1年目の春学期の前半戦が終了した。
スローンの春学期は、前半(H1)と後半の(H2)に分かれている。単純に間に1週間の春休みが入るためだが、授業もH1のみ、ないしH2のみというのがあって、原則週3回の集中講義である代わりに、1ヵ月半ほどで終わってしまう。例えば私の場合、今期は春学期を通して開催される授業を2つと、前半のみの授業を3つ、後半のみの授業を2つ履修している。
そんなわけで、今日をもってその3つの「前半のみの授業」が終了した(もっとも、今日は試験だったので、講義という意味では一昨日の水曜日に既に終わっていたが)。
「え、もう終わり??」というあっけなさだが、確かにシラバスはカバーされているし、都合12回ほどの講義を終えているので、間違いない。
せっかくなので、簡単に総括をしておく。
Marketing Management
担当教官:Michael Braun
マーケティングの入門科目である。以前も触れたが、他の科目を履修するための条件として課せられている。
内容は、いわゆる4P(Product, Price, Place, Promotion)に沿いつつ、マーケティングの基礎分析から実践までを一通りカバーするように意図されていた(と思われる)。基礎分析の部分では、スローンらしく定量分析を比較的頻繁に取り入れ、逆に実践の部分では広告に焦点をあてて、感性で勝負、みたいになりがちな広告をいかに分析的に評価するか、というような議論が行われた。
しかしながら、入門科目としては取り扱っている分析手法等が散発的で、体系的にマーケティングとはなんぞや、というところから全体を俯瞰するところがなく、何とも消化不良な感じがした。8割程度の授業がケーススタディ形式で行われるので、その設定上の限界が大きかったのかもしれないが、いくつか紹介された分析手法が、それ自体はまあわかるが、他にもあるだろう、という気が毎回してしまう。
また、それ以上に、教授がぱっとしない。熱意は感じるのだが、もともと必ずしも明るい性格ではないところに無理をして明るく振舞っているので、すぐ反動がくる。(これは生徒に多分に責任があるが)教授の質問内容と関係のない議論を語る学生がいたりすると、あからさまにイライラしてくる。それなりに関係のある意見であっても、ずばり自分の思っている表現でない限りは、板書することもなく、およそ聞いている感じがしない。そこまで授業を自分の論旨で引っ張って効率的に進めたいのなら、ケース形式にしなければよい、と感じた。理論的にも、ツールは知っているが、その背骨となる理論が掘り下げられていないので、ちょっと突っ込むと答えが出てこない。例えば、広告の分析手法で、6つの評価軸(Brand Benefit/ Symbolism/ Resonance/ Narrative/ Integration/ Campaign)が紹介された際も、「この6つの評価軸は漏れも重なりもないのか。そもそもなぜこの6つに修練したのか。例えばこれを使って提案して、提案を受けた側から『カッコよさ、とかそういう軸は入らないのか』と聞かれたらどう答えるのか」と講義後に質問すると、非常に嫌な顔をして、「そんな例外を気にしなくても、有名なMITのビジネススクールで教わった手法だといえば皆納得するさ」と、およそアカデミズムの欠片もない返事が返ってきた。
授業内容は5点満点で3から4点、教授は3点といったところか。
Marketing Strategy
担当教官:Birger Wernerfelt
同じくマーケティングの授業だが、前述のMarketing Managementが入門科目で「一通りの理論」をカバーしようとしているのに対し、こちらはより応用編で、最新の事例をベースにしたケーススタディーで100%成り立っている。一連のケーススタディを通じてデンマーク人の教授が伝えようとしている理論はシンプルである。従来的な4P(前述)の捉え方を、顧客や競合や時間的変化の概念のない静的かつ内向きの枠組みであると批判し、「比較優位たりうる経営資源」に着目して、マーケティングあるいは経営の優劣を分析しようとする。具体的には、
「M社はどういう(固有の)資源をもっていたか」
「それらの資源がなぜ通用しなくなったか」
「新しい戦略にはどういう資源が必要であったか」
「M社はそのうちの何をどうやって獲得したか」
というような議論を、毎回延々とやる。
また、顧客、自社、仕入先という縦の関係(バリューチェーン)を通じて、
・全体の価値が増えたのか、それとも限られたパイの内部での価値の移転か
・異なる販売体制は、顧客、自社、仕入先のそれぞれにどのようなコストの変化をもたらすか
といった戦略論も扱う。
これがマーケティングか、という疑問はときどき感じたが、それを脇においておけば、面白い。
教授のファシリテーション手法も、よっぽどのズレた意見、他人と同じ意見でない限り、学生の発言を黒板に書いて整理し、そこから意味合いを引き出して議論を積み上げていこうとしていた。笑顔の絶えない表情とともに、概ね好感を持てた。
授業内容、教授ともに4点。
Applied Macro & International Economics
担当教官:Roberto Rigobon
これについてはこのブログでも2-3度取り上げているので、今更個別に言及しないが、Rigobonの大胆なまでの割り切り、つまり細かい理論や数式は覚えなくてもいい、今の財政・金融・通貨、あるいは国際経済の仕組みが感覚的に理解でき、どこを突けば何が動くか、といったことが大筋で論じられるようになればよい、という目的設定は、個人的には良かったと思う。
また、教えることに対するコミットメントにおいても、他の追随を許さない(というか、誰も真似ができないだけかもしれないが)。
授業内容は4-5点、教授は5点。
後半に続く!
Dean's Innovative Leader Seriesのゲストとして、Lous Garstnerが来校した。
言わずと知れた、IBMの元CEOである。1965年にハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得しマッキンゼーに入社、アメリカン・エキスプレスやRJRナビスコで経営者として実績を積んだ後、1993年から10年間IBMを率い、同社をメーカーからサービス中心の会社への転換などを柱に復活させた。現在は、カーライル・グループの会長におさまっている。米国を代表するカリスマ経営者の一人、と言ってもほとんど反論はないだろう。
Deanに先導されて校舎に入ってきた彼は、噂どおりの小柄な体格で、街角ですれ違っても気がつかないかもしれない。
しかし、一旦ステージで口を開くと、66歳の全身から強い意思と自信が迸り、それが言葉に乗って刺さってきた。講演内容は、限られた公演時間(45分)でもあり、言っていること自体はそれほど新味に富んだものでもない。やはりこれは、あの人物からライブで発散されてこそ説得力と価値をもつメッセージである。
と、Disclaimerを掲げた上で、以下に彼の話の要旨をまとめておく。
- マネジメントに求められるものとリーダーに求められるものは違う
- マネジメントとしてのスキルは、継続的に研鑽されなければならない。自転車に乗ろうとかつて練習していた人の中で、今でも練習している人はいないだろう。マネジメントはそういうものではない。若くしてマネジメントの地位に就いた人の中には、それがゴールだと勘違いする連中も多い。贅沢な個室、コーヒーをいれてくれる秘書、周囲の視線、そうしたものが、その勘違いを助長する。自分もコンサルタントからいよいよ自分の城を手にいれたときには、そういう気持ちになりかけた。でもそれでは成功しない。不断の研鑽を続けなければ成らない。そのうえで、以下の3点に特に留意して、任務にあたらなければならない。
- 顧客の本当の声をきくこと
- 顧客について、顧客のニーズについて自分たちが何を知っているかをまず掴まなければならない。
- そのうえで、本当の顧客の声を聞きに行かなければならない。IBMのCEOになって、まず徹底的な顧客満足度調査をやらせた。その結果報告された内容は「顧客はみな当社製品に非常に満足しています」というものだった。そんなはずはないのだ。市場シェアはどんどん下がっていた。すぐに調査をやめさせて、自分で顧客を回って、声をきいていった。耳に心地よい情報を鵜呑みにしてはいけない。顧客の本当の声を知らずに、経営など出来ない。
- 賞罰
- 人を動かすものはいろいろある。しかし最も多くの人が、最も高い確率で反応するのは何か。Moneyだ。だから、会社が、どういう連中に、どういう方法で給与・賞与を支払っているのか、しっかり理解して、関与しなければならない。
- 時間管理
- 組織を率いていく中で、何にどれだけ時間を使うか。多くの人は、無駄なおしゃべりに途方もない時間を費やしている。人はそれを「会議」と呼ぶ。私にとって会議とは、事実の解釈の仕方や、それに対する対応を議論する場だ。事実そのものの報告はいらない。私がやってきたころのIBMは、実に会議の多い会社だったが、その会議の8割程度は事実の報告だった。私はこれらの事実を、会議の前にすべてファックスで提出させることにした。事実は、自分で読んで理解すればいい。
- 部下の仕事のどのタイミングで、自分が時間を使ってそれに関与するか、というのも極めて重要である。部下に仕事の指示を出したら、なるべく早い時期に検討に関与して、確かな方向に向けてやらねばならない。プロジェクトの進行を横軸にとって、マネジメントとして最も重要な意思決定に関与できる機会を縦軸にとると、グラフは左上から始まり、時間が経つにつれて急激に低下し、やがて低空飛行状態になる。プロジェクトの半ばを過ぎて報告を聞いても、すでにこの低空飛行状態に突入しており、結果を大きく左右するような意思決定はできない。マネジメントはプロジェクトが初期の段階にこそ関与し、皆が正しい問題を捉えているか、適切なアプローチで動こうとしているか、資源は十分かを見極めなければならない。マネジメントとは、部下を指名して、あとで報告させるだけのプロセスではない。
- 顧客の本当の声をきくこと
- 一方、リーダーとは、情熱であり、人物である。
- リーダーは、エキサイティングで、可能性を信じ、勝ちに行く人物でなければならない。またそうした文化、空気を創り出す人でなければならない。
- 自分で成功を演出したり、他人からの評価を高めるような小細工をしてはならない。かつて自分の部下で、仕事を任せると、「それはかなり難しいです。大きなリスクがあります。もちろん、言われたからには何とかやってみますが・・・」と必ず防御線をはり、仕事を成し遂げたら「困難な任務でしたが、何とか成功できました」と大勢にメールを送るヤツがいた。そういうのは無駄だ。誰かに評価されたいからやっているだけで、評価者が誰もいなかったらそんなパフォーマンスはしないだろう。
- 途中で情報を遮断する者も、組織の中のリーダーとしては適任ではない。これもかつての部下で、非常に優秀なのだが、私が従業員に向けて発したメッセージを部下に伝えていない幹部がいた。なぜ伝えないのか、と聞くと、「彼らは聞かないほうがいいと思いました」という。「それは私が判断するので、従業員向けのメッセージは全員に流して欲しい」と伝えたら、わかりました、といったものの、やはり状況はかわらなかった。私は彼を解雇した。
- 部下とどう接するかというのも非常に重要だ。部下を睨みつけるばかりでは、みな着いてこない。アメリカン・エキスプレスの社長になったばかりのころ、私はエレベーターの中ででも、神経質な表情を崩さなかった。すると皆それを恐れて、同じエレベーターに乗らなくなってしまった。それでは人はついてこない。
- 皆、今もっている能力を最初からもって生まれたわけではない。これまで努力して、皆が磨き上げてきたものだ。スポーツでも音楽でも、よいパフォーマンスをしようと思えば、練習するだろう。マネジメントも同じだ。練習しなければならない。そのために、自分が今どうしているかを常に客観的に振り返らなければならない。そして、自分の不足を認識し、謙虚に助けを求めなければならない。定期的に、アドバイスを求め、そして他人にもアドバイスをしてやらなければならない。そうすることで、マネジメントとしての、リーダーとしての能力が磨かれていくのだ。
やはりこういう話は、ときどき聞くと気持ちが締まる。
Louさん、ありがとうございました。
08年の春学期も、あっという間に前半戦が終わろうとしている。
春学期は1週間の春休みを挟んで前期と後期に分かれており、通期の授業のほかに、前期だけ、後期だけ、という講座も存在する。そして、前期だけの講座は、今週が最終講義となる。週3回の授業を正味5週間分ほどやっているので、講義回数は15回ほどあるのだが、それでも感覚的には実にあっけないものだ。
さまざまな物議を醸した「ぷっつん教授」Roberto Rigobonのマクロ経済学も、今日が最終講義である。
そして、その最後の講義の題材は、日本経済。
経済成長から不況への転落、高齢化など、日本が置かれた経済状況は、近い将来の米国の姿を現している、という認識とともに、バブル崩壊後の日本経済の構造的な問題を分析し、マクロ的視点から何をすべきかを考える、というものである。
最後だけあって、例の傍若無人なジョークも絶好調で、授業は問題発言の連続。
しかし、彼がシミュレーション化してみせた日本経済の負のスパイラルは、極めてダイナミックでわかりやすかった。
彼によると、日本経済の過去17年ほどの不況は、経済の周期的現象でありながらも、かつての米国の大恐慌とかわらないような、構造的深刻性を抱えているようである。
以下、彼のモデルに沿って、複雑に絡み合う不況のスパイラルをいくつかに分解して示す。
①消費減少 ⇒ 在庫増加 ⇒ 価格低下 ⇒ 消費減少
②消費減少 ⇒ 在庫増加 ⇒ 価格低下 ⇒ 企業収益減少 ⇒ 不良債権増加 ⇒ 銀行健全性悪化 ⇒ 市場の流動性減少 ⇒ 消費減少
③消費減少 ~ 市場の流動性減少 ⇒ 投資減少 ⇒ 生産減少 ⇒ 賃金カット、早期退職増加、失業率上昇 ⇒ 所得減少 ⇒ 消費減少
④所得減少、企業収益減少 ⇒ 資産(特に不動産)売却 ⇒ 資産価値低下 ⇒ (担保価値低下による)不良債権拡大 ⇒ 銀行健全性悪化 ⇒ 市場の流動性減少 ⇒ 消費減少
⑤所得減少、企業収益減少 ⇒ 税収減少 ⇒ 財政赤字拡大
こうした何重にも重なった負の再生産構造に、日本経済は陥っている。
これに対し、日本政府は、考えられるだけのマクロ的政策を講じてきた。
・消費拡大のための財政出動、金利引き下げ、減税
・投資拡大のための減税、規制緩和
・生産拡大のための為替介入
しかし、どれも成果をあげるに至らず、17年の歳月が過ぎている。
Rigobonによると、これを解決するには方法は一つしかない。
インフレ誘導による消費の浮揚である。
そのためには、財政赤字の拡大には目を瞑れ、という。
本当に独立した中央銀行なら、インフレ率のみが関心事であり、財政赤字がどれだけあろうが無関係なので、これができるはずだ、という。
逆に言えば、それだけ強いコミットメントと透明性をもった、はっきりとモノがいえる日銀総裁が必要だ、という主張だ。
翻って、日本では、日銀総裁人事で政治が空転している。
自民党が推し、民主党が反対する武藤氏は、確かインフレターゲット論者である。
その意味では、Rigobonの主張を実現しうる人物かもしれない。
しかしながら、財務省出身者である。財務省出身者が、「財政赤字?俺の知ったことか」と言い切れるだろうか。
あるいは武藤氏でなかったとしたら、小泉総理的な、過激な日銀総裁が出てくる人材的土壌が、日本にはまだあるのだろうか。
Rigobonは、「俺ならいつでもやってやるよ」と吠えていたが・・・。
今年に入ってから、ほぼ週一回、ハーバード大学まで出かけていって、フットサルをやっている。
当地には人工芝を厚めに敷いた全天候型ドームグラウンドがあって、主にはアメリカンフットボール向けなのだが、野球やサッカーにも利用されている。そこで、ハーバード大学内(学部、院を含む)の学生チームによるフットサルのリーグ戦が開催されていて、私はハーバードビジネススクール(HBS)の学生が主催するチームに混ぜてもらっている。
戦績は今のところ4戦して3勝1敗、まあ悪くない。
日本人の大学院生(経営大学院・行政大学院)のみで形成している我々に対して、相手は当地の学部生のチーム、つまり平均年齢が我々より随分若い「ガイジン」のチームがほとんどなので、フィジカルにはきついのだが、失点の少なさがこれまでの成績に繋がっている。
毎週一回、ボールを追って汗をかくのは、気持ちが良い。
もちろん勝てば気持ちが良いし、自分が得点を決めればもっと気持ちが良い(今のところ1点しか決められていない)のだが、どちらかというとそれは副次的なもので、サッカーをやること自体を楽しんでいる。
小学校3-4年の頃にYMCAでサッカーを習って以来、本格的に部活動等で熱を上げたことはないが、サッカーは断続的に続けている。年月だけで言えば、20年来の付き合いである。
しかし、一向に上手くはならない。まさに、下手の横好きの典型的な例である。
もともと運動神経が悪いのだろうが、それにしたってこれだけやって大して上手くならないのに、良く続けるなあ、と我ながら思う。
思えば、上手くいかないのに続けているもの、というのは、サッカーくらいである(人間関係、とか、やめることのできないものは除く)。
他は、スポーツにしても芸術(音楽、絵画、書道)にしても、語学や資格の勉強などにしても、それなりの時間を投資して思ったようなリターン(=改善、成長)が得られなければ、嫌になってやめてしまっている。動物占いでチーターなだけあって、これと思ったものには食らいつくが、諦めも早い。逆に、コンサルティングは、時間を使えばそれだけアウトプットが良くなるし、ひいては顧客から自分への信頼、さらにはその信頼してくれた顧客の会社の改善、そしてその人自信の生活の改善に繋がるので、やる気もでるし、充実感もある。
もしかすると、何もリターンを求めずに無邪気に走ること(=サッカー)が、拙速な自分の性格のバランスをとる役割を果たしていて、体がそれを求めているのかもしれない。
というわけで、昨日も無闇に走ってきました。
ちなみに、米国に来る前、コンサルティングの仕事をしている間も、会社の同僚とチームを作って、隔週でフットサルをしていたのだが、そのとき時々一緒にプレーしていたグループのリーダーで、投資銀行で働いていたB君が、偶然にもこのハーバード大学のフットサルチームに参加している。今はケネディ行政大学院の2年生だという。世の中は狭い。
しかし分かりやすく、学んで帰るものがあるので、コメディーとしてだけでなく、知的にも面白い。
今日は、固定相場制における通貨危機発生のメカニズムを、ロールプレイで実演してみせてくれた。
生徒を三人前に立たせ、一人は外国人、一人はメキシコ中央銀行、一人はメキシコ政府、として、自分をメキシコ人消費者とする。メキシコ中央銀行は一定のドル(ここでは仮に5ドル。ロールプレイ上はオレンジの色紙5枚)を保有し、1ドル=1ペソを保証して、同額のペソ(5ペソ、あるいは水色の色紙5枚)を発行し、消費者がこれを保有する。この状態では、この消費者が国内で借金をしようが、海外から借金をしようが、国内で消費しようが、輸出入をしようが、中央銀行のドル保有高とメキシコ国内のペソ流通量はバランスしている。ところが政府が国債を発行し、中央銀行がこれを引受けて通貨を刷り、それを政府が使って流通通貨量を増やすと、ドル・ペソのバランスが崩れる、という仕組みを、これら前に立たせた生徒の間で色紙を交換しながら、実演してみせる。ちなみに、「消費」は常にサービスを買う。サービスは常に「ダンス」である。政府役の学生が消費者役のRigobonにペソを支払うと、Rigobonが踊る。ただ、Rigobonからドル紙幣を支払われた外国人役の女性生徒(ロールプレイ上は「サービスの輸入」)は踊ることを拒否、まあある程度予想された展開だろうが、Rigobonは"so sad..."と嘆いていた。
ここでのポイントは、中央銀行の役割と、その貫徹のための政府からの独立性の維持である。
つまり、固定相場制においては、中央銀行の最大の役割・関心事は、基軸通貨(ドルなど)保有高と自国通貨流通量とのバランスを維持することである。97年のアジア通貨危機の際も、香港が軽傷で済んだのは、香港中央銀行が香港ドルの流通量の95%にあたる米ドルを保有していたためである。そしてこれを維持するためには、政府が無軌道に発行する国債を、場合によっては引受け拒否しなければならない。
ここから、授業は世界の主要各国の中央銀行の特徴についての解説、議論に入る。
Rigobonの解説は非常に単純化されているし、冗談が混じるのでどこまでが本題か分からないときもあるが、概ね本質を突いている。また、今の米国連邦準備制度理事会議長のBen BernankeはMITで博士号をとったマクロ経済学者であり、Rigobonは個人的にも知っているようで、冗談にかなり現実味がある。そして、前任のGreenspanのときもそうであったように、いかに彼らが米国政府からの独立性を維持しているかが強調される。
そして我が日本は、というと、「あの国の中央銀行は政府の一部だから、全然独立してなんかいない」とバッサリであった。
確かに、政府の国債発行額にはいつも耳目が集まるが、政府が一旦発行を決めた国債が日銀に引き受けられず消化されなかった、という話は聞いたことがない。
それどころか、今の福井総裁の2代前の松下総裁までは、日銀総裁のポジションはいわゆる大蔵省出身者と日銀出身者とのタスキ掛け人事。前任の速水総裁から続いて大蔵省以外から選出され、タスキ掛け人事終焉の象徴とさえされた福井総裁でさえ、銀行のMOF担から財務省のお歴々とともにノーパンしゃぶしゃぶ漬けになっている(彼が某有名ノーパンしゃぶしゃぶ店の会員であったことは有名な話)。
そして、そんな世界の失笑をよそに、今度はまた大蔵出身の武藤氏が総裁になろうとしている。
これでは、円、あるいは日本経済に対する信用など、あったものではない。
本当に、ビジネススクールで日本が取り上げられるのは、悪い例としてばかりである。
情けない・・・。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。
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