申請から1週間余り、感動的なスピードである。
日本でもここまで迅速にはできない。
中身を確認してみるが、当然ながら誤字脱字などもなく、正真正銘次女のパスポートである。
ビザを添付するページに、星条旗が翻っている。
やればできるじゃないか、米国!
つまるところ、カネ次第ということか…。
すると、今まで受けてきたトンデモ・サービスの数々は、彼らの能力不足というよりやる気の問題、要するに我々がきちんと扱われていなかったということか。
何とも、わかりやすいというか、節操のない国である。
いかにも米国、というプロセスで、面白い経験であった。
米国人は通常、生まれるとすぐにパスポートを作る。戸籍がない国なので、身分を証明しようとすると、特に自動車運転免許証をもてるようになるまでは、パスポート、出生証明書、社会保険番号くらいしか手立てがないからだろう(米国人の友人に聞いてみたが、当たり前すぎるようで、改めて考えてそう教えてくれた)。少なくとも、一生パスポートを作らない人も珍しくない日本とは随分と違う。
そういうわけで、パスポートを申請できる場所も、日本とは異なり全国津々浦々の身近な場所におかれている。この広大な国を隅々までカバーし、書類の回付、事務費用の集金ができる事務所…、つまり、郵便局である。集配機能のある全国9,000箇所の郵便局で、パスポートの申請が可能となっている。
我々も、自宅からCharles川を挟んだ地区にある郵便局を訪ねた。Boston Universityの建物に併設された郵便局で、窓口も3つしかなく、たいした規模ではない。本当にこんなところでパスポートができるのか、と半信半疑で尋ねると、すぐに申請用紙を渡され、慣れた様子で申請の手順を説明された。
言われたとおりに書類に必要事項を記入し、市役所でもらった出生証明書を添えて提出する。
写真も、その場で撮影してくれる。とはいえ、大掛かりな機械があるわけでもなく、廊下に出てデジカメで撮影してくれるだけである。
作業は10分ほどで終了。
あとは費用を支払うわけだが、これが重要だ。
値段が、ピンからキリまである。
もっとも経済的に済まそうと思うと、20ドルほどでできる。但し、この場合は交付までに通常2ヶ月程度、遅ければ半年ほどかかる場合もあるという。
一方、190ドルほど払えば、最も早く、確実に作ることができる。値段の差は、連邦政府の事務手数料もあるが、郵便局から連邦政府までの回付、および連邦政府から自宅への発送を特別速達扱いにするための郵便局の追加手数料が大きい。これを利用すると、10日から2週間で自宅に送られてくるらしい。半年と10日、同じ作業とは思えない。
これらを両極端として、あとは間に松、竹、梅、桐…と、いくつかオプションが用意されている。
まさに「世の中カネ」の資本主義式である。
特段急ぐわけでもなかったが、この国の杜撰な事務処理にはいつも呆れさせられているので、試しに190ドルの「超特急コース」にしてみた。
果たして、本当に、間違いなく、2週間以内に届くのだろうか…。
コアチームの一人が、自分はゲイであると突然告白した。
酒の勢いでも何でもなく、誰かに強制されたわけでもない。
授業の一環で行われたチームの議論で、自分の価値観をキーワードで表現する、というお題に対して、ゲイと言ったのだ。
米国は同性愛者が多く、州にもよるが相当の社会的地位を確立しているというのは知っていた。テレビドラマなどでも、同性愛者のキャラクターが登場することは多い。
またこれまで自分の周辺にそういう知り合いがいなかったわけではない。会社の同僚の一人は自分がゲイだと名乗っているが、そんなこととはまったく関係なく間違いなく優秀なコンサルタントだし、素晴らしい友人だ。
それでも、やはり不意にそれが告白されると、コメントが難しかった。
さらに驚きだったのは、それが非常に自然な発言として他のチームメートからは受け取られていたこと。
「自分はNYの出身だ」
などという情報と同じようなインパクトで受けとめられているようだった。
米国は懐が深い。
そして、自分はまだまだ常識の範囲が狭い。
家族で米国ボストンに到着。
午後3時ごろ、ほぼ定刻どおりにボストンのローガン空港に到着した。長旅で、妻も1歳半の娘も疲れていないはずはないが、それでも思ったより元気でほっとする。何度か仕事で来たことのある空港だが、そこに家族、特に幼い娘と一緒にいるのには、なんとも言えない違和感を覚えた。
荷物を受け取り、タクシーで移動。特にトラブルはない。旅の疲れと準備の必要性から、初日だけはホテルをとっていた。ホテルはちょうどアパートから1ブロック西。車は海底トンネルを抜け、Charles Riverを渡り、Kendall SqからMemorial Driveに入る。街路樹に飾られた道の右手にはMITのキャンパス、左手にはCharles River。これからの2年間で数え切れないほどみるであろうこの光景には、やはり期待を高まらせずにはいられない。
ホテルにチェックインし、シャワーを済ませ、家族が休む間に一人でアパートの確認に出かけた。管理人(と言っても学生だが)から鍵を受け取り、部屋に行ってみる。Westgateと呼ばれるMIT附属の大学院生用アパートは、20階近くある高層棟と3階建ての低層棟から成り、自分が借りた家族用の2ベッドルームタイプは低層棟になる。階段で3階にあがり、自分の部屋のドアを開けてみる。当たり前だが何一つ家具のない部屋は、リノリウムの床とペンキで塗りたくられたコンクリートの壁が、ひんやりとした空気を作っていた。内庭に面して端から端まで窓ガラスをはめられたLDKからは、青々と茂った真夏のボストンの広葉樹が一面に広がる。ここにどういう部屋が形作られ、どういう生活が送られるのか、まだ想像がつかなかった。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。
ご意見、ご感想は↓まで
sloangear★gmail.com
★をアットマークに書き換えてください