サン・ジミニャーノ近郊の農家風民宿を拠点に、トスカーナ地方には3泊4日の滞在。
中2日は、フィレンツェ、サン・ジミニャーノ、シエナといった世界遺産の街並みを歩く。
どれも石造りの古い街でしょう、といってしまえばそれまでだが、やはりゆっくり歩くと、それぞれに違いがあって面白い。
フィレンツェ
まずは州都フィレンツェから訪れる。
自動車で訪れると駐車が困難、ということで、宿から20分ほど離れた町まで車で移動し、そこからローカル線に1時間揺られてフィレンツェ入りする。
この日はとにかく暑く、フィレンツェも恐らく気温は30℃を上回っていただろう。しかもイタリア有数の観光地、人ごみも凄い。10年ほど前に一度訪れたことがあるが、あのときも凄まじい暑さで、名物のジェラートばかり食べていたような記憶がある。この日もそれに勝るとも劣らない、不快指数の高い環境だった。
ドゥオモは相変わらずの威容。ただ、日差しを避けたいからか、皆遠巻きに見ている。
ヴェッキオ橋も相変わらずの人だかり。石造りのヨーロッパの街は風が抜けないところが多いが、狭い道が蛇行し広場も少ないフィレンツェはそれが顕著である。通常なら風が通って涼しい橋でさえ、両側に宝石店がびっしりと並んで、むしろより暑いほど。橋の中央部の開けた部分だけが、多少涼しい。
フィレンツェは美しい街だが、街の中にいる「埋もれている」ような息苦しさを覚えることもある。茶色い屋根の美しい街並みを楽しむのは、やはり高いところからが一番、ということで、丘の斜面に作られた庭園に入り、そこから街を眺める。長女も頑張って炎天下を歩いたりしていた。
サン・ジミニャーノ
フィレンツェは盆地の底に広がるが、トスカーナの古い街並みの多くは丘の上の城壁都市で、ガイドブックに出てこないような街も含め、魅力的な景観が無数に存在する。
サン・ジミニャーノはその代表格の一つ。かつて貴族が自らの富と権力を示すために競って建てたという塔が無数に天を指しているのが特徴である。
細長い楕円形の街並みはこじんまりとしている。狭い丘の上に作られているため、石畳の道はどこも柔らかく起伏している。
壁を飾るフレスコ画が有名な教会の門構えは木造で、造作がどこか日本の社寺建築に似ているように思われた。
その教会の前の、娘が指定した場所で一枚。
シエナ
シエナはフィレンツェと並ぶトスカーナの古都。
フィレンツェから高速道路を使って南に1時間強、という位置にある。
サン・ジミニャーノと同じく丘の上の城壁都市だが、まったく規模が違う。
「世界一美しい」と言われるカンポ広場は、扇を広げたような構造で、扇の要の位置に立つ塔は、ピサの斜塔やフィレンツェのドゥオモと同様に、この街を代表する、またイタリアを代表する建築物である。
この広場を中心に放射線状に伸びる道と、同心円状に広がる道が、丘の起伏を旨く吸収しながら展開している。フィレンツェに比べるとどこか素朴だが、威圧感のない建物が並ぶ。
カンポ広場でランチを食べていると、カフェの前で大道芸人が芸を始めた。欧州では各地で大道芸人を見るが、この人物の芸はまた風変わりで、通りを行き交う観光客をからかう、というキワドイもの。霧吹きを突如拭いてみたり、おもちゃのピストルで通行人を撃つ真似をしてみたり、ツアーガイドを装って笛と旗で観光客を誘導してみたり、自らの赤い帽子を通行人にかぶせてみたりと、チップをせびるでもなく、延々と人々をからかい続けている。これがまた面白いので皆みな大笑い。からかわれた通行人も、ユーモアを理解してむしろ嬉しそうだったりする。
米国に住んでいると、各種サービスの質の悪さに辟易させられる。各種小売店の店員の態度も威圧的で、担当外の質問や依頼には「自分は関係ない」とまでに無視を決め込むが、イタリアに来てからその手の顧客サービスで頭に来たのは、レンタカーの一件を除くとまったくといっていいほどない。この手の「路上サービス」もそうしたイタリアのサービス精神の表れだったのかもしれない。
帰り際、駐車場の傍で公園を見つけた。城壁の外、丘の下へと続く街並みを見渡しながら、娘と滑り台で遊ぶ。こうしたひとときも、子連れの旅の良さかもしれない。
ナビも復活し、快適なドライブ。
途中、斜塔で有名なピサに立ち寄る。
駐車場がみつからなかったので、路上駐車で写真だけ撮って、足早に立ち去る。
ここからは、世界遺産サン・ジミニャーノの近くにとった宿まで、北海道の富良野あたりのような丘陵景色の、トスカーナの自然を抜けて走る。
この日から3泊の予定でとったのは、このあたりのアグリ・ツーリズモと呼ばれる農家風の民宿のひとつである。自ら敷地内で葡萄を栽培したり、有機野菜を作ったりしつつ、旅行者に部屋を貸している。イタリア語しかできない宿も多いが、スローンの学生の推薦で訪れたその宿は、英語、ドイツ語もOKで、外国人客が多いようだった。部屋も広く、何より大自然と向き合っているようで、なかなかのものである。丘の向こうには、サン・ジミニャーノの町もみえる。
子供たちも、芝生の上で気持ち良さそうにしていた。こういう光景をみると、子連れ旅行の「苦労」が癒される。
葡萄は、まだ実が膨らみ始めたばかり。
夜は、敷地内で取れた野菜などをつかった食事が出された。
相席となったのは、ニュージャージー州から来たという米国人夫婦。
我々と同じようにレンタカーを借りて、スイスから下ってきたらしい。
こうした人々との出会いも、田舎旅行の楽しみである。
今日はSanta Margherita Ligureを基点に、船と鉄道でイタリアン・東リビエラを見物する。
かつてヴェネツィアのリド島に別荘を構えていた金持ちたちが、同地の大衆化されていくのを嫌って逃れてきたというこの地域の海岸線は、古いイタリアの漁村と豪華な別荘、マリーナが一体となって自然とうまく調和し、決して大味でない、適度に箱庭的な美を創り出している。
と、文章で書いても、私の表現力の限界からうまく伝わりそうもないので、写真で振り返っていくことにしたい。
まずは朝、Santa Margheritaを船で出発。自分たちの宿泊しているホテルの全景が見える。
40分ほどで、船はこの地域の観光のハイライトのひとつ、Portofinoという村に到着する。
小さな半島の先にあるこの村は、落ち着いた、上品な大人の雰囲気。よくみると高級ブランドショップが立ち並んでいるが、それらが普段使いの店にみえるほど、全体としての高級感が漂う。
狭い入り江には、漁船に混じって高級クルーザーがびっしりと並ぶ。
午後は鉄道で更に東の海岸線を1時間ほど走ってみる。
立ち寄ったMonterossoという町は、Portofinoよりは随分と大衆的だが、それでも適度な上品さが維持されていて、ちょっとした街角の風景がどこも絵になる。
すばらしい風景と雰囲気を堪能した一日となった。
かつて欧州で数度レンタカーを借りた経験から、多少高くてもオートマ車を選んだ。また、GPSナビも借りることにした。インターネットで見つけたギリシアのブローカーを介して、ミラノに本社をもつイタリアローカルのレンタカー会社に配車依頼をしてあった。本当に車が用意されているのか多少不安ではあったが、指定された場所に言ってみると、予約したとおりのスペックのフィアット車と、チャイルドシート、外付けGPSが用意されていた。海外を旅していると、こういう「当たり前」のことに、結構感動してしまう。
石畳、一方通行、急勾配、人ごみ、隘路、無茶な運転など、ローマの自動車運転環境は最悪である。ナビに従って、一刻も早く脱出することに専念するが、それでも無茶な割り込みや進路間違いなどで、途中何度か冷や冷やさせられた。また帰ってくるのが憂鬱になるほど、あの運転環境は酷い。
なんとかローマを脱出すると、自動車専用道路で北に向かう。イタリアはローマを基点にしつつ、自動車専用道路が網の目のように張り巡らされている。一部有料であるが、ほとんどは無料。サービスエリアなども整備されていて、運転しやすい。難点は、道路の規格が米国や日本に比べるとやや狭いこと、運転速度が極端に速いこと(一般道路の制限速度は110km/h、自動車専用道路で130km/h。150km/hで走っていても、後ろから煽られたりする)、燃料費が高いこと(リッター230円ほど)、といったところか。
ローマを離れて1時間ほどが経っても、ドライブは順調。このままなら随分早く目的地に着きそうだ、と話していると、行く先の道路が一部閉鎖されているとかで、迂回の指示が現れた。先を行く車列に従って迂回していると、今度はトラクターを延々と連ねた農民のデモに遭遇、更に行く手を遮られてしまう。先の車列は四方に散らばり、「多数決」で正しいルートを決めることもできず、いよいよナビが頼りとなったところで、ふとその画面をみると、消えている。電源を入れなおすと一瞬復活するのだが、5秒ほどでまた切れる。対処の仕方がわからず、とりあえず近くの田舎食堂で昼食にしたが、食後に車に戻っても、状況は変わらない。
次第に、車の電源ソケットからうまくGPSに給電がされていないことによる電池切れが原因であろうと分かってきた。試しに、昼食をとった田舎食堂のオヤジの車を借りて機械をセットしてみると、やはり何の問題もなく動く。ちなみにオヤジはまったく英語がわからないので、身振り手振りの交渉となったが、「オレに任せておけ!」とばかりに、やたらと親切にしてくれた。
問題が大方わかったので、レンタカー会社に電話をして、対応を聞く。早速、携帯電話が役に立つ(ちっとも嬉しくはないが)。結論としては、車の問題であろうから、月曜日(明後日)まで待って、どこかのフィアットの修理工場に行け、それまでは地図か何かでしのげ、ということだった。なんとも無責任というか、突き放した対応だが、これからローマに戻るわけにもいかず、「指示」に従うより他にすべもない。食堂のオヤジの車でナビに多少充電させてもらい、それを頼りに自動車専用道路に復帰、サービスエリアで道路地図を購入し、今日の宿に向かう。
この日から2泊分宿をとっていたのは、ジェノバから東に1時間ほど行ったSanta Margherita Ligureという街。フランスのマルセイユからイタリア半島にかけての地中海沿岸部は一般にリビエラと呼ばれるが、そのイタリア側(イタリアン・リビエラ)のほぼ中心がジェノバになる。そしてジェノバから更に東のこの地域は、断崖がうねりながら海に落ちる景勝地で、入り江に小さな街が点々とし、斜面には別荘とレモン畑が散在する。道路も3次元で複雑に展開されるため、地図ではフォローしきれない。途中何度も道を間違えつつ、海沿いのホテルに到着したのは19時を過ぎていた。
先が思いやられるレンタカーの旅の始まりであった。
コロッセオ、真実の口、ヴァチカン、パンテオンなどのメジャーどころを、ベビーカーを押しながら廻る。
途中、多少のウィンドウ・ショッピングも楽しむ。路地裏で見つけたある衣料品店にひかれて入ってみると、日本のユナイテッド・アローズや伊勢丹などにも卸しているデザイナーズ・ブランドだという。やはり「日本人向け」にデザインされた衣料品や店の雰囲気にひかれるらしい。
その店でもそうであったし、路地裏を歩いているときもそうだが、小さな子供を連れていると、「何歳?」とか、「女の子?」とか、よく声をかけられる。怪しい日本語で「コンニチワ」とか言われると、物売りか詐欺師かと身構えるが、子供を見て微笑みながら声をかけられると、つい気を許してしまう。特に相手も小さい子供を連れていると、なおのことである。思わず、写真を撮ってしまったりする。
またこの日は、今後の滞在における緊急時にそなえて、携帯電話を入手した。前日、空港で電話会社の女性に携帯電話のレンタルサービスをたずねたところ、「イタリアでそんなサービスはないわよ」と一蹴されてしまったので、プリペイドタイプの一番安い端末を買うことにした。食とファッションには異常なまでにカネを使うイタリア人だが、そのシワ寄せなのか電化製品には関心が薄いようで、街中に家電量販店のようなものを見かけることはまったくない。携帯電話も、安価で購入しようとすると、ローマの中央駅(テルミニ駅)構内にいくつかショップがある程度である。そこをうろうろしていてわかったことは、イタリアでは通信会社と携帯電話端末がまったく紐ついていない、ということ。どの端末でも、好きな通信会社を選んで、使うことができる。まずは「カラ」の携帯電話端末を買い、それに好みの通信会社の電話番号が割り振られたのICカードを別途購入して搭載させ、プリペイドの場合はさらにプリペイドカードを買って、電話を使う。カラ端末が一番安いもので29ユーロ、ICカードが10ユーロ、プリペイドカードが最低10ユーロで、合計49ユーロ(約8,000円)でめでたく携帯電話利用可能となった。
夜は、スローンのイタリア人同級生M君と夕食をともにした。家族の健康上の理由で1年生を中断してイタリアに帰ったM君だが、幸いにも問題であったお父さんの病気が回復し、今年から改めてスローンの1年生としてボストンに来ることになっている。彼女と一緒に自らの運転するメルセデスでホテルまで迎えに来てくれた彼は、慣れた手捌きでローマの石畳の路地を走りぬけ、あるレストランに案内してくれた。
ヴァチカンの近くのモダンなレストランで、値段は極めてリーズナブルながら、味はさすがに素晴らしい。芸能人や政治家もよく来るらしく、我々が食事をしている際にも、近くのテーブルには下院議員やアナウンサーの姿が見られた。
M君とその彼女によると、ほとんどのイタリア人は、パスタやピザ、あるいはティラミスに至るまで、すべて家庭で素材から作って楽しむらしい。その話しぶりからも、食文化への拘りが感じられる。
食事の後は、ヴァチカンの南の丘の上まで車で案内してくれた。ガイドブックにも載っていない展望台だが、ローマの夜景が一望できる。高層ビルの建築が禁じられているローマの夜景は、派手さはないものの、独特の情感を醸し出している。夜も遅かったが、長女も喜んで星空を指差したりしていた。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。
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