この日もそんなスピーチの一つとして、Jim Kiltsという人物が来校した。
ご存知の方も多いと思うが、Kilts氏はGilletteの元CEOで、P&Gの取締役会副会長を経て、現在は自ら設立したPEファームを運営する傍ら、世界最大の製薬メーカーPfizer社の取締役も務めている。
Gilletteの前にはNabisco、Kraftでもリーダーシップを発揮。3社でのブランド立て直しとそれを通じた経営再建により、消費財メーカー業界での名声を確立、今はその名声が仕事とカネをもたらしているようである。先月4日には"Doing What Matters: How to Get Results That Make a Difference"という本も出したそうで、今日はこの宣伝が目的の過半を占めているようであった。プレゼン内容・構成ともその本と同じであるし、プレゼン後には同著のサイン入り即売会が催されていた(授業中に)。
プレゼンの内容を要約すると、企業を成功に導くには、飾りではなくその事業の根幹に切り込むと同時に、人々に変革を実行させるような自身の人間性を発揮することが重要だ、ということのようで、それは以下の4点で具体的に表現される:
- 知的誠実性 …ビジネスや自分自身の本質を見極め、他人の受け売りでなく自ら見極めたものを自身の行動の拠り所とすること
- 感情に基づく取り組み・やる気の醸成 …(権力・上下関係に基づく命令ではなく、)自らの人間性や思想によって、従業員・組織に目的意識を植え付けること
- 実行 …やるといったらやる。漸進的な変化ではなく、大胆に変える
- 問題を洗い出し正しく理解するための包括的な概念・モノの見方 …例えばブランド価値
人間性を絡めて話すあたりは多少ユニークにも感じられたが、ビジネス上の打ち手としては、商品の選択と集中、コア顧客の見直しとそれに宛てたマーケティングの練り直し、とオーソドックスで、事業や業界のあり方を根本的に変えてしまうような目新しいやり方は見られない。様々な具体例とともに紹介されたマーケティングの見直しも、例えば即席レモネードの素(粉末)を、清涼飲料水の陳腐な代替品ではなく昔懐かしい味と捉えてCMに老人を登場させるとか、若者向けの髭剃りのパッケージの色を、禁忌とされた赤色(=血の色)にするとか、そんな話である。
一部の優れた経営者を前にして感じる「とても自分にはできない」というような畏敬の念は湧き上がってこず、まあそれなりに考えれば考えつくし、実行できそうなストーリーに思えた。
面白かったのは、氏がそれをあからさまな自慢を含めて滔々と語り、学生もそれなりに感動してきいていたこと(その証左としては、講演後にそこそこ本が売れていた)、また何よりそうした氏の実績がこの米国社会で高く評価され、報酬がついてきていることだ。
悪く言えば当たり前のことをしただけであるし、むしろ口八丁(プレゼンは確かに旨い)でそれをひけらかす嫌味な渡世人である。さらには立て直したGilletteをP&Gに売り渡し、それによって個人としても200億円近くの資産を得ている(前述の彼が現在運営する投資ファンドは、こうした資産が財政的出発点になっているらしい)。日本では間違いなく叩かれるタイプの経営者であろうし、少なくとも伝統ある一部上場製薬メーカーから取締役就任のお誘いはかからないだろう。
いわんや、一将功成りて万骨枯る、というような戒めとは、まるで別世界である。
それが米国では評価される。成功とされる。
自慢したっていいじゃないか、実績を上げているんだから
儲けたっていいじゃないか、企業価値を上げたんだから
という理屈には、個人的には違和感を覚えないが、まだまだ日本ではそうあからさまにはいかないことが、ここでは教育の場でさえ語られる。
そして学生はこうした例をみて、企業での成功と自身の資産形成、キャリアアップを、違和感なく同じものとして捉え、そうした道に進む推進力に変えていく。経営者やリーダー養成の仕組みとしては、日本式の企業内奉公競争よりもこちらの方がレバレッジが効いている。
これはビジネススクールのあり方の問題ではなく、社会風土の問題のようで、いくら日本にビジネススクールを量産しても移植できるものではない。
遠い将来、ビジネスに満足したら日本の高等教育にも携わりたいと、従来から漠然と思っていたが、そうだとするとこれはかなりやり方を工夫する必要がありそうだと、改めて感じた。
Boston Red Soxがア・リーグ東地区優勝を決めた。深夜のボストンの街は狂喜した群集がそこかしこの街角で奇声を発し、異様な興奮に包まれた。そしてそれ以上に、優勝が決まった瞬間の球場Fenway Parkは、この優勝決定に至る当日の特殊な流れのために観衆が熱狂的なファン2,000人程度に絞り込まれており、ある種の濃縮された高揚感と臨場感を味わうことが出来た。
金曜日の午後だった。今日が松坂大輔の今年のレギュラーシーズン最終登板であることに気づき、とにかくFenway Parkに行ってみよう、ということで家族と、同期の日本人TK君と一緒に当地に向かった。自宅からFenway Parkまではタクシーで10ドルとかからない距離ながら、なかなかタイミングを見つけられないうちにシーズンも最終盤になっていた。
球場に着くと、当日券販売の窓口は見たところ3箇所しかなく、そこに400メートルほどの二列縦隊の人の列が続いていた。現在16時過ぎ、試合開始は19時である。列に加わり、当日券が入手できる幸運を願う。別の友人HW君は先頭から150メートルほどのところにいて、当日券入手のための整理券を持っていた。どうやら先頭から200メートルほどのところまでは整理券が配られているようだ。列のそれ以降の人々には、
「これは当日券購入のための列だが、あなた方はチケットを入手できるという保障はない。それを了解できるなら、並んでいてくれ」
というアナウンスが係員から繰り返し入る。17時を過ぎると、列から去る人も出始めた。先日のサッカー観戦の際の悪夢がよみがえるが、そうはいっても並ばなければチケット入手の可能性はゼロなわけで、またホットドッグやチームグッズの店・屋台の並ぶ沿道の雰囲気も悪くなく、列から去る気はしなかった。
そうこうしていると、テレビ朝日の取材クルーが、「日本人の方ですか?取材させていただいてよろしいですか?」とアプローチしてきた。
TV「今日松坂が勝つと、日本人最多勝の15勝目ですね」
私「そうですね、頑張ってほしいですね」
TV「今日レッドソックスが勝って、ボルチモアの試合でヤンキースがオリオールズに敗れれば、レッドソックスの地区優勝が決まりますが、今のお気持ちは?」
私「えっ!そうなんですか!?」
TV「・・・ええ、そうなんですが」
衝撃的な事実。アホな会話で取材のネタとしてはボツであろうが、知っておくべきことを知った。これは並ぶしかない。
18時過ぎ、「158ドルのVIP席が空いているがほしいやつはいるか」と係員が列に声をかけてまわる。少々高いが、通常席でもインターネットのダフ屋で前売り券を買うと200ドルはすること考えれば、悪いディールではない。さっそくとびついて、チケットを入手した。
入手した席は内野で、最上階に近い。球場に入ると、ビールやグッズなどの誘惑に駆られながらも、まずは上を目指す。4階か5階まで上ったところがVIPゾーンになっていて、飲食物の購入はこの内外で分けられている(持ち込み不可ということ)。就いた席は三塁側のベンチ上最上段の前から2列目。米国の球場は傾斜が急なため、マウンドがすぐそこに見え、Red Soxの一塁側ベンチもよく分かる。感動していると係員の女性が現れて、自分がこのゾーンの担当なので、食べ物・飲み物が欲しかったら自分に言ってくれ、という。よく見ると、手元のドリンクホルダーにはメニューリストが置かれている。流石VIP。さっそくビールやバーガーを注文する。
直後に選手紹介、続いて国歌斉唱。すばらしい流れだ。米国国歌は非常に良く出来た国歌だといつも思う。斉唱時にはいつも皆が興奮とナショナリズムに包まれる。
そしていよいよ試合開始。先攻はAwayのMinnesota Twins、そして声援に迎えられて松坂大輔がマウンドに上がる。
注目の第一球は見逃しのストライク、そしてそのまま三球三振。
続く二番打者もフルカウントからファールで粘られながらも空振り三振、そして三番打者はセカンドゴロで、1回表を三者凡退に斬ってとる。まさに上々の滑り出しである。届いたビールも美味い。
続く1回の裏は、あっという間に先制点が入る。2アウトから三番に入ったOrtizがレフトに二塁打を放ち、続く四番Lowellのセンターへのヒットであっさりと生還する。さらに五番J.D.Drewもレフトに二塁打を放ち、Lowellが生還して2点先取。球場は序盤から大盛り上がりである。
2回、松坂は二人目のCuddyerにヒットを許すも、後続を抑えて零封。さらに3回の表も三者凡退に抑えると、その裏にRed Soxは四番Lowellのタイムリーで1点追加。楽勝ムードである。
松坂は6回まで零封。Rex Soxその裏にもYoukilisのタイムリーでLowellが生還し、4対0。ただしこのあたりから松坂が崩れることが多いので、油断はできない。案の定、7回もマウンドに上がった松坂は、先頭打者への初球をスタンドに運ばれてしまう。この回さらに1点を失い、4対2。しかしこの日はストライク先行の投球が認められたのか、ピッチャー交代とはならず、8回も投げきる。8回を投げ打者30人に対し2失点。完璧とはいえないが、先発の責任は十分果たしたと言って良いないようであろう。
試合はこの後、8回裏にOrtizがソロアーチを放ち、9回をJonathan Papelbonが注文どおりの三者凡退に抑えて、Red Soxが5対2で勝利。マウンド上のPapelbonはいつものガッツポーズ、球場全体も勝利をたたえる声援で震えた。
しかし、
本当のクライマックスはここからだった。
ボストンでの試合終了時点で、BaltimoreのOrioles対NY Yankeesは、8回の表まで終わってYankeesが9対6とリードしていた。いつもどおりならば、このまま最後は守護神Riveraが抑えてYankeesの勝利、となりそうな展開だが、今夜はここでどちらが勝つかに、Red Soxの優勝が今日決まるかどうかがかかってる。半分以上のファンは席を立って家路を急ぎ始めたが、一部は左翼の有名な高壁Green Monsterに掲げられたスコアボード(他会場の結果は係員が数字の書かれたボードを手で差し替えながら伝える)を見つめていた。すると、バックスクリーンに"Let's see if Orioles can work some magic"の文字とともに、Baltimoreの試合経過を伝える中継画像が映し出された。これは見ないわけにはいかない。さらに階下を見ると、一階の内野席に空きが見られ、どうやら出入りができるらしい。幼い娘には申し訳ないが、最後まで結末を見届けようと、皆で一階席に向かった。
一階席は、コアなファンに一部日本人らしき客が混ざり、じっとバックスクリーンを見つめていた。
8回の裏、Oriolesは無得点。
そして9回、やはりYankeesは守護神Riveraを投入。万事休すか、と思われたが、Oriolesは脅威の粘りを見せ、2アウト満塁にまで持ち込む。
Fenway Parkは"Let's go Orioles!" "Let's go Baltimore!"の大合唱、400マイル彼方で奮闘する弱小チームに必死の声援を送る。
そしてこの声が届いたのか、八番Paytonがカウント1-2から走者一掃のタイムリースリーベースを放ち、9対9の同点!試合を延長戦にまで引きずり込む。
Fenway Parkは大興奮。優勝の可能性が俄かに高まったと思われ、テレビクルーや球団関係者がフィールドに現れ、一緒に試合の行方を見守る。
そして延長10回の裏、Yankees抑えのRiveraを攻略したOriolesは後続を攻め、1アウトから二番Redmanがスリーベースを放つ。犠牲フライでもスクイズでも、とにかく三塁ランナーを生還させればOriolesのサヨナラ勝ちとなるシーンで、Yankeesは続く三番、四番打者を連続敬遠し、満塁策をとる。
続いての打者は三振に倒れ、これで2アウト満塁。Fenway Parkの緊張感も最高潮に達したとき、なんと次の六番バッターMooreは三塁線へのセーフティーバントを放ち、これが決まってOriolesがサヨナラ勝ち、Red Soxの地区優勝が決まった!!
もうそのあとは、観客は皆でハイタッチの応酬、奇声をあげ、抱き合い、とにかく大はしゃぎ。
Red Soxの選手たちも続々とフィールドに現れ、最後まで残ったファンと一緒に雄たけびをあげたり、シャンパンを浴びせたりと、まさに選手と観客が一体となって優勝を祝った。このとき、観客はほとんど一回の内野席にしか残っておらず(発表では2,000人)、それがこの一体感をさらに高めた。本当に最高の夜だった。
ボストンに来て最初の秋にこの経験を出来た幸運に感謝するとともに、あまりにも劇的な幕切れとその場に居合わせたこの偶然が少し怖くもあったが、とにかく皆で今日のこの場に来たことを本当に良かったと噛み締めながら、球場をあとにした。
Red Sox、おめでとう!
コアチームの一人が、自分はゲイであると突然告白した。
酒の勢いでも何でもなく、誰かに強制されたわけでもない。
授業の一環で行われたチームの議論で、自分の価値観をキーワードで表現する、というお題に対して、ゲイと言ったのだ。
米国は同性愛者が多く、州にもよるが相当の社会的地位を確立しているというのは知っていた。テレビドラマなどでも、同性愛者のキャラクターが登場することは多い。
またこれまで自分の周辺にそういう知り合いがいなかったわけではない。会社の同僚の一人は自分がゲイだと名乗っているが、そんなこととはまったく関係なく間違いなく優秀なコンサルタントだし、素晴らしい友人だ。
それでも、やはり不意にそれが告白されると、コメントが難しかった。
さらに驚きだったのは、それが非常に自然な発言として他のチームメートからは受け取られていたこと。
「自分はNYの出身だ」
などという情報と同じようなインパクトで受けとめられているようだった。
米国は懐が深い。
そして、自分はまだまだ常識の範囲が狭い。
スローンは今学期から、新しいDean(学部長)を迎えている。David C. Schmittleinという52歳の男性で、直前までペンシルバニア大学Wharton校のDeputy Deanだった人物だ。
聞くところによると、スローンの優先課題であるreputationの向上と資金獲得のために、財界活動等のネットワーキングに優れた人物を外部から登用したのだという。
多少「鶏と卵」みたいな関係ではあるが、これらの優先課題は、現在建設中の新校舎E62に関係する。
2010年夏竣工予定の同校舎によりスローンの学生受け入れ能力は大きく拡大する。現状から物理的容積に比例して学生数を増やすのではなく、より選択科目の幅を広げて教育課程自体を充実させる方向で計画中、と言われているが、そうはいっても学生の定員も増やすのは間違いないだろう。そうなると、今以上に、大学の外部評価を上げてApplicant poolの質の底上げをしないと、単純に合格最低ラインの引き下げになって学生の質が落ちる。米国内のMBA出願者数は近年増加傾向にあり、07年は06年に比べてGMAT受験者数ベースで6%の伸びという報道もあるが、景気の波や人口動態の影響を非常に受けやすいこうした統計は短期的な指標にしかならず、地道な努力を怠る理由にはなり得ない。そこでメディアなどを通じたマーケティングに長けた人物を登用したということらしい。
もう一つの「資金獲得」は、さらに分かりやすい。信じられないような寄付金によって新校舎のファイナンスは当然まかなえているが、ハコができるとそれは自ずからより多くの資金を要するようになる。この点でのNew Deanへの期待は大きい。
そうしたDeanであるが、一学生から見ればほとんど日常的接点のない存在で、一度全校生徒向けのスピーチがあった以外は、たまに道で見かける程度である。今日はその彼と、意外な場所で遭遇し、その人となりに至近距離で触れることができた。
会社のMBA学生採用活動のサポートのために、この日は夜にフィラデルフィア入りすることになっていた。4時までの授業が終わってすぐに空港に向かい、手荷物検査場の列に加わって順番を待っていると、直前にいた紳士がこのDean Schmittleinだった。
"Hi, Dean Schmittlein"
と声をかけると、怪訝そうな様子はまったく見せずに笑顔で「やぁ、こんにちは」と返してくる。このあたりからして流石、と感じた。私自身、旅行目的上ビジネススーツを着ていたし、一見して学生だとは判断し切れなかっただろう。当然、こちらの顔を知るはずもない。それでも知っているらしき人間には、笑顔を絶やさない方が得である。
名を名乗り、自分がスローンの一年生であることと、出身の会社名に触れると、彼はさらに饒舌になった。手荷物検査機の前で靴を脱ぎながらも、ああ、あのファームの出身か、ボストンオフィスのR氏の先日の論説は面白かったな、Gさんは知ってるか、と話が途切れず、しかも嫌味なく自分のネットワークを披露してくる。こちらが気押されて、カバンからPCを取り出すのを忘れて係員に咎められると、すかさず歩み寄ってきて「これは自分がタイミング悪く話しかけたせいで、彼のミスではない」とフォロー。いやいや自分のミスです、と言おうとするとそれを制し、自分はコーヒーを買いに行くのでまた機内ででも、と言って立ち去る。非常に卒がなく、スマートである。
一方、何となく孤独な横顔もみられた。
搭乗口に行くと出発時刻の遅れが表示されていて、もともと早めに空港についていたために時間ができた。採用イベントの間は軽食が出るとはいえ十分食べている余裕もなさそうなので、何か食べておこうと思いカフェテリアに戻った。するとそこには先ほどのDeanが、ドーナツとコーヒーを買って歩いていた。こちらが声をかけるより先に先方が気づいたが、今度は目線をそらして足早に柱の影に進むと、そこのテーブルに腰をおろし、独りでドーナツを食べ始めた。新聞も雑誌も読まず、ひたすら黙ってドーナツを貪り、コーヒーを飲んでいる。視点は虚空を掴んでいるようにしか見えない。
どんな組織でも、トップに立つというのは孤独なものである。ビジネススクールで上記のような背景でとっぷに就いたばかりの人物もきっとその例外ではなく、しかも外部評価や寄付額という、ある意味で他力本願な要素も強い指標が自分の成功を測るとなると、その気持ちはより強いのではないか。空港のカフェテリアの柱の影の物寂しいテーブルでみたその姿は、そんな孤独や重圧から一瞬ログオフして、真っ白になっている時間のように見えた。
恥ずかしながら、米国運転免許の路上試験に落ちた。
写真入で、年齢・住所が判別できる身分証明証として免許証は極めて有効で、特に酒販規制にうるさいマサチューセッツ州ではこれがないと酒を買うためにパスポートを持っていく羽目になるため、車を持っていなくても免許証は取得を勧められる。
私も勉強が本格的に忙しくなる前(それがいつかまだわからないが)にこういうことは済ませたいと思いながら、延び延びになっていたところ、9月24日(月)はMIT学生の休日と知り、路上試験の予約を入れていた。ちなみにこの月曜日の休業はほぼ毎月あって、「Suiside Day」などと呼ぶ人もいる。どこまで本当かわからないが、いわゆるガリ勉の多いMITの学生が勉強のし過ぎでおかしくなって自殺する事件があったため、それを予防するために羽を伸ばす日を設けたのだとか。少なくとも、suicideするための日ではない。
予備情報では、路上試験は楽勝とのことだった。カネで何でも解決できる国(!?)らしく、試験官に領収証のでない100ドルを払って「お願いします」といえば、1ブロックをぐるっと廻ってハイおしまい、なのだという(もちろん「それなりの」国の運転免許を既に取得していることが前提だが)。私もそれをすっかりあてにして、アメリカの交通法規の勉強もろくにせず、100ドルの現金を持ってノコノコと指定された場所にいった(そもそも指定された場所は車でないといけず、また試験用の車も持参することになっているのだから、いい加減なものだ)。
行ってみると、会場として指定されていたのは、夏場は休業しているスケートリンクの付設駐車場。公安局だとかの役所はおろか、人影すらない。
10分ほど待っていると、サングラスをかけた若い男性が車で現れ、自分が試験官で、これからここを起点にロードテストをやるという。いきなり100ドル渡すのも変かと思い躊躇していると、身分を確認され、さあ始めよう、という。素直に車に乗り込むと、男性は車の周りをうろうろしながら、前哨灯をつけろ、尾灯をつけろ、ブレーキランプはどうか、と状態確認をしている。マジメだなあ、と思っていると、助手席に乗り込んできて、今度は手信号の実演をやれという。一夜漬けでやった筆記試験勉強の情報をもとに何とか誤魔化したが、どうも「1ブロックをぐるっと廻ってハイおしまい」とは何やら様子が違う。
車が進行を始めると、すぐに「様子の違い」はより明らかになった。1ブロックどころか、全部で10ブロックくらいは廻っただろうか、右左折はもちろんのこと、見通しの悪い場所での確認や、3点ターン、縦列駐車など、盛りだくさんの内容。それなりにこなしたと思ったが、終わって告げられたのは不合格。一時停止の際の停止が不完全だったのと、縦列駐車の際に指示器が出ていなかったのが原因らしい。
再試験は何度でも受けられるし、コストがかかるわけでもないので、それほど実利上のダメージがあるわけではないが、精神的にダメージを受けた。やはり、何事も油断大敵である。今度は最初から100ドル渡そう(!?)。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。
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