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在る偏屈者による半年遅れのMBA留学日記、そして帰国後に思うこと
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20日(火)をもって「期末試験」も無事(かどうかはわらないが)終了し、2年のMBA課程の1年目を修了した。これから9月までの3ヶ月余りが、米国の大学および大学院の夏休みとなる。私の場合、このうち10週間は当地ボストンに本拠を置くプライベート・エクイティ(PE)でインターンとしてお世話になることにしたが、それでもまだあと4週間ほども休みがある。インターンで約1年ぶりに給料にもありつけることだし、これは旅行に行かない手はない。
ということで、試験終了翌日の21日から、家族4人で2週間のイタリア旅行に出かけることにした。私自身は大学時代に貧乏旅行をしたことのあるイタリアであるが、田舎の素晴らしさを味わいたかったこと(大学時代の旅行は鉄道を使った都市旅行)、かつてのカネのない頃は満足に食べられなかった本場のイタリア料理を味わいたかったこと、欧州の中ではこの時期比較的暖かいこと、妻は訪れたことがなかったことなどから、比較的すんなりと今回の旅行先に決まった。ボストンからの直行便を利用してローマに入り、北上してイタリアン・リビエラの海岸線を楽しみ、南下してトスカーナ、ウンブリアの世界遺産や田園風景を味わい、更に南下してナポリの南の景勝地アマルフィ海岸を観光して、ローマに戻る、という行程である。 仕事やビジネススクールを通じて出来たイタリア人の友人数人にアドバイスをもらって立てた旅程なので、日本のガイドブックにはあまり取り上げられていないようなところもカバーしているが、きっと素晴らしい旅行になるだろう。

現地時間の22日朝7時半、アリタリア航空機は予定より30分ほど早くローマに着陸した。いくら早く着いても14時までホテルにはチェックインできないので、この日はむしろ遅れも歓迎だったのだが、こういうときに限って早くついたりするものである。空港で荷物を受け取り、ドル対ユーロの交換レートに驚かされた後、ミニバスを雇って1時間ほど離れたローマの市街地へと移動する。
途中、古代遺跡のフォロ・ロマーノやコロッセオの脇を抜けつつ、ミニバスはホテル前に到着した。大通りに面したホテルは、建物は古いものの、内装はモダンに作りつけてある。スーツケースなどの荷物を預かってもらい、チェックイン可能となる14時まで3-4時間ほど、昼食と街歩きをすることにした。
妻は長女、私は次女を、それぞれベビーカーに乗せて押しながら、石畳の上をガタガタと歩き、トレビの泉、スペイン広場とまわる。ちょうど10年前にも来た場所であるが、ローマはほとんど変わっていないように見える。かつて辟易したあの街の埃っぽさも、喧騒も、そのままである。携帯電話が普及した分、むしろ喧騒は増したようにさえ感じる。一方で変わっているのは我々である。トレビの泉は、泉に背を向けつつコインを投げ込むとまた訪れることができるといわれるが、確か10年前の私はコインを投げなかったと思う。それでも、こうして再びそこに、しかも家族連れで立っているというのは、なかなか面白いというか、自分でも不思議であった。
ローマに着いたときから怪しかった空模様がいよいよ濃いグレーとなり、大粒の雨を降らせ始めたこともあり、スペイン広場のそばのピッツェリアで昼食にした。特別高級そうなレストランでもなかったが、出されたピザとパスタの味は、10年前にはきっと味わっていないような、レベルの高いものであった。
10年ぶりのイタリアは、イタリアそのものの変化ではなく、私自身の変化によって、随分と違う印象を与えてくれるようである。一度旅した異国にもう一度行くことには多少の躊躇いもあったが、これから2週間、どんな旅になるか楽しみである。
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MITのBusiness Plan Competition "100K"の閉幕イベントが盛大に行われた。
スローンの学部長(Dean)の挨拶から始まって、現在のインターネットLANの事実上の標準規格であるEthernetを発明したBob Metcalfe氏の基調講演、7組の最終選考進出チームによるショート・ピッチ(売り込み)、表彰、という順序でイベントは進んでいく。
数百名の聴衆を飲み込んだホールは、知らない顔ぶれも目立つ。スローン以外のMIT、あるいは他校からも人が集まっているのだろう。
最終選考進出チームからのピッチの後は、聴衆からの投票による「特別賞」が選出・表彰される。携帯電話から良いと思ったチームの名称などを書いてテキスト・メッセージを送ると、自動的に集計されるようになっていた。プラスチックボードを用いた太陽光発電の商品を提案したチームがこれを受賞、賞金10kドル(約100万円)を受け取った。
続いて、最終選考の結果が発表される。審査は事前に終えられていて、Metcalfe氏が優勝チームの名前を読み上げるだけになっている。優勝したのは、"Diagnostics For All"というインド人を中心にしたチーム。病気や怪我に対して十分な初期診断を受けられないインドなど途上国の人々に経済的で科学的な診断手段を提供しようというサービスで、数種類の試薬を仕込んだ2cm四方ほどの試験紙に指先から採った血を含ませると、色の変化で様々な状態が判別できるようになっている。患者が自分で判断するだけでなく、試験後の紙を携帯電話のカメラで撮影して画像送信すれば、遠隔地にいる医師が確認することもできるという。チーム名が読み上げられたとき、チームメンバーは抱き合って喜びを爆発させ、喝采のなか賞金100kドル(約1,000万円)を受け取った。

盛大な今夜のイベントと、ここに至る過程を通じてまず感じたのは、米国のEntrepreneurship(起業家精神)の文化と、起業家を再生産する仕組みの凄さである。
まず、裾野の広さ。このイベントだけで、500名以上、210チーム以上が参加している。一年で210以上のビジネスプランが提案されたということだ。8割以上は一次選考で姿を消しているし、その中にはかなりお粗末なものもあったと思われるが、そういう人々も含めて「とりあえず参加してみよう」と皆が思うのは、凄いことである。更に全体の数だけでなく、多国籍な学生が極めて自然に参加しているのも、米国という「器」の得体の知れない包容力というか、凄みだろう。かつて日本で日中韓の学生が参加するビジネスプランコンテストのようなものを審査員として手伝ったことがあるが、そこでは「国際交流」という標語そのものが目的化していて、ビジネスプランの中身は二の次であった。そうした状況とは、大人と子供ほどの開きがあるように思える。
次に、イベントを通じたビジネスプランおよび人材の育成。我々のチームもそうであったが、このイベントをきっかけとしてMIT他学部の研究者と出会えたり、ベンチャー・キャピタリストや弁護士からのアドバイスを受けたりと、多くの学びとビジネスプラン改良の契機を得た。二次選考に進んだ35チーム、計100人ほどの学生が、こうした経験をしたわけである。
最後に、実際の事業化とそれによる雇用機会・投資機会・便益の創出効果である。優勝チームはもちろん、最終選考進出チームには、賞金だけでなく、数多くのベンチャー・キャピタルやチームへの参加希望者から声がかかることだろう。
そして、こうした効果と名誉が、また全体の裾野を広げることに繋がり、起業家予備軍が拡大再生産されていくのである。賞金だけで合計2,000万円以上のカネが集まっていることからも、企業のこうしたイベントを支援する姿勢の本気さ度合いが推し量られる。

もう一つ、面白いと感じたのは、最終選考に残ったテーマの特徴である。
7チーム中、エネルギー関係が2チーム、貧困地医療対策関係が2チームと、"sustainability"というキーワードで括ると、過半数がそれに関係するビジネスプランであった。
高齢化と人口減少が止まらない無資源国日本が無為無策のまま停滞している間に、米国社会は着実に次のステップに移ろうとしているのか。

米国の懐の深さとダイナミズムを感じた夜であった。


MITのISO(International Student Office)が紹介してくれたホスト・ファミリーを訪ねた。
ホスト・ファミリーとは、留学生に対して、米国の文化を伝えたり、身の回りの相談に乗ったり、緊急時のサポートをしたりしてくれるボランティアで、MITの関係者(職員、卒業生)を中心にボストン近郊に住んでいる米国人の家族がISOに登録し、ISOがホスト・ファミリーを希望する学生と引き合わせてくれる仕組みになっている。
会社の元上司が勧めてくれたこともあり、昨年末から申し込んでいたのだが、先月思い出したように紹介を受けたのだった。
自宅から車で10-15分西に行ったNewtonという町に住む家族で、HLさんという。
カーナビのとおりに進んで訪れた町は、いかにもNew Englandらしい可憐な一戸建ての並ぶ住宅地であった。家々の間には柵もほとんどなく、平和な雰囲気が漂う。
出迎えてくれたHLさん夫妻は、電話での会話から想像していたとおり、穏やかな白人夫婦であった。年齢は私の両親よりも多少若いくらいか、既に結婚して家を出た娘さんと、IBMにつとめているという息子がいらっしゃる。MITの卒業生であるHLさんがMGH(マサチューセッツ総合病院)でコンピューターシステムの改善などをしていたところ、名古屋のある病院から同じシステムの導入支援を求められ、コンサルタントとして20年ほど前に名古屋に渡り、1年ほど住んでいたことがあるらしい。居間には、暖炉やソファーなどの家具の周りに、日本の絵や書物が飾られていた。奥さんは小学校の先生で、今でも現役らしい。コンサルタント、教師と、私や私の家族と通じるものが多く、招待いただいたブランチの席での話題には事欠かない。
食事の後、芝生の植わった裏庭に案内されると、最初は緊張していた長女も、喜んで走り回っていた。途中から「乱入」した隣の男の子とも、楽しそうに「交流」していた。
米国に住んではいるものの、大学院生向けの学生寮での暮らしであり、周囲もほとんどは留学生。こうした「土地の人」との交流というのは、なかなかないものだ。
1-2ヶ月に一度くらいはお会いして、米国の暮らしを垣間見たいものである。



MITのBusiness Plan Competition、通称"100K"も、いよいよ二次選考のプレゼンの日となった。春休み前にリーダーのAR君からチームに誘われて以来、自分としては正味の実働は1週間程度であったが、ビジネスモデルも事業展開プランも製品開発計画も何一つはっきりしないところから、自分の経験のインプット、MITの「いけてる」技術者およびその特許技術との出会い、弁護士やベンチャー・キャピタリストからの助言などを経て、それなりの事業計画とプレゼンテーションが出来上がった。5月1日の提案書提出後、ベンチャー・キャピタリストから辛辣な(かつ親身になった)助言を得たこともあり、事業展開計画の見直しや重要なバックアップデータの補強などを行い、突貫工事で今日に至っている。コンサルタントを少し離れても、やはりプレゼン前の突貫工事からは逃れられないようだ。

チームメイト二人と、私の車でボストン郊外のWalthamという町にある、NDVPというベンチャー・キャピタルを訪ねる。人口湖の畔の、緑に囲まれた絵のような場所に立つ4階建てのオフィスが、選考会の会場である。
開始予定時刻の20分ほど前に会場につくと、今回の企画運営を担当しているスローンの学生数名が既に席についていた。昨年度までと異なり、今年度からは7つの事業分野(モバイル、エネルギー、バイオ、航空宇宙、ウェブ、など)に分けて二次選考までの審査を行うため、より業界に詳しい審査員が集められているが、その分運営側の手間も数倍に増えていると思われる。資金集めその他を含め、これだけのイベントを運営している同級生には頭が下がる。

一部の審査員の到着遅れにより、プレゼンは予定より20分遅れで始まった。
リーダーのAR君が挨拶とチームの紹介をした後、私が12分ほどで事業の中身を説明した。審査員のうちの一人が明らかに興味がない様子であるのが気になったが、プレゼンテーション自体はスムーズに行ったと思う。その後、5分ほどの質疑応答。厳しい質問が相次ぐ。コストや投資額に関する質問は皆無で、すべては事業機会、ビジネスモデル、製品に関するものであった。そして、終了。審査員と握手をして会議室を退出する。投資した時間が相対的に少ないためか、コンサルティング・プロジェクトでプレゼンテーションを終えた後の達成感というか充実感よりは随分と劣るが、それでもやはりそれなりに達成感はあった。もっとも、それと手ごたえは別物で、正直な手ごたえとしては、6チームで争われる我々の部門(モバイル部門)で何とか3位に入れれば、という程度か。
とはいえ、面白い経験であった。誘ってくれたAR君には改めて感謝したい。
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帰宅後、夜はサマーインターン先からの招待で、NBAのプレーオフ2回戦第二戦を観戦に行く。
初めてのプロバスケットボール観戦となったが、やはりコートが狭いこと、点数が入りすぎること、などから、ちょっと自分の興味をひくスポーツではない気がした。
子供のお土産だけ買って、試合終了前に帰宅。
試合はボストン・セルティックスの圧勝に終わった。
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ビジネススクールは2年コースが主流であるが、2年コースとなると、当然間に夏休みがある。日本の夏休みなどとは比べ物にならないほど長く、5月の後半から9月の初旬まで、3ヶ月ちょっとも学校を離れることになる。もっとも、ほとんどの学生はここで遊んでいるわけではなく、必死でインターンをやる。主には卒業後の進路を決める上で、経験のない業界を見てみよう、とか、第一志望の会社・業界での経験をつんで本採用に活かそう、とか、そういう趣旨である。スローンではファイナンスやオペレーションが強いので、投資銀行、ハイテク関係、コンサルといったところがサマーインターン先のメジャーどころとなる。今年はサブプライムの影響で投資銀行がさっぱりなので、ハイテク、コンサルの割合が高いようだ。
私は、いろいろ迷ったりもしたが、プライベート・エクイティー・ファームで10週間お世話になることにした。
プライベート・エクイティー(PE)とは、文字通り未公開企業への投資を業とした会社である。未公開企業の中でも創業間もないベンチャー企業に投資するのと、ある程度成熟した企業に投資するのとではかなり仕事が異なるため、PEの中でも前者をベンチャー・キャピタル(VC)と呼び、後者のみをPEと呼ぶことも多い。日本では、村上ファンドやらスティール・パートナーズやらの所謂アクティビスト・ファンドが目立ったことや、創業家が代々受け継いだものをヨソモノが買うことに対する一般的な抵抗感、さらにはつい先日までの株式持合いによる市場流動株式の少なさなどから、PEが本格的に活動を始めたのはここ数年~10年の間であるが、米国ではかなり市民権を得た、まっとうな存在である。ちなみに、2007年のトップ10のPEファーム(運用資産規模順)を挙げると、以下のようになるらしい。

  1. The Carlyle Group $32.5 billion
  2. Kohlberg Kravis Roberts $31.1 billion
  3. Goldman Sachs Principal Investment Area $31 billion
  4. The Blackstone Group $28.36 billion
  5. TPG $23.5 billion
  6. Permira $21.47 billion
  7. Apax Partners $18.85 billion
  8. Bain Capital $17.3 billion
  9. Providence Equity Partners $16.36 billion
  10. CVC Capital Partners $15.65 billion 

合計で約23.5兆円ものカネが、これらの人々によって操られている。

私がオファーをいただいたのは、この中の一社である。
残念ながら、この手の業界はもともと少数精鋭である上に、ほとんどMBAの新卒を採らず、採るとしても9割方HBSからであり、スローンは無視されているに近い状態にある。私も、コンサルタントとしてのある程度のバックグラウンドと、そのときに培ったネットワークがなければ、チャンスは得られなかっただろうと思う。
という貴重な機会なので、しんどい仕事ではあるが、是非いろいろ勉強してきたいと思う。

その私が夏にお世話になるPEファームから、本日はディナーに招待いただいた。
この夏からフルタイムで採用になった新アソシエイトの歓迎会だが、そこに我々数名のサマーアソシエイトもお招きいただいた格好である。
年収数億円を優に上回るマネージング・ディレクター(MD)クラスも数名参加してくれており、その中には社長に相当する人物(同社では社長やCEOというポジションを設けていないので、肩書き上は通常のMDだが、実質的に全社の管理をしている人物)もいた。なかなかお目にかかれる人物ではない。
いくつか、面白いと思ったコメントを拾っておく。

  • 当社では、役職に関係なく、投資案件(ディール)をしてなんぼ、の世界。自分(社長に相当する人物)も、時間の少なくとも半分は、ディールに使っている。偉くなった人間のタダ乗りを許さない文化が、成長の重要な要素になっている
  • コンサルティングとPEにおける企業価値算定の違いを上げるならば、我々(PE)の方がより短時間に他人が見ていない価値を見極める必要があるため、より絞り込まれた論点について誰よりも深く検討する、という点だろう。MBA採用がほぼHBSに集中しているのもここに理由の一つがある。あの学校では、毎回のケーススタディにおいて、「今回のケースで最も重要なポイントを1-2挙げるとすると何か」という問いかけで学生を追い込み、学生の思考を訓練している
  • 日本はやっと我々が活躍できる市場になってきた。水面下で進んでいる案件の数も、我々が捌ききれるボリュームをはるかに越えている
  • 来月からインドのムンバイにオフィスを開くことにした(PEの中ではかなり後発)。インドは企業の平均的な成熟度が低いが、成長のチャンスに溢れている。後発のPEとして勝ち残るためには、基本に忠実に、安易な価格競争に陥らず、じっくり取り組むことだと思う

夏、どうなるかわからない不安もあるが、楽しみでもある。
ブログを書いている暇もないかもしれないが・・・。

そういえば、今日はこどもの日である。




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PROFILE
HN:
Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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