申請から1週間余り、感動的なスピードである。
日本でもここまで迅速にはできない。
中身を確認してみるが、当然ながら誤字脱字などもなく、正真正銘次女のパスポートである。
ビザを添付するページに、星条旗が翻っている。
やればできるじゃないか、米国!
つまるところ、カネ次第ということか…。
すると、今まで受けてきたトンデモ・サービスの数々は、彼らの能力不足というよりやる気の問題、要するに我々がきちんと扱われていなかったということか。
何とも、わかりやすいというか、節操のない国である。
長女が2歳になった。
米国で迎える誕生日、彼女はどう感じているのだろうか。
両親が感じているのと同じかそれ以上に、彼女が幸福を感じているのを願ってやまない。
この冬は、次女の出産があったり、また寒さであまり外出できないだろうという配慮があったりして、何だかんだとオモチャを買い与えていたので、何が誕生日プレゼントか(あるいはクリスマスプレゼントか)、我々も彼女も判然としなかっただろうが、ブロックやらボールプールやらママゴトセットやら、いずれも良く遊んでいる。
去年、1歳の誕生日の際は、「まあどうせまだ分からないだろう」という思いも多少ありつつ、動物の絵と名前が描かれたカードブックを渡していた。当時はページをめくることが楽しかったようだが、遊びはそれ以上でもそれ以下でもなかった。それが、つい1ヶ月ほど前から、どんどん動物の名前を覚えるようになり、そのカードも本当によくさわるようになった。そんな、去年のプレゼントとのかかわり方からも、彼女の成長を感じる。
渡米、次女の出産など、我々にとっても今年は非常に変化の激しい一年であったが、幼い彼女にとってその変化がどれほど大きく感じられたか、我々には計り知れない。それでもきちんと順応し、発育していく姿は、本当に健気である。妻が用意した誕生日の夕食を無邪気に食べている横顔を見ながら、1年の成長に改めて感動していた。
食後は、メッセージつきのホールケーキでお祝いする。隣町にある日本人が経営するケーキ屋で買ってきた、「おなじみの」イチゴのケーキである。何か、ここだけ日本になったような雰囲気になる。
ケーキを前にして、姉妹のツーショット撮影。
改めて、二女の父であることを思い知る。
2歳の彼女は、この1年でどんな経験をするのだろうか。
自分が2歳のときのことなど、ほとんど覚えていないので、この1年の経験がどれほど彼女の将来に影響を与えるのかよくわからないが、願わくば環境への順応から環境を楽しむところまでステップアップして、健康で楽しい1年を過ごして欲しいものである。
クリスマス当日、街は静まりかえっていた。
ちょうど、日本の元日の朝のようだ。
やはり、クリスマスは家族と過ごす日、という位置づけがよくわかる。商店も、ほとんど"Closed"の看板を掲げている。
朝から、快晴だった。
クリスマスの街の様子を見てみよう、ということで、家族4人で散歩に出かけた。
自宅の前からCharles川沿いに東進し、橋を渡り、川のボストン側を西に進み、別の橋を越えて戻ってくる、という周遊散歩ルートだ。
Charles川は、両岸が遊歩道として整備されており、ジョギングやサイクリングの人が絶えない。特にCambridge側の方が、自動車の交通量が少なく、ボストンの街並みも望めて、美しい。この日も、数は少ないが、ジョギングや散歩を楽しんでいる人を見かけることができた。
お願いして、一枚家族写真を撮ってもらう。
街を縦断するMassachusetts Ave.で右折し、Charles川を越える橋をボストン市側まで渡る。Harvard Bridgeと呼ばれる橋は、Charles川の最も川幅が広いあたりにかけられている。
通常、歩道は歩道用の小型ショベルカーで概ね除雪されているのだが、橋の歩道はそうもいかないようで、雪が塊になって残っている。風もきつく、寒い。
ボストン側に渡ると、赤レンガ造りの統一された景観の中に、古いアパートとBoston Universityの校舎・寮などが混在している。ドラマの舞台になりそうな、洒落たアカデミックな雰囲気だが、人通りはほとんどない。
他の通行人を気にする必要もないので、子供をベビーカーからおろして少し歩かせる。この日は気分が良かったのか、驚くほど良く歩いた。
40分ほど西に歩くと、次の橋にたどりつく。
鉄道用の鉄橋と二重になった、高層の橋である。歩いて渡るのは初めてだったが、なかなか骨だ。
橋の上からは、Boston/ Cambridgeの街並みと、その間で凍りついたCharles川の様子が美しく見渡せる。
ゆっくりと、結局2時間ほどをかけて、米国でのクリスマスの景観とその中での散歩を楽しんだ。
贅沢な時間の使い方である。
ニューヨークには、恒例の巨大ツリーが煌いている。
学生寮に引き篭もっていると、そうした派手さはない。周囲も外国人が多く、アジア系やイスラム系など、クリスマスと縁遠い人々も多い。我が家のお向かいさんも、パキスタン人で、クリスマスなどまったく関係ないという様子。
それでも、窓越しに家々の飾りが見えたり、ドアにリースが飾ってあったりするのをみるのは楽しい。純商業的なけばけばしさ、騒々しさではなく、家庭的な、温かい印象を受ける。まだ地面に残った雪が、そうした感傷を強くする。
そんなわけで、我が家でも玄関のドアにリースを飾り、テレビの上にポインセチアを飾り、窓に赤い靴下を飾り、Christmas songで気分を盛り上げていた。
夕食は、午後時間をかけて妻が焼き上げてくれたロースト・ビーフだ。
赤いランチョンマットで、少し演出してみる。
ちょっとした特別感が味わえる。
皆の健康を祈って乾杯する。
決して豪華ではないが、温かい、良いイブであった。
その間、妻には負担ばかりかけている。
もっとも、日本に居たときはもっと家族と過ごす時間が短かった。長女とも、平日は朝の1時間ほどしか、彼女が起きている間に顔をあわすことはなかったし、買い物その他、家のかなりのことを妻に任せきりであった。それに比べれば、こちらに来てからは家族と過ごす時間は圧倒的に増えているし、役割分担的にも比較的こちらが担おうとしているつもりであった。
しかし、妻に指摘されて考えてみれば、自分の家事手伝いは言ってみれば場当たり的で、先々の見通しがなく、かつ一つ一つに時間がかかりすぎている。仕事で、部下の成果が出ないときに、自分が口にしているような指摘である。大人だけならそれでもいい。しかし年齢の異なる子供が二人もいると、それぞれの生活のリズムを考慮して、朝起きてから一日のどこで何をするかだいたいの予定を立て、それを頭に入れて家事を進めないと、何もしないよりも家庭がぐちゃぐちゃになったりする。そうならないようにフォローをしたり、そうなった場合に修正したりするのが結局妻なので、お互い疲れていた。
こうした状況について、今日は妻と時間をとって話し合いをすることができた。
そして、一日の基本ルーチンと、その中で発生する家事の基本的な夫婦間の役割分担を決めることができた。非常に基本的なことだが、夫婦にとって重要なステップであるように感じた。
明日から、皆がより快適に暮らせるようになれば、何よりである。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。
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