「 Visiting New York ...特別な街 」
10週間のサマーインターンを終え、8月16日にボストンに戻ってから、同じ飛行機でボストンを訪れた両親を案内しつつ、フェンウェイパークで野球観戦、ボストンの南東に浮かぶMartha's Vineyard島への小旅行、ボストン交響楽団の夏季演奏地タングルウッドでの音楽鑑賞と、短いボストンの夏を駆け足で楽しんでいる。
そしてその勢いで、21日から3泊4日で、ニューヨークを訪れた。今回の留学のために米国に住むようになってからは、初めてのニューヨーク。仕事で何度か訪れたことはあったが、時間的余裕、地理的理解が乏しかったことと、いずれも冬場であまり外を歩く環境ではなかったことなどから、所謂観光も今回が初めてである。3世代6名でぞろぞろと動き回ることになったが、想像以上に面白かった。いくつか、ハイライトを記しておきたい。
摩天楼
狭いマンハッタン島にビル群がひしめく姿は、やはり壮観。
今回はボストンから車を自分で運転して街に入ったので、ハイウェイが大きく旋回してブロンクスに入ったあたりでまず前方にビル群の北端が見えてきた。おお、着いた、という直線的な感動がある。
到着後さっそく登ったロックフェラー・センターのGEビル(高さ259m)からは、夕暮れ時のビル群が目線の高さから下にみえて、これも絶景。南には夕陽を浴びたエンパイヤ・ステート・ビル、その向こうにウォール街、後ろにはヒルトンやプラザなどの有名ホテル群の向こうにセントラル・パーク…。まさに米国資本主義の象徴、あるいは現代版城郭都市(壁は石やレンガではなくカネで出来ている)、という風景。
自由の女神のあるリバティー島からのマンハッタン島も、エネルギーが常に臨界点まで高まった途轍もない物体に見える。銅板を張り合わせて作られた自由の女神そのものよりも、彼女はいつもこういう景色を見つめているのか、ということにちょっと感動した。
Ground Zero
事件が起きた2001年9月11日のそのとき、私は当時勤めていた会社の独身寮に、仕事を終えて帰ってきたところだった。テレビをつけると、確かニュースステーションだったと思うが、いつもならスポーツニュースをやっているくらいの時間帯なのに、黒煙を上げるワールドトレードセンタービルの映像が流れっぱなしになっていた。放送予定が変わって映画でもやっているのかと思ったが、音声は久米宏の声だった。何が起きたのか良くわからず、ネクタイを外しながら画面を見ていると、二機目の飛行機が無事だった方のビルに突入した。ライブ映像だったかどうかは定かではないが、なにか非常に恐ろしいことを、リアルタイムで見ているようで、阪神淡路大震災の記憶やいろいろなものが頭を巡り、金縛りにあったように暫く動けなかったことを覚えている。
その悲劇があった場所は、あれから7年も経つのにまだ建物がなかった。数mの距離からその大きな空白地を肉眼で見ると、広島の原爆ドームを見たときにも感じたような、静かで深い衝撃があった。
Central Park
映画でも良く出てくるし、一時はまっていたドラマ「フレンズ」にも登場する広大な公園であるが、実際に歩いてみると、想像とはまったく異なっていた。
まず、でかい。大きいとは思っていたが、それよりさらに随分と大きい。
そして作りが複雑。ロンドンのハイド・パークのような、あるいは東京の代々木公園のような、ほぼフラットな土地に広々とした芝生が広がる公園を想像していたが、実際は起伏が大きく、巨石が転がっていたり、木々が鬱蒼とした場所があったりと、忙しく変化している。想像を肯定してくれるような芝生の広場もあったが、それ自体は思ったほど広くはなかったりした。
それでも憩う人の密度が適度で、居心地がいいのは、やはり全体がそれだけ大きいのと、適度な規制(バーベキューをしない、など)が行き届いているためだろうか。
Grand Central駅
これも映画に良く出てくる、マンハッタンを代表する歴史的建造物である。歴史的、といっても150年ほどの歴史しかないが、駅としてはかなり古い方であるし、歴史のない米国はこういうものを大切にしている。外観もさることながら、中央ホールの威容は圧巻。広大な大理石の床、その125m上のドーム型の天井には、プラネタリウムのように星空が描かれている。
地下にあるシーフードレストランで夕食をとった。最近丸の内にも出店した人気レストランであるが、やはり「本場」は雰囲気も味も違う。
Blue Note
高校生くらいからジャズを聴くようになり、かつては東京でもよくライブを聴きに行っていたが、コンサルタントになってからはなかなか時間が取れなくなり、「本場」米国に渡ってからも子連れではなかなか聴きにも行けず、暫くライブから遠ざかっていた。
しかしニューヨークまで来て「何も」聴かずに帰るのは、あまりにも惜しい。数年前に仕事で来た際に訪れたライブは、店の雰囲気も音楽も、素晴らしかった。しかも調べてみると、ブルーノートにラリー・カールトンが来ているという。これは是非とも聴きに行きたい!というわけで、両親に子供を預かってもらい、妻とブルーノートへ。最高でした。
Visiting a Friend
最後の夜は、友人の家に招かれて、夕食をご馳走になった。
「通常の」年であれば、夏のニューヨークはウォール街でインターンをするビジネススクールの学生が多く集まっているのだが、今年は折からの不景気で投資銀行は採用意欲が悲惨なほど乏しく、スローンからニューヨークに来ている学生も驚くほど少ない。それでも同じ寮に住むチリ人のA君は、母国語のスペイン語に加えて英語、フランス語も出来るという語学力が評価されて、フランス系の銀行にインターンの場を得ていた。彼はコロンビア大学の寮を夏の間だけ借りて住んでおり、そこに招かれたのだった。
久しぶりに会う友人との会話、心づくしの手料理も嬉しかったが、「ニューヨークで友人の家に行く」というタテツケが、田舎者にはミーハー心を擽られるようで、何ともドラマチックだった。
明日からはまたボストンでの生活が始まる…。
そしてその勢いで、21日から3泊4日で、ニューヨークを訪れた。今回の留学のために米国に住むようになってからは、初めてのニューヨーク。仕事で何度か訪れたことはあったが、時間的余裕、地理的理解が乏しかったことと、いずれも冬場であまり外を歩く環境ではなかったことなどから、所謂観光も今回が初めてである。3世代6名でぞろぞろと動き回ることになったが、想像以上に面白かった。いくつか、ハイライトを記しておきたい。
摩天楼
狭いマンハッタン島にビル群がひしめく姿は、やはり壮観。
今回はボストンから車を自分で運転して街に入ったので、ハイウェイが大きく旋回してブロンクスに入ったあたりでまず前方にビル群の北端が見えてきた。おお、着いた、という直線的な感動がある。
到着後さっそく登ったロックフェラー・センターのGEビル(高さ259m)からは、夕暮れ時のビル群が目線の高さから下にみえて、これも絶景。南には夕陽を浴びたエンパイヤ・ステート・ビル、その向こうにウォール街、後ろにはヒルトンやプラザなどの有名ホテル群の向こうにセントラル・パーク…。まさに米国資本主義の象徴、あるいは現代版城郭都市(壁は石やレンガではなくカネで出来ている)、という風景。
自由の女神のあるリバティー島からのマンハッタン島も、エネルギーが常に臨界点まで高まった途轍もない物体に見える。銅板を張り合わせて作られた自由の女神そのものよりも、彼女はいつもこういう景色を見つめているのか、ということにちょっと感動した。
Ground Zero
事件が起きた2001年9月11日のそのとき、私は当時勤めていた会社の独身寮に、仕事を終えて帰ってきたところだった。テレビをつけると、確かニュースステーションだったと思うが、いつもならスポーツニュースをやっているくらいの時間帯なのに、黒煙を上げるワールドトレードセンタービルの映像が流れっぱなしになっていた。放送予定が変わって映画でもやっているのかと思ったが、音声は久米宏の声だった。何が起きたのか良くわからず、ネクタイを外しながら画面を見ていると、二機目の飛行機が無事だった方のビルに突入した。ライブ映像だったかどうかは定かではないが、なにか非常に恐ろしいことを、リアルタイムで見ているようで、阪神淡路大震災の記憶やいろいろなものが頭を巡り、金縛りにあったように暫く動けなかったことを覚えている。
その悲劇があった場所は、あれから7年も経つのにまだ建物がなかった。数mの距離からその大きな空白地を肉眼で見ると、広島の原爆ドームを見たときにも感じたような、静かで深い衝撃があった。
Central Park
映画でも良く出てくるし、一時はまっていたドラマ「フレンズ」にも登場する広大な公園であるが、実際に歩いてみると、想像とはまったく異なっていた。
まず、でかい。大きいとは思っていたが、それよりさらに随分と大きい。
そして作りが複雑。ロンドンのハイド・パークのような、あるいは東京の代々木公園のような、ほぼフラットな土地に広々とした芝生が広がる公園を想像していたが、実際は起伏が大きく、巨石が転がっていたり、木々が鬱蒼とした場所があったりと、忙しく変化している。想像を肯定してくれるような芝生の広場もあったが、それ自体は思ったほど広くはなかったりした。
それでも憩う人の密度が適度で、居心地がいいのは、やはり全体がそれだけ大きいのと、適度な規制(バーベキューをしない、など)が行き届いているためだろうか。
Grand Central駅
これも映画に良く出てくる、マンハッタンを代表する歴史的建造物である。歴史的、といっても150年ほどの歴史しかないが、駅としてはかなり古い方であるし、歴史のない米国はこういうものを大切にしている。外観もさることながら、中央ホールの威容は圧巻。広大な大理石の床、その125m上のドーム型の天井には、プラネタリウムのように星空が描かれている。
地下にあるシーフードレストランで夕食をとった。最近丸の内にも出店した人気レストランであるが、やはり「本場」は雰囲気も味も違う。
Blue Note
高校生くらいからジャズを聴くようになり、かつては東京でもよくライブを聴きに行っていたが、コンサルタントになってからはなかなか時間が取れなくなり、「本場」米国に渡ってからも子連れではなかなか聴きにも行けず、暫くライブから遠ざかっていた。
しかしニューヨークまで来て「何も」聴かずに帰るのは、あまりにも惜しい。数年前に仕事で来た際に訪れたライブは、店の雰囲気も音楽も、素晴らしかった。しかも調べてみると、ブルーノートにラリー・カールトンが来ているという。これは是非とも聴きに行きたい!というわけで、両親に子供を預かってもらい、妻とブルーノートへ。最高でした。
Visiting a Friend
最後の夜は、友人の家に招かれて、夕食をご馳走になった。
「通常の」年であれば、夏のニューヨークはウォール街でインターンをするビジネススクールの学生が多く集まっているのだが、今年は折からの不景気で投資銀行は採用意欲が悲惨なほど乏しく、スローンからニューヨークに来ている学生も驚くほど少ない。それでも同じ寮に住むチリ人のA君は、母国語のスペイン語に加えて英語、フランス語も出来るという語学力が評価されて、フランス系の銀行にインターンの場を得ていた。彼はコロンビア大学の寮を夏の間だけ借りて住んでおり、そこに招かれたのだった。
久しぶりに会う友人との会話、心づくしの手料理も嬉しかったが、「ニューヨークで友人の家に行く」というタテツケが、田舎者にはミーハー心を擽られるようで、何ともドラマチックだった。
明日からはまたボストンでの生活が始まる…。
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Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。
ご意見、ご感想は↓まで
sloangear★gmail.com
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