしにしたり、いわゆる「犯人探し」に終始したりするのではなく、歴史(あるいは過去の失敗)から現在の日本への教訓・示唆を得ようとしている姿勢が評価できる。かつて読んだ山本七平の著書『日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条』に通じるものがあるが、映像と音声の力か、メッセージがより鮮明に伝わってきて、迫力がある。

まだ4回シリーズの第二回が終了したところであるが、これまでの番組で触れられてきたいくつかのキーワードは、現在の政治情勢への警鐘でもあろうし、我々が日本企業へのコンサルティングを通じて日々感じることとも極めて相通ずる。すべては、要約すると、
  • 正しい判断の材料:事実を虚心坦懐にみることと
  • ぶれない判断の目的:「結果(=国や企業の持続的成長・繁栄)」のみを重視すること
の二点が貫徹されず、誤った判断が繰り返されていったことにある。そしてその誤った判断は、誰か個人の失敗によるのではなく(もちろん各々の局面ではそれもあろうが)、仕組み(あるいは体質)としての日本・日本人の欠陥・限界に起因している。
 
判断材料の歪みについては、以下のような要素が挙げられている:
  • 内向きの論理… 諸外国政府の動きや外交現場の実態、戦場の事実などではなく、派閥の論理や組織・人事などの内部情勢を材料とした判断
  • 希望的観測… 西欧列強はそこまで日本に強硬な態度をとらないだろう、対共産主義というスローガンに各国がなびくだろう、軍事的圧力を加えれば中国政府は折れるだろう、などの根拠のない思い込み
  • 組織間での情報共有の欠如… 陸軍、海軍、外務省などそれぞれの情報囲い込み
  • 都合の悪い事実の隠ぺい
判断の目的・基準のぶれについても、多様なファクターが指摘されている:
  • その場しのぎ… 政治家や役人・軍人が、とりあえず目の前の交渉を乗り切ること、自らの任期をやり過ごすこと、などを目的に判断・行動
  • 縦割り、セクションの利益の維持・拡大… 国全体の利益ではなく、自らの派閥、組織、部隊の拡大や手柄獲得を目的として判断
  • 世論の人気取り… 不況に端を発する脆弱な政治情勢(低い内閣支持率、続く短命政権)を背景に、国民にウケることを目的として判断
  • メンツや意地へのこだわり… 失敗を失敗として総括・反省せず、またそれをさせることもせず、失敗や無理の上塗りを繰り返す
こうした判断材料、判断目的の歪みやぶれから、組織統制の崩壊、組織の暴走が進んでいく。すなわち、そこに所属する個々人の多くは問題に気づいていながらも、「組織」という得体のしれないものが事態を間違った方向に進ませ、収集がつかない状態である。まさに、現在の日本政府、あるいは日本の大企業にも通ずる現象ではないだろうか。

また、こうした考察から改めて痛感させられることは、日本人がいかに失敗を総括し、そこから学ぶことをしない国民か、ということである。「改善」というかたちで、出来たものを「より良くする」ことは得意であるし、作ったものが壊れたり機能しなかったりすれば、それは失敗として認められる。しかしながら、方針や判断、制度、教育などの「失敗」については、製品の失敗のように正面から総括され、解決策が検討されない。ものづくりに優れた日本・日本人が、産業構造の変化とともにその強みを他分野に発揮できない要因の一つも、こうした失敗の総括の不足にあるように思われる。また、日本で「失敗の総括」というと、ともすれば「犯人探し」になりがちである。よく言われる例としては、サッカーのワールドカップ・ドイツ大会で1勝もできずに予選敗退した際に、何が欠落していたのか、4年後に向けてどうすべきか、というアクションに結び付く総括がなされず、時の監督であったジーコを解任してお仕舞い、という事例が頭に浮かぶ。犯人を探して、その人に腹を切らせておしまい、では何にもならない。失敗から学ぶことに、失敗の最大の価値がある。しかしながら日本ではどうしても、「誰が責任をとるのか」という議論に力点が置かれ、特に失敗した当人が「何を学ぶべきか」という議論を展開すると、責任逃れだといって袋叩きにあいかねない。これでは、教訓がつみあがっていかない。

学校での歴史教育にもこうしたバイアスが感じられる。一時期、従来の学校の歴史の教科書の論調について、自虐史観だとかと批判する人たちがいたが、過去の歴史が正しかったのか、間違っていたのか、という白黒の議論は、あまり意味がない。また、例えば平安京ができたのが794年だったのか795年だったのか、という点についても、個人的にはどちらでも良いと思っている。そうではなく、歴史から何を学ぶべきか、現在に生きる教訓は何か、をもっと議論し、考えるべきではないか、と思う。そういう意味では、これは学生の頃から思うことだが、歴史の教育は原始時代から始めるのではなく、現在から時間を遡って教えるのが良いと思う。現状の学校教育は、原始時代から延々とやるので、現在とのつながりが見えにくい。挙句の果てに、最も重要な明治以降の近代史の部分は、「時間切れ」で全く教えられない学校も少なくない。邪推かもしれないが、これは教育現場が議論の多い近代の歴史の総括をすることを恐れ、意図的に「時間切れ」に持ち込んでいるのではないか、とすら思う。一昔前、「パールハーバー」という第二次世界大戦を描いたハリウッド映画が日本で公開されたとき、劇場の出口で取材された若いカップルが、「日本がアメリカと戦争したって知りませんでした」と言うのをテレビでみて愕然としたが、こういう点での教育の責任は重大なのではないか。
 
19世紀の英国の思想家トーマス・カーライルは「失敗の最たるものは、何一つそれを自覚していないことである」と言っている。
T. J. ワトソンは「成功は失敗の彼方にある」と言っている。
ビル・ゲイツは「成功はヘボ教師だ」とまで言っている。
 
失敗から学ぶ度量と技術を、身につけたいものである。
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経営コンサルタント
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旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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