4月21日はPatriots Dayと呼ばれ、マサチューセッツ州では祝日。
米国は日本ほど祝日が多くない、と聞いていたが、それなりにあるようである。
というわけで、1月のPuerto Rico旅行に続き、4泊5日の南の島旅行第二弾を敢行した。
今回の目的地はBahama(バハマ)。
米国の自治領であるPuerto Ricoとは異なり、英連邦に属する一つの独立国である。
ボストンからは直行便で3時間弱。近い。
約700(うち人が定住するのは30)の島々から成るバハマだが、今回訪れたのは首都NassauのあるNew Providence島。手付かずの自然や趣の異なる海岸の見られる他の島を巡るのもバハマの楽しみ方の一つだろうが、幼子をもつ親子連れにはちょっと馴染まないように思われた。
島でホテルが集まるのは、市街地周辺と、そこから車で15分ほど西に行ったCable Beachという地域の二箇所。我々家族は、後者のCable Beachに新しく出来たSheraton Hotelを利用した。
ようやく暖かくなり始めたとはいえまだ肌寒さの残るボストンを離れ、学校からも離れ、携帯電話も手放し、家族とゆっくり過ごした休暇となった。
海
飛行機で島に近づいたときから、まず海の色の美しさに圧倒される。
とにかく青く、澄んでいる。
水色、という言葉はこの色をさすのではないか、という印象さえ受ける。
透明度は30cmという話も聞いたが、もっと澄んでいるように見える。
ビーチは勿論だが、船着場や、飲食店や土産物屋が並ぶような岸壁の海でさえ、底が見えるほどに透き通っているのには、本当に驚かされる。
バハマ諸島全体がサンゴ礁の岩礁群であり、このNew Providence島も周囲を無数の小島や岩礁で覆われているため、波も穏やかで、魚も無数に泳いでいる。
海岸沿いには、ホテルよりもコンドミニアムや別荘が多く立ち並ぶ。
皆透き通った海に面し、プライベート・ハーバーに白いクルーザーを浮かべている。
海に面したコンドミニアムは、安いもので一室3,000~4,000万円、高いもので1億円程度。
一戸建ての別荘となると、値段は青天井である。
写真は、Starbucks会長兼CEOのHoward Schultzの別荘。
人々
出会うのは、ほとんどがアフリカ系の人々。
16世紀以降に連れて来られた奴隷の子孫が中心と思われる。
かつての英国領であり、現在も英連邦の構成国であるものの、白人は観光客以外にほとんど見かけない。
アジア系となると、更に稀(我々はかなり目立っていたように感じた)。
多分に偏見もあるが、どうしてもそういう国や地域では、サービスや商品がかなりいい加減であったり、治安に問題があったり、何もせずに昼間からブラブラしている人がいたり、という場合が多いように思う。しかしバハマは、そうした予想や偏見に反して、人々の労働意欲・民度が高く、思いのほか「きちんと」していた。
まず、皆、何がしか仕事をしている。タクシーに乗ったりレストランで食事をしたりしても、「ぼったくり」にあうこともほとんどない。やっつけ仕事のサービスも少ない。道を譲ってくれたり、扉を開けてくれたりもする。むしろPuerto Ricoよりもこの点ではレベルが高いのではないかと思われるほどだ。
それでいて、カリブ海の黒人特有の陽気さも持ち合わせている。バスの運転手は、車掌(と思われる人)とのおしゃべりに興じ、大笑いしている。工事現場のおニイちゃんたちでさえ、穴を掘りながらゲラゲラ笑っている。夕方や休日の公園やビーチでは、人々が集まって音楽にあわせて踊っている姿をよく見かける。とにかく、なんというか、幸せそうである。
あるタクシーの運転手によると、最近(昨年下院の与野党議席配分が逆転してから?)は政府によるインフラ投資が縮小・延期され、観光客が減少、町やビーチも多少寂れてきたらしい。確かに、歩道のひび割れは放置されているし、シャッターの下りたままの商店や建設途中で放置された建物も少なからず見かける。それでも、人々にあまり悲壮感がみられないのは、南の島で自分がぼんやりしていたからだけではないように思う。
立ち寄ったタイ料理店では、ネパール人のマネジャーが店を切り盛りしていた。ネパールで仕事を探している際に、インド人が所有するその店の求人をインターネットで見つけ、履歴書をメールで送り、仕事を得たらしい。1年契約で、店の業績によって毎年の契約更新如何が決まるとのことで、まめに良く動く。多少の悲壮感がみられたのは、彼くらいである。
食事
島は、シーフードで溢れている。
スローンの友人によると、釣りをすれば「入れ食い」状態で、あまり面白くないほどだという。
バハマ料理といわれるものも、シーフードが主体で、なかなか旨い。
コンク貝(巻貝)やハタ、赤ダイなどが定番の食材である。それらを焼いたり、揚げたりする。
写真はコンク貝のサラダ。酸味をきかせてあり、かなりいける。
バハマのビール、というのもちゃんとある。
KalikとSandsという銘柄を見かけたが、どちらもラガーで、メキシコのビールのように軽い。特にKalikはまさに水のようで、個人的にはSandsの方が口にあった。
動物
魚以外にも、動物は沢山いる。
特に、イルカや国鳥のフラミンゴに触れ合えるのはなかなか貴重な経験である。
イルカは、New Providence島から船で20分ほど離れたところにある小島で飼育されている。映画などでも活躍する、よく躾けられたイルカたちで、Dolphin Encounterと呼ばれるサービスを利用すると、イルカと抱き合ったり、握手をしたり、キスをしたりと、まさに「触れ合う」ことができる。我々もチャレンジしてみたが、(予想通り)長女はイルカに恐れ慄き、号泣していた。帰りに買ってやったイルカのぬいぐるみは気に入ってくれたが・・・。
New Providence島に一つある動物園では、フラミンゴと「触れ合う」ことができる。フラミンゴはもともと警戒心の非常に強い鳥らしいが、こちらも(どうやったのか知らないが)トレーニングがされていて、まったく人を怖がらない。むしろ係員が声をかけると、積極的に観光客にフラミンゴが寄ってくる。結構、嬉しい。
ホテル
SheratonはバハマではGrand Bahama島にあったのが、最近New Providence島にも進出してきたらしい。
さすがに新しく、部屋も綺麗だが、徹底的にコスト削減がされていて、多少辟易した。部屋のコップはプラスチックの使い捨て、部屋に冷蔵庫やミニバーはなし、2つしかないレストランのうち一つは常時ビュッフェ・スタイル、室内装飾用の花や観葉植物もほとんどなしと、とにかく人件費がかからないようにオペレーションが設計されている。職業柄、やりたいことはよく分かるが、意図が見え見えすぎて、興ざめしてしまう。
あまり、オススメしません。
Japan ClubとVC/PE Clubの共催で、日本に投資するベンチャー・キャピタル(VC)の代表がスピーカーとして招かれた。GlobespanというVCで、講演してくれたのは創業者であり代表のAndy Goldfarb氏。日本のキッコーマンでキャリアをスタートし、日本最大のVC(と呼べるのか多少疑問もあるが)であるジャフコなどを経て、築き上げた日本の大企業とのネットワークなどをもとに、同社を企業。これまで80社近くに投資し、うち30数社から既にエグジットしている。
講演の内容は、"Japanese VC Market: Differences and Opportunities"という表題のとおり、日米のベンチャー投資環境の違い、日本のベンチャー投資のチャンスと難しさを概観するものであった。
以下、それらを簡単にまとめておく。
日本におけるベンチャー投資の固有の機会
- 株式公開の件数では、過去5年間毎年米国のそれを上回っている(但しここ3年ほどで差は急速に縮小している)
- 固有の強みをもつ事業領域の存在(ソフトウェア、携帯関係、フラットパネル、省エネ、エンターテイメント、など)
- 国産VCの非効率性
- 大会社の子会社が多い
- 資産規模が小さい
- マネジャーが自分のカネをほとんど突っ込んでいない
- 案件探索・評価・投資などが別部門として縦割りになっている
- 本当にカネが必要なときに投資できていない(日本のVCが投資するのはほとんどの場合、投資先が売上をあげた後。米国では売上すら上げていない会社にもカネが入る) など
- 投資先は以外に情報開示してくれる
日本におけるベンチャー投資の難しさ
- 株式公開が全体に小粒(時価総額において米国は平均200億円、日本はその1/5程度)
- 投資後の経営関与による価値が難しく、従ってどこに投資するかで勝負が決まってしまう
- 取締役会などの会議体が議論、意思決定の場として機能していない(シャンシャン、と終わるのが美。質問すると怒られたりする)
- 社長を変える、などの株主としての人事権の行使が受け入れられにくい
- 社会全体として、失敗に対する許容度が低い。若い人材の間でも、ライブドア事件後、また起業家精神が減退した感がある
全体に、目新しくもないが、的外れなことも言っておらず、さすがに日本に対する造詣の深さが伺われた。
話を伺っての私の印象・考えたことは以下の3点。
- 米国の投資家にとって、日本はまだまだエキゾチックで謎の多い市場。同氏および同社は、言葉と人脈のチカラでそこに分け入り、先行者、ニッチとしての超過利潤を得ているが、そこに志はあるのか。日本人同級生のKT君が、「日本への投資を通じて御社の達成したいゴールは何ですか」と質問したのに対して、答えは結局のところ「投資家への利益還元」以外になかった。ソニーが設立趣意書に「日本再建」を掲げて邁進したような「志」は、そこにない
- 相変わらず指摘される日本人の起業家精神の乏しさ。わかっちゃいるけどやめられない。先天的な問題、民族性の問題ではないと信じたいが、ここまで変われないと、そういう気持ちにもなる
- 同氏は恐らくユダヤ人。ビジネススクールにユダヤ人は多い。スローンにも多いし、HBSはもっと多いようである。そして彼らは金融・投資にめっぽう強い。このまま欧米経済のように、日本経済もユダヤ人に美味しいところをもっていかれてしまうのか
何度か書いているように、自分自身に何か事業を始めて一山当てたい、という野心や情熱が乏しいので、あまり偉そうなことをいえないのだが、やはり上記のようなことを考え、また再確認させられたときには、寂しさを覚える。
自分は、そこに何か一石を投じられるのだろうか・・・
4月に入り、早くも2週間が過ぎた。前半と後半に分けられた春学期がその後半戦に突入して、2週間が過ぎたことになる。授業の履修登録は昨年末に済んでいるが、学期の最初は登録済み科目のキャンセルや、空席のある科目への追加登録(年間の最大取得単位数の範囲内で)が許されていて、そのため学期開始から最初の2週間ほどは"Shopping"といわれる様子見の学生が少なからず存在し、同じ科目でも授業のたびに学生の顔ぶれが異なっていたりする。春学期後半戦もそうしたフワフワとした期間が過ぎ、やっと落ち着いてきた感じである。
私はというと、前半に履修していた5科目のうち、午前中の2科目(戦略、金融)は通期の科目であるので後半も変わらずであるが、午後の3科目はすべて修了したため、ここに新たに2科目を追加し、後半戦は合計4科目でスケジュールを組んでいる。うち3科目が週2回、1科目が週3回の授業を行うため、一週間の授業数は9。前半戦の13に比べると、かなりの負荷軽減である。気候も良くなってくるので、子供と遊んだり、旅行に出かけたりする時間が取れればと思っている。
以下、後半に追加した2科目について、紹介(批評?)しておく。
3限目:Intro to Operations Management
担当教官:Vivek Farias
製造業やサービス業におけるプロセス分析、キャパシティー分析、在庫分析などを取り扱う。定量分析・シミュレーションがテンコ盛りのMITらしい人気科目であり、多くの学生が前半に履修してた科目でもある。
実際の仕事でも十分使えそうな分析手法や定量化モデルが紹介され、勉強になる。なにより、数字で答えがでるところが、自分の性にあっている。
他の科目同様、課題に取り組むチームを作ることを求められたが、敢えて誰とも組まず、一人ですべての課題に取り組むことにした。この手の分野は、こつこつ自分の手を動かすことに最大の価値があると思ったからだ。それに数字は数字、あまり議論をして深まるものでもないような気がした。
教えるのは、今回この科目の教鞭を初めてとるというインド系の講師。年齢は、私よりも若いかもしれない。今学期の前半は、この分野で最も有名な教授の一人であるフランス系の教授の授業に参加し、教え方を学んでいたという。スペック上は正直不安であったが、情熱をもって丁寧に教えるので、大御所の深さはないものの、シラバスの内容をきちんとカバーするには十分な仕事をしてくれている。
Finance IIと並んで、楽しみな科目の一つである。
4限目:Global Strategy & Organization
担当教官:Elena Obukhova
1限目に履修しているStrategic Managementの国際戦略版、といった科目。
Michael Porterのダイヤモンド・モデルなど、国・地域レベルの分析から、企業レベルの多国籍化、アウトソースなどの論点まで、複数のレベル感において「国際戦略」を議論する(予定のはず)。
正直言って、後半はOperations Managementの負荷が重いと思っていたので、それとのバランスで比較的「楽そうな」科目をとる、ということと、スケジュール的にうまくはまったことから、本科目の履修を決めたので、それほど中身に期待はしていなかったが、その「期待」どおり、今のところイマイチである。
唯一の(?)救いは、同じクラスで履修している他の学生の質が悪くないことか(もっとも、その分教授のあいまいな解説に複数のツッコミが入り、授業が停滞しがちなのだが)。
そんなわけで、他の学生から学ぶことに力点をおいて、これまで組んだことのない面々と総勢5名のチームを組むことにした。トルコ人、オーストラリア人、スペイン人、ウルグアイ人と、テーマどおり「国際的」なチームである。
彼らと楽しく議論ができ、授業で何か2-3知的な発見があれば、まあそれで良しとしよう。
年をとったのか、周りに対する期待値をあまり高くしないようにして、精神的な健康を保つ傾向が強くなってきた。
あと10日ほどで32歳になる。
MITのEntrepreneurs Competition、通称"100K"のレセプションが、このところ続いている。
先日はコンサルティングファームBCGの主催で、さすがにあまり興味をひかれなかったが、今回はBrown Rudnickというベンチャー支援も手がける法律事務所が主催で、実際に起業し成功をおさめたMIT出身の技術者による講演もあるというので、出かけてみた。
場所はボストンのダウンタウンの南側、South Stationの正面に位置する高層ビルの18階。モダンなオフィスからは、ボストンの港が一望できる。当社のボストンオフィスもそうだが、米国人は良い所で仕事をしているものだ。
演台に立ったのは、Jay Stein博士。MITで博士号を取得し、現在はHologicという会社の創業者兼名誉会長である。
1942年の生まれという博士の人生は、波乱万丈である。
高校生のとき、ガガーリンを乗せたロシアの宇宙船スプートニクが初の大気圏外有人飛行に成功、影響を受けた博士は天文学を志す。
大学時代は、天文学の中でも宇宙空間を無数に飛び交うX線の研究に没頭、MITにおいて博士号を取得する。しかしながら天文学分野におけるX線研究の実験で失敗すると、学問を諦め実業界に方向転換、企業に就職。そこでX線を活用した空港の手荷物チェックシステムを発明する。最初は市場が未成熟(当時は搭乗前の手荷物検査の義務はなし)で思うように売れなかったが、JFKの暗殺やキューバ行き航空機のハイジャックなどによりX線手荷物検査が全員に求められるようになると市場は急拡大、博士の発明も大きな利益を会社にもたらした。
彼の発明は、常にX線技術と共にある。次に同社で彼が発明したのは、第四世代CTスキャンと呼ばれるもので、やはりX線を活用した装置である。
その後「上司と馬があわず」80年代に退社、44歳で起業する。
二つの会社経営を経て、三社目となったHologic社の創業で、大きな成功を収める。
まずは80年代後半、骨粗しょう症を検査できるX線装置を発明。しばらくは収益に繋がらなかったが、2000年頃にFDAが骨粗しょう症の治療薬を承認すると、検査装置もそれに伴って需要拡大し、大きな収益と株価上昇を生み出す。
一方で、1988年に発明した、空港で預ける大型荷物をX線で検査し、火薬成分を検知できる機器の場合は、なかなか売れないので2000年に売却。しかしその直後に9-11が発生し、預け入れる荷物もX線検査が義務付けられると機械は飛ぶように売れ、博士としては非常にもったいないことをした。
こうしてみてくると、博士の発明は、その後に当局の規制等が変わると売上が爆発、というパターンである。
逆に言えば、規制がなければ大した収益を上げていなかった、ということになる。
これを踏まえて博士の曰く、"Great brilliance and hard work are no match with blind luck"。つまり、降って湧いた幸運がなければ、才能も努力も報われない、ということか。ただ、一方で、その「幸運」が舞い降りたときに、それを掴み取る準備ができていないと、他人に先をこされてしまう。そのため、ベンチャーが常に自らの世界観、独創性を信じて、何かを生み出し、根気良く事業機会を待たなければならない。
ともすればアイデア勝負で、結果を焦りがちなベンチャー創業希望者への警鐘であろう。
笑顔を絶やさない66歳の紳士は、ユーモアと説得力を兼ね備えた、好人物であった。
なかなかこういう人物には、日本ではお目にかかれない。残念ながら。
SloanGearとは、スローンの学生によって運営される会社で、MITおよびMIT Sloanのロゴのライセンスを持ち、それらを使ったアパレル製品を企画、製作、販売している。もちろん商品の生産はアウトソースだが、それ以外はすべて自前で行う。正式にはSloan Sweatshirt Company LLCといい、有限責任会社ながら、列記とした法人格をもった、ホンモノの会社である。毎年、スローンの学生が前年度のオーナーから株式を買い取るかたちで事業を継承している。オーナーとなった学生は自らの裁量で実際に会社を運営、稼いだ利益をすべて配当として吐き出して山分けし、次の年のスローン生に会社を売り渡す。昨年度の売上はおよそ1,000万円、大した規模ではないが、会社運営のダイナミズムを学ぶには悪い題材ではない。少なくとも、就職活動に著しく傾斜したクラブ活動よりは、随分面白そうである。
というわけで、今年のオーナーに名乗り出ることにした。
しかしながら、一人で、というわけにはいかない。昨年のオーナーの買収額はおよそ300万円。さすがにそこまでのリスクは負えない。つまり、チームを作らねばならない。
秋のコア学期のクラスメート、マーケティング関係クラスで積極的に活躍していた学生など、自分が能力を信頼でき、かつチームとしてやっていけそうな人間に声をかけていく。但し、カネの絡む話でもあり、また既に「優秀な」学生は諸々のクラブやら何やらの中心人物になっていて忙しく、容易に人材は集まらない。前向きな姿勢をみせてくれるのは、声をかける数の半分にも満たない。
それでも、Japan Trek前からの「仕込み」により、8名のメンバーによるチームが組成された。米国人3名、メキシコ人2名、マレーシア人1名、自分を含む日本人2名で、能力的にも人格的にも信頼できそうな面々である。自分が中心となってこのメンバーで戦略の概要をまとめ、入札価格を決めて、本日入札した。
どうなることやら。
結果が楽しみである。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。
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