たいていのビジネススクールの学生は旅行が好きだが、スローンの学生は特にその傾向が強いと言われている。そうしたスローンの「公認」海外視察旅行は、人数が20-30人程度に限られるが単位がつく"Trip"と、人数制限はないが単位がつかない"Trek"に分かれる。いずれにせよ、旅行は学生が企画・提案・運営するもので、その旅行をTripにするかTrekも、原則として主催者たる学生の裁量である。Sloan Japan Club(スローン所属の日本人学生による団体。筆者も所属)主催のJapan Trekは、できるだけ多くの学生に参画して欲しいという願いなどから、ほぼ例年Trekとして企画されており、毎年3月末に1週間だけある春休みを利用して、多くの学生を日本に案内している。数ある海外視察旅行の中でも最も人気のある(=参加者の多い)旅行として知られ、前回は100名を越える学生(およびその配偶者)が参加し、好評を博した。今年も、さらに多くの参加者を集め、日本をよくみてもらおうと、1年生12名、2年生3名の計15名が、Organizer Teamを結成、私もそれに加わらせてもらった。
Trek本番まで半年弱。随分早い動き出しのようにも感じたが、学生は概ね年末に次の春休みの予定を立てるらしく、それまでに参加者を募れるだけの内容を練り、宣伝をしようとすると、この時期の始動が必要となるらしい。
旅行のコンセプト・概略を決め、日程を固め、宿泊施設を手配し、企業訪問や見物旅行、食事などのコンテンツを設計し、日本までの航空券の手配、日本国内の「足」の手配、それら全体を通じたおカネの管理、とやることは多い。
そしてこうしたことを進めていくために、まずは15名のチームの役割分担を決めなければならない。
当然、リーダーは重要なポジションとなる。
この手のイベント企画は、経済的利益を追求する活動のように成果が誰の目にもわかるかたちで定量的に測れるわけではなく、一つ一つの意思決定において何が正しく何が正しくないかが非常に主観的なものになりがちである。往々にして思い入れの強い者の意見、声の大きい者の意見が通りがちだが、そればかり許していては企画の全体としてのまとまりがなくなるし、Organizerの士気も下がる。優先順位や意思決定の基準に概念的だがブレない軸をもって、自らが悪者となったり一時的な衝突を起こしたりするリスクを恐れず、明確に意思決定できることが、リーダーに求められる。首尾一貫性と柔軟性のバランス、プレッシャーに強い明朗な性格も必要だ。そしてそうしたものをすべて兼ね揃えた人物は、そういるものではない。
リーダーには、1年生二人、2年生一人が立候補した。
素晴らしいことだ。
ここからどうやって一人を選ぶか。
その後の人間関係もあるので、メンバーによる選挙で多数決、というわけにもいかない。
結局、その候補者三人で話し合って結論を出してもらう、ということになった。
個人的な理想論をいえば、三人が腹蔵なく自らのリーダーとしての妥当性を主張し、ビジョンを示し、ガチンコの議論を戦わせたうえで、一人を選んで欲しかった。結果として1年生がリーダーになり、2年生が「君の方がリーダーとしてふさわしい。君になら着いていくよ」みたいな話になると、多少ウソくさいが、感動的ではある。少なくとも、三人が遠慮しあい、衝突を回避して、本当は自分の方がふさわしいと思っているのに互いに譲り合い、結局年齢とか学年で選ぶ、などというのはして欲しくなかった。
そしてこの日示された結論は、2年生の立候補者をリーダーにするというもの。
前日に三人から、2年生をリーダーにして、1年生の二人がサブリーダーになる、というプランを聞かされたときには、言下に否定してしまった。サブリーダーなど、三人が皆リーダーになることが先にありきで作られたオーバーヘッドであって、無駄だ、と言い切ってしまった。バスを待っているときで、時間がなかったせいもあるが、多少感情的だったと後悔している。
そしてそうしたやり取りを経て示されたこの日の提案であったので、私はそれに対して何も言わなかった。リーダーになることを諦めた1年生候補者の二人が納得しているのなら、彼らの提案にしたがって、選ばれたリーダーを支えていこうと思った。そもそもこの企画を通じては、人を引き付ける力のあるリーダーを支える役に徹してみよう、という自分の位置づけがあり、ゆえに自分自身はリーダーに立候補もしなかった。その点からいえば、この選ばれたリーダーは2年生の全生徒の間で絶大な人気を誇る(理由は良く知らないが)人物であり、ある意味理想的といえるかもしれなかった。
今後彼がどういうリーダーシップを発揮するか、またそれに対して自分がどういう支援ができるか、不遜な言い方ながら、楽しみである
Baby Showerとは、米国の伝統行事(といってもそれほど歴史が古いわけでもなさそうだが)で、出産直前(厳密には第一子の場合)の親をその友人が祝福し、子育てに必要な実用品をプレゼントする、という行事がある。子供への祝福というよりも親を直接的な祝福の対象としている点、また何か高価なものを一つ渡すのではなく、皆で少しずつ実用的なもの(肌着やオムツなど)をプレゼントするという点で、非常に実質的なお祝いの仕方である。
同じWestgateに住む別の米国人の主催で開かれたこのイベントには、Westgate外の人々も含め、20名程度が招かれていた。「伝統」のとおり、山と積まれたプレゼントは、ベビー服やオムツ処理機など、new parentsには嬉しいようなものばかり。お腹がはちきれそうに大きくなった妊婦のKさんも喜んでいた。日本でも、出産後にお祝いをもっていくことはあるが、考えてみれば出産前の方が、母親になる女性にとっては自分も元気であるし、そこでプレゼントをもらってから更に必要なものを買い揃えても間に合うので、何かと都合がいいだろう。
後で調べてみたら、最近は日本でもみられるイベントらしい。
一女の父で、次女の出産も近いのに、私は当初すっかり赤ん坊にシャワーをかけるイベントだと思っていた。
面目ない。
そしてその前日の月曜日は、既述の学生の休日。
ということで、この週末は4連休である。
MITは、本当に休みが多い。
「そういう環境で、Innovationは起きるんだ」
と学校当局の誰かがいつか真顔で言っていた。
そんなわけで、中間試験の前だが、一泊くらいいいだろうと自らに言い訳をしつつ、New Englandの紅葉を観ようとVermont州に出かける。
とくにあてがあるわけではないが、北北西に350kmほど行った同州最大の街Burlingtonまでの往復ドライブで、途中主に車窓から紅葉を楽しもう、という腹である。
とはいえ、まっすぐ行けば3時間半の行程を、どこにも立ち寄らずに最短ルートで行くのは、あまりにも芸がない。
そこで、北北西に、つまり斜めに行くのではなく、概ねまっすぐカナダの方に北上し、紅葉(しているであろ)Vermontの山を越えてBurlingtonに入るルートを選んだ。
天候は爽やか。ところがこの時期、皆同じこと(=紅葉狩り)を考えるのか、ボストンから北への車は大渋滞である。100km進むのに、2時間半ほどかかる。
まだNew Hampshireの中ほどだが、ここで一旦高速道路を離れ、休憩する。
ちょうど、主に18世紀後半から19世紀前半にかけてNew Englandにみられたプロテスタントの一派Shakerについて、このあたりにその建物を移築し生活を再現した村があるらしいので、立ち寄ってみる。
Shakerについては、GMATだったかTOEFLだったかの英文読解問題で、何度かお目にかかったことがある。質素な生活を営み、掃除をきちんとし、使い勝手の良い箒や木箱、家具などを作っていた、というあたりが記憶に残っていたが、10数棟の建物が移築されたその民俗博物館が伝える姿は、まさにそのとおりであった。余計な装飾のない、木版を貼り合わせた家屋が、木々の色によく映える。
自然と和むのか、娘も芝生の上でよく歩き、遊んだ。
遭遇した緑の中の結婚式も、また美しかった(右端写真)
そこから北進するにつれ、天候が崩れ、紅葉が美しいであろう地域を抜ける頃には雨。時折叩きつけるように激しく降り、前方の視認すら困難なほどで、とても山々を愛でるどころではない。
また序盤の渋滞で時間を取られたことが影響し、日も暮れはじめる。
とにかくその日は必死で車を走らせ、Burlingtonに辿り着いた。
二日目は、朝から快晴。
ただし、寒い。
ボストンより気温が10度ほど低い。
息が白い。
それでも、昨日見逃した分を取り戻したい、という貧乏根性からか、早朝から街に出かける。
Burlingtonの街は、州最大の街とはいえ、人口4万人足らずの田舎町だ。たいした産業があるわけでもなく、メインストリートの商店が並ぶ地域も200mほどしかない。
ただ、緩やかな起伏から坂道がChamplain湖へ滑り込むように延び、緑が多く、湖の向こうにはUpstate New Yorkの山並が浮かび、住環境としては悪くない。
全米で住みたい街ランキングでNo.1になったことがあるというのも、分かる気はする。
なお、街の景観のハイライトであるChamplain湖を写真に収めなかったのは、広角すぎて安物のデジカメが捉えきれなかったからだが、やはりこうして後でまとめると、画竜点睛を欠くようで、後悔している…。
遊覧船に乗ろうかとも思ったが、少し時間があったので、街の南外れにあるTeddy Bear工場に行く。
ちょっとした(本当にちょっとした)工場見学と、Teddy Bearのオーダーメイドが出来る。オーダーメイドといっても、初心者向けと本格収集家向けがあって、後者は衣装を含めすべて手縫いで数万円するが、前者は10種類ほどある既製の外皮にエアーを使って自分で綿を入れ、衣装(これも既製服)をあわせて刺繍してもらう、というもので、数千円で出来る。長女と、生まれてくる次女の名前(ここで初めて決定)を入れた熊を、一体ずつ作る。
その後はもう完全に遊覧船を諦め、映画Sound of Musicの撮影で有名な景勝の村Stoweを訪れる。
ベビーカーを押してあるけるような遊歩道が整備されていて、とても気持ちの良いNew Englandの秋を楽しむことが出来た。
Stoweを出る頃には4時近くになっていた。
渋滞の可能性を考慮すると、まっすぐ帰るべきかとも思われたが、すぐ近くが全米カバーの有名アイスクリームブランドBen & Jerry'sの発祥の地であり、今も工場がたち、出来立てのアイスクリームが食べられる、と来ると、立ち寄らないわけにはいかない。
日暮れも近く、実はそれなりに寒かったが、長蛇の列に並んでアイスクリームを獲得、家族で頬張る。
New Englandの秋を、視覚だけでなく味覚も含めて楽しんだ、悪くない小旅行だった。
Sales Club主催で行われた先日のJim Kilts氏の講演のように、このところは各クラブ主催のゲストスピーカー講演が多い。今日はEuropean Club主催でDeutsche Bahn AG(ドイツ鉄道株式会社、以下DB)の幹部が招かれ、同社の経営再建の歴史についての講演が行われたので、聴講してきた。自分が過去JRに勤めていたためにそれとの比較をしてみたかったことと、スピーカーが長年にわたってDBの再建に携わってきた大手コンサルティング会社McKinseyの元VPで最近CFO(だったと思う)としてDBに移った人物であったことから、興味をもった。会場にはそのJRから社費留学中で同じWestgateに住むDOさんの姿もあった。
米国人の聴衆を意識してか、あるいは本当にそう思っているのかは分からないが、内容は全体として自分たちの経営再建の実績を礼賛するものであった。本当に、本気で、自らの実績が異国の学生に堂々と誇れるものだと信じているとしたら、「井の中の蛙」とまでは言わないが、「欧州の巨人、東洋を知らず」とでも言おうか、とにかくもう一度事実を見つめなおして来い、と言いたかった。
紹介された再建の主な実績と打ち手は、以下のようなものだ
- 「大規模な」人員削減を伴わないコスト削減
- 購買改革
- 余剰人員の活用による外部委託の削減
- 一人当たり労働時間の削減(今でいうワークシェアリング?)
- 売上の拡大
- 高速鉄道網(ICE)の拡充
- 貨物輸送の拡充(デンマークやオランダの国鉄貨物部門を買収、など)
- 従業員の意識改革
- 各従業員のコミットメントの作成・合意とそれによる評価(マイナス評価が続いた従業員は清掃作業等の従来外部委託されていた役務に回され、やがて辞めていく)
- 上記により1951年以来一度も利益を計上したことのなかった会社の黒字化
確かに、日本の9割の国土に日本のおよそ2倍の総延長の鉄路をもつドイツは世界で最も鉄道密度の高い国であるし、それを運営するDBは世界最大の輸送会社の一つである。経営的にも、民営化前に比べれば格段に改善されているし、英国国鉄の民営化などと比べれば、成功した民営化の例と言えなくもない。
しかし、冷静にDBの現状をみつめると、先日までコンサルタントとしてクライアント(=DB)をサポートしていた人物がそこまで自画自賛できるレベルとは言いがたかろう。少なくとも、都合の良い事実だけ並べるのではなく、今後の課題としていくつかの未解決課題に言及するなどして、評価を聴衆に委ねる情報のフェアさを担保すべきではなかったか。
日本でも国鉄民営化以降、地方不採算路線の3セク化、廃止が進められたが、ドイツにおけるそれは日本の比ではない。かつて最長6万kmあった路線網は、その6割程度にまで縮小されている。
またドイツ国鉄民営化の特殊性として、旧東西両ドイツに分断されていた国鉄のインフラ、オペレーション、技術水準を統合する必要があったことはハンデとして認めつつも、故障その他さまざまなトラブルを頻発させ、1998年にはICEの脱線大事故に至ったことは、周知の事実である。
国内輸送シェアも依然として小さく、運賃収入も、JR本州三社の合計が300億ドルを越えるのに対し、その半分に満たない。
黒字も、さまざまな政府補助によって支えられたシロモノであり、結果として民営化されて14年経った現在も、株式は100%政府保有である(法人の形態が民間会社のそれになっただけ)。
成果を自他共に認め合い、称え、次への動機付けにつなげる欧米のやり方は、必ずしも全部的に悪だとは思わない。しかし、先日のJim Kilts氏のようなリタイアした個人ではなく、現役の会社の幹部として、それも事実と分析を重んじる経営コンサルティング出身の人間として、学生相手に冷静な比較論や功罪両面のフェアな分析なしに己の実績を誇るのは、いかがなものか。講演後の会場からの質問も、比較的高齢の参加者(恐らく大学関係者)からの、DBの改革が素晴らしいということを前提にした質問がほとんどで、お互いに臭い部分を認識しながら社交辞令を交わしているようで、非常に嫌な気分になった。
一方で、日本の国鉄改革については、JR在籍中はそれほどその凄さを感じなかった(むしろJRの欠点ばかりが目についた)が、今日の講演を通じてその誇るべき実績を再確認させられた。そしてそれがあまりにも海外に認知されていないこと、またJR自身その実績を積極的に他国に展開し、先進各国の鉄道再建に主体的な貢献ができていないことが、残念でならなかった。
ニオイというのは、目や耳を通じて得られる情報よりも、より直感的に脳を刺激するようだ。
そして、会社にはニオイがある。
「何か怪しい…」
というような、「雰囲気」を意味するニオイではなく、本当に物理的なニオイだ。
今日訪れた会社も、ある種のニオイを感じた。
スローンでは、コア課程6教科のひとつである「組織プロセス」という科目の中心課題として、授業で習う分析の枠組みを使って、実際の企業の組織変革を分析する、というチームプロジェクトを課している。題材となる企業は自分たちで見つけてこなければならず、また文献等の二次情報を使って間接的に調べるのではなく、当該企業と機密保持契約を結んで、インタビュー等で得られる一次情報を中心に事象を分析しなければならない。
我々のチームでは、チームメートの一人の伝手で、ボストン近郊のソフトウェアベンチャー企業を「クライアント」にすることができた。そして今日はそのプロジェクトの具体的な焦点や進め方について話し合うために、チームメート2人とともに、初めてその会社を訪問した。
ニオイは、どんな情報よりも先に入ってくる。
その会社の社員の顔や製品を見るよりも、どんな話を聞くよりも早い。
この会社のニオイは、以前私がコンサルティングを担当した米国の企業と、驚くほど似ていた。
そしてその後およそ1時間半ミーティングを通じて得られた情報からは、これら2社には様々な共通点があった。例えば:
- 創業者は技術者
- 業界内でもユニークな技術を有し、自社の技術力にはかなり自信
- ニッチな業界でシェア第一位
- 機能別組織をしいており、お互い他の部門が何をしているかはよく分かっていない
- マーケティング部門を中心に高学歴者を有する
もちろんこうした特徴に当てはまる米国の会社を集めてきたら、すべて同じニオイがする、というわけではないだろうが、それでも偶然で片付けられる以上の「何か」がありそうである。
ちなみにこのチームプロジェクト、私がリーダーを務めることになった。
コンサルティングの仕事の進め方が癖になっているので、最初に仮説を書いてしまって、それを検証する流れでやろうと思っていたが、同時にそうした進め方がチームメートに受け入れられるかは大いに疑問があった。
ましてや、その仮説を得るに至った根拠が「ニオイ」だ、などと言ったら、まったく信用を失うだろう。
そういうわけで、この考察について言及するのは、この日本語の文章のみにとどめておく。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。
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