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在る偏屈者による半年遅れのMBA留学日記、そして帰国後に思うこと
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Moving Saleで売れたイスを届けに、朝から小雨の中を、隣町まで車を走らせた。買ってくれたのは、この秋から入学する予定の女性。朝9時の約束どおりに彼女のアパートを訪ね、ブザーを押すと、出てきたのはなんと同級生の男性。少し前から交際を始めて、今は一緒に住んでいるらしい。直前まで寝ていたようで、彼女が身支度と部屋の支度をするまでの間、玄関先で立ち話をしていた。彼はクラスでも(いい意味で)目立つ部類の米国人学生で、課外活動も積極的に行っていて学内の顔も広いのだが、卒業後の就職先はまだ決まっていないという。

2月の時点で、卒業後の就職先が決まっていないスローン生は、全体の5割近くに上っていた。その後はっきりとした統計は発表されていないが、感覚的には全体の少なくとも1/4程度の学生が、まだ仕事を見つけられていないようである。そしてその中には、この日会った彼や、SloanGearで活躍してくれたメンバーのように、比較的優秀な連中も少なからず含まれている。先日ハーバード・ビジネススクール(HBS)の日本人学生から聞いたところでは、世界に名だたる同校でさえ、2割近くの学生が、就職先未定で卒業する見通しだという。戦慄すべき就職難である。もちろん、就職先が決まっている学生の中でも、全員がその進路に100%満足しているわけではない。ビジネススクールに来る学生の大きな動機の一つは、入学前に比べた卒業後の平均給与の高さ(学校にもよるが、平均して1.5倍以上にはなる)であり、これが通常在学中の借金返済の元手になるのだが、今年に限っては入学前の会社に戻るという学生も多く、転職組でも1.5倍以上の給与アップを勝ち取った連中というのは、それほど多くないように思われる。ビジネススクールの存在価値自体が疑問視されている、という事態ではないと思うが(思いたいが)、それだけ求人市場が冷え切っているということである。

そんな中、我が身のもとには、今でもときどきヘッドハンターから求人の紹介が来たりする。必ずしも興味を感じるオプションでなかったりもするので、今のところ仕事を変わる気はないが、上記のような現実を前にすると、実に有難い話だと思う。ただこうした求人でさえ、今後も期待できる保障は当然ながらまったくないわけで、目下の不況がある程度長引くであろうことを想定するならば、自身の経済的・社会的不安定さは決して忘れてはならないだろう。そうした中で自分にできることは、ただ着実にビジネスマンとしての実績を積み上げていくことでしかない。
仕事の決まっていない同級生から受け取ったイスの代金を手に、自宅に戻る車の中で、そんなことを考えていた。

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本日をもって、2年間のMBA課程のすべての授業が終了した。
最終日の今日は3科目を受講したが、そのうち二つのクラスでは、プレゼンテーションをする機会に恵まれた。

最初のプレゼンテーションは、このブログでも紹介したことのある、CEO Perspectiveという授業でのこと。実際の会社で過去に起こった経営危機を題材に、自分がCEOだった場合にどういう対策を取締役会に提案するかを、毎回半数の学生がプレゼンテーションにまとめて提出、授業の初めにプレゼンテーションを提出した学生の中から1名が指名され、その危機を実際に乗り切ったCEOの同席するクラスにおいて発表する、というもの。いつかプレゼンテーションはやってみたいと、以前教授に話してはいたが、最後で回ってくるとは思わなかった。10分強の短いプレゼンテーションであり、どちらかというとオーソドックスな内容だったように思うが、授業の後で同級生から「この授業で発表した誰よりもいいプレゼンだったよ」とか、「今のがMBAで最後の授業だったけど、最後で一番いい学生プレゼンが聞けたよ」とかの言葉をもらって、まあ多分にお世辞や外国人学生への甘めの採点もあるだろうとはいえ、素直に嬉しかった。

もう一つのプレゼンテーションは、交渉術の授業で。授業で学んだ交渉術や交渉過程の分析フレームワークを使って、7人前後のチームで実際の時事問題を分析し、より良い交渉戦術を提案する、というもので、我々のチームは北朝鮮のミサイル発射問題を取り扱った。こちらは純粋に学生相手のプレゼンテーションであり、かつ3時間の授業中、延々と各チームのプレゼンが続けられるため、学生の興味をひくために、エンターテイメントの要素が強く求められる。要するに、ウケなければいけない。英語でウケをとる、というのもMBAで学んだ技術?である。即興も含めてボケてみたが、結構ウケた。大阪人なので、ウケると嬉しい。最初の授業のプレゼンとは全く異質の満足感があった。

そんなわけで、最後の授業が終了。
だいたいそういうものだが、終わってみると、実にあっけないような気もする。もうちょっと込み上げて来るものでもあるかと思ったが、皆周りの学生がカラっとしているので、そういうのもナシ。自分が2年間でどれだけ変わったのか、成長したのかも、自分では良くわからない。まあでも、そんなものか。



MIT名物の一つ(といってもいいだろう)である$100Kビジネスプラン・コンテストの最終審査会が、今年も盛大に行われた。昨年は自分自身も参加者として首を突っ込んでいたこともあって、イベントに対する気持ちの入り方が今年とは随分違ったように思うが、それを差し引いたとしても、昨年の同イベントとは、いくつかの点で有意な違いを感じた。その違いを一言で表現するならば、不況下のビジネスプラン・コンテスト、ということに行き着くのかもしれない。

まず、最終選考に残ったビジネスプランの中身であるが、昨年に比べて、市場の将来的な大きさ・可能性よりも、事業としての具体化の度合いが重視されていたように感じた。もちろん、昨年も事業としての具体化の度合いは重要な評価項目であったと思うが、今年の最終選考に残ったプランは、既に製品が出来ているだけでなく、流通上のパートナーが見つかっているだとか、一定の投資が行われているだとかというものが多かった。優勝したチーム(コンピューターのソフトウェアの更新時に再起動を必要としなくするサービス)に至っては、既にサービスを提供するためのソフトウェアだけでなく、それを走らせるサーバーも整っていて、それだけに説得力があった。投資家の視点として、昨年までに比べて決して潤沢でないであろう資金を投じるのに、確実性を重視する度合いが増したとしても、驚きではないであろう。

また、残念ながらスローン生のプレゼンスが昨年に比べると低かったように感じられた。昨年は最終選考に残った複数のチームで、全員ではないにせよ、スローンの学生が活躍していたが、今年はMITの他の学部の学生が多かったように思う。昨年と違って、私自身が予選の過程を見ていないので、もしかしたらエントリー段階では昨年を上回る数のスローン生がいて、残念ながら途中で脱落してしまったのかもしれないが、それでもやはり残念な気がする。そしてその原因は、不況で卒業後の就職先や夏のインターン先がなかなか決まらず、多くの学生が就職活動に例年以上の労力を費やさざるを得なかったという事実と、決して無縁ではないように思う。

最後に、最終選考会そのものの運営・司会進行であるが、昨年に比べて多少ぎこちなかったように思う。スローン生を中心に構成される運営チームの努力は並大抵もモノではないし、この不況下で昨年とほぼ同じフォーマットのコンテストを実現させた彼らへの賞賛は惜しまないが、少なくとも当日の司会進行は、昨年の方がスムーズであったような気がする。まあこればかりは、事前の準備云々よりも、個人の能力による部分が大きいような気もするが(昨年のリーダーだったカナダ人同級生は、本当に凄いタレントだと思う)、これもやはり不況の影響で、運営上の他の側面(資金集めなど)や就職活動に時間をとられ、練習のための十分な時間が確保できなかったという要因もあるのではないか、と推察する。

ともあれ、未曾有の不況下にあっても、こうしたビジネスプラン・コンテストを実現しようという学生がいて、そこに参加しようという学生がいて、そこに資金を提供しようという企業や投資家がいるというのは、米国の素晴らしさと底力の一つであろう。
参加された学生(特にスローン生)の皆さん、本当にお疲れ様でした。




先週の木曜日から、Moving Saleを行っている。
日本への引越しに向けて徐々に準備を進めているが、大物の家具や家電などは安物の割りにその大きさから送料が高くつくため、ほとんど現地で処分して、日本には送らないつもりでいる。こういう際、米国ではMoving Saleといって、不要になる家具などを格安で売りに出す。我々も周囲の例に倣ってやってみたのだが、想像以上に反応があって、驚いている。
インターネットを使って一般に広告することもできるのだが、得体の知れない人々が家に家具を見に来るのもあまり気持ちの良いことではないので、まずはMITコミュニティー内での広告に限っている。具体的には、スローンの現1年生および新1年生の多くが加入している非公式メーリングリストにメール広告を流し、MITの代表的な寮5箇所にビラを貼った。
それから5日が経ったが、毎日のように問い合わせがあり、テレビ、勉強机、本棚、ソファ、電子レンジなど、売りに出した家財道具の半分くらいが売れてしまった。価格を安めに設定したので、売りに出したものがすべて言い値で売れたとしても12万円ほどにしかならないのだが、それでも我々にとって不要なものが他の学生の生活に役立ち、かつリサイクルショップに持ち込むよりは良い値段で現金として我々の懐に入ってくるのだから、素晴らしい。
我々が使っていた家財道具の半分以上も、同様の方法で卒業したスローンの学生から購入したものであり、それがまた新たな持ち主の下へと旅立っていく。一般に米国の学生の方が日本の学生よりも経済的に豊かではないという事情もあるが(実際、買い手に日本人はいない)、パーティーなどで紙皿や紙コップを大量に消費し大量に捨てる米国人が、こういうところではモノを大切にする仕組みを持っていることは、多少意外でもある。
ただ、MITコミュニティー内では流石に少ないかもしれないが、小切手社会の米国では、こうしたセールの支払いにおいても買い手が小切手を希望することがあり、うっかりそれを受けてしまった売り手が騙されることもあるという。そういう話もあるので、「支払いは小切手でいい?」と聞かれても、”I would appreciate the cash payment”と答えている。Noの二文字で答えるよりは多少婉曲的だが、それでも「オマエは信用できない」と言っているようなもので、ちょっと気が引けないでもない。ただ、こういう場合、母国語でない英語のやり取りの方が、かえって気が楽であったりする。
そんなわけで、ポケットの中は、普段ほとんど持ち歩かないキャッシュでいっぱい。留学生活最後のゴルフ代やお土産代などを賄ってくれている。感謝感謝。




ホスト・ファミリーのHLさんご夫婦を、手巻き寿司ランチにご招待した。
HLさんご夫妻については、このブログでも2度ほど書いたが、米国の良き中流階級と表現すべきか、ボストン圏の都心から少し離れた歴史ある住宅地に居を構え、知的・経済的水準の高いゆったりとした生活を送られている、素敵なご夫婦である。MITの紹介で知り合うことができたこのご夫婦とは半年に1回ほどお会いして、そのたびにご主人の日本に対する深い造詣と、米国の生活の物質的・精神的・文化的豊かさに感銘を受けてきた。いよいよ我々がボストンを離れる日が近くなったため、最後くらい狭い我が家にご招待しようということで、この日のランチになった。

幸い天候にも恵まれ、良い魚(特にこの日はサーモンが最高!)も手に入り、決して豊かではない学生用アパートではあるが、食卓の上だけはそれなりに豪華だったように思う。いつもHLさん宅にお伺いした際に遇されるように、我々も最初は「レセプション」としてソファーに腰を下ろし、お茶か食前酒とともに互いの近況を話し合い、頃合を見計らって食卓へ…、という流れでご接待したかったのだが、やはりどうも慣れないもので、動きや会話がぎこちない。HLさん宅に招かれると、「レセプション」で30分程度は過ごすのだが、この日は10分か15分でガマンできなくなり、食卓へどうぞ、となってしまったような気がする。
会話の中心は、ご夫婦の近況、特にご主人が先月仕事で日本にいらっしゃっていたときの話と、小学校教師をされている奥さんが教育視察団のメンバーに選ばれて来月中国に行く話。医療機関が導入するITシステムについてコンサルティングを行っているご主人は、東京と前橋を中心に数週間日本に滞在されたらしいが、東京では時間があれば博物館や美術館を回っていたという。それも、新宿?にある日本刀専門の博物館だとか、東京に住んでいた我々でも知らないようなところにまで足を伸ばされていて、彼の日本への興味にまた驚かされる。博物館といえば、というところから、話は米国内の日本美術展示に移り、ボストン北郊のセーラムにある美術館が話題に上った。明治時代に大森貝塚の発見などで活躍したモース博士が同地の出身で、日本滞在時に収集した美術品などを持ち帰ったのが同美術館の展示の始まりなのだそうだが、かつては浮世絵や陶器、甲冑などの「よくある」日本美術だけでなく、明治期の庶民の様々な生活道具が展示されていたそうで、ご夫婦はそれに大変興味をひかれていた。ところが、現在の館長になって展示方針が変わり、もっと「芸術品らしい」ものを展示しなければならない、ということで、それらの生活道具はすべて倉庫に仕舞われてしまったのだとか。残念に思ったHLさんご夫婦は、その旨を知人である同館の保管係員に伝えると、その係員は大いに同感であるとして、ご夫婦を特別に倉庫の中に招き入れてくれた。そこには、展示されていた以上の種類の生活道具が所狭しと保管されていたが、HLさんが最も驚いたのは、ペリー提督が浦賀に来航した際に将軍から贈られたという螺鈿の箪笥であった。HLさんは必ずしも日本美術に詳しいわけではないものの、歴史をご存知であるが故に、その箪笥の文化的・歴史的重要性はすぐに理解された。そしてその箪笥が人々に展示されることなく倉庫に眠っていることを非常に遺憾に思われたそうだが、現在ですら必ずしも注目されていないその箪笥、ペリーはどうやらそれ以上に無頓着であったらしく、引出しが開けられた形跡がないのだという。それは残念だ、という話が盛り上がり、勢い「開けてみよう」ということになって、係員が開けてみた。すると中からは、いかにも日本人ウケしそうな、こまごまとした無数の装飾品が現れたのだという。お話を聞きながら、自分もその「忘れられた」箪笥を開けてみたような気になり、またそれが今自らが暮らす場所のすぐ近くにあるという事実も重なって、非常な興を感じざるを得なかった。歴史や人の出会いというのは、実に面白いものである。

2時間ほどの滞在で、HLさんご夫婦は拙宅を辞された。短い付き合いではあったが、友人付き合いとは明らかに違う、何か特別な時間を過ごさせていただいたように思う。別れ際は、また一つ留学生活の終わりに近づいたという思いもあり、ちょっと感傷的になった。

お世話になりました。きっと、再会の日が来ることを。




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PROFILE
HN:
Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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