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在る偏屈者による半年遅れのMBA留学日記、そして帰国後に思うこと
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東京での企業訪問を無事終え、あとは二日間に渡って各々東京を観光する。

私は鎌倉・横浜案内の担当であったが、ここまで来ると皆自分で動けるようになっていたからか参加者が集まらず、自由の身となった。仲間を銀座に連れて行ってやったり、友人に会ったりして過ごす。
28日には、丸の内にあるかつての自分のオフィスに挨拶がてら立ち寄ってみた。私を担当してくれている秘書のOさんにはいつも連絡や書類の取次ぎなど手数をかけているので、この機会に菓子折りを手渡す。最後に出社してから一年と経っていないが、オフィスはかなり変わっていた。コンサルタントの数の増加に伴いデスクとミーティングルームが増設され、壁にはモノクロの写真や絵画が飾られ、ラウンジのソファーやキッチンも真新しい。私が在職中に面接をさせていただいた方が数名入社され、すっかり馴染んでおられた。海外オフィスからのトランスファーも増えていた。面白いことに、昨年私がトレーナーとして参加したプーケットでのトレーニングに、同じくトレーナーとして参加していたマネジャーが3名も移って来ていた。
そのうちの2名の韓国人マネジャーとは、成田を発つ30日の朝に、六本木ヒルズのカフェで朝食を共にした。半年の東京勤務を経て彼らが感じていたのは、「日本はもっと日本独自のやり方にプライドを持っていいはずだ」ということだった。日本の経済全体がそうであるように、彼らの目には私が所属していた会社の東京オフィスが自らのこれまでのやり方を否定し、「グローバルスタンダード」に傾斜しつつあるようにみえたらしい。事実、一時期に比べて英語でのコミュニケーションは増えているし、トランスファーも格段に増え、海外での成功事例を体系化した戦略アプローチを日本で活用しようとする例も増えている。そもそも米国に本社をもつ会社であるし、個人的には自然なことかと感じていたが、彼ら韓国人マネジャーには違和感があるらしい。当社が高いシェアを誇る韓国では、韓国独自のやり方で顧客へのサービスやオフィス運営を行っているし、何より彼らからみると、日本の企業は欧米で成功した事例を持ち込んでも容易く解決しないような高度な問題、固有の問題を抱えているはずだ、と。また、日本で採用したスタッフの質も決して低いわけではないのに、英語ができないだけでハンディを抱えていて、気の毒だ、という。私自身は彼らが経験した半年間をオフィスで過ごしたわけではないので、彼らの意見に対して軽率に成否の判断を下すことはできないが、日本の良さを再発見し、外国人であるスローンの学生に知ってもらいたい、そして彼らがそれをどう感じるかを見てみたい、という今回の旅行の最終日に、同僚のコンサルタントから奇しくもそうした課題設定に即したフィードバックが得られたことを、面白く感じた。

30日午後4時過ぎ、成田からワシントン経由でボストンに帰る。日本からボストンに「帰る」というのは、やはり妙な気持ちである。登場する便の運行はユナイテッド航空。エコノミークラスということを差し引いても、犬猫扱いのサービス水準である。米国サービス業の酷さにはなれたつもりでいたが、日本での10日間がまた期待値を高めてしまったらしい。米国に戻ってから、またしばらく「リハビリ」が必要だろう。

そしてこのトンデモ・サービスが、経由地ワシントンでより大きな問題を発生させてくれた。私を含めた日本人2名の、ワシントンからボストンへの乗り継ぎ便の座席がとれていなかったのだ。米系航空会社お得意のオーバーブッキングである。幸い、私は累積マイルの多さから空席の充当順位が高かったので、座席を確保することが出来たが、もう一人の日本人、今回の旅行のリーダーであるKさんが、どうしても座席を得られない。
空港のカウンターで地上職員と押し問答をしていると、Trek参加者が数名歩み寄ってきてくれ、交渉をサポートしてくれた。それでも埒が明かないとみると、今度は座席を譲って自分がワシントンに残る(もちろんユナイテッド航空による別のボストン行きの便のファーストクラスシート手配、当日の宿泊などが付いた上で)、という参加者が3名も名乗り出てくれた。改めて、今回の旅行に対する参加者の満足度の高さと、我々オーガナイザーに対する感謝の強さが確認できたようで、驚きと感動を覚えた。
結局イタリア人のL君が一人残ることになり、それ以外の面々は無事ボストンに帰還。空港で荷物を受け取ると、参加者はオーガナイザー一人ひとりに握手を求め、感謝の言葉を述べた後に、タクシー乗り場へと消えていった。今日二度目の、感動の光景である。

皆さん、お疲れ様でした。
オーガナイザー、参加者、全員に感謝。

東部時間の夜10時を過ぎて、自宅に到着。
久しぶりの家族との再会。
留守を守ってくれていた妻にも、感謝である。
そして改めて、ここが自宅だ、と感じた。
「ボストンに帰る」というと妙な響きに感じられるが、どこであろうと、自宅のある場所、家族のある場所が、自分の帰る場所なのだ、と。
まあ、当たり前なんですけどね。

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6日目、Japan Trekも折り返しを過ぎ、一行は河口湖で富士山を愛でた後、東京に入る。
夜は東京ドームでレッドソックスの試合を観戦。相撲観戦、広島平和祈念資料館訪問、トヨタ訪問に続き、希望者だけで100名を越える規模。何をやってもこの人数になるのは、改めて凄いことだと思う。
当然、目立つ。ボストンのメディアにも取り上げられたようである。

そして7日目は、東京地区での企業訪問。
今回の旅行のオーガナイザーは、ロジ担当、マーケティング、ツアー担当、といった具合に、いくつかの担当に分かれて準備を進めてきた。私は、SMさん、YA君とともに、企業訪問を担当している。
スローンを含め数多くの海外ビジネススクールが日本視察旅行を行っているが、旅行中に訪問する企業の数は、どの学校の旅行においても年々減少しているという。インドや中国、イスラエルなどを訪ねる同様の旅行で企業訪問が増えているのとは好対照である。確かに、ここ10数年の日本経済および日本企業の凋落ぶりを考えれば、ある程度自然な流れなのかもしれないが、腐っても鯛、まだまだ日本の企業には世界に誇るものがあるはずである。それが幻想なのかどうかは、スローンノ学生にできるだけ現実に見てもらうことで、明らかになるのではないか。そんな思いから、今回の旅行では、(恐らく)過去最大となる計8社(トヨタ、NTTドコモ、ソニー、セブン-イレブン・ジャパン、資生堂、新生銀行、ソニー・コンピュータエンタテイメント、コナミ)の訪問を手配した。この日は、このうちトヨタを除く7社を、3グループに分かれて訪問したわけであるが、全体としては、やはり日本企業もまだまだ捨てたものではない、という思い(かなり贔屓目だが)を確認するとともに、その強みを最大限に発揮するための「国際化」は、この古い言葉が叫ばれ始めてからの恐ろしいほどの年月にも関わらずまだまだ道半ばであるとも感じた。

以下、自分が訪問させていただいた企業での視察内容、発見などに、簡単に触れておく。

コナミ
企業紹介、ゲーム製作過程のプレゼンテーションを拝聴し、ゲーム製作者の研修施設を見学させていただく。
特に、ゲーム製作過程の紹介は、実際のクリエイターの方にお話しいただいたこともあり、非常に興味深かった。ゲームには益々リアリティーが求められるようになり、「メタルギア・ソリッド」というシリーズの場合、製作担当者が実際に軍事訓練を受けて射撃のやり方や戦闘地域での移動の仕方などを学んだり、ジャングルの雰囲気を知るために屋久島に取材に行ったりと、演出の材料を五感で感じ取り、右脳を刺激するために、かなりの手間隙と予算をかけているらしい。一方で、そうした「上流行程」におけるリアリティーの作り込みとあわせて、最終段階での遊びやすさの調整が、ゲームとしての完成度・面白さを決定的に左右するのだという。前者は映画製作にも似た作業であるが、後者はゲーム、あるいはソフトウェアに独特の、地味で根気のいる作業といえるだろう。ここでの緻密な作業、徹底したこだわりは、まさに日本のものづくり、というべきもので、ゲーム産業においてハードウェアのみならずソフトウェアでも日本企業が世界市場をリードしている理由に触れたような気がした。
また、ポイントが離れるが、「ユーザーからの意見などはどのように収集し、どの段階でゲーム作りに反映するのか」という参加者の質問に対して、「最近はゲームもオンライン対戦ができるようになっており、人気を博しているが、そのオンラインでの対戦の模様をモニターして、ゲーム作りに活用している」という説明があったのは、ちょっとした目うろこであった。

セブン-イレブン・ジャパン
企業紹介のVTRの見学の後、Q&Aセッション、そして実際の店舗に場所を移しての商品や店舗設計などの説明を伺う。
特にQ&Aセッションでは、日米のセブン-イレブンおよびコンビニ産業の違い、今後のセブン-イレブンの世界戦略、国内コンビニ産業の成長可能性などについて、用意された膨大なバックアップ資料を効果的に活用されながら、具体的な数値を交えて非常にわかりやすい解説をいただいた。

  • 日本のコンビニの売上は弁当・惣菜などの生鮮食品が主力であるのに対し、米国のコンビニはガソリン、タバコ、酒が売上の大半を占め、生鮮食品の割合は微々たるものであるらしい。逆に言えば、優れた商品開発と単品管理で生鮮食品を強化すれば、一店舗あたりの売上はまだまだ伸びる
  • マクドナルドが世界約120カ国で31,000店舗を有するのに対し、セブン-イレブンはまだ17カ国にしか進出していないにも関わらず既に店舗数は32,000を超えていることから、そのグローバルな成長可能性が推察される。その成長のペースは驚異的で、2007年は一年間で世界合計約2,000店を出店、毎日4時間に一店のペースで出店していることになる
  • コンビニという業態上、商品構成は進出する市場ごとに変化させなければならない。日本でおにぎりを置いているスペースには、米国ではピザやポテトが並ぶし、南米にいけばトルティーヤなどが並ぶ。しかし、店舗経営の根本である単品管理は、世界中で通じるプラクティスであると確信している

Trek参加前はそもそもセブン-イレブンが今や日本の企業であるということを知らない参加者がほとんどであったが、訪問後は強い感銘を受けて、表情が変わっていた。
海外担当の中堅社員の方が、流暢な英語で解説いただいたことも、参加者の理解向上に大きな助けとなった。

資生堂
メイクアップ・アーティストによる化粧の実演の後、国際事業担当執行役員のフィッシャー氏によるプレゼンテーションを拝聴する。
資生堂の戦略に限らず、日本および日本人の特質、そこでグローバルなビジネスを展開することの長所と短所を、自身の経験に基づいて率直な言葉で語ってくださった。

  • 資生堂の社員は、美に対する意識が極めて高く、洗練されている。そしてこれは、日本人全体にもいえることである
  • 日本のビジネスマンは、会社に入る段階では欧米のそれらに比べて能力的に劣るとは思わないが、企業に入ってから、きちんとした幹部教育、正しい視点・考え方が与えられていないために、中堅以上になると欧米より能力が劣るようである。終身雇用や日本的経営が全部悪いとはいわないが、明らかにその弊害で中ばかりみていることの影響であり、変わるべきところは変わらなければならない


夜は六本木ヒルズの51階を、三菱商事の力で使わせていただいて、卒業生を交えてのパーティー。
そしてその後は、六本木や西麻布のクラブへと繰り出す。

企業訪問で見聞きしたことを覚えてくれればよいが・・・。



10日間のJapan Trekも、半分が過ぎようとしている。
5日目の今日は京都を離れ、新幹線で小田原経由、箱根へと移る。

新幹線に対して、未だに「特殊な」思い入れがあることは否定できない。
自分が大学を出て最初に就職したのが、新幹線を運行する某鉄道会社であるし、「いい加減なアンチャン」からちょっと「オトナ」にしてくれたのも、新幹線に関わる現場(駅員、車掌、運転士)の経験だからである。4年弱の在職中は、不平不満も少なからずあったが、その鉄道運行の技術とノウハウは、世界に誇るべきものがあると思っている。「超」いい加減な米国の鉄道産業をみれば、その思いは一層強まる。できれば最新鋭のN700系車両に乗ってみて欲しいとも思ったが、小田原下車の必要上、「ひかり」の利用となり、それはかなわず。
行楽シーズンの京都駅は、現場社員泣かせの駅である。ホームは旅なれない乗客でごった返し、そこを走り回る子供、写真を撮ろうと身を乗り出す人などで、危険この上ない。運転士の見習いをしていた頃は、警笛をしっかり鳴らさないと「お師匠さん」に怒られたものだし、駅員が乗客に怒鳴り散らすのもわからないではない。そんなところに200名超の「ガイジン」が現れるのだから、たまったものではないだろう。新幹線の停車時間は1分半。最近の「ひかり」は停車駅も多く運行に余裕がないので、もたもたしていると乗り過ごしかねない。が、事前に散々注意を呼びかけていたこともあり、幸い皆大慌てで乗り込んでくれた。やればできるものである。
乗車後は、ちょっとした興奮状態。特に2両は貸切状態で、とても日本とは思えない光景である。自分の経歴を知っている連中もいるので、「今時速何マイルだ?」とか、「いつ最高速度になるんだ?」とかと尋ねてくる。椅子の回転のさせ方を教えてやると、子供のように遊んでいた。酒も入り、大騒ぎである。まあ、他に乗客のいない車両では、器物破損のない範囲で、何をやってもらっても困りはしない。
小田原駅も、酔った勢いで一気に下車。下車後にトイレに駆け込んだ人数が、車内での酒の消費量を物語っていた。

小田原からバスで20分、箱根湯本のはずれにある温泉ホテルに到着。
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外観は多少さびれていたが、客室、大宴会場、大浴場などの内装はきれいに整備・改修されていて、なかなかのもの。特に宴会と風呂には、多くの参加者が大満足することになる。

まずは宴会。
どうやって盛り上げようか、とオーガナイザー間で事前に打ち合わせをしたりしていたが、蓋をあけてみるとまったくの杞憂。大宴会場(畳敷き、舞台付き)に200名強が浴衣で集合、文字通り「飲めや歌え」の大騒ぎが繰り広げられた。
特にここで会場を、というか空気を支配したのがラテン系。マイノリティーとは思えない存在感で、カラオケのマイクから聞こえてくる声も、いつの間にか英語からスペイン語が支配的になっていた。
これは今回の旅行に限らず、入学以来(彼らにとってみれば生まれて以来)一貫していることだが、ラテン系は本当に良く飲み、よく騒ぎ、よく笑う。特にラテンアメリカ出身の学生は、貧富の差の激しい母国の中ではかなりの富裕層の出だと思われるが、気取ることなく徹底的にバカ騒ぎする。しかも、周りを巻き込むのが上手いのか、一緒にいてまったく不快でなく、こちらまで楽しくなってくる。
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そして風呂。
ハダカの付き合い、という言葉は国を越えるらしい。
あまり話したことのなかった連中とも、風呂で会うと、すっと会話に入っていける。
音が反響して、私の苦手な英語のリスニングには決して有利な環境ではないのだが、不思議なものだ。相手がだらっとしていて、いつものマシンガントークでなくなっているからかもしれない。
話の内容も、学校のことや旅行のことに限らず、将来のビジョンとか、どこかの国でのビジネスチャンスとか、果ては戦争のこととか、多様かつ「本格的」になりやすい。
大した効果である。
一緒に寝湯を楽しんでいた米国人の友人もそう感じたらしく、「これは今俺たちの文化にはない風習だけど、何年かかけて定着させたら、米国人ももっと人の話を聞くようになるかもな。特にハーバードあたりには要るんじゃないか」と笑っていた。

明日からはいよいよ東京に入る。




Japan Trek 4日目は、トヨタ訪問である。
さすがトヨタ、自由参加ながら、全体の9割近い180名が参加登録していた。
企画を担当した者として、嬉しい限りである。

全体の旅程構成上、京都からの日帰りバス移動となった。
新幹線での移動に比べてかなりのコスト削減になったが、反面時間が読めないので、出発時間は早めに設定してあった。
が、案の定、時間になっても来ない人間が続出。
出発予定時刻を15分過ぎたところで、まだ1名来ていなかったが、見切り発車することにした。10日間の旅行の4日目、多少可愛そうでもあるが、「見せしめ」も必要だと感じたからだ。バスが動き出して10分ほどしたところで、その遅れた一人のベネズエラ人から、携帯電話に連絡があった。曰く、集合時間を間違えた、完全に自分のミスなのでバスが出てしまったことには何の異論もない、ただどうしてもトヨタは見たい、どうすればよいか、と。心意気や良し、と思い、新幹線で豊田市まで来い、道中分からなくなったら電話すればガイドしてやる、と伝えた。鉄道で京都から豊田市に至るには、新幹線で名古屋駅まで出たのち、複雑怪奇な名鉄に乗り換えなければならない。果たしてどこまでやれるか、と思っていたが、何のことはない、トヨタ堤工場の正門にバスが着いたとき、彼はすでにそこにいた。大したものである。「見せしめ」どころか、一躍「ヒーロー」である。

見学は、5台に分かれたバスごとにトヨタの案内の方が先導してくださり、時間差を持ちながら進められた。ボデーの溶接ラインと、最終組み立てラインの2箇所を見せていただく。さすがトヨタ、工場見学の対応も極めてスムーズである。人が交錯したり、待ちが発生したりすることがほとんどない。学生の反応はというと、大半の人間が、高度に自動化された溶接ラインのロボットの動きに目を奪われていた。一方で組み立てラインの地味な動きや、序列生産のための部品の配置、カンバンやアンドンの役割には、一部の人間しか関心を示していなかったように思われた。受け取り方が表層的で、多少残念な気もする。

工場見学のあとは元町の本社に建設されたトヨタ会館で数々の展示品を拝見し、幹部との懇親会へと進む。
懇親会、具体的にはQ&Aセッションなのだが、トヨタ側からは生産技術担当の井川専務取締役が出席してくださった。訥々と話されるその姿は、まさにトヨタ、という印象を受けた。質問にも丁寧に答えてくださったのだが、ここで問題になったのが所謂"lost in transration"である。井川専務は英語がお得意でないのか、通訳を介しての質疑対応となった。この通訳が井川専務の言葉を表面的に一語一句なぞるばかりで、意味を捉えて正確に伝えようとしないため、行間というか、井川氏の伝えたかったポイントが十分に明確化されず、答えが答えになっていなかった。せっかくお時間をいただいたのに、もったいない限りである。

ともあれ、トヨタの皆様のご尽力により、有意義な訪問をスムーズに実現することができた。
心から、感謝申し上げたい。
ありがとうございました。
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スローン生数名を率いて、京都の町を歩く。

日本到着~二日目は、大阪の実家で家族と過ごすために一旦「隊」を離れさせてもらったので、全体にとって3日目となる今日が、自分にとっての実質的な始動である。
地の利を活かして京都を案内してやろうと、事前予約なしの京都観光ツアー要員として、参加者を待つ。
過半数の参加者がこの日は広島に出かけており、京都にとどまった参加者も多くは自由に散策すべく出かけていったので、集まったのは8名。まあ移動や昼食のオペレーションを考えると、手頃な人数ではある。
見てもらいたい所は山のようにあるのだが、欲張っても疲れてしまうので、金閣、竜安寺石庭とまわり、昼食は三条の三嶋亭ですき焼きを食べ、午後は伏見の日本酒工場(酒蔵)を見学する、というコースを辿った。
昨日から、我々の到着を待っていたかのように、京都は異常な暖かさに恵まれている。歩いていても気持ちが良い。途中、参加者から様々な質問を受ける。食事のこと(日本人が一番好きな日本食は何か、熱燗の酒は安物だと聞いたが本当か、など)、街並みのこと(なぜゴミが落ちていないのか、なぜ車は左を走るのか、など)、舞妓さんのこと(どういう人がどういう選考を経て舞妓になるのか、売春婦ではないのか、など)、など、挙げればきりがない。中には「そういわれてみれば・・・」というようなものもあり、ちょっと考えさせられたり、古い記憶を遡ったりもする。
古い記憶といえば、この町は私が大学時代の4年間を過ごしたところである。観光名所には正直あまり(というかほとんど)感動を覚えなかったが、そこに至るまでのちょっとした町の風景のあちこちに思い出がある。大学時代というともう10年ほど前のことだが、時間の流れの遅い京都では、それほど風景も変わっていない。何度か行った定食屋、人ごみの濃淡、バス停のカンバン、皆一緒である。そこに、再び学生として、自分が歩いている。但し一緒に歩いているのは日本人ではなく、話しているのは英語である。その半径1mほどの空間だけは、Cambridgeを移植したかのようである。つまり、京都の町の中で、決して交わることのなさそうな私の二つの「学生時代」が交錯している。これは極めて複雑な感覚であった。
三嶋亭ですき焼きを突きながら、どちらの学生時代が良かったか、と考えてみる。10年ほど前の学生時代の方が、間違いなく自由であったし、気楽でもあった。それは大学が課す学業的負荷の軽さもあるが、社会的責任や将来に対する現実感の軽さにもよる。今は、毎日のように将来のことを意識するし、学業的負荷も30代のカラダには十分こたえるだけ重い。しかしながら、10年前は考えもしなかった、200人以上の「ガイジン」を率いての日本旅行を実行している。このエネルギーがあれば、京都での学生時代はもっともっと有意義だったのではないか、と多少もったいない思いにも駆られる。一方で、あのモラトリアムがあったから、今の自分があるのだという気分も、単なる言い訳ではないように思う。
まあ、後ろを振り返っても仕方がないので、あと1年ちょっとの「今の」学生生活を充実させることに気持ちを向けよう、そしてまず目の前の旅行を「成功」させよう、そんなことを考えた。
前向き前向き。



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PROFILE
HN:
Shintaro
性別:
男性
職業:
経営コンサルタント
趣味:
旅行、ジャズ鑑賞
自己紹介:
世の中を素直に見ることが苦手な関西人。
MITスローン校でのMBA、プライベート・エクイティでのインターン、アパレル会社SloanGearの経営、そして米国での生活から、何を感じ、何を学ぶのかー。

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