在る偏屈者による半年遅れのMBA留学日記、そして帰国後に思うこと
長女がPreschoolに一人で通い始めて3週間あまりが過ぎた。
最初はわけがわかっていなかったので、大きな拒否反応もなかったが、1週目の後半くらいから、「学校行かない!」と言い始めた。わけを聞こうじゃないか、ということでいろいろ聞いていくと、どうも先生が嫌なわけでも、特定の友達が嫌なわけでも、遊戯が嫌なわけでもなく、親と離れるのが嫌ならしい。2週目にはそれが本人の中でもはっきりしてきたようで、「学校行くけど、お母さんとバイバイしない!」という主張に変わってきた。なだめたりすかしたりしていたが、きりがないので、3週目には教室に入ると無理やり保育士の先生に泣く娘を渡して帰るようにしてみた。そして3週目が過ぎようとする頃、「学校行かない!」が「学校行く!」にかわり、少なくとも自宅を出るまでは「前向き」に振舞うようになった。Preschoolの教室のドアまで5m、というくらいの距離になると多少のイヤイヤが始まるものの、娘自身理性で自分の感情をコントロールしようとしているようで健気でもあり、また着実な進歩にこちらもほっとしつつある。
そんな今日、初めての保護者面談が行われた。
Preschoolのミーティング・ルームで、園長?にあたる保育士と我々夫婦の3人で面談。
面談にあたってくれたリンダという保育士は、もと同業者である妻も一目置くほど、信頼できるしっかりとした先生。面談の内容も、「数学的理解力」「語学力」「社会的適応力」などの6-7項目にわけて娘の発育状況が記された簡単な「通知表」のような紙を渡され、それに沿って具体例を交えながら丁寧に説明してくれた。「通知表」のフォーマットはケンブリッジ市で統一されたものなのかもしれないし、もしかしたら米国のPreschoolというのはこういうものなのかもしれないが、きちんと娘をみて、考えてくれていないと、きちんとした内容は書けないし、具体的な説明もできないだろう。改めて、このPreschoolに入れて良かったと、感じることができた。
それにしても、我が家の娘が、2歳10ヶ月を前にして初めて「公式に」他人から評価されたという事実は、我々夫婦にとってちょっとした「衝撃」であった。人間は他人の評価に晒されながら生きていくものであるが、そうした「表通り」に、娘も立ったわけである。親としてその成長ぶりに嬉しいようでもあり、また自分の娘をそんな他人からの評価に晒させたくないようにも思う。「微妙」な気持ちである。人間社会の業の深さのようなものさえ感じてしまう。
もっとも、他人からの評価を気にして生きていく世界なんてイヤだ!と叫んでみたところで、少なくとも今の世の中のほとんどのルールがそうなっているわけだから、あまり建設的ではないことは、間違いないだろう。親としてできることは、少なくとも我々は我々なりの軸をもって、他人からの評価はひとつのインプットとして受け止めながら、自分の目で子供をみてやることしかないし、それをきちんとやっていれば大丈夫なんじゃないか、と思ったりもした。
娘も親も、また一歩成長。たぶん。
最初はわけがわかっていなかったので、大きな拒否反応もなかったが、1週目の後半くらいから、「学校行かない!」と言い始めた。わけを聞こうじゃないか、ということでいろいろ聞いていくと、どうも先生が嫌なわけでも、特定の友達が嫌なわけでも、遊戯が嫌なわけでもなく、親と離れるのが嫌ならしい。2週目にはそれが本人の中でもはっきりしてきたようで、「学校行くけど、お母さんとバイバイしない!」という主張に変わってきた。なだめたりすかしたりしていたが、きりがないので、3週目には教室に入ると無理やり保育士の先生に泣く娘を渡して帰るようにしてみた。そして3週目が過ぎようとする頃、「学校行かない!」が「学校行く!」にかわり、少なくとも自宅を出るまでは「前向き」に振舞うようになった。Preschoolの教室のドアまで5m、というくらいの距離になると多少のイヤイヤが始まるものの、娘自身理性で自分の感情をコントロールしようとしているようで健気でもあり、また着実な進歩にこちらもほっとしつつある。
そんな今日、初めての保護者面談が行われた。
Preschoolのミーティング・ルームで、園長?にあたる保育士と我々夫婦の3人で面談。
面談にあたってくれたリンダという保育士は、もと同業者である妻も一目置くほど、信頼できるしっかりとした先生。面談の内容も、「数学的理解力」「語学力」「社会的適応力」などの6-7項目にわけて娘の発育状況が記された簡単な「通知表」のような紙を渡され、それに沿って具体例を交えながら丁寧に説明してくれた。「通知表」のフォーマットはケンブリッジ市で統一されたものなのかもしれないし、もしかしたら米国のPreschoolというのはこういうものなのかもしれないが、きちんと娘をみて、考えてくれていないと、きちんとした内容は書けないし、具体的な説明もできないだろう。改めて、このPreschoolに入れて良かったと、感じることができた。
それにしても、我が家の娘が、2歳10ヶ月を前にして初めて「公式に」他人から評価されたという事実は、我々夫婦にとってちょっとした「衝撃」であった。人間は他人の評価に晒されながら生きていくものであるが、そうした「表通り」に、娘も立ったわけである。親としてその成長ぶりに嬉しいようでもあり、また自分の娘をそんな他人からの評価に晒させたくないようにも思う。「微妙」な気持ちである。人間社会の業の深さのようなものさえ感じてしまう。
もっとも、他人からの評価を気にして生きていく世界なんてイヤだ!と叫んでみたところで、少なくとも今の世の中のほとんどのルールがそうなっているわけだから、あまり建設的ではないことは、間違いないだろう。親としてできることは、少なくとも我々は我々なりの軸をもって、他人からの評価はひとつのインプットとして受け止めながら、自分の目で子供をみてやることしかないし、それをきちんとやっていれば大丈夫なんじゃないか、と思ったりもした。
娘も親も、また一歩成長。たぶん。
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今回の大統領選挙ほど、インターネットの存在感が大きくなった選挙はかつてないのではないか。
今日受講したSIPの特別講義の一つは、インターネット技術・Web技術に関する議論・解説だったのだが、そこで話された内容とこれまで経験したことを総合して考えると、そうした今回の選挙の特徴(あるいは宿命)を感じざるを得ない。
見てるよ
まずはYou Tubeの存在が大きい。
個人が自分の意見を映像を交えていとも簡単に世界に発信することが出来る。
そればかりか、候補者の失言や愚行、若い頃の恥ずかしいシーンまで、どんどんインターネット上にアップロードされる。テレビのニュースショーでそうした映像が取り上げられることはこれまでも珍しくなかったが、それがユーザーの手で発信され、24時間視聴可能なかたちで提供されている、というのは、大きな違いである。しかも放送倫理のような内容のチェック機能が弱いため、敵意を持って編集しようと思えばいくらでもできてしまう。予備選の間も、各候補を批判するビデオがこれでもかというほどYou Tube上に出回っていた。
バレてるよ
日本のようにわけのわからないうちに首長が決まってしまうシステムとは異なり、米国では大統領候補者の演説、討論会が頻繁に開催される。
そうした中、当然ながら各候補は史実、統計データなど、自らの主張を裏付ける「事実」に言及する。こうした「事実」について、それが本当かをチェックすることをFact Checkと呼ぶらしいが、これが演説あるいは討論の最中に、オンライン上でユーザーの自発的な書き込みによってFact Checkが行われ、話が終わる頃には「間違いリスト」が出来上がっていたりするらしい。
電話してよ!
オバマ陣営がアップル社のi-phone(携帯電話)向けに出しているソフトウェアはさらに凄い。
例えばオハイオ州で、自陣営の形勢が思わしくなかったとする。
するとi-phone内にダウンロードされたソフトウェアがそのユーザーのコンタクトリストを自動的にチェックし、オハイオ州の番号を発見して、そこに連絡して応援を依頼してくれ、というユーザーへのメッセージを表示するらしい。
ここまでくると、自分自身がインターネット経由で遠隔操作されているようで、恐ろしくなってくる。
ともあれ、善悪の判断とは別に、事実として、史上かつてないほど世界中にオープンで、有権者が参加した選挙になっているのは間違いなさそうである。
こうしたところでも、日米の差はさらに拡大しているのかもしれない。
今日受講したSIPの特別講義の一つは、インターネット技術・Web技術に関する議論・解説だったのだが、そこで話された内容とこれまで経験したことを総合して考えると、そうした今回の選挙の特徴(あるいは宿命)を感じざるを得ない。
見てるよ
まずはYou Tubeの存在が大きい。
個人が自分の意見を映像を交えていとも簡単に世界に発信することが出来る。
そればかりか、候補者の失言や愚行、若い頃の恥ずかしいシーンまで、どんどんインターネット上にアップロードされる。テレビのニュースショーでそうした映像が取り上げられることはこれまでも珍しくなかったが、それがユーザーの手で発信され、24時間視聴可能なかたちで提供されている、というのは、大きな違いである。しかも放送倫理のような内容のチェック機能が弱いため、敵意を持って編集しようと思えばいくらでもできてしまう。予備選の間も、各候補を批判するビデオがこれでもかというほどYou Tube上に出回っていた。
バレてるよ
日本のようにわけのわからないうちに首長が決まってしまうシステムとは異なり、米国では大統領候補者の演説、討論会が頻繁に開催される。
そうした中、当然ながら各候補は史実、統計データなど、自らの主張を裏付ける「事実」に言及する。こうした「事実」について、それが本当かをチェックすることをFact Checkと呼ぶらしいが、これが演説あるいは討論の最中に、オンライン上でユーザーの自発的な書き込みによってFact Checkが行われ、話が終わる頃には「間違いリスト」が出来上がっていたりするらしい。
電話してよ!
オバマ陣営がアップル社のi-phone(携帯電話)向けに出しているソフトウェアはさらに凄い。
例えばオハイオ州で、自陣営の形勢が思わしくなかったとする。
するとi-phone内にダウンロードされたソフトウェアがそのユーザーのコンタクトリストを自動的にチェックし、オハイオ州の番号を発見して、そこに連絡して応援を依頼してくれ、というユーザーへのメッセージを表示するらしい。
ここまでくると、自分自身がインターネット経由で遠隔操作されているようで、恐ろしくなってくる。
ともあれ、善悪の判断とは別に、事実として、史上かつてないほど世界中にオープンで、有権者が参加した選挙になっているのは間違いなさそうである。
こうしたところでも、日米の差はさらに拡大しているのかもしれない。
今週はSIP(Sloan Innovation Period) Week。
1週間にわたって特別講義が開催される。
講義履修選択は2年生に優先権があるため、1年生の間は希望しているコースが取れず、また春学期以降にとる科目・教授のお試し的な意義が大きかったため、Sloan Introduction Periodと化していたが、今年は自分のスケジュールや関心に応じて授業選択ができている。
そんな中で最も楽しみにしていたのが、今日のKristin J. Forbes教授の講義。China's Emergence and Global Economyと題して行われた講義は、世銀、モルガンスタンレー、IMFなどを経て2003年から2005年まで史上最年少のメンバーとしてホワイトハウス経済諮問委員会に名を連ねたという彼女の分析力と経験が垣間見られる、興味深い内容であった。
中国経済の発展については、学生時代にも専攻として研究していたが、当時は90年代の後半であり、論点の中心は国営企業改革や労働市場の整備、内需拡大、香港・マカオとの融和など、持続的・自律的な成長のための基盤整備がどれだけなされるか、にあった。当時も「中国脅威論」が話題になっていたが、その中身も経済成長に伴って拡大する内部矛盾が爆発し、政治的・軍事的混乱に陥るのではないか、という視点が比較的多かったように記憶している。しかしその後、2000年代初頭のWTO加盟による圧倒的な輸出拡大がこれらの矛盾解消の先送りを可能にし、中国を世界有数の貿易大国に押し上げるとともに、「中国脅威論」の中身も日米欧に対抗する新たな経済的勢力としての脅威、という見方が支配的になったように思う。今日の講義はこうした現状を、「中国は米国にとっての脅威か」「米国は自国経済のテコ入れのために中国に圧力をかけるべきか」という米国の目線から、具体的な事実を踏まえて分析していった。
中国の経済成長を振り返る
まずは、中国の近年の経済成長の有り様を概観する。
鄧小平の「改革開放」路線以来、1980年から2007年までの中国の年平均GDP成長率は、9.8%。
これがどれだけ凄いかというと、1980年に0.3兆ドルであった国内総生産が、2007年には11倍の3.3兆ドルになり(米国は13.8兆ドル、日本は5兆ドル)、一人当たり所得も12倍、6-7年で所得が倍増する、というペースである。
これを牽引したのが世界市場への輸出。1980年に300億ドルであった貿易黒字は、2007年には3000億ドルに拡大した。3000億ドルとは、中東諸国の貿易黒字をすべて合算したよりも多く、世界最大である。とくのWTOに加盟した後の伸びは凄まじく、2001年から2007年の6年間で3倍に膨れ上がった。これに伴い外貨準備高も増加、1.5兆ドルにまで達しているという。
ただ、この経済成長のペースが歴史上例を見ないほどのものだったのか、というとそうでもなく、実は高度経済成長期の日本とほぼ同じペースであり、韓国や香港などのペースよりは穏やかである。
また外貨準備高も、絶対額としては多いが、対GDP比でみると11%で、24%のシンガポールなどと比べると必ずしも異常に高いとはいえない。
とはいえ、このままの経済成長が続けば、中国が世界最大の経済大国になる日は遠からず訪れるようにも感じられる。ゴールドマン・サックスの発表した予測によると、2050年には中国のGDPは米国の2倍近くに達し、圧倒的な世界一になるらしい(ちなみにこの頃日本のGDPはロシアやブラジル、トルコなどよりも小さい)。こういうことを言われると、かつての日本脅威論と同様に米国国民(正確には議会)が脅威を感じるのも無理はないように思うし、国内経済の不調を中国のせいにしてしまおう、という気持ちもわからないではない。
と、ここから、Forbes教授の分析は、果たして米国議会などでよく指摘される中国への批判は的を得ているか、という点に向かう。
中国は閉鎖的な市場か?
まず中国が圧倒的な輸出超過であり、米国も中国に対して大幅な輸入超過に陥っている現状を踏まえ、中国の市場が閉鎖的だから、米国にとっての輸出の機会が制限されているのではないか、という意見がある。米国お得意の「勝手な自由貿易」論で、日本もこれでだいぶやられたが、数字を見ると、中国の市場が閉鎖的だとは必ずしも断じられない、と教授は指摘する。
例えば関税率。中国の平均10%は必ずしも突出して高いとはいえない。インドは平均30%も課している。
またGDPに対する輸入総額の比率も、米国が近年10%で横ばいであるのに対し、中国はここ10年足らずで15%から20%へと拡大している。
それどころか、大幅な輸出超過となっている中国の貿易収支も、米国以外の全世界との貿易収支でみれば、2007年まで赤字であった(2007年もぎりぎり黒字)。
つまり、中国の大幅な輸出超過は中国の問題である前に米国の問題ではないか、とみえてくる。
中国からの輸入品が米国労働者の雇用を奪っているのか?
これも目の前に溢れ返る中国製品をみて直感的に抱く感覚であり、大衆に訴えやすいコピーではある。
しかしそうした中国製品を生み出しているような労働集約的な製造業は、20世紀のうちに米国からほとんど死滅してしまっている。実際、80年以降の米国の失業率の推移と、中国にから米国への輸入額の推移を比較しても、ほとんど相関がない。さらには、アジア全体との米国の貿易収支をみると、中国からの輸入の増加は他のアジア諸国、とりわけ日本からの輸入を置き換えるかたちで進んでおり、アジア全体として米国への輸入額が増えているわけではない。つまり中国からの輸入品に大幅な関税をかけ国内産業を保護しても、大幅な失業率の改善には繋がらないだろう、と教授は指摘する。
むしろ、安易な価格調整は低所得者層の生活用品の価格を底上げし、庶民の暮らしを圧迫するのではないか、と警鐘を鳴らす。
中国からの投資は米国の脅威か?
中国は、日本に次いで世界第二の米国国債保有国である。
またさらに中国は2007年9月29日にChina Investment Corporation (CIC)という組織を発足させ、外貨準備高の一部を、国債よりもリスクの高い投資に回し始めた。結果的には、目下の株価暴落により、中国はこの試みの出鼻をくじかれた格好になり、まだ大きな投資に至っていないが、こうした動きに対して「国家安全保障上の問題だ!」と叫ぶ議員もいるらしい。
しかし、マクロ経済学を多少かじればわかるのだが、これは本質的には米国の国内問題である。つまり米国経済全体としての貯蓄性向が極端に低く、貯蓄を大きく上回る消費が行われるため、そのギャップを埋め合わせるために国際資本収支に頼らざるを得ない。実際、米国は資本の均衡を保つためには、海外から毎日50億ドルの資本流入が必要になっている。
ただ、政治家は自らの非を認めたり、国民に対して「中国の文句を言う前にもっと貯金しろ」ともいえないので、スケープゴートとして中国に矛先を向けるほうを好むのではないか、と教授は指摘された。
人民元の切り上げは米国経済の競争力を回復させるのか?
これについても、教授は批判的な立場であったが、ここは比較的論拠薄弱に感じた。
円とドルの歴史と同じであるとするならば、1985年のプラザ合意で実質50%ほどの円切り上げが行われた後は、明らかに貿易収支に影響が生じ、米国内への日本企業からの直接投資が加速して、米国の雇用創出に貢献したはずである。
なぜ人民元について同じことをすれば同じような結果が期待できないかー。
ここについては別の検証がいるように思われた。
全体として、教授は中国の今後について楽観的な立場をとっているのだが、現状のところオバマ氏は国内世論に推される(流される?)かたちで対中強行的な姿勢をとっている。具体的には、中国産輸入品への関税引き上げ、中国への政治的圧力の強化、などである。特に中西部の国民の人気をとるために、センセーショナルな施策を打ち出す必要があっただけなのかもしれないが、今後に注視する必要があるだろう。
1週間にわたって特別講義が開催される。
講義履修選択は2年生に優先権があるため、1年生の間は希望しているコースが取れず、また春学期以降にとる科目・教授のお試し的な意義が大きかったため、Sloan Introduction Periodと化していたが、今年は自分のスケジュールや関心に応じて授業選択ができている。
そんな中で最も楽しみにしていたのが、今日のKristin J. Forbes教授の講義。China's Emergence and Global Economyと題して行われた講義は、世銀、モルガンスタンレー、IMFなどを経て2003年から2005年まで史上最年少のメンバーとしてホワイトハウス経済諮問委員会に名を連ねたという彼女の分析力と経験が垣間見られる、興味深い内容であった。
中国経済の発展については、学生時代にも専攻として研究していたが、当時は90年代の後半であり、論点の中心は国営企業改革や労働市場の整備、内需拡大、香港・マカオとの融和など、持続的・自律的な成長のための基盤整備がどれだけなされるか、にあった。当時も「中国脅威論」が話題になっていたが、その中身も経済成長に伴って拡大する内部矛盾が爆発し、政治的・軍事的混乱に陥るのではないか、という視点が比較的多かったように記憶している。しかしその後、2000年代初頭のWTO加盟による圧倒的な輸出拡大がこれらの矛盾解消の先送りを可能にし、中国を世界有数の貿易大国に押し上げるとともに、「中国脅威論」の中身も日米欧に対抗する新たな経済的勢力としての脅威、という見方が支配的になったように思う。今日の講義はこうした現状を、「中国は米国にとっての脅威か」「米国は自国経済のテコ入れのために中国に圧力をかけるべきか」という米国の目線から、具体的な事実を踏まえて分析していった。
中国の経済成長を振り返る
まずは、中国の近年の経済成長の有り様を概観する。
鄧小平の「改革開放」路線以来、1980年から2007年までの中国の年平均GDP成長率は、9.8%。
これがどれだけ凄いかというと、1980年に0.3兆ドルであった国内総生産が、2007年には11倍の3.3兆ドルになり(米国は13.8兆ドル、日本は5兆ドル)、一人当たり所得も12倍、6-7年で所得が倍増する、というペースである。
これを牽引したのが世界市場への輸出。1980年に300億ドルであった貿易黒字は、2007年には3000億ドルに拡大した。3000億ドルとは、中東諸国の貿易黒字をすべて合算したよりも多く、世界最大である。とくのWTOに加盟した後の伸びは凄まじく、2001年から2007年の6年間で3倍に膨れ上がった。これに伴い外貨準備高も増加、1.5兆ドルにまで達しているという。
ただ、この経済成長のペースが歴史上例を見ないほどのものだったのか、というとそうでもなく、実は高度経済成長期の日本とほぼ同じペースであり、韓国や香港などのペースよりは穏やかである。
また外貨準備高も、絶対額としては多いが、対GDP比でみると11%で、24%のシンガポールなどと比べると必ずしも異常に高いとはいえない。
とはいえ、このままの経済成長が続けば、中国が世界最大の経済大国になる日は遠からず訪れるようにも感じられる。ゴールドマン・サックスの発表した予測によると、2050年には中国のGDPは米国の2倍近くに達し、圧倒的な世界一になるらしい(ちなみにこの頃日本のGDPはロシアやブラジル、トルコなどよりも小さい)。こういうことを言われると、かつての日本脅威論と同様に米国国民(正確には議会)が脅威を感じるのも無理はないように思うし、国内経済の不調を中国のせいにしてしまおう、という気持ちもわからないではない。
と、ここから、Forbes教授の分析は、果たして米国議会などでよく指摘される中国への批判は的を得ているか、という点に向かう。
中国は閉鎖的な市場か?
まず中国が圧倒的な輸出超過であり、米国も中国に対して大幅な輸入超過に陥っている現状を踏まえ、中国の市場が閉鎖的だから、米国にとっての輸出の機会が制限されているのではないか、という意見がある。米国お得意の「勝手な自由貿易」論で、日本もこれでだいぶやられたが、数字を見ると、中国の市場が閉鎖的だとは必ずしも断じられない、と教授は指摘する。
例えば関税率。中国の平均10%は必ずしも突出して高いとはいえない。インドは平均30%も課している。
またGDPに対する輸入総額の比率も、米国が近年10%で横ばいであるのに対し、中国はここ10年足らずで15%から20%へと拡大している。
それどころか、大幅な輸出超過となっている中国の貿易収支も、米国以外の全世界との貿易収支でみれば、2007年まで赤字であった(2007年もぎりぎり黒字)。
つまり、中国の大幅な輸出超過は中国の問題である前に米国の問題ではないか、とみえてくる。
中国からの輸入品が米国労働者の雇用を奪っているのか?
これも目の前に溢れ返る中国製品をみて直感的に抱く感覚であり、大衆に訴えやすいコピーではある。
しかしそうした中国製品を生み出しているような労働集約的な製造業は、20世紀のうちに米国からほとんど死滅してしまっている。実際、80年以降の米国の失業率の推移と、中国にから米国への輸入額の推移を比較しても、ほとんど相関がない。さらには、アジア全体との米国の貿易収支をみると、中国からの輸入の増加は他のアジア諸国、とりわけ日本からの輸入を置き換えるかたちで進んでおり、アジア全体として米国への輸入額が増えているわけではない。つまり中国からの輸入品に大幅な関税をかけ国内産業を保護しても、大幅な失業率の改善には繋がらないだろう、と教授は指摘する。
むしろ、安易な価格調整は低所得者層の生活用品の価格を底上げし、庶民の暮らしを圧迫するのではないか、と警鐘を鳴らす。
中国からの投資は米国の脅威か?
中国は、日本に次いで世界第二の米国国債保有国である。
またさらに中国は2007年9月29日にChina Investment Corporation (CIC)という組織を発足させ、外貨準備高の一部を、国債よりもリスクの高い投資に回し始めた。結果的には、目下の株価暴落により、中国はこの試みの出鼻をくじかれた格好になり、まだ大きな投資に至っていないが、こうした動きに対して「国家安全保障上の問題だ!」と叫ぶ議員もいるらしい。
しかし、マクロ経済学を多少かじればわかるのだが、これは本質的には米国の国内問題である。つまり米国経済全体としての貯蓄性向が極端に低く、貯蓄を大きく上回る消費が行われるため、そのギャップを埋め合わせるために国際資本収支に頼らざるを得ない。実際、米国は資本の均衡を保つためには、海外から毎日50億ドルの資本流入が必要になっている。
ただ、政治家は自らの非を認めたり、国民に対して「中国の文句を言う前にもっと貯金しろ」ともいえないので、スケープゴートとして中国に矛先を向けるほうを好むのではないか、と教授は指摘された。
人民元の切り上げは米国経済の競争力を回復させるのか?
これについても、教授は批判的な立場であったが、ここは比較的論拠薄弱に感じた。
円とドルの歴史と同じであるとするならば、1985年のプラザ合意で実質50%ほどの円切り上げが行われた後は、明らかに貿易収支に影響が生じ、米国内への日本企業からの直接投資が加速して、米国の雇用創出に貢献したはずである。
なぜ人民元について同じことをすれば同じような結果が期待できないかー。
ここについては別の検証がいるように思われた。
全体として、教授は中国の今後について楽観的な立場をとっているのだが、現状のところオバマ氏は国内世論に推される(流される?)かたちで対中強行的な姿勢をとっている。具体的には、中国産輸入品への関税引き上げ、中国への政治的圧力の強化、などである。特に中西部の国民の人気をとるために、センセーショナルな施策を打ち出す必要があっただけなのかもしれないが、今後に注視する必要があるだろう。
Dean's Innovative Leader Seriesのゲストとして、今回はTime社会長兼CEOのAnn Mooreが来校した。3月の記事でも紹介したLouis Gerstnerと同じく、彼女も残念ながらスローンではなくハーバード・ビジネス・スクールを卒業しているが(1978年)、彼女の夫がMIT卒業生ということで、かろうじて縁はあるらしい。
世界の女性ビジネス・リーダーを代表する存在として紹介される彼女であるが、さすがベテランだけあって自らのユニークなポジションを活かす方法を熟知している様子。今日の講演でも、「これから話すことはママからのアドバイスだと思って聞きなさい」という一言で、会場のトーンをセットした。
CEOの仕事って・・・
①方向性を示すこと(set direction)
②複雑な状況、経営課題をシンプルに捉え、簡潔な答えを示すこと(make complication simple)
③そして正しい企業文化を醸成すること(create right culture)
の3つ。曰く、「そんなに難しい仕事じゃないのよ」
CEOに必要な3つのツール
前述の3つを実行する上で必要なものがまた3つあるという。
①信頼(trust) …曰く、"Trust is a powerful tool. With trust, we can work through disagreement"
②チーム ...優秀な人材を集めてチームを作ることが成否を決するという。できれば多様な人材を集めることが望ましい。但し、誤解してはいけないのは、「多様な人材」とは性別や人種のことを必ずしもさしているのではなく、問題解決におけるモノの考え方の多様性こそが重要。
③自己批判能力(self awareness) ...これがないと成長しない。企業と同じく、経営者も持続的に成長しなければならない。
正直に言うと・・・
①"I wouldn't want to be CEO any ealier" ...雑誌が好きで、どうすれば自分が良いと思う雑誌がより多くの人に読まれ、より多くの人が読みたいと思う雑誌とは何かを考え続け、新しい雑誌を作り続けてきたら、CEOになっただけ。ただ、(彼女がCEOに就任した)2002年より早くCEOになっていたら、CEOの仕事の何たるかをみて学ぶ機会も十分にもてなかったし、前述の3つのツールを十分に養うこともできなかっただろうから、そういう意味では結果的にちょうど良いタイミングだった。早くステップアップすることばかりに焦らず、本当にやりたいことが何かを考えるべき("Forget clock. Follow your compass instead")。
②"It's just a time management challenge" ...とにかく、時間がない。恐ろしい数のe-mailが舞い込み、電話が入り、ミーティングがびっしり詰まっている。そんな中で本当に大切なものを見極めて時間を有効に配分すること、そして忙殺される環境から時々意識的に身を離して冷静に考えることがカギ。パーティーの最中に、バルコニーで頭を冷やすのと同じ。バルコニーに出る勇気が大切。
そして・・・
自分に忠告・反論してくれる人を大切にすること。
曰く、"Babies learn from repetition. Adults learn from feedback"。
そして曰く、"If you have 10 people around you and one tells you a truth, fire the other nine!"。
年寄りの昔話は最小限に抑え、聴衆を考えてそのレベルと関心に合ったアドバイスに話の内容を絞り込む。
講演のあり方にもProfessionalismを感じさせられた。
世界の女性ビジネス・リーダーを代表する存在として紹介される彼女であるが、さすがベテランだけあって自らのユニークなポジションを活かす方法を熟知している様子。今日の講演でも、「これから話すことはママからのアドバイスだと思って聞きなさい」という一言で、会場のトーンをセットした。
CEOの仕事って・・・
①方向性を示すこと(set direction)
②複雑な状況、経営課題をシンプルに捉え、簡潔な答えを示すこと(make complication simple)
③そして正しい企業文化を醸成すること(create right culture)
の3つ。曰く、「そんなに難しい仕事じゃないのよ」
CEOに必要な3つのツール
前述の3つを実行する上で必要なものがまた3つあるという。
①信頼(trust) …曰く、"Trust is a powerful tool. With trust, we can work through disagreement"
②チーム ...優秀な人材を集めてチームを作ることが成否を決するという。できれば多様な人材を集めることが望ましい。但し、誤解してはいけないのは、「多様な人材」とは性別や人種のことを必ずしもさしているのではなく、問題解決におけるモノの考え方の多様性こそが重要。
③自己批判能力(self awareness) ...これがないと成長しない。企業と同じく、経営者も持続的に成長しなければならない。
正直に言うと・・・
①"I wouldn't want to be CEO any ealier" ...雑誌が好きで、どうすれば自分が良いと思う雑誌がより多くの人に読まれ、より多くの人が読みたいと思う雑誌とは何かを考え続け、新しい雑誌を作り続けてきたら、CEOになっただけ。ただ、(彼女がCEOに就任した)2002年より早くCEOになっていたら、CEOの仕事の何たるかをみて学ぶ機会も十分にもてなかったし、前述の3つのツールを十分に養うこともできなかっただろうから、そういう意味では結果的にちょうど良いタイミングだった。早くステップアップすることばかりに焦らず、本当にやりたいことが何かを考えるべき("Forget clock. Follow your compass instead")。
②"It's just a time management challenge" ...とにかく、時間がない。恐ろしい数のe-mailが舞い込み、電話が入り、ミーティングがびっしり詰まっている。そんな中で本当に大切なものを見極めて時間を有効に配分すること、そして忙殺される環境から時々意識的に身を離して冷静に考えることがカギ。パーティーの最中に、バルコニーで頭を冷やすのと同じ。バルコニーに出る勇気が大切。
そして・・・
自分に忠告・反論してくれる人を大切にすること。
曰く、"Babies learn from repetition. Adults learn from feedback"。
そして曰く、"If you have 10 people around you and one tells you a truth, fire the other nine!"。
年寄りの昔話は最小限に抑え、聴衆を考えてそのレベルと関心に合ったアドバイスに話の内容を絞り込む。
講演のあり方にもProfessionalismを感じさせられた。
楽天創業者・社長の三木谷浩史氏がボストンにいらっしゃって、スローン、HBSの日本人学生をディナーに招待してくださる、というので、参加してきた。
三木谷氏には、3年ほど前に東京で行われたHBS関連のイベントでお会いする機会があったが、その際は落ち着いてお話を伺う感じでもなかった。一方で今夜は、学生8-9人に対して三木谷氏をはじめ楽天関係者が1-2人、というテーブル構成で、比較的じっくりとお話を伺うことができたと思っている。
こういう機会を得られるのも、有名ビジネススクールの役得であり、またボストンの地の利である。
まとまったスピーチではなく、学生の質問に三木谷氏が答える、というかたちであるから、個々の学生の関心事が違うこともあり氏の考え方に網羅的に触れるというふうにはなかなかなりにくかったが、後になって俯瞰してみると、彼の経営に対する考え方や、(僭越な言い方がだが)限界を垣間見ることができたように思う。
以下、楽天の社是に沿って、振り返ってみたい。
1.常に改善、常に前進
三木谷氏が旧興銀を退職して独立してからの「歴史」を振り返って抱く疑問の一つに、この人物はいつの段階で現在の楽天グループの姿を構想し、そこを目指して行動を開始したのだろうか、という点があった。彼の事業展開の歴史は、ざっくり言うと、
①興銀退職後コンサルティング会社設立⇒ ②Eコマースのインフラ(楽天市場)創設、会員拡大⇒ ③楽天市場を核とした関連事業買収
というところであるが、今夜のお話から察するに、どうも①の段階では「インターネット」というキーワードしか氏の頭にはなく、それが②に具現化した後も現在のようなコングロマリットの姿は最近まで描けていなかったようである。むしろ、②を事業としてモノにするために心血を注ぎ、③の段階ではその時々に遭遇したオプションを是々非々で評価して買収していった結果、ある程度の複合事業体に成長し、最終版で欠けているピースを補足した、というのが実態なのだと思われる。これをして、ビジョンがない、と批判してしまえばそれまでだが、ビジョンを「インターネットを通じたB to B to Cのサービス事業で日本の頂点に立つ」と緩く定義してしまえば、その中で一貫した行動をとっているともいえるし、なによりも社是の一番目にある「常に改善、常に前進」という漸次主義に非常に即した事業展開の系譜といえるのではないだろうか。
一方で限界とも感じられたのは、「常に改善、常に前進」の中身である。改善する対象があくまでもサービスであって、物理的な付加価値の創造でないために、持続的な競争優位性、あるいは他社に対する圧倒的な参入障壁を構築しにくい。例えばインターネット書店のAmazon.comの場合は、同じインターネット・ビジネスでありながらも、在庫管理や物流といった流通業の本質の部分で革新を起し、他社の追随を許さない規模と技術力、情報力を有しているが、楽天に果たしてこうしたものがあるのか、最後まで疑問が残った。
2.Professionalismの徹底
氏の事業に対する考え方は、極めてシンプルである。つまり、投資のリスクがどの程度か、投資に見合うリターンが見込めるか、その点を極力客観的に捉えようとされている。
同時に、氏は「儲かるかどうかの最初の判断は得てして直感」ともおっしゃっていたが、ここで怠惰にならず、もう一度頭を働かせて、それがなぜ儲かるのかを論理的に再構築する。これを彼は「右脳を左脳に落とし込むプロセス」と表現されていたが、これはプロの経営者にとって極めて重要な姿勢であり、行動原則ではないかと感じた。
3.仮説→実行→検証→仕組化
これは一つ目に挙げたグループ発展の系譜ともかぶる。つまり、楽天グループ発展の歴史は、まさにこのサイクルの繰り返しだということである。
ここで注目したいのは、最後の「仕組化」という部分である。
今夜の氏のお話を聞いていても切実に感じさせられるのは、彼自身の時間というのがグループにとっての最も貴重な経営資源であり、これをどう有効に使うかが生命線であるということであるが、氏のやり方は事業の黎明期、または低迷期に集中的に関与し、儲かるカタチ、パターンを構築して、できるだけ早く自分の手から離す、ということのようであった。つまり、いかに勝ちパターンを見つけ、これを「仕組化」することで彼自身の手を離れても回るかたちにするかが、有限な彼の時間の投資リターンを最大化する鍵だということであり、これは極めて理にかなっていると思われた。例えば楽天球団設立の際も、設立前後の3ヶ月間は三木谷氏自身が直接陣頭指揮をとってプロセスを進めていったが、その後はほとんど運営にタッチしていない、という。
しかしながら、ここでも重要な限界が感じられた。
それは、一言でいえば、彼自身の仕事が仕組化されていない、ということである。
何らかの経営上の問題が生じたときには、常に三木谷氏が火消しに回る。
グループ全体の発展のための次の一手も、三木谷氏自身が決める。
それはある意味でCEOとして理想の姿でもあるが、一方で三木谷氏亡き後、楽天というグループが本当に立ち行くのだろうか、という疑問を強く感じてしまう。
会社の意思決定、そして後継者育成のプロセスを「仕組化」することが急務ではなかろうか。
4.顧客満足の最大化
使い古されたような標語であるが、これを少し広義に解釈すると、今夜の三木谷氏のお話のいくつかは、ここに集約されるように感じた。
まず、顧客=楽天市場会員と捉えたときには、会員への網羅的かつ上質なサービスの提供ということであろうが、会社の視点に立てば、これは会員あたり収益の最大化、ということになる。具体的には、楽天市場の会員を軸にした旅行予約、証券取引など関連サービスの提供とそれによる需要の取り込みである。
また、顧客=パートナーと捉えれば、「頼まれたら極力断らない」という彼の姿勢を見ることができる。これがパートナー各社の満足の最大化となり、ひいては彼らの事業全体の信用力向上にも繋がる。
最後に、顧客=従業員、という視点。品川にある楽天本社で、社員食堂で提供される食事を夕食を除いてすべて無料にした、とか、4,000人の全社員から当該月に生まれた人を毎月招待して社長のポケットマネーでバースデーパーティーを開く、とかいうのは象徴的な例であるが、給与面でもソフトバンクやサイバーエージェントなどの同世代ネット企業に比べて高めに設定しているという。ハングリー精神、起業家精神のある社員を求めつつも、「飴」でもって人材をひきつける・繋ぎとめる、という配慮も忘れていないようである。
5.スピード!!スピード!!スピード!!
社是の中でも最も有名な一節ではないだろうか。
氏曰く、「我々は製造ラインを持たないサービス会社。これのいいところは、思いついたらすぐにインプリ(実行)できること」と語っていたが、これはチャンスでもあり、制約でもある。つまり、すぐに実行できるということは、誰でもできるということであり、従ってすぐに実行しないと商機を逸してしまう、ということだ。このITサービス事業の本質を彼は痛いほどわかっているからこそ、スピード!!と声高に言い続けるのだろう。
また彼自身がこれを率先垂範して実行していることも、この社是を文化として組織に定着させることに大きく寄与している。この日の会食ですら、渡米途中の飛行機の中で三木谷氏が「そういえば今回の訪米中、学生とメシ食う機会ってないんだっけ?」と思い立ち、そこからボストンの駐在員に電話で指示をして、36時間後には20数名のビジネススクール学生を集めた会食の場がもたれているわけだから、普段の仕事の仕方も推して知るべし、であろう。
ただこれも、三木谷浩史なき後にどれだけ持続しうる文化なのかは、定かではない。会食には、三木谷氏以外に同社の幹部クラスが3-4名出席されていたが、皆コワい先生の顔色をうかがう生徒のように見えた。コワい先生がいなくなったとき、会社がどうなるのか…。
かつてのホンダやソニーがそうであったように、「ウチの社風は『社長』です」という会社は少なくないし、創業間もない会社を大きく飛躍させるにはそうしたカリスマ的な社長は大きな武器になるだろう。しかし、90年代以降に現れた「新興大企業」をみるに、創業者社長への依存体質から抜けきれていない会社が目立つように思う。ユニクロしかり、ソフトバンクしかり、ワタミしかり、そして楽天もそうではないか。そうした仮説が、今夜の会食を通じてより確認されたように思えた。
会社の文化を個人の力から組織の力に仕組化して競争力に変える(例えばトヨタのように)、というのは至難であると、改めて痛感させられた。
三木谷氏には、3年ほど前に東京で行われたHBS関連のイベントでお会いする機会があったが、その際は落ち着いてお話を伺う感じでもなかった。一方で今夜は、学生8-9人に対して三木谷氏をはじめ楽天関係者が1-2人、というテーブル構成で、比較的じっくりとお話を伺うことができたと思っている。
こういう機会を得られるのも、有名ビジネススクールの役得であり、またボストンの地の利である。
まとまったスピーチではなく、学生の質問に三木谷氏が答える、というかたちであるから、個々の学生の関心事が違うこともあり氏の考え方に網羅的に触れるというふうにはなかなかなりにくかったが、後になって俯瞰してみると、彼の経営に対する考え方や、(僭越な言い方がだが)限界を垣間見ることができたように思う。
以下、楽天の社是に沿って、振り返ってみたい。
1.常に改善、常に前進
三木谷氏が旧興銀を退職して独立してからの「歴史」を振り返って抱く疑問の一つに、この人物はいつの段階で現在の楽天グループの姿を構想し、そこを目指して行動を開始したのだろうか、という点があった。彼の事業展開の歴史は、ざっくり言うと、
①興銀退職後コンサルティング会社設立⇒ ②Eコマースのインフラ(楽天市場)創設、会員拡大⇒ ③楽天市場を核とした関連事業買収
というところであるが、今夜のお話から察するに、どうも①の段階では「インターネット」というキーワードしか氏の頭にはなく、それが②に具現化した後も現在のようなコングロマリットの姿は最近まで描けていなかったようである。むしろ、②を事業としてモノにするために心血を注ぎ、③の段階ではその時々に遭遇したオプションを是々非々で評価して買収していった結果、ある程度の複合事業体に成長し、最終版で欠けているピースを補足した、というのが実態なのだと思われる。これをして、ビジョンがない、と批判してしまえばそれまでだが、ビジョンを「インターネットを通じたB to B to Cのサービス事業で日本の頂点に立つ」と緩く定義してしまえば、その中で一貫した行動をとっているともいえるし、なによりも社是の一番目にある「常に改善、常に前進」という漸次主義に非常に即した事業展開の系譜といえるのではないだろうか。
一方で限界とも感じられたのは、「常に改善、常に前進」の中身である。改善する対象があくまでもサービスであって、物理的な付加価値の創造でないために、持続的な競争優位性、あるいは他社に対する圧倒的な参入障壁を構築しにくい。例えばインターネット書店のAmazon.comの場合は、同じインターネット・ビジネスでありながらも、在庫管理や物流といった流通業の本質の部分で革新を起し、他社の追随を許さない規模と技術力、情報力を有しているが、楽天に果たしてこうしたものがあるのか、最後まで疑問が残った。
2.Professionalismの徹底
氏の事業に対する考え方は、極めてシンプルである。つまり、投資のリスクがどの程度か、投資に見合うリターンが見込めるか、その点を極力客観的に捉えようとされている。
同時に、氏は「儲かるかどうかの最初の判断は得てして直感」ともおっしゃっていたが、ここで怠惰にならず、もう一度頭を働かせて、それがなぜ儲かるのかを論理的に再構築する。これを彼は「右脳を左脳に落とし込むプロセス」と表現されていたが、これはプロの経営者にとって極めて重要な姿勢であり、行動原則ではないかと感じた。
3.仮説→実行→検証→仕組化
これは一つ目に挙げたグループ発展の系譜ともかぶる。つまり、楽天グループ発展の歴史は、まさにこのサイクルの繰り返しだということである。
ここで注目したいのは、最後の「仕組化」という部分である。
今夜の氏のお話を聞いていても切実に感じさせられるのは、彼自身の時間というのがグループにとっての最も貴重な経営資源であり、これをどう有効に使うかが生命線であるということであるが、氏のやり方は事業の黎明期、または低迷期に集中的に関与し、儲かるカタチ、パターンを構築して、できるだけ早く自分の手から離す、ということのようであった。つまり、いかに勝ちパターンを見つけ、これを「仕組化」することで彼自身の手を離れても回るかたちにするかが、有限な彼の時間の投資リターンを最大化する鍵だということであり、これは極めて理にかなっていると思われた。例えば楽天球団設立の際も、設立前後の3ヶ月間は三木谷氏自身が直接陣頭指揮をとってプロセスを進めていったが、その後はほとんど運営にタッチしていない、という。
しかしながら、ここでも重要な限界が感じられた。
それは、一言でいえば、彼自身の仕事が仕組化されていない、ということである。
何らかの経営上の問題が生じたときには、常に三木谷氏が火消しに回る。
グループ全体の発展のための次の一手も、三木谷氏自身が決める。
それはある意味でCEOとして理想の姿でもあるが、一方で三木谷氏亡き後、楽天というグループが本当に立ち行くのだろうか、という疑問を強く感じてしまう。
会社の意思決定、そして後継者育成のプロセスを「仕組化」することが急務ではなかろうか。
4.顧客満足の最大化
使い古されたような標語であるが、これを少し広義に解釈すると、今夜の三木谷氏のお話のいくつかは、ここに集約されるように感じた。
まず、顧客=楽天市場会員と捉えたときには、会員への網羅的かつ上質なサービスの提供ということであろうが、会社の視点に立てば、これは会員あたり収益の最大化、ということになる。具体的には、楽天市場の会員を軸にした旅行予約、証券取引など関連サービスの提供とそれによる需要の取り込みである。
また、顧客=パートナーと捉えれば、「頼まれたら極力断らない」という彼の姿勢を見ることができる。これがパートナー各社の満足の最大化となり、ひいては彼らの事業全体の信用力向上にも繋がる。
最後に、顧客=従業員、という視点。品川にある楽天本社で、社員食堂で提供される食事を夕食を除いてすべて無料にした、とか、4,000人の全社員から当該月に生まれた人を毎月招待して社長のポケットマネーでバースデーパーティーを開く、とかいうのは象徴的な例であるが、給与面でもソフトバンクやサイバーエージェントなどの同世代ネット企業に比べて高めに設定しているという。ハングリー精神、起業家精神のある社員を求めつつも、「飴」でもって人材をひきつける・繋ぎとめる、という配慮も忘れていないようである。
5.スピード!!スピード!!スピード!!
社是の中でも最も有名な一節ではないだろうか。
氏曰く、「我々は製造ラインを持たないサービス会社。これのいいところは、思いついたらすぐにインプリ(実行)できること」と語っていたが、これはチャンスでもあり、制約でもある。つまり、すぐに実行できるということは、誰でもできるということであり、従ってすぐに実行しないと商機を逸してしまう、ということだ。このITサービス事業の本質を彼は痛いほどわかっているからこそ、スピード!!と声高に言い続けるのだろう。
また彼自身がこれを率先垂範して実行していることも、この社是を文化として組織に定着させることに大きく寄与している。この日の会食ですら、渡米途中の飛行機の中で三木谷氏が「そういえば今回の訪米中、学生とメシ食う機会ってないんだっけ?」と思い立ち、そこからボストンの駐在員に電話で指示をして、36時間後には20数名のビジネススクール学生を集めた会食の場がもたれているわけだから、普段の仕事の仕方も推して知るべし、であろう。
ただこれも、三木谷浩史なき後にどれだけ持続しうる文化なのかは、定かではない。会食には、三木谷氏以外に同社の幹部クラスが3-4名出席されていたが、皆コワい先生の顔色をうかがう生徒のように見えた。コワい先生がいなくなったとき、会社がどうなるのか…。
かつてのホンダやソニーがそうであったように、「ウチの社風は『社長』です」という会社は少なくないし、創業間もない会社を大きく飛躍させるにはそうしたカリスマ的な社長は大きな武器になるだろう。しかし、90年代以降に現れた「新興大企業」をみるに、創業者社長への依存体質から抜けきれていない会社が目立つように思う。ユニクロしかり、ソフトバンクしかり、ワタミしかり、そして楽天もそうではないか。そうした仮説が、今夜の会食を通じてより確認されたように思えた。
会社の文化を個人の力から組織の力に仕組化して競争力に変える(例えばトヨタのように)、というのは至難であると、改めて痛感させられた。
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男性
職業:
経営コンサルタント
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世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。
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