「 Career Decision ...決心 」
卒業後の進路について、このところずっと思い悩んできたが、自分を送り出してくれたコンサルティング・ファームに復帰することに決めた。
このブログでも書いてきたように、夏にインターンでお世話になったPEファームは、プロとして挑戦していくには非常にやりがいのある環境に思えたし、そこで働く人々も非常に優秀で、5年前に鉄道会社からコンサルティング・ファームに移ったときのような新鮮な驚きと感動があった。また先方からも非常に高く評価していただき、経済的にも極めて魅力的なパッケージを提示していただいた。何より、卒業後にすぐ日本に戻るのではなく、ボストンで1年ほど「修行」する機会を提案していただいたことには、非常に大きな魅力を感じた。インターン中のサポートも含め、心から感謝している。
しかし、やはりコンサルティングに戻ろうと思う。
自分が世界トップ5に入るPEファームのボストン本社で、自分の部屋を持って米国人の部下を指揮しながら米国企業への投資を検討し、親の退職金に匹敵するような年収をもらう、ということなど、ついこの間までは想像も出来なかったことであるし、コンサルティング・ファームに入るまでは、そんな世界を知りさえしなかった。そこに至る道を得るような立場になれたのは、家族や周りの人々の支えもあるが、やはり貴重な成長の機会を与えていただき、プロとして鍛えていただいたコンサルティング・ファームおよびその顧客企業のお陰、というのが一番大きい。そこでは、「結果を出す」「顧客企業を変革する」ということを耳にタコができるほど聞かされてきたが、それがどういうことで、具体的にコンサルタントとして何をすればいいか、そうしたことが何となく見えてきて、「私はコンサルタントです」と名乗って余り恥ずかしくなくなったのは、米国に来た日から遡ること1年にも満たないように思う。つまり、プロのコンサルタントとしてバリューを出してきたと思えるのは、ビジネススクールの在学期間よりも短い、ということである。ここで辞めてしまっては、育てていただいたファームや顧客企業の皆様に申し訳が立たないのではないか、と思う。
人類初の宇宙飛行士であるガガーリンは「大切なのは、人に必要とされること」という言葉を残している。
また、史記には、「士は己を知るもののために死しても可なり」という言葉もある。
今、PEファームの人々、およびその投資先(+投資先候補)の企業の人々と、かつて所属していたコンサルティング・ファームの人々、およびその顧客企業(+顧客企業候補)の人々と、どちらが私をより「知って」くれていて、どちらが私をより必要としていくれているか、と考えると、前者であるとはいいがたい。
また、私がプロフェッショナル・ファームでの仕事を選んだのは、自分の成長という目的のほかに、組織やその中の政治的な立場に依存しない生き方をしたかったからであった。カナダの生理学者で、ストレス学説の提唱者であるハンス・セリエは、「ストレスとは、他に依存することによって生じる精神的な束縛感、重圧感である」と言ったそうだが、まさにコンサルティング・ファームにおいては、そうした意味での精神的な束縛感、重圧感がない。もちろん、高いフィーを支払っていただいている顧客企業に対して感じるプレッシャーはあるが、実際に複数の業界・企業で「結果」を出した経験と、それに基づくスキルがあるため、「結果が出るかどうかは顧客企業次第ではなく、あくまで自分たちプロの仕事次第」と割り切ることが出来、「他への依存」が少ない。従って、気持ちの悪いストレスがない。
インターン中は、これがどうしても払拭できなかった。投資案件が獲得できるかどうかは市場次第、投資先候補としてあげた企業の考え方次第であるし、投資が実行できるかどうかも金融市場次第、また実際にリターンが出るかも、投資後5年ほど経ったときの市場環境に左右されるところが極めて大きい。ファームの中においても、誰と一緒に働くか、による仕事のやり方や成功確度の差が非常に大きい。結果として、さほど忙しくないときでも、何ともいえないストレスを感じていた。
そして何より、大げさな話になるが、少なくとも今の日本において、私が何をすることが世の中のためになるか、を考えると、コンサルティングに従事することが使命なのではないか、と思う。かつての日本海軍を率いた山本五十六が学生に講演した際に「どこまでも気を広く持ち、高遠なる所に目標をおいて、日本のため進んでください」と語っている。私はまだ「高遠なる所の目標」がはっきりとは見えていないのかもしれないし、数年後の環境においては、PEファームこそが自分の能力を日本のために役立てる場なのかもしれない。しかし今の環境では、コンサルティング・ファームが、自分が成長しつつ、自分の力で日本に貢献できる場ではないか、と思う。
今後10年経ってもコンサルティングをやっているのか、と問われれば、それは全くわからない。上記に述べたような前提が変わる可能性が大いにあるからである。ただ今は、自分の進むべき道はそこにあるように思う。子供の教育など、家族のことを考えると、何が正解なのかまたわからなくなってしまうが、幸い妻も応援してくれているので、ここで決心を固めることにした。
このブログでも書いてきたように、夏にインターンでお世話になったPEファームは、プロとして挑戦していくには非常にやりがいのある環境に思えたし、そこで働く人々も非常に優秀で、5年前に鉄道会社からコンサルティング・ファームに移ったときのような新鮮な驚きと感動があった。また先方からも非常に高く評価していただき、経済的にも極めて魅力的なパッケージを提示していただいた。何より、卒業後にすぐ日本に戻るのではなく、ボストンで1年ほど「修行」する機会を提案していただいたことには、非常に大きな魅力を感じた。インターン中のサポートも含め、心から感謝している。
しかし、やはりコンサルティングに戻ろうと思う。
自分が世界トップ5に入るPEファームのボストン本社で、自分の部屋を持って米国人の部下を指揮しながら米国企業への投資を検討し、親の退職金に匹敵するような年収をもらう、ということなど、ついこの間までは想像も出来なかったことであるし、コンサルティング・ファームに入るまでは、そんな世界を知りさえしなかった。そこに至る道を得るような立場になれたのは、家族や周りの人々の支えもあるが、やはり貴重な成長の機会を与えていただき、プロとして鍛えていただいたコンサルティング・ファームおよびその顧客企業のお陰、というのが一番大きい。そこでは、「結果を出す」「顧客企業を変革する」ということを耳にタコができるほど聞かされてきたが、それがどういうことで、具体的にコンサルタントとして何をすればいいか、そうしたことが何となく見えてきて、「私はコンサルタントです」と名乗って余り恥ずかしくなくなったのは、米国に来た日から遡ること1年にも満たないように思う。つまり、プロのコンサルタントとしてバリューを出してきたと思えるのは、ビジネススクールの在学期間よりも短い、ということである。ここで辞めてしまっては、育てていただいたファームや顧客企業の皆様に申し訳が立たないのではないか、と思う。
人類初の宇宙飛行士であるガガーリンは「大切なのは、人に必要とされること」という言葉を残している。
また、史記には、「士は己を知るもののために死しても可なり」という言葉もある。
今、PEファームの人々、およびその投資先(+投資先候補)の企業の人々と、かつて所属していたコンサルティング・ファームの人々、およびその顧客企業(+顧客企業候補)の人々と、どちらが私をより「知って」くれていて、どちらが私をより必要としていくれているか、と考えると、前者であるとはいいがたい。
また、私がプロフェッショナル・ファームでの仕事を選んだのは、自分の成長という目的のほかに、組織やその中の政治的な立場に依存しない生き方をしたかったからであった。カナダの生理学者で、ストレス学説の提唱者であるハンス・セリエは、「ストレスとは、他に依存することによって生じる精神的な束縛感、重圧感である」と言ったそうだが、まさにコンサルティング・ファームにおいては、そうした意味での精神的な束縛感、重圧感がない。もちろん、高いフィーを支払っていただいている顧客企業に対して感じるプレッシャーはあるが、実際に複数の業界・企業で「結果」を出した経験と、それに基づくスキルがあるため、「結果が出るかどうかは顧客企業次第ではなく、あくまで自分たちプロの仕事次第」と割り切ることが出来、「他への依存」が少ない。従って、気持ちの悪いストレスがない。
インターン中は、これがどうしても払拭できなかった。投資案件が獲得できるかどうかは市場次第、投資先候補としてあげた企業の考え方次第であるし、投資が実行できるかどうかも金融市場次第、また実際にリターンが出るかも、投資後5年ほど経ったときの市場環境に左右されるところが極めて大きい。ファームの中においても、誰と一緒に働くか、による仕事のやり方や成功確度の差が非常に大きい。結果として、さほど忙しくないときでも、何ともいえないストレスを感じていた。
そして何より、大げさな話になるが、少なくとも今の日本において、私が何をすることが世の中のためになるか、を考えると、コンサルティングに従事することが使命なのではないか、と思う。かつての日本海軍を率いた山本五十六が学生に講演した際に「どこまでも気を広く持ち、高遠なる所に目標をおいて、日本のため進んでください」と語っている。私はまだ「高遠なる所の目標」がはっきりとは見えていないのかもしれないし、数年後の環境においては、PEファームこそが自分の能力を日本のために役立てる場なのかもしれない。しかし今の環境では、コンサルティング・ファームが、自分が成長しつつ、自分の力で日本に貢献できる場ではないか、と思う。
今後10年経ってもコンサルティングをやっているのか、と問われれば、それは全くわからない。上記に述べたような前提が変わる可能性が大いにあるからである。ただ今は、自分の進むべき道はそこにあるように思う。子供の教育など、家族のことを考えると、何が正解なのかまたわからなくなってしまうが、幸い妻も応援してくれているので、ここで決心を固めることにした。
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性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
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世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。
ご意見、ご感想は↓まで
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