在る偏屈者による半年遅れのMBA留学日記、そして帰国後に思うこと
スローンとHBSの日本人有志によるゴルフコンペが開催され、恥ずかしながら参加してきた。
会場は自宅から車で西に30分ほど行ったところにある、Wayland Country Clubというコース。アップダウンが少なく、初心者向けだという。自宅から半径1時間以内に周りきれないほど沢山ゴルフコースがあり、しかもそれぞれせいぜい5,000円も出せば立派に遊べる、というのだから、米国に留学した連中がゴルフに勤しむはずである。それに加わることが褒められたことかは判らないが、「ゴルフコンペに参加」という響きは、何となく初めてバーに飲みに行くような、大人の仲間入りのような感覚があって、気恥ずかしくも嬉しくもある。
コースは前日の雨で、「特設」の川や池が無数に出来ていた。こうなると、「アップダウンが少ない」コースはかえって水はけが悪く、厄介なようである。電動のカートもタイヤをとられて危ないから使えない、ということで、歩いて18ホール回る羽目になった。
7月に参加したPEファームのゴルフコンペは、こちらでスクラッチと呼ばれる方式(ティーショットのあと、チームの中で一番良いボールの位置から、皆二打目を打ち、以降それを繰り返す、というもの)であったため、「自分のスコア」というのはわからなかったが、今回は文字通り最初から最後まで自分で打って、歩いた。
結果は135打。
同日のトップスコアが90打くらいだったので、その1.5倍叩いたことになる。「皆同じだけお金払ってるんだから、一打あたりが他の人より安くて、得したじゃない」という無理のある慰めの言葉をかけてもらったが、ちっとも嬉しくない。
卒業までに、100打を切れるだろうか・・・。
会場は自宅から車で西に30分ほど行ったところにある、Wayland Country Clubというコース。アップダウンが少なく、初心者向けだという。自宅から半径1時間以内に周りきれないほど沢山ゴルフコースがあり、しかもそれぞれせいぜい5,000円も出せば立派に遊べる、というのだから、米国に留学した連中がゴルフに勤しむはずである。それに加わることが褒められたことかは判らないが、「ゴルフコンペに参加」という響きは、何となく初めてバーに飲みに行くような、大人の仲間入りのような感覚があって、気恥ずかしくも嬉しくもある。
コースは前日の雨で、「特設」の川や池が無数に出来ていた。こうなると、「アップダウンが少ない」コースはかえって水はけが悪く、厄介なようである。電動のカートもタイヤをとられて危ないから使えない、ということで、歩いて18ホール回る羽目になった。
7月に参加したPEファームのゴルフコンペは、こちらでスクラッチと呼ばれる方式(ティーショットのあと、チームの中で一番良いボールの位置から、皆二打目を打ち、以降それを繰り返す、というもの)であったため、「自分のスコア」というのはわからなかったが、今回は文字通り最初から最後まで自分で打って、歩いた。
結果は135打。
同日のトップスコアが90打くらいだったので、その1.5倍叩いたことになる。「皆同じだけお金払ってるんだから、一打あたりが他の人より安くて、得したじゃない」という無理のある慰めの言葉をかけてもらったが、ちっとも嬉しくない。
卒業までに、100打を切れるだろうか・・・。
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ビジネススクールの2年目が始まった。
祝日である9月1日"Labor Day"の翌日、つまり9月2日は、全学生が履修登録のために登校する。
昨年とまったく同じプロセスである。
但し当然ながら、そこに臨む気持ちは大きく異なる。
昨年は、何もかもが初めてで、そこから何が始まるのか、まだ想像がついていなかった。同様に登録に訪れている学生たちも、これに先立つオリエンテーション等で一部顔を合わせてはいるものの、大半が知らない顔ばかりであり、そそくさと登録だけ済ませて帰ったような記憶がある。
しかし今年は、知った顔が多い。しかも3ヶ月ほどの長い夏季休暇を経て、その間に多くの学生が世界各地でインターンをして戻ってきている。自然とあちこちで立ち話の輪ができ、自分も5歩動くと友人に捉まる・出会う、という具合。時節柄、投資銀行でインターンをした人間は極端に少なかったが、それでもGoogleやAmazon.com、インテルなどのハイテクメーカー、世界的製薬メーカー、あるいは国連のプロジェクトなど、多種多様な分野の世界超一流の場所で皆活躍していて、そうしたビジネススクールの一員であることに誇りを感じさせられる。
一方で、これから起きることについての不安や興奮は、昨年に比べると限りなく小さい。もちろん履修する科目は昨年と全く異なるが、「ビジネススクールの授業とはどういうものか」というのは見えているし、忙しさの波動や、その平均値も、だいたい予想がつく。よくビジネススクールの2年目は楽だといわれるが、それは実際の勉強の負荷の差というよりも、こうした気持ちの問題が大きく影響しているような気がする。
そして、目下の関心事の違いもある。昨年の今頃の大きな関心事は、ビジネススクールでの授業・学業そのものに関することと、次女の出産くらいであった。それが今年は、卒業後の進路、長女のプレスクール入学が関心の中心で、それ以外にもSloanGearの経営やゴルフの習熟にも関心が高く、授業への気持ちはそうした中に埋没しがちである。最初の二つの大関心事は一時的な話題なので、これらが一段落し、学校中心の生活に戻ってくると、また気持ちのギアが入るのだろうか…。どうも緊張感がなくてイカン、と思う。
祝日である9月1日"Labor Day"の翌日、つまり9月2日は、全学生が履修登録のために登校する。
昨年とまったく同じプロセスである。
但し当然ながら、そこに臨む気持ちは大きく異なる。
昨年は、何もかもが初めてで、そこから何が始まるのか、まだ想像がついていなかった。同様に登録に訪れている学生たちも、これに先立つオリエンテーション等で一部顔を合わせてはいるものの、大半が知らない顔ばかりであり、そそくさと登録だけ済ませて帰ったような記憶がある。
しかし今年は、知った顔が多い。しかも3ヶ月ほどの長い夏季休暇を経て、その間に多くの学生が世界各地でインターンをして戻ってきている。自然とあちこちで立ち話の輪ができ、自分も5歩動くと友人に捉まる・出会う、という具合。時節柄、投資銀行でインターンをした人間は極端に少なかったが、それでもGoogleやAmazon.com、インテルなどのハイテクメーカー、世界的製薬メーカー、あるいは国連のプロジェクトなど、多種多様な分野の世界超一流の場所で皆活躍していて、そうしたビジネススクールの一員であることに誇りを感じさせられる。
一方で、これから起きることについての不安や興奮は、昨年に比べると限りなく小さい。もちろん履修する科目は昨年と全く異なるが、「ビジネススクールの授業とはどういうものか」というのは見えているし、忙しさの波動や、その平均値も、だいたい予想がつく。よくビジネススクールの2年目は楽だといわれるが、それは実際の勉強の負荷の差というよりも、こうした気持ちの問題が大きく影響しているような気がする。
そして、目下の関心事の違いもある。昨年の今頃の大きな関心事は、ビジネススクールでの授業・学業そのものに関することと、次女の出産くらいであった。それが今年は、卒業後の進路、長女のプレスクール入学が関心の中心で、それ以外にもSloanGearの経営やゴルフの習熟にも関心が高く、授業への気持ちはそうした中に埋没しがちである。最初の二つの大関心事は一時的な話題なので、これらが一段落し、学校中心の生活に戻ってくると、また気持ちのギアが入るのだろうか…。どうも緊張感がなくてイカン、と思う。
10週間のサマーインターンを終え、8月16日にボストンに戻ってから、同じ飛行機でボストンを訪れた両親を案内しつつ、フェンウェイパークで野球観戦、ボストンの南東に浮かぶMartha's Vineyard島への小旅行、ボストン交響楽団の夏季演奏地タングルウッドでの音楽鑑賞と、短いボストンの夏を駆け足で楽しんでいる。
そしてその勢いで、21日から3泊4日で、ニューヨークを訪れた。今回の留学のために米国に住むようになってからは、初めてのニューヨーク。仕事で何度か訪れたことはあったが、時間的余裕、地理的理解が乏しかったことと、いずれも冬場であまり外を歩く環境ではなかったことなどから、所謂観光も今回が初めてである。3世代6名でぞろぞろと動き回ることになったが、想像以上に面白かった。いくつか、ハイライトを記しておきたい。
摩天楼
狭いマンハッタン島にビル群がひしめく姿は、やはり壮観。
今回はボストンから車を自分で運転して街に入ったので、ハイウェイが大きく旋回してブロンクスに入ったあたりでまず前方にビル群の北端が見えてきた。おお、着いた、という直線的な感動がある。
到着後さっそく登ったロックフェラー・センターのGEビル(高さ259m)からは、夕暮れ時のビル群が目線の高さから下にみえて、これも絶景。南には夕陽を浴びたエンパイヤ・ステート・ビル、その向こうにウォール街、後ろにはヒルトンやプラザなどの有名ホテル群の向こうにセントラル・パーク…。まさに米国資本主義の象徴、あるいは現代版城郭都市(壁は石やレンガではなくカネで出来ている)、という風景。
自由の女神のあるリバティー島からのマンハッタン島も、エネルギーが常に臨界点まで高まった途轍もない物体に見える。銅板を張り合わせて作られた自由の女神そのものよりも、彼女はいつもこういう景色を見つめているのか、ということにちょっと感動した。
Ground Zero
事件が起きた2001年9月11日のそのとき、私は当時勤めていた会社の独身寮に、仕事を終えて帰ってきたところだった。テレビをつけると、確かニュースステーションだったと思うが、いつもならスポーツニュースをやっているくらいの時間帯なのに、黒煙を上げるワールドトレードセンタービルの映像が流れっぱなしになっていた。放送予定が変わって映画でもやっているのかと思ったが、音声は久米宏の声だった。何が起きたのか良くわからず、ネクタイを外しながら画面を見ていると、二機目の飛行機が無事だった方のビルに突入した。ライブ映像だったかどうかは定かではないが、なにか非常に恐ろしいことを、リアルタイムで見ているようで、阪神淡路大震災の記憶やいろいろなものが頭を巡り、金縛りにあったように暫く動けなかったことを覚えている。
その悲劇があった場所は、あれから7年も経つのにまだ建物がなかった。数mの距離からその大きな空白地を肉眼で見ると、広島の原爆ドームを見たときにも感じたような、静かで深い衝撃があった。
Central Park
映画でも良く出てくるし、一時はまっていたドラマ「フレンズ」にも登場する広大な公園であるが、実際に歩いてみると、想像とはまったく異なっていた。
まず、でかい。大きいとは思っていたが、それよりさらに随分と大きい。
そして作りが複雑。ロンドンのハイド・パークのような、あるいは東京の代々木公園のような、ほぼフラットな土地に広々とした芝生が広がる公園を想像していたが、実際は起伏が大きく、巨石が転がっていたり、木々が鬱蒼とした場所があったりと、忙しく変化している。想像を肯定してくれるような芝生の広場もあったが、それ自体は思ったほど広くはなかったりした。
それでも憩う人の密度が適度で、居心地がいいのは、やはり全体がそれだけ大きいのと、適度な規制(バーベキューをしない、など)が行き届いているためだろうか。
Grand Central駅
これも映画に良く出てくる、マンハッタンを代表する歴史的建造物である。歴史的、といっても150年ほどの歴史しかないが、駅としてはかなり古い方であるし、歴史のない米国はこういうものを大切にしている。外観もさることながら、中央ホールの威容は圧巻。広大な大理石の床、その125m上のドーム型の天井には、プラネタリウムのように星空が描かれている。
地下にあるシーフードレストランで夕食をとった。最近丸の内にも出店した人気レストランであるが、やはり「本場」は雰囲気も味も違う。
Blue Note
高校生くらいからジャズを聴くようになり、かつては東京でもよくライブを聴きに行っていたが、コンサルタントになってからはなかなか時間が取れなくなり、「本場」米国に渡ってからも子連れではなかなか聴きにも行けず、暫くライブから遠ざかっていた。
しかしニューヨークまで来て「何も」聴かずに帰るのは、あまりにも惜しい。数年前に仕事で来た際に訪れたライブは、店の雰囲気も音楽も、素晴らしかった。しかも調べてみると、ブルーノートにラリー・カールトンが来ているという。これは是非とも聴きに行きたい!というわけで、両親に子供を預かってもらい、妻とブルーノートへ。最高でした。
Visiting a Friend
最後の夜は、友人の家に招かれて、夕食をご馳走になった。
「通常の」年であれば、夏のニューヨークはウォール街でインターンをするビジネススクールの学生が多く集まっているのだが、今年は折からの不景気で投資銀行は採用意欲が悲惨なほど乏しく、スローンからニューヨークに来ている学生も驚くほど少ない。それでも同じ寮に住むチリ人のA君は、母国語のスペイン語に加えて英語、フランス語も出来るという語学力が評価されて、フランス系の銀行にインターンの場を得ていた。彼はコロンビア大学の寮を夏の間だけ借りて住んでおり、そこに招かれたのだった。
久しぶりに会う友人との会話、心づくしの手料理も嬉しかったが、「ニューヨークで友人の家に行く」というタテツケが、田舎者にはミーハー心を擽られるようで、何ともドラマチックだった。
明日からはまたボストンでの生活が始まる…。
そしてその勢いで、21日から3泊4日で、ニューヨークを訪れた。今回の留学のために米国に住むようになってからは、初めてのニューヨーク。仕事で何度か訪れたことはあったが、時間的余裕、地理的理解が乏しかったことと、いずれも冬場であまり外を歩く環境ではなかったことなどから、所謂観光も今回が初めてである。3世代6名でぞろぞろと動き回ることになったが、想像以上に面白かった。いくつか、ハイライトを記しておきたい。
摩天楼
狭いマンハッタン島にビル群がひしめく姿は、やはり壮観。
今回はボストンから車を自分で運転して街に入ったので、ハイウェイが大きく旋回してブロンクスに入ったあたりでまず前方にビル群の北端が見えてきた。おお、着いた、という直線的な感動がある。
到着後さっそく登ったロックフェラー・センターのGEビル(高さ259m)からは、夕暮れ時のビル群が目線の高さから下にみえて、これも絶景。南には夕陽を浴びたエンパイヤ・ステート・ビル、その向こうにウォール街、後ろにはヒルトンやプラザなどの有名ホテル群の向こうにセントラル・パーク…。まさに米国資本主義の象徴、あるいは現代版城郭都市(壁は石やレンガではなくカネで出来ている)、という風景。
自由の女神のあるリバティー島からのマンハッタン島も、エネルギーが常に臨界点まで高まった途轍もない物体に見える。銅板を張り合わせて作られた自由の女神そのものよりも、彼女はいつもこういう景色を見つめているのか、ということにちょっと感動した。
Ground Zero
事件が起きた2001年9月11日のそのとき、私は当時勤めていた会社の独身寮に、仕事を終えて帰ってきたところだった。テレビをつけると、確かニュースステーションだったと思うが、いつもならスポーツニュースをやっているくらいの時間帯なのに、黒煙を上げるワールドトレードセンタービルの映像が流れっぱなしになっていた。放送予定が変わって映画でもやっているのかと思ったが、音声は久米宏の声だった。何が起きたのか良くわからず、ネクタイを外しながら画面を見ていると、二機目の飛行機が無事だった方のビルに突入した。ライブ映像だったかどうかは定かではないが、なにか非常に恐ろしいことを、リアルタイムで見ているようで、阪神淡路大震災の記憶やいろいろなものが頭を巡り、金縛りにあったように暫く動けなかったことを覚えている。
その悲劇があった場所は、あれから7年も経つのにまだ建物がなかった。数mの距離からその大きな空白地を肉眼で見ると、広島の原爆ドームを見たときにも感じたような、静かで深い衝撃があった。
Central Park
映画でも良く出てくるし、一時はまっていたドラマ「フレンズ」にも登場する広大な公園であるが、実際に歩いてみると、想像とはまったく異なっていた。
まず、でかい。大きいとは思っていたが、それよりさらに随分と大きい。
そして作りが複雑。ロンドンのハイド・パークのような、あるいは東京の代々木公園のような、ほぼフラットな土地に広々とした芝生が広がる公園を想像していたが、実際は起伏が大きく、巨石が転がっていたり、木々が鬱蒼とした場所があったりと、忙しく変化している。想像を肯定してくれるような芝生の広場もあったが、それ自体は思ったほど広くはなかったりした。
それでも憩う人の密度が適度で、居心地がいいのは、やはり全体がそれだけ大きいのと、適度な規制(バーベキューをしない、など)が行き届いているためだろうか。
Grand Central駅
これも映画に良く出てくる、マンハッタンを代表する歴史的建造物である。歴史的、といっても150年ほどの歴史しかないが、駅としてはかなり古い方であるし、歴史のない米国はこういうものを大切にしている。外観もさることながら、中央ホールの威容は圧巻。広大な大理石の床、その125m上のドーム型の天井には、プラネタリウムのように星空が描かれている。
地下にあるシーフードレストランで夕食をとった。最近丸の内にも出店した人気レストランであるが、やはり「本場」は雰囲気も味も違う。
Blue Note
高校生くらいからジャズを聴くようになり、かつては東京でもよくライブを聴きに行っていたが、コンサルタントになってからはなかなか時間が取れなくなり、「本場」米国に渡ってからも子連れではなかなか聴きにも行けず、暫くライブから遠ざかっていた。
しかしニューヨークまで来て「何も」聴かずに帰るのは、あまりにも惜しい。数年前に仕事で来た際に訪れたライブは、店の雰囲気も音楽も、素晴らしかった。しかも調べてみると、ブルーノートにラリー・カールトンが来ているという。これは是非とも聴きに行きたい!というわけで、両親に子供を預かってもらい、妻とブルーノートへ。最高でした。
Visiting a Friend
最後の夜は、友人の家に招かれて、夕食をご馳走になった。
「通常の」年であれば、夏のニューヨークはウォール街でインターンをするビジネススクールの学生が多く集まっているのだが、今年は折からの不景気で投資銀行は採用意欲が悲惨なほど乏しく、スローンからニューヨークに来ている学生も驚くほど少ない。それでも同じ寮に住むチリ人のA君は、母国語のスペイン語に加えて英語、フランス語も出来るという語学力が評価されて、フランス系の銀行にインターンの場を得ていた。彼はコロンビア大学の寮を夏の間だけ借りて住んでおり、そこに招かれたのだった。
久しぶりに会う友人との会話、心づくしの手料理も嬉しかったが、「ニューヨークで友人の家に行く」というタテツケが、田舎者にはミーハー心を擽られるようで、何ともドラマチックだった。
明日からはまたボストンでの生活が始まる…。
6月9日から10週間に及んだPEファームでのインターンが本日終わった。明朝には早速東京を離れ、ボストンに戻る。
前半のボストンでのインターンで学んだことは、7月12日の記事で総括したとおりである。
また、東京で感じたこと、学んだことについても、8月8日の記事や8月11日の記事で触れてきたが、改めて振り返ると、前半と後半で経験したPE投資のあり方は、想像以上に違いが大きかった。もちろん、お世話になっていたのはグローバル・ファームであるし、ゆえにその活動を貫く価値観や文化、投資や分析のアプローチといったものは共通しているのだが、如何せん市場が大きく違った。
PE投資はそのプロセスに沿って大きく以下の4段階に分けられる
① 案件創出
② 投資(含む投資検討)
③ 投資後の企業価値向上
④ 売却
このすべてのステップにおいて、日米の投資環境にはさまざまなレベルの差があった。
まず①であるが、米国ではこれは一義的にはPEファームの仕事ではなく、投資銀行の仕事である。投資銀行が、PE投資を受け入れる価値のありそうな会社を見繕い、会社側マネジメントに働きかけ、提案をまとめてPEファームに売り込んでくる。それで投資が行われれば彼らにはフィーが落ちるわけで、立派な提案型営業である。また会社の経営者や大株主もPE投資の意義をある程度理解していて、会社の業績が好調で株価も高い時期に、自ら積極的に売りに出たりする。私がボストンの事務所でお世話になった5週間の間に携わった3つの案件は、すべて投資銀行経由での持ち込み案件であった。
一方で日本では、こうした投資銀行経由で持ち込まれる案件は極めて少ない。案件の絶対量が不足しているのか、投資銀行の力量がイマイチなのか、投資銀行のPE部門が掻っ攫っているのか、私がお世話になっていたファームに案件が来ないだけなのか、原因は定かではないが、国内企業とのパイプは圧倒的に国内銀行に握られていて、それら銀行が投資銀行業務の強化をうたう一方でPE投資の斡旋など口が裂けてもしない、というところがボトルネックではないかと思われる。また、その根底にある問題でもあり、案件の絶対量の不足にも繋がっているのが、企業側に根強く存在するPE投資への不信感だろう。ハゲタカファンドといわれた一部のバイアウトファンドの所業や、村上ファンドの存在などが過去クローズアップされたため、止むを得ない部分もあるかもしれないが、そもそも株式持合いや、あるいは相撲のタニマチに代表されるように、「金は出すが口は出さない」のが良い投資家とされている風土そのものが、資本主義として幼稚なのではないかと思ってしまう。
結果として、この部分でPEファームが主体的に果たさなければいけない役割は大きい。つまり自ら投資対象足りうる会社を探し、伝手を探して会社に提案し、投資まで持っていく、という努力を相当しなければ食っていけない(わずかにある持込案件にはほぼすべてのファンドが殺到するため、価格競争になってとても割りにあわない)。見方を変えればこれは日本におけるPE投資の面白いところでもある。特に、上場規準の甘さから未だにオーナー系企業が多く上場している日本の状況を鑑みると、そうしたオーナー経営者と「握る」ことができれば、独占的な投資に持ち込むチャンスも少なくはない。
次に②であるが、この側面についてもいろいろな点で日本は米国に比べて難しい。まず、投資の妥当性を診断するデューデリジェンスの過程において、投資候補先企業から必要なデータが出てこない。当該企業の非協力的な姿勢が原因である場合もあるが、データそのものが存在しない場合も多いようである。また、デューデリジェンスやその後のファイナンス・ストラクチャーを検討する上で頼みうるプロフェッショナルが少ないのも辛い。特に企業買収を扱えるような大手の弁護士事務所は国内に3社しかなく、オークションになった場合などは、出遅れると弁護士事務所の手当てがボトルネックとなって参加できない、という事態もよく起こるらしい。
③についても、日本の方が手間がかかる。最大の原因は、取締役会が協議・意思決定機関として機能していないことにあるだろう。
米国における投資先企業のモニタリング、意思決定への関与は、取締役会に出ていれば最低限の任を果たすことができるようである。もちろん根回しその他の行為は日本のように行われるが、取締役会の議事次第には、経営に関する重要な議題が含まれているし、そこは議論の場として機能していることが多い。要するに、コーポレート・ガバナンスが機能している会社が多い、ということであるし、機能していない会社に投資した場合も、それが機能するように改善することはそれほど難しくない。
しかしながら、日本では、取締役会(あるいはそれに類する経営上の最高意思決定会議)は、株主総会もそうだが、「シャンシャン」が美しいとされるし、基本である。取締役会で、上程者に対して「鋭い質問」でもしようものなら、逆にアホ扱いされるだろう。もちろん、組織はどこかで意思決定しなければならないので、実際はこれに変わる会議なり、意思決定のグループなりが存在するのだが、これがあまりにも非公式であったり、組織に散在していたりして、外部からはなかなかわかりにくいし、わかったところでそれを解散させたとしても、これはもうハードの問題ではなく企業文化の問題なので、本質的にはなかなか変わりにくい。かつてコンサルタントとして関わったある企業でも、取締役会や経営会議と呼ばれる会議がまったく機能しておらず、よくよく調べてみると、幹部の朝のコーヒータイムのような非公式な集まりで、書類もないまま重要事項が雑談のように語られ、異論が出なければ「了承」とされていた。この手の会合は、もともと公式に存在しているものでもないので、廃止しにくいし、廃止してもまた復活する。こうした組織体の中で、何が起きているかを理解し、意思決定に影響を及ぼして、企業を「正しい」方向に向けていくというのは、非常に手間がかかる。
もっとも、悪い話ばかりではなく、日本の組織は情報収集や意思決定に手間がかかる反面、経営判断が下るとそれを執行するための現場の力は強いことが多いので、マネジメントの手間をかければ大きな見返りを期待することもできるのではないかと感じている。この点、つまり経営上の意思決定を組織の行動にかえ、結果につなげて行くという作業は、例えば米国や中国の組織では難しい。
④の部分は、単にPE投資の歴史の差かもしれないが、日本のPE投資はこれまでの例を見る限り出口が限られている。理論的には、PE投資の出口は(1)株式公開、(2)事業会社への売却、(3)他の投資家(ファンド)への売却、という3通りがあるが、日本ではまだ(1)のパターンは現れていないはずである(新生銀行は形式的にはこの分類に含められるが、問題が多いのでここではカウントしない)。数的に多く、経済的なリターンももたらしているのは、(3)ではないか。一方で米国では、この3通りともに存在しているし、検討の価値がある。結局のところ、PE投資は出口があってナンボのものであるから、出口のバリエーションが多いというのは、それだけで良いことである。
このようにみてくると、日本の投資環境の方が、その投資の歴史の浅さと企業文化・社会風土の特殊性から、米国に比べてあらゆる面で難しそうである。
しかしながら、世界第二の経済大国で、これだけ再編機運が高まっており、なおかつPE投資の浸透度が低いとなると、マクロ的にはチャンスがあるのは間違いだろう。つまり、難しい中で、市場を啓蒙しつついかに時勢を捕まえて成功するか、という、チャレンジングな環境であるらしい。もっとも、PE投資の基礎を学ぶという点では、あまり良い市場ではないだろう。そこはボストンなり、米国の事務所で働いた方が、短い期間でみっちりと習熟できるように思う。
結局のところ、どちらがいいか、またこの業界自体に首を突っ込むべきかは、人による、ということか。
前半のボストンでのインターンで学んだことは、7月12日の記事で総括したとおりである。
また、東京で感じたこと、学んだことについても、8月8日の記事や8月11日の記事で触れてきたが、改めて振り返ると、前半と後半で経験したPE投資のあり方は、想像以上に違いが大きかった。もちろん、お世話になっていたのはグローバル・ファームであるし、ゆえにその活動を貫く価値観や文化、投資や分析のアプローチといったものは共通しているのだが、如何せん市場が大きく違った。
PE投資はそのプロセスに沿って大きく以下の4段階に分けられる
① 案件創出
② 投資(含む投資検討)
③ 投資後の企業価値向上
④ 売却
このすべてのステップにおいて、日米の投資環境にはさまざまなレベルの差があった。
まず①であるが、米国ではこれは一義的にはPEファームの仕事ではなく、投資銀行の仕事である。投資銀行が、PE投資を受け入れる価値のありそうな会社を見繕い、会社側マネジメントに働きかけ、提案をまとめてPEファームに売り込んでくる。それで投資が行われれば彼らにはフィーが落ちるわけで、立派な提案型営業である。また会社の経営者や大株主もPE投資の意義をある程度理解していて、会社の業績が好調で株価も高い時期に、自ら積極的に売りに出たりする。私がボストンの事務所でお世話になった5週間の間に携わった3つの案件は、すべて投資銀行経由での持ち込み案件であった。
一方で日本では、こうした投資銀行経由で持ち込まれる案件は極めて少ない。案件の絶対量が不足しているのか、投資銀行の力量がイマイチなのか、投資銀行のPE部門が掻っ攫っているのか、私がお世話になっていたファームに案件が来ないだけなのか、原因は定かではないが、国内企業とのパイプは圧倒的に国内銀行に握られていて、それら銀行が投資銀行業務の強化をうたう一方でPE投資の斡旋など口が裂けてもしない、というところがボトルネックではないかと思われる。また、その根底にある問題でもあり、案件の絶対量の不足にも繋がっているのが、企業側に根強く存在するPE投資への不信感だろう。ハゲタカファンドといわれた一部のバイアウトファンドの所業や、村上ファンドの存在などが過去クローズアップされたため、止むを得ない部分もあるかもしれないが、そもそも株式持合いや、あるいは相撲のタニマチに代表されるように、「金は出すが口は出さない」のが良い投資家とされている風土そのものが、資本主義として幼稚なのではないかと思ってしまう。
結果として、この部分でPEファームが主体的に果たさなければいけない役割は大きい。つまり自ら投資対象足りうる会社を探し、伝手を探して会社に提案し、投資まで持っていく、という努力を相当しなければ食っていけない(わずかにある持込案件にはほぼすべてのファンドが殺到するため、価格競争になってとても割りにあわない)。見方を変えればこれは日本におけるPE投資の面白いところでもある。特に、上場規準の甘さから未だにオーナー系企業が多く上場している日本の状況を鑑みると、そうしたオーナー経営者と「握る」ことができれば、独占的な投資に持ち込むチャンスも少なくはない。
次に②であるが、この側面についてもいろいろな点で日本は米国に比べて難しい。まず、投資の妥当性を診断するデューデリジェンスの過程において、投資候補先企業から必要なデータが出てこない。当該企業の非協力的な姿勢が原因である場合もあるが、データそのものが存在しない場合も多いようである。また、デューデリジェンスやその後のファイナンス・ストラクチャーを検討する上で頼みうるプロフェッショナルが少ないのも辛い。特に企業買収を扱えるような大手の弁護士事務所は国内に3社しかなく、オークションになった場合などは、出遅れると弁護士事務所の手当てがボトルネックとなって参加できない、という事態もよく起こるらしい。
③についても、日本の方が手間がかかる。最大の原因は、取締役会が協議・意思決定機関として機能していないことにあるだろう。
米国における投資先企業のモニタリング、意思決定への関与は、取締役会に出ていれば最低限の任を果たすことができるようである。もちろん根回しその他の行為は日本のように行われるが、取締役会の議事次第には、経営に関する重要な議題が含まれているし、そこは議論の場として機能していることが多い。要するに、コーポレート・ガバナンスが機能している会社が多い、ということであるし、機能していない会社に投資した場合も、それが機能するように改善することはそれほど難しくない。
しかしながら、日本では、取締役会(あるいはそれに類する経営上の最高意思決定会議)は、株主総会もそうだが、「シャンシャン」が美しいとされるし、基本である。取締役会で、上程者に対して「鋭い質問」でもしようものなら、逆にアホ扱いされるだろう。もちろん、組織はどこかで意思決定しなければならないので、実際はこれに変わる会議なり、意思決定のグループなりが存在するのだが、これがあまりにも非公式であったり、組織に散在していたりして、外部からはなかなかわかりにくいし、わかったところでそれを解散させたとしても、これはもうハードの問題ではなく企業文化の問題なので、本質的にはなかなか変わりにくい。かつてコンサルタントとして関わったある企業でも、取締役会や経営会議と呼ばれる会議がまったく機能しておらず、よくよく調べてみると、幹部の朝のコーヒータイムのような非公式な集まりで、書類もないまま重要事項が雑談のように語られ、異論が出なければ「了承」とされていた。この手の会合は、もともと公式に存在しているものでもないので、廃止しにくいし、廃止してもまた復活する。こうした組織体の中で、何が起きているかを理解し、意思決定に影響を及ぼして、企業を「正しい」方向に向けていくというのは、非常に手間がかかる。
もっとも、悪い話ばかりではなく、日本の組織は情報収集や意思決定に手間がかかる反面、経営判断が下るとそれを執行するための現場の力は強いことが多いので、マネジメントの手間をかければ大きな見返りを期待することもできるのではないかと感じている。この点、つまり経営上の意思決定を組織の行動にかえ、結果につなげて行くという作業は、例えば米国や中国の組織では難しい。
④の部分は、単にPE投資の歴史の差かもしれないが、日本のPE投資はこれまでの例を見る限り出口が限られている。理論的には、PE投資の出口は(1)株式公開、(2)事業会社への売却、(3)他の投資家(ファンド)への売却、という3通りがあるが、日本ではまだ(1)のパターンは現れていないはずである(新生銀行は形式的にはこの分類に含められるが、問題が多いのでここではカウントしない)。数的に多く、経済的なリターンももたらしているのは、(3)ではないか。一方で米国では、この3通りともに存在しているし、検討の価値がある。結局のところ、PE投資は出口があってナンボのものであるから、出口のバリエーションが多いというのは、それだけで良いことである。
このようにみてくると、日本の投資環境の方が、その投資の歴史の浅さと企業文化・社会風土の特殊性から、米国に比べてあらゆる面で難しそうである。
しかしながら、世界第二の経済大国で、これだけ再編機運が高まっており、なおかつPE投資の浸透度が低いとなると、マクロ的にはチャンスがあるのは間違いだろう。つまり、難しい中で、市場を啓蒙しつついかに時勢を捕まえて成功するか、という、チャレンジングな環境であるらしい。もっとも、PE投資の基礎を学ぶという点では、あまり良い市場ではないだろう。そこはボストンなり、米国の事務所で働いた方が、短い期間でみっちりと習熟できるように思う。
結局のところ、どちらがいいか、またこの業界自体に首を突っ込むべきかは、人による、ということか。
無料ながらも非常に役に立つウェブツールを次々に世に送り出しているGoogleであるが、同社が今年になってからリリースしたGoogle Analyticsというツールも、かなりのスグレモノである。
ウェブサイトへのアクセス分析のツールで、フリーで作成される簡単なプログラムをサイトのソースに埋め込んでおくと、ロボットが巡回して毎日アクセス分析をしてくれる。しかもさすがGoogleだけあって、レポートも非常にユーザーフレンドリーで、使いやすい。毎日のアクセス数のカウントだけでなく、それが地域別、アクセス経路別(どこのサイトを経由してきたか)、検索ワード別に、ほぼリアルタイムで集計されてくる。
本ブログはあくまでも自分の経験とそこで考えたこと、感じたことを書き留めておくためのものであり、公開しているのはその作業の継続を自分に強いるためであって、特定の読者を想定して書いているわけではないが、それでも公開しているとやはり読者というのは少なからず気になるものではある。
Google Analyticsによると、本ブログをご覧いただいている方々の今日現在の内訳は、概ね以下のようになっているらしい。
まず参照元であるが、GoogleやYahoo!などの検索エンジン、他のブログなどの検索エンジン以外のサイト、そして経由なしでの直接アクセスが、ほぼ1/3ずつとなっている。直接アクセス、つまりブックマークをしていただいている方々からのアクセスは増加傾向にあったが、3割を超えたくらいで安定している。一方、検索エンジン経由で本ブログにアクセスしてくださる方が最近多少増えているようである。
地域別には、当たり前であるが、日本からのアクセスが約8割、米国内からのアクセスが2割弱と多く、その他に(恐らく何かの間違いだろうが)豪州や英国からのアクセスがちらほらとみられる。
日本国内からアクセスしてくださっている方は、6~7割がリピーターのようである。親族のいる大阪や岐阜からのアクセスを除くと、地域別アクセス元の上位は以下のとおりらしい。
新宿区 19%
渋谷区 9%
練馬区 5%
中野区 4%
各務原(岐阜県) 4%
人口の多い都内からのアクセスが多いのは確率論的にもさほど不思議ではないだろうし、また都内には今後のMBA留学を考えておられる方々や、私の知人・友人も多いので、そういう方々がアクセスしてくれているのかもしれない。が、それにしても、例えば新宿区や渋谷区にそれほど知人がいるのかと自問すると、首を傾げざるを得ないし、果たしてこの方々はどういう読者なのだろう、といろいろ想像してしまう。
もう少しで8月も終わり、ビジネススクールも2年目に突入する。本ブログの内容がどう変わっていくか自分でも予想がつかないが、いつもご覧いただいている方々で、こうした内容を書いて欲しい、というご意見がありましたら、本項右上(記事タイトル右下)にありますCommentという箇所から、コメントをお寄せください。
ご期待に沿えるかはわかりませんが、意識してみます。
ウェブサイトへのアクセス分析のツールで、フリーで作成される簡単なプログラムをサイトのソースに埋め込んでおくと、ロボットが巡回して毎日アクセス分析をしてくれる。しかもさすがGoogleだけあって、レポートも非常にユーザーフレンドリーで、使いやすい。毎日のアクセス数のカウントだけでなく、それが地域別、アクセス経路別(どこのサイトを経由してきたか)、検索ワード別に、ほぼリアルタイムで集計されてくる。
本ブログはあくまでも自分の経験とそこで考えたこと、感じたことを書き留めておくためのものであり、公開しているのはその作業の継続を自分に強いるためであって、特定の読者を想定して書いているわけではないが、それでも公開しているとやはり読者というのは少なからず気になるものではある。
Google Analyticsによると、本ブログをご覧いただいている方々の今日現在の内訳は、概ね以下のようになっているらしい。
まず参照元であるが、GoogleやYahoo!などの検索エンジン、他のブログなどの検索エンジン以外のサイト、そして経由なしでの直接アクセスが、ほぼ1/3ずつとなっている。直接アクセス、つまりブックマークをしていただいている方々からのアクセスは増加傾向にあったが、3割を超えたくらいで安定している。一方、検索エンジン経由で本ブログにアクセスしてくださる方が最近多少増えているようである。
地域別には、当たり前であるが、日本からのアクセスが約8割、米国内からのアクセスが2割弱と多く、その他に(恐らく何かの間違いだろうが)豪州や英国からのアクセスがちらほらとみられる。
日本国内からアクセスしてくださっている方は、6~7割がリピーターのようである。親族のいる大阪や岐阜からのアクセスを除くと、地域別アクセス元の上位は以下のとおりらしい。
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人口の多い都内からのアクセスが多いのは確率論的にもさほど不思議ではないだろうし、また都内には今後のMBA留学を考えておられる方々や、私の知人・友人も多いので、そういう方々がアクセスしてくれているのかもしれない。が、それにしても、例えば新宿区や渋谷区にそれほど知人がいるのかと自問すると、首を傾げざるを得ないし、果たしてこの方々はどういう読者なのだろう、といろいろ想像してしまう。
もう少しで8月も終わり、ビジネススクールも2年目に突入する。本ブログの内容がどう変わっていくか自分でも予想がつかないが、いつもご覧いただいている方々で、こうした内容を書いて欲しい、というご意見がありましたら、本項右上(記事タイトル右下)にありますCommentという箇所から、コメントをお寄せください。
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HN:
Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。
ご意見、ご感想は↓まで
sloangear★gmail.com
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